いしがみじょう

石上城

静岡県島田市

別名 : 石神城、笹間城
旧国名 : 遠江

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夏樹文庫 (2021/05/04 訪問)

 登福寺前の駐車場より案内に従い寺の右手より登城しました。石上氏の館跡と言われている大頭龍神社を経て主郭へ向かいました。道は整備され歩きやすい。主郭へ行くまで、また主郭の背後も一騎駆けのような細い尾根道となっています。帯曲輪の他、浅くなっていますが堀切、竪堀などを確認することができます。
 なお登福寺前に駐車場には作家の夏木静子さんがこの地に疎開していた縁でできた夏樹文庫があります。

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カズサン

保存整備良好夏場でも登城出来ました (2020/06/09 訪問)

 大井川支流笹間川上流に城びと未踏の城が在りトーダイさん姫街道さんの投稿で駐車場が有り、老体でも比高約70m登城出来そうなので初登城して来ました。

 駐車場は登福寺境内、石上公民館共有の広場を利用、南側5、6台は可能広場全体では倍以上可能。

 ルートは新東名島田金谷ICを降る→R473号線北上川根町家山から→県道63号線で大井川駿遠橋を渡り県63号線道なり、途中川根温泉(道の駅)を過ぎて笹間川ダム橋を渡り県77号線との分岐点、右手県63号線を道なり、笹間上地区に入り郵便局を過ぎて笹間川を渡り直ぐに左手北上約200mを登り、右手石上城、登福寺の標柱を約100mの登る(狭い急坂)右手登福寺境内と石上公民館広場。
 島田金谷ICから目的地まで約36km、県道63号線は車が離合不可の狭い道が所々有ります要注意。
 県道63号線は浜松市天竜区只来から東に川根町家山、川根町笹間、藤枝に伸びてる旧道で武田氏侵攻の道に成ったのでしょうか?

 登城ルートは登福寺門前右手を矢印看板で進み、奥の渓谷を直ぐ渡り、尾根筋を整備された棒階段を登って行く、約150m程で居館後に在る大頭龍神社へ、神社奥の尾根筋を登城路、棒階段を約200m登ると本曲輪の神社に至る、尾根筋の左右は急峻で裾に渓谷渓流が流れ防御と成ってる。
 本曲輪奥に北は切岸と堀切竪堀で防御、その奥尾根筋は急峻な細い登城路約70m程に大堀切で堀切は堀底道で搦手、集落に繋がってる模様。
 全体を40分程探訪写真撮影、登りは10~15分か?堀切、帯曲輪、二の曲輪、本曲輪、土塁、切岸、虎口と遺構は良く残り保存整備が行き届いており探訪しやすく登城路は地元の方々により草刈りされてる。

 歴史的には戦国期、今川氏から武田氏へ武田氏時代に城主石上氏が二俣城の守りで徳川氏武田氏の攻防戦で戦死、当地に在る登福寺は石上氏を菩提供養のため寛永6年(1629年)開創開山建立され以後今日まで29世継承されてる。

 登福寺さんには駐車場、トイレをお借りして丁度居合わせた坊守さんに石上城の何か資料は有りませんかと尋ねた処、快くA4、B4資料を頂く事が出来ました、登福寺さん坊守さん有難うございました。

 寺からの帰り参拝道の茶畑で子狸の見送りを受けました、可愛くキョトンとしてじっと見てる様でした。

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姫街道

山深い集落にある城 (2020/03/14 訪問)

城びとにある遠江の城を一応全て行ったため、大井川を超えて駿河国に入った。金谷から大井川を北上し、支流の笹間川沿に東へ進み石上城へ行った。山間地域の小さな集落に南北朝時代からある徳山城の支城だ。その徳山城は、この石上城の真北にある南朝最後の砦である無双連山。おそらく石上城から尾根伝いに行けるのであろう。
さて、石上城は南朝方の城によくある向かう登り口に寺・登福寺があり、登山道の途中に神社があり、山頂の狭い尾根を活用して城としている。比高とすれば70m程度か。南北朝時代にしては小さいが、集落の範囲や地形からいっても妥当な位置とサイズではなかろうか。武田支配下になり、堀切や土塁を増築した遠江地域にもよくある典型的な城だ。武田方は塩の道を絶たれるのがよっぽど嫌なのだろう、街道という街道の城を隅々まで抑えているように感じる。さて、城への登山道や遺構は非常に整備されていて綺麗だ。また、石上地区も落ちついた雰囲気で、隅々まで村人の整備が行き届いた綺麗な集落だ。代々この地を治めていた石上氏の人柄を偲ばせる。

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トーダイ

今川・武田に仕えて生き延びた石上氏です (2017/09/06 訪問)

登福寺東側の尾根に位置する中世の山城です。現在神社が建てられている頂上が「本曲輪」、
手前を「二の曲輪」、曲輪の南北尾根を縦掘で削り防御のための「掘切」をしています。

一、石上城築城、年月詳ならず。
一、石上城は南北朝時代、徳山城(川根本町)の支城なり。
一、1353年(天平8)、今川範氏に攻められ2月14日ころに落城、その後、今川の支配下となる。
一、1570年、武田氏の支配下となる。
一、1575年(天正3)、二股城(浜松市)の守衛として赴いた石上城主の石上菟角之助(とかくのすけ)は
  徳川氏との戦いで討死し、後に廃城になったと考えられる。(案内板より)

案内板がある石上公民館前スペース<35.010708, 138.146526>を利用、麓の登福寺奥の登城口から本曲輪まで
良く整備された登城路で約10分、小さい城跡ながら遺構はシッカリ残されており、期待以上でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 石上氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 市史跡
住所 静岡県島田市川根町笹間上