仙台城
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2023/05/11 20:58
2023/05/11 20:10
【かるた】松山城の読み札 (2017/09/18 訪問)
並び立つ 文武の俊秀 松山城
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2023/05/11 19:38
石仏 (2023/05/06 訪問)
信長が築城した安土城には仏まで石垣などに使われているんですね〜 信長は無宗教だったとしても…すごいですね。
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2023/05/11 19:15
㉟【関ケ原の26人】(16)黒田長政 (中津城:黒田の石垣1) (2023/01/05 訪問)
(16人目)黒田長政(中津城)の続きです。
関ケ原から話はちょっとそれますが、中津城の石垣の話をちょっとさせて下さい。まずは有名なYの石垣から。ではここで問題です!
【問題】
中津城の北面では、2つの異なった石垣が見られる事で有名です(写真①)。Yの部分を境に右と左で異なった石垣である事がお分かりになると思います。どちらが最初の築いた黒田官兵衛の石垣で、どちらが後に入った細川忠興の石垣でしょうか?🤔
【解答】
右の四角く削って整えた方が黒田の石垣、左の一見雑に野面風に積んでいる方が細川の石垣です。何か時代的に見て逆のような気もしますが、黒田時代の石垣は、川の上流にある7世紀の古代遺跡「唐原山城」の神籠石にあった角を削られた石をそのまま使ったのでこのようになったそうです(写真③)。
この他にも、城の西側(川沿い)にある黒田時代の石垣にはL字型の切り込みが入っているところがたくさんあります(写真②)。ここも唐原山にあった石を使っているようです。この不思議なL字が何を意味するのか? 実は私もわかりません😩すいません(説明写真④⑤)
次は中津城の中でも私の好きな石垣の話です。
(中津城:黒田の石垣2)へ続きます。
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2023/05/11 17:44
猿飛佐助のふるさと (2023/05/11 訪問)
織田信長が観音寺城を攻めたときに六角義賢、義治親子が逃れてきたと伝わる城です。
見どころは枡形虎口、山頂部、主郭北・東辺の三カ所の石垣、井戸等でしょうか。石垣には予想より大きな石が使われていました。竪堀群の標識がありましたが、草が多くよくわかりませんでした。散策路は整備されていて概ね歩きやすい城址です。
落ちそうで落ちない合格祈願の岩となっている八丈岩はJR草津線の車窓からも見ることができます。またこの岩は猿飛佐助が修行した岩ともいわれています。城址に来るまでに「猿飛佐助のふるさと 三雲城址」と書かれたのぼりが多く立っていました。はるか昔に読んだので忘れていましたが、司馬遼太郎の「風神の門」には「佐助は伝説の英雄ではなく実在していた」「佐助はただしくは三雲佐助賢春という」と書かれています。真偽のほどはともかく、こういう話は結構好きです。
山の上にある登城口まで車で行くことができますが、自分はJR三雲駅より徒歩にて登城しました。天候もよくのんびり歩いていたら約50分かかってしまいました。
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2023/05/11 16:29
城跡?というかトレーニングに最適な公園 (2023/04/30 訪問)
釣山公園の入り口から登城開始。といっても城感は殆どない。結構な坂道だが、綺麗に整備されているので、雨上がりでも安全に登ることができる。緑がいっぱいでマイナスイオンたっぷり。野生のつつじも満開♪息を切らしながら頂上まで行くとなかなかの眺め(写真撮り忘れた・・)ということで、大した写真はございません。
ちょっと不完全燃焼であったが、グルメはしっかり味わった。造り酒屋が営んでいるレストランで、利きクラフトビールとアイスバインのランチ。生まれて初めてマンガ肉というものを食べた。大満足!美味しかった〜
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2023/05/11 15:18
2023/05/11 15:04
2023/05/11 14:59
2023/05/11 11:09
新緑若葉の高遠城 (2023/05/02 訪問)
日帰り伊那路城散歩の7城目ラストの高遠城を大島城を終えて北に約30km以上、中央道を走り時間節約して18年振りに登城しました。今回の日帰り伊那路城散歩は久しく高遠城を訪ねていないなぁ~、新野峠を越えて伊那路の城と伊那路ドライブを天気も良く行こうと急遽決めて回りました、いい皐月の季節でした。本来の高遠城はタカトウコシガンサクラの満開の時期が最高ですが、伊那のICから国道361号線の大渋滞、駐車場の確保が超困難で、新録若葉の頃の登城と成りました。
駐車場は3の丸側、勘助曲輪の砂利舗装無料駐車場を利用。(花見の時期は有料かもしれませんまた入城は有料)
駐車場から、3の丸の移築大手門、本丸堀外側を回って桜雲橋を渡り本丸問屋門へ、本丸内部は有名なタカトウコヒガンサクラは葉桜、楓は若葉で光り輝き、下草は伸びて、マメ科の紫の花が群生してる、太鼓櫓へ、今は柵が囲み近くには入れない、問屋門に戻り桜雲橋下の堀底探訪、本丸堀から南曲輪へ土橋を渡って本丸いたり来たり、南曲輪、法幢院曲輪、二の丸に戻り、高遠閣、藩校進徳館の校門、玄関石垣階段の石垣周りを眺めて駐車場へ、新録若葉ですが結構大勢の人が見えていました。
高遠城は山本勘助の縄張、武田勝頼の城主時代、保科正之城主時代と歴史上の人物に事欠きません、歴史に思いを馳せて巡るのも楽しい城探訪です、空堀の深さ広さが素晴らしく当日は良く見えませんでしたが中央アルプスの残雪の眺めも素晴らしい景観です。
国境の峠、新野峠は陽が沈まない内に通り無事浜松に帰る事が出来ました。いい日帰り伊那路城散歩と新緑ドライブでした。
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2023/05/11 07:56
【かるた】明石城の読み札と絵札
見上げると でかさに驚嘆 明石城
実際に訪れるまではJR明石駅のホームから眺める「綺麗だけど小ぶりな城」という印象でしたが、麓から見上げると、延々と続く高石垣に二基のどでかい三重櫓が聳える迫力に驚嘆させられました。
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2023/05/11 07:23
2023/05/11 07:13
2023/05/11 06:56
流紋岩質凝灰岩の山体と石垣 (2023/05/05 訪問)
城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。麓から見上げる写真がまだなかったので投稿します。
頂上付近の木が伐採されており、麓から石垣がよく見え、気持ちが高まります。
本曲輪南面は、もとの岩と石垣の組み合わせで、石率大です。加工しやすい凝灰岩の山体であり、石は、現地調達できます。裏手は土造り。
和田小学校裏手から登り、親縁寺・郵便局方向に降りるルートをとりました。南の曲輪手前で両ルートは合流します。南の曲輪から、本曲輪まで、比高はないが、距離はあります。平日は、進入NGですが、小学校ルートがいちばん整備されててかつ楽な道のようです。
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2023/05/11 04:48
2023/05/11 04:44
(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:塩田城 (2023/04/20 訪問)
岡城から転戦。塩田城碑前空スペース(36.341052、138.195871)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1277年(建武3年)北条義政が信濃国塩田荘へ移り居城として築いたようです。
北条義政は鎌倉幕府の要職にあった人物で、義政、国時、俊時と三代にわたって塩田荘を治め塩田北条氏と呼ばれています。
1333年(元弘3年)北条国時・俊時父子は鎌倉幕府の滅亡に際して鎌倉へ馳せ参じ討死しました。
鎌倉幕府が滅亡すると1335年(建武2年)には村上信貞に塩田荘十二郷が与えられ、塩田城には村上氏の重臣福沢氏が代官として置かれました。
1553年(天文22年)武田氏の侵攻により村上氏の居城である葛尾城は落城、塩田城は村上氏の最後の拠点となりましたが、同年に落城しました。
信濃から村上氏を駆逐した武田氏は、塩田城に飯富氏などの重臣を置いて拠点としましたが、1582年(天正10年)武田氏は滅亡しました。
塩田城は入口の道路の所が内堀のようで、西側に曲がり南北に伸びて土塁が残っています。
攻城時間は35分くらいでした。
ここから上田駅に戻りレンタカーを返却して、次の攻城先=布施高田館(城びと未登録 長野県長野市)に向かう為、篠ノ井駅に電車で移動しました。
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2023/05/11 04:36
(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:岡城 (2023/04/20 訪問)
原畑城(城びと未登録 長野県上田市)から転戦。岡城公園空スペース(36.381448、138.171821)に駐車しました。岡公民館駐車場(36.381793、138.171581)にも駐車可能です。
築城年代は定かではないようです。
伝承に寄れば武田信玄の家臣馬場美濃守信房によって築かれたと云われ、1553年(天文22年)武田氏が村上義清の居城である葛尾城、塩田城を落とし、1560年(永禄3年)に海津城を築いて川中島へ進出する間に築かれたのではないかと推測されています。
岡城は本丸とその外側を囲む二の丸があります。
本丸は市営岡団地のある所で、西側には堀跡を確認することができます。
説明板は二の丸の北に残る岡城公園にあり、高い土塁と空堀が残されています。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=塩田城に向かいました。
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2023/05/11 04:29
(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:原畑城(城びと未登録 長野県上田市) (2023/04/20 訪問)
室賀城から転戦。原組公民館(36.407853、138.145719)に駐車しました。
そこから原田橋(36.407928、138.144561)➡原畑城跡(36.408238、138.146301)➡十王堂址記念塔(36.408227、138.146673)の殉に巡りました。
笹洞城を居城とした室賀氏の居館です。
原田橋の下の道路が堀切であり、原組集落の中央に「十王堂址記念塔」が建てられています。
原畑城跡と云われている場所には何もありません。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=岡城に向かいました。
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2023/05/11 04:24
(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:室賀城 (2023/04/20 訪問)
三水城から転戦。ささらの湯駐車場(36.410277、138.147181)駐車し、室賀水上神社入口(36.410836、138.146967)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、室賀氏によって築かれたと云われています。 室賀氏は屋代城屋代氏の支流で室賀郷を本貫とした一族です。
はじめ葛尾城の村上氏に従っていましたが、甲斐の武田信玄が村上氏を越後へ追いやると武田氏に従いました。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡すると徳川家康に従いますが、翌1583年(天正11年)真田昌幸と争い一旦は和睦となりますが、室賀兵部少輔は後に謀殺されました。
室賀氏の一族は室賀源十郎が徳川氏に仕え、江戸時代には旗本となり尾張藩に仕えて1,500石を領しています。
登山道は東麓にある室賀水上神社の境内にあり、境内にも駐車可能です。
登山道を歩き始めましたが、案内標識もなく山に登って行く道が見つけられません。
方向音痴な自分は迷子の危険があるので、攻城を断念しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=原畑城(城びと未登録 長野県上田市)に向かいました。
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