久しぶり。現存はよいですね。
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2023/03/10 23:04
2023/03/10 22:59
目前で (2022/12/30 訪問)
突然黒いお尻の獣・・・(;'∀')
引き返しました。
後で冷静になれば鹿でしたね(/ω\)
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2023/03/10 22:55
2023/03/10 21:29
2023/03/10 19:27
堀の広さが凄まじい!! (2023/03/07 訪問)
JR東北新幹線・IGRいわて銀河鉄道線の二戸駅東口から徒歩約30分
積雪の影響かは不明ですが、二ノ丸・本丸への入口は冊が設置されていて入れませんでした。
ですが二の丸切岸や三ノ丸などの遺構は見ることができ、中でも二ノ丸大手門脇の堀の広さは圧巻でした!!
城跡から二戸駅に向かう途中にある埋蔵文化財センターでスタンプを押印。
埋蔵文化財センターの展示によると、現在の遺構は、蒲生氏郷が九戸の乱ののちに改修したもので、戦国期のものではないとのことです。
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2023/03/10 12:27
【遠江・掛川古城】静岡県掛川市 大堀切が見所 (2023/03/08 訪問)
住所:静岡県掛川市掛川1104(龍華院) 掛川城から東約200m程の小山
駐車場:今回は掛川大手門駐車場(有料)しましたが掛川古城跡龍華院の駐車場利用可能、但し登り坂は急勾配です。
掛川桜、掛川城、二の丸御殿、二ノ丸茶室と喫茶を味わい、王将戦の場の雰囲気も実感し、二ノ丸美術館のある二ノ丸北側の出口から東に約200m程の所のある掛川古城を目指す、途中に報徳社の建物、ハス池、掛川中央図書館、掛川第一小学校を見ながらの散策。
そうこうしてると掛川古城跡である龍華院へ、勾配のキツイ坂道を登ると左に龍華院と参拝駐車場、一段登って家光公のお霊屋である龍華院大猷霊屋が本丸中央に在る、案内板あり、東側一帯に土塁、その東は二の丸間の見所である大堀切、東の階段を降りて大堀切の底に到着、左右の堀切状態を確認樹々で鬱蒼としてる、東の二の丸へ登り遊戯公園と成って居る、東の尾根筋曲輪は開発開削されて掛川中央消防署として活用、南側は20~30m下に居館跡、現在は掛川第一小学校敷地。
掛川古城跡は今川氏真が武田信玄の駿河侵攻により今川氏家臣の朝比奈氏が守る掛川城に逃げ入り込んだ城ですが、その後家康の遠江侵攻により掛川城の包囲合戦で約半年近く攻防を続ける中、家康は周囲に付城、砦を築きじわじわと攻め、その間には遠江の今川武将の守各城を攻略、ついに和睦をして今川氏真は妻と妻の実家である北条氏の領地伊豆に退去。
掛川古城跡二の丸で見晴らしも良く、掛川城包囲合戦の付城、砦を遠望する、家康本陣の天王山龍尾山砦は北側の森の様な小山、南側の青田山砦、最近発掘調査された杉谷城を遠望するが良く分からない。
この間の家康が今川氏真を完全包囲【遠江】掛川城攻め付城群は歴史群像2023年4月号No178に日本城郭協会理事の加藤理文さん香川元太郎画伯のイラストで5頁に纏められています。
写真投稿は10枚です、10枚目は二の丸茶室で頂いた抹茶と練和菓子、王将戦の場で雰囲気良く頂きました喫茶セットです。
大河ドラマどうする家康では掛川城の包囲合戦の扱いはどうなるでしょうか?ありやなしや楽しみな所です。
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2023/03/10 08:09
比定地と周辺散策 (2023/02/04 訪問)
室町中期に竹腰尚隆が築いたとされ、織田信雄に仕えた不破広綱が城主の頃に城を改修し城下を拡張しましたが、小牧・長久手の戦いで羽柴秀吉の水攻めにより開城。関ケ原の戦いの際は織田秀信配下の杉浦重勝が城主でしたが、秀信が西軍についたため福島正則ら東軍の攻撃を受けて落城し廃城となりました。
市街化により遺構は消滅しており、比定地も諸説あるようですが、本丸比定地には天守風の歴史民俗資料館が建ち、資料館前には竹ヶ鼻城本丸之趾の石碑と説明板(関ケ原の戦い)が立てられています。歴史民俗資料館には映画資料館も併設されており、そちらもあわせて見学したいところでしたが、時間に余裕がなかったので諦めて、隣のぐるっと羽島(観光交流センター)に車を駐めて周辺の散策を。歴史民俗資料館の裏手(東辺)の水路は堀の名残とされ、北に徒歩3分の光照寺の西辺まで続いています。資料館の斜向かいにはお城地蔵大菩薩が建ち、杉浦重勝ら関ケ原の戦いでの戦没者が弔われています。お城地蔵の奥は真宗大谷派竹鼻別院で、藤の名所として知られているようです。
資料館の北西1.4kmには羽柴秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めした際の本陣があるようなので、折りたたみ自転車で行ってみました(続く)。
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2023/03/10 07:05
お薦めの山城 (2023/02/28 訪問)
大給松平家の山城である大給城へ行ってきました。
まず、アクセスが簡単!
それでいて、土塁・虎口・石垣・堀切など山城の基本構造はしっかり残っています。
城内には巨石がごろごろある!
突然広がる眺望!
そして謎のダムである水の手曲輪!
いずれもすばらしいお薦めの山城です。
https://blog.goo.ne.jp/pf11/e/df7ee901eaeba1355df91a15727fa940
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2023/03/10 06:59
城カード再建天守シリーズ (2023/02/18 訪問)
翌日の天気予報が雨予報だったので前倒しで大阪城に向かうことにしました。四條畷駅から学研都市線・JR東西線で大阪城北詰駅にアクセスして向かいました。大阪城北詰駅からのアプローチは初めてでちょっと新鮮でした。午後の閉館も近い時間帯でしたが、券売機には行列が出来ていました。やはり人気のある城には朝一番で駆けつけるに限ります。階段利用なのでエレベーターの行列には並ばずに済みました。売店にて、無事、城カードをゲットすることが出来ました。
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2023/03/09 21:59
伊勢ヶ坪城 (2023/02/12 訪問)
【伊勢ヶ坪城】
<駐車場他>駐車場はなし。大林八幡宮に参拝して駐車しました。
<交通手段>車
<見所>井戸跡
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅8城目。現地案内版を要約すると伊勢ヶ坪城は承久の乱(1221年)に討死した熊谷直国の功績が鎌倉幕府に認められその子の直時が安芸国三入荘の地頭に任ぜられ武蔵国熊谷郷から移ってきて築城しました。室町時代に熊谷氏は勢力拡大の為に戦略的に優れた三入高松城を築城して移転しますが、しばらくの間この城は隠居城として機能していたそうです。
登城口は<34.551999, 132.546729>にありすぐ主郭にたどり着きます。主郭の北側に腰曲輪、主郭から南西に3段程曲輪があります。主郭の北東隅に井戸跡の大穴があります。巨大な蟻地獄のようで落ちたらヤバイ感じでした。主郭の曲輪壁は石積みがあったようで白っぽい石がいくつか埋まっていました。
<満足度>◆◆◇
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2023/03/09 21:46
2023/03/09 21:42
日本五大山城 (2023/03/09 訪問)
佐々木六角氏の居城で、最大の特徴は城域のほぼ全域で石垣が用いられていることだと思います。この城びとの「大人も学べる 理文先生のお城がっこう」には「標高約433mの繖山全山のほとんどを城の範囲として、現在までに確認された曲輪の数は1000にも達する、全国でも特に数え上げるに値するほどの大きさを誇る山城です。この観音寺城で、一番驚くことは安土城より50年ほど前に本格的な石垣を使って造られた城だったことです」と書かれていました。確かに石垣は武骨な感じで、いい雰囲気を醸し出しています。
かなり広範囲でいろいろな登城路があると思いますが、自分は裏参道駐車場から目加田丸→布施淡路丸→伊庭丸(佐々木城石碑も含む)→大土塁→三国丸と進み、三角点を確認後、本丸→三の丸→平井丸→池田丸→大石垣→木村丸で埋門を確認後、表林道に出て御屋形跡へ下りました。途中、寄り道も多くしましたが、いたるところに石垣が残っていました。主要な散策路は比較的歩きやすいのですが、少し外れたところにもいい石垣が残っています。もう少し山の中を彷徨えば、もっと遺構に出会えたと思いますが、大石垣から林道に降りてきた時点で、かなり時間も経過していたこともあり、そのまま御屋敷跡へ下山しました。観音正寺へは行きませんでしたが、あの階段(前回経験済み)を上がって戻る気にはなれませんでした。
2010年に一度登城していますが、その時は安土駅から桑実寺を経由して登城しましたが、かなり体力を消耗して、あまり散策ができていません。多くの方の投稿を見て、また資料を見ていつかリベンジをと思っていましたが、今日になってしまいました。
車で行かれる方は安土駅方面からの表林道(参道)と五箇荘方面からの裏林道(参道)がありますが、有料道路です。徒歩は無料です。冬季には閉鎖している期間がありますので事前に確認することをお勧めします。
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2023/03/09 19:47
2023/03/09 16:19
2023/03/09 15:42
2023/03/09 15:19
一面の雪野原 (2023/03/06 訪問)
弘前駅から奥羽本線で移動し、浪岡駅で下車。
浪岡駅の観光案内所あぴねす で、スタンプを押印
案内所の方から、ガイドマップをいただきましたが、雪野原になっていると案内を受けました。一応、確認のために城跡へ
駅から20分ほど歩いた道路上に、浪岡城址の石碑がありました。城跡は、1メートル以上雪が積もっており、訪問は断念しました。
中世の館は、月曜日で休館しており、消化不良に終わったので、雪の無い時期にリベンジしたいです。
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2023/03/09 15:07
雪残る弘前城 (2023/03/06 訪問)
弘前駅西口を出てすぐのバス停から「土手町循環100円バス」に乗車し、弘前市役所前で下車し、追手門→三の丸→辰巳櫓→未申櫓→南内門→与力番所→丑寅櫓→北の郭→本丸→天守→北の郭→三の丸→東門の順で見学。
雪が積もっていましたが、通路は除雪されていました。
追手門をはじめとして、櫓門は5棟が現存、三重櫓は3基が現存しており、天守以外の見どころも盛りだくさんです!!
天守は本丸内に移動されており、間近で見ることができました。
また本丸から岩木山を望むことができました!!
11月末〜3月末まで天守内には入れませんが、本丸・北の郭は無料で見学することできます。
帰りは、東門を出てすぐにある文化センター前のバス停から100円バスで弘前駅へ向かいました。
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2023/03/09 11:17
㉘【関ケ原の26人】(14)池田輝政 (池田輝政と姫路城) (2023/02/11 訪問)
(14人目)「池田輝政」の続きです。
今度は、関ケ原後に築城した「姫路城」を訪れてきました。いつ見ても豪華絢爛! 姫路城を見たら誰もがお城を好きになってしまう不思議な魔力がありますよね! 現存のため嘆願してくれた中村重遠大佐や、B29の爆弾や火災から守ってくれた?刑部姫にも感謝です(笑)。もちろん現在維持管理されている方々にも。
私の好きな角度はここです。西の丸から見た天守です!(写真①)。また大天守を下の備前丸から見上げた姿も圧巻で好きです(写真②)。姫路城は美しさや大きさだけでなく、なかなか天守にたどり着けない入り組んだ門や狭間などの数々の戦の備えも、今まで訪れた方は誰もがすごいと感じられたのではないでしょうか(例えば写真④⑤など)。
黒田官兵衛時代の石垣も残っていました(写真③)。地元の官兵衛ファンとしてちょっと感動です。
(しかし待てよ🤔? ここでまた3つ目の疑問が?)
西国を牽制するために大きな城を築けと家康から命じられたとはいえ、いくら何でもこれちょっと大きすぎませんか? そしてこの備え、外観は華麗でも中味はまさにこれから大戦(おおいくさ)をするぞと言わんがばかりの城に見えませんか? これを見た徳川の人々はさぞかしびっくりし慌てた事でしょうね~(そこまでとは家康様は言ってないぞ!って)。
関ケ原後に、豊臣恩顧の大名で大天守と大城郭の両方を持つ壮大な城を築いたのは、加藤清正と池田輝政の二人だけです。清正がなぜそのような熊本城を築いたのかは、本丸御殿の「昭君之間」に答えが隠されていた事を以前お伝えしました。ならば輝政はなぜこのような壮大な姫路城を築城したのでしょうか?(皆さんはどうお考えでしょうか?)
【余談】姫路おでん
「姫路おでん」という看板をあちこちでよく目にしたので気になって食べてみました。生姜醤油につけて食べるのが特徴のようでおいしかったです。こんにゃくがお城の形でした(笑)😊(写真⑧)
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2023/03/09 10:33
雪が残ってました (2023/01/09 訪問)
高山の冬は寒いです。
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2023/03/09 10:07
大石神社 (2023/03/08 訪問)
赤穂浪士の石像も見ごたえがあます。
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