とみおかじょう

富岡城

熊本県天草郡

別名 : 臥龍城
旧国名 : 肥後

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脇平櫓と高麗門表側
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カズサン

15年振り再登城本丸編 (2025/10/28 訪問)

 15年振りの再登城、復元百間土手石垣白長塀、復元大手門石垣を麓で堪能観察し、二の丸の復元西櫓、復元東櫓、復元長屋・苓北町歴史資料館と初対面観察、15年前と変わらない二の丸修復復元石垣、二の丸の銅像群を改めて充実観察、三河武士の代官鈴木兄弟像をまじまじと眺め、今年3月三河則定陣屋奥の鈴木兄弟像も拝見し、実体の歴史を勉強させて頂いた後でしたので、より身近に感じました。
 二の丸より本丸の北櫓を眺め、外の北面は二階櫓、本丸内部では平長屋造り、本丸虎口を登り高麗門と脇平櫓、門前の平櫓を廻って富岡ビジターセンターに成ってる、北櫓、西櫓へしかし、10月27日~31日まで休館で入館できず。
 本丸からの有明海、遠く雲仙普賢岳眺める、空の青、海の青、櫓、土塀の白さと合いマッチして素晴らしい景観を醸しております。
 15年振りの富岡城探訪でした。

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カズサン

二の丸の偉人銅像群 (2025/10/28 訪問)

 二の丸には銅像が二つの基壇に二体ずつ立像で設置されています。天草回天之碑基壇には初代代官鈴木重成、代官の兄鈴木正三和尚が並んで立っています。もう一つは日本の恩人基壇には頼山陽と勝海舟が並んで立っています。
 15年前の初登城では鈴木代官は何処からの赴任かな?と言うくらいサラッと流していたのですが、今年3月三河で唯一残って居た山城の松平山城を初登城した後、周辺の城を探訪しようと寄った、鈴木代官の領地である椎城、則定陣屋の中腹に富岡城と同じ鈴木代官兄弟の像が有り、15年間の、もやもやが一挙に解決、自分の身を捧げて天草の領民を助けた鈴木代官であったことが分かり敬服致しました。
 三河出身の方だったのですね。
 今年3月に鈴木代官の領地を偶然にも訪ねたので、改めてまじまじと鈴木重成代官、鈴木正三和尚銅像を拝見しました、解説板も撮影し投稿致します。
 
 頼山陽と勝海舟は説明のいらない超有名人ですので銅像の写真投稿のみとと致します。
 頼山陽と勝海舟の基壇北面に富岡城の城歴が掲示されて居ましたので写真掲載します。
    

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カズサン

二の丸修復復元石垣 (2025/10/28 訪問)

 二の丸西下駐車場からは二の丸の西側の赤茶けた石垣がよく観察できます、天草・島原一揆当時の寺沢氏の時代、立直しの山崎氏の応急措置時代と再修復時代の三層構造に成ってる様です。
 二の丸東側は三の丸側への構として二の丸東虎口石垣が修復復元よく整備されています。
 この辺りは前回15年前と変わりなく良く保存整備されています。
 

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カズサン

出丸から二の丸へ復元櫓初対面 (2025/10/28 訪問)

 15年振りに再登城で前回探訪して居なかった、大手門跡修復復元石垣、百間土手石垣・白長塀を充分堪能して写真保存もOK、富岡城中腹の前回駐めた駐車場を目指す、建物は閉まって居り閑散としてるのでその上の二の丸西側駐車場を利用する。
 二の丸西駐車場から出丸へ、周囲には白土塀が立ち、芝は奇麗に刈って有りよく整備されている、青空と海に映えている、二の丸北虎口より進入、初対面の西櫓、東櫓、長屋を撮影する。三つの櫓は平成26年、10年前に復元されてそうです、長屋は翌年の平成27年7月に苓北町歴史資料館としてオープンしています。
 資料館には入館料100円払いリフレットを頂き見学閲覧、富岡城の立体模型が私には大いに気に留めました。
 新しい櫓が出来てから10年経っての見学は、やはり天草富岡城は遠いと、幹線道路高速道からも遠く気楽には来れない感が有ります。
 

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城郭情報

分類・構造 梯郭式平山城
築城主 寺沢広高
築城年 慶長10年(1605)
主な改修者 山崎家治
主な城主 寺沢氏、山崎氏、戸田氏
廃城年 寛文10年(1670)
遺構 曲輪、石垣、堀切
指定文化財 町史跡
再建造物 石垣、櫓、門、塀
住所 熊本県天草郡苓北町富岡字本丸
問い合わせ先 苓北町役場商工観光課
問い合わせ先電話番号 0969-35-1111