こばなわじょう

庁鼻和城

埼玉県深谷市

別名 : 国済寺館
旧国名 : 武蔵

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道路から国済寺、市指定文化財の黒門(総)
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イタさん

遺構は本堂裏に僅かに残る (2023/06/07 訪問)

国済寺の境内が城跡になる。黒門(総門)・三門は市指定文化財、裏に上杉氏歴代の墓所がある。説明板には13世紀末、関東管領の上杉憲顕が新田氏を押さえるため、六男・上杉憲英に館を築かせた。以後3代にわたり居住。一辺170メートルの方形で、外郭を含めると28ヘクタール(東京ドーム20数個以上か)ある。康応2年(1390)に高僧峻翁令山禅師を招いて館内に国済寺を開山する。本堂裏には築山と土塁が残っています・・・。

館としての遺構は本堂裏に土塁と土塁状の築山が残る程度。庭の手入れ中で築山近くに寄れなかったが、北側のスーパー境に残る土塁より高い。築山の北側に窪んだ地形があり、堀跡ではとの意見もあるが、築山に伴う池ではと想像する。

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todo94

物見櫓跡 (2022/01/02 訪問)

物見櫓跡にたつ説明板をチェックしたのみです。国済寺の土塁、いつか確認したいと思います。

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赤い城

上杉憲英の墓所がある (2021/08/22 訪問)

深谷駅から徒歩で25分。
国済寺のあたりが城址となります。
深谷上杉氏が深谷城に移る前の本拠地で境内に上杉氏の墓所があります。
市街地となっているので遺構はほぼ残っておらず、国済寺境内の裏手に堀の痕跡と土塁と思われる築山が残っています。
深谷は渋沢で盛り上がっているようですがここは関係無さそうでした。

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城好きのメガネ

「庁鼻和城」 (2020/03/29 訪問)

<オススメ>★★☆☆☆
庁鼻和城は、山内上杉氏の祖である上杉憲顕が新田氏に対抗するべく、六男・上杉蔵人憲英を派遣し館を築いたことが始まりとされる。上杉憲顕は南北朝期の武将であり、関東執事・関東管領をつとめる。足利尊氏・直義とは従兄弟にあたる。庁鼻和上杉氏は房憲の代から深谷城を居城としたため、庁鼻和城は廃城となったとされる。現在、土塁等が遺されている。

<アクセス>
JR深谷駅 徒歩25分

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 上杉憲英
築城年 室町時代
主な城主 庁鼻和上杉氏
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 県選定重要遺跡(庁鼻和城跡)
再建造物 碑、説明板(国済寺)
住所 埼玉県深谷市国済寺(国済寺)
問い合わせ先 深谷市教育委員会生涯学習課文化財保護係
問い合わせ先電話番号 048-572-9581