いちうじじょう

一宇治城

鹿児島県日置市

別名 : 伊集院城、鉄山城、鉄丸城
旧国名 : 薩摩

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①	島津義弘銅像(伊集院駅前)
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トク

72【関ケ原の26人】 (24) 島津義弘 (島津義弘と一宇治城) (2023/09/24 訪問)

(24人目)島津義弘の続き③です。
義弘が少年期を過ごした「一宇治城」を訪れてきました。
JR鹿児島本線「伊集院駅」から徒歩で30分程登った所にあります。

駅前では義弘の銅像が出迎えてくれました。何とも勇ましいというか、関ケ原の敵中突破をイメージして作った銅像だそうです。「義弘様!かっこいい~!」(写真①②)。

ここ一宇治城は、義弘の父「島津貴久」の居城です(写真③④⑦)。貴久は1537年頃に伊作城より拠点をここ伊集院へ移し薩摩を統一します。そして1550年に鹿児島市の内城へ移るまでの約13年間、ここを居城としました。義久・義弘はその時の少年期をここで過ごしたと言われています(義弘3~15才頃)。城は日置市街を眺める高台にありました。ここで兄の義久は当主としての心構えを、弟の義弘は兄を守る軍師としての教えを、祖父の忠良(日新公)から徹底的に叩き込まれたそうです。得意の「釣り野伏せ」戦法も、ここで忠良から教え込まれたのかもしれません(なるほど🤔そうだったのか~!)。

1549年日本に上陸したザビエルが、日本で最初に謁見したのが島津貴久でした。その会見の地碑がありました(写真⑤⑥)。貴久はザビエルの平和と愛を説くキリストの教えに感銘し、日本で最初に布教を許可した人物で、島津の丸に十字架の家紋はこの時に生まれたようです。

義弘は関ケ原後の晩年に、自分の菩提寺を忠良と少年期に学んだ麓の「妙円寺」(写真⑨)と決めたようです。妙円寺には義弘の位牌があります(墓は別の場所です)。今でも敵中突破を果たし帰還した義弘公をしのび、毎年10月に鹿児島市から伊集院のここ妙円寺までの20kmを歩く「妙円寺詣り」が行われているそうです(今年は10/22)。幕末には西郷隆盛や大久保利通も詣でたとか。麓には他にも、義弘を祀る「徳重神社」(写真⑧)もありました。

この日は天気がよく、一宇治城から日置市街や遠くの桜島までがきれいに見えました(写真⑩:中央に見えるのが桜島、左下が伊集院駅、その左には妙円寺と徳重神社があります)。

まだ少年であった義久と義弘は、この一宇治城から遠くの桜島を眺めながら、いったいどんな将来の夢を語り合っていたのでしょうかね?😊

次は、島津本城(内城)を訪れます。
 

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城好きのメガネ

「一宇治城」 (2020/04/06 訪問)

<オススメ>★★★★☆
一宇治城は相州家島津氏の代々の居城とされる。島津義弘や歳久兄弟は当地で育った。島津貴久が聖フランシスコ・ザビエルと会見し、日本で初めてキリスト教の布教を許可した地として伝えられる。現在、土塁・空堀等が遺されている。

<アクセス>
JR伊集院駅 徒歩20分

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小城小次郎

まさにここがキリスト教伝来の地だ (2022/07/04 訪問)

ザビエルが島津氏から布教許可を得たお城であり、まさにここがキリスト教伝来の地である。鹿児島を藩庁とした際、藩主の父・島津義弘は「一宇治城こそ藩庁に相応しい」と推奨したほど、島津氏にとって重要な場所だった。

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織田晃司

城山公園 (2020/12/26 訪問)

遊具などあり市民の憩いの場となっているが横堀や古井戸跡。城跡(郭群)など残る。
案内板があり、各城跡には迷わず行けます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 伊集院時清
築城年 建久年間(1190〜1199)頃
主な改修者 島津忠国
主な城主 伊集院氏、島津氏
廃城年 天文19年(1550)
遺構 曲輪[神明城・伊作城・中尾曲輪・釣瓶城・弓場城・護摩所・南之城・上平城]、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 鹿児島県日置市伊集院町大田
問い合わせ先 日置市観光協会
問い合わせ先電話番号 099-248-7380