小堀遠州の遺領を引き継いだ政之によって築かれた居館跡です。当時の面影は残っていないようなので石碑の写真を撮って退却しました。
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2024/03/17 02:02
2023/06/16 21:04
庭園造りの名人、小堀政一の次男が築いた近江小室藩の中心 (2023/04/09 訪問)
小室城は小堀政一(小堀遠州)の次男、小堀正之によって築かれたと伝わります。
小室藩は政一の時代に1万2000石ほどあったと思われますが、2代正之のころに
弟に1000分与して、4代のころに弟2人に500石、300石を分与したので
1万630石になりました。大名としてギリギリですね。
ですので、小室城は実際のところは陣屋になると思います。
まあ小室城のほうが当人たちも聞こえが良かったと思いますよ。
戦国時代だったら、この規模でも十分城で通用しますからね。
小室城は山林の中へ道伝いに入っていくと右手にお堂があって、左手に入って行った
ところにあったと記憶しています。
城址碑があってその背後に扁平地が広がります。
城址碑の周辺にも平地があったので城の一部として機能
していたと思います。でも土塁は無いんですね。扁平地だけです。
小堀家の陣屋跡だったら庭園でも残っていると良かったんですけどね。
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2023/06/01 05:04
(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:小室城 (2023/04/27 訪問)
虎御前山城からの転戦です。日吉神社付近の空スペース(35.458182、136.306867)に駐車しました。
田根小学校の南側の県道265号を東に進むと、説明板前(35.456991、136.306970)に着きます。そこを左折すると日吉神社付近の空スペースに着きます。
現地説明板によると、小室城は、1647年(正保4年)に、千利休・古田織部とともに三大茶人として、また、江戸幕府の作事奉行をつとめた小堀政一(遠州)の遺領を継いだ政之によって1648年(慶安元年)に築かれた居館だそうです。
以後、政垣・政房・政方と継いだが、政方の代に伏見奉行在職中の苛政を理由として、1788年(天明8年)に改易されたそうです。
小堀家の居館や家臣の住居などは、1789年(寛政元年)に大津代官所によって競売され、城は廃されたそうです。
そして、同年には跡地の荒地を開墾して畑とするように命ぜられました。
現在、遺構はなく杉林になっており、 石碑があるだけです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三田村城に向かいます。
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2022/12/19 20:59
小室城 (2022/11/12 訪問)
【小室城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑の後ろ側<35.458736, 136.306725>に1台くらいのスペースあり。
<交通手段>車
<感想>近江小室藩(1万石ちょっと)は1619年に備中松山から転封した小堀遠州を初代藩祖として立藩し、遺領を継いだ次男の小堀正之が1648年に小室陣屋居館を築きました。第6代藩主の小堀政方の時に田沼意次派だったことに目をつけられ、1788年不正発覚の為に改易、小室藩は廃藩となります。居館や家臣の建物は競売にかけられ土地は畑に使用することになりました。
南東方向4㎞程離れた場所に小室陣屋移築陣屋門があり先にここを訪れました。居館跡には特に遺構は残っておらず、城跡碑が2か所と森になっている居館部分と南側の竹藪との曲輪段差は何となくわかります。陣屋跡の東側に小堀遠州の重臣であった和田宇仲という人の居館跡があり清冷といわれた和田宇仲池(石組井戸)が残されています。茶人小堀遠州もここの水を使って茶をたてたかもしれません。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 陣屋 |
---|---|
天守構造 | なし |
築城主 | 小堀政之 |
築城年 | 慶安元年(1648) |
主な城主 | 小堀氏 |
廃城年 | 寛政元年(1789) |
遺構 | 消滅 |
再建造物 | 石碑、説明板 |
住所 | 滋賀県長浜市小室町 |
問い合わせ先 | 長浜市教育センター |
問い合わせ先電話番号 | 0749-74-4359 |