古宮城は元亀元年(1572)馬場美濃守信春の縄張りで築かれたとされています。
武田方の三河進出のための重要な拠点であり、亀山城の奥平氏を見張る役目を負っていた
という説もあります。小山全体が城郭として改造されていて、その精緻な縄張りは
土の城の到達点の一つといっても良いと思います。西側を除く周囲を泥炭質の湿地に囲まれ、
西側には水濠を備えていたようです。白鳥神社への階段が城址への入り口となり、
両袖枡形と呼ばれる虎口を経て本丸に至ります。この本丸ですが中央を土塁で隔て
東西に分かれています。‥これは容易に降伏などせず最後まで戦えという馬場美濃守の
メッセージでしょうか?‥無言の圧を感じます。今の時代ならハラスメントですね。
死にハラですね。本丸の北側は曲輪が段々に連なります。五段はありますね。
本丸西側から大竪堀が北側に続いていて西の曲輪とを分けています。この西の曲輪も
枡形虎口や丸馬出しを備え一城二郭の様相を呈しています。木の根の張った土塁の下を
堀切と土塁が周回し、なかなか壮観な眺めです。非常に見所が多い城で、林立する樹木が
絶妙な保水力を有し雨から遺構を守ってくれてます。土塁や空堀を復元せずにこの姿を保って
いることは奇跡的だと思います。まさに土の姫路城とも呼べる城です。
ただ古宮城も手勢が少なかったとはいえ徳川方にあっさり落城させられてしまっています。
本格的な水堀などを備えていない中世の土の城の到達点でもあり、限界を示した城でも
あると思います。ちなみに城兵は落城の際に逃げて行ったらしいです。土塁のメッセージは
無視されたようですね。
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