南北朝時代に南朝方として活躍した赤埴氏の城ですが、現在の主な遺構は織豊系の陣城と考えられているようです。標識のある登城口から急峻な坂を上って行きますが、雪が残っていて少し歩きにくかった。角馬出といわれている曲輪に出ます。その北側にある土橋を渡ると主郭に行くことができます。南には土塁と堀がある広い曲輪がありました。主郭より東にある谷(堀?)にある土橋を渡ると北側に堀と土塁を隔てて曲輪があります。こちらは赤埴氏の居館跡と考えられているようです。日本の城郭シリーズ「奈良中世城郭辞典」等に記載されている縄張り図を参考に散策しましたが、普通の土豪の城郭というより陣城といわれた方がしっくりする感じの遺構でした。城域を南東に行くと段々となった削平地や石垣もありますが、後世のものではないかと思っています。
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