あかばねかみじょう

赤埴上城

奈良県宇陀市

別名 : 赤埴上俵城
旧国名 : 大和

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織豊系の陣城 (2023/02/16 訪問)

 南北朝時代に南朝方として活躍した赤埴氏の城ですが、現在の主な遺構は織豊系の陣城と考えられているようです。標識のある登城口から急峻な坂を上って行きますが、雪が残っていて少し歩きにくかった。角馬出といわれている曲輪に出ます。その北側にある土橋を渡ると主郭に行くことができます。南には土塁と堀がある広い曲輪がありました。主郭より東にある谷(堀?)にある土橋を渡ると北側に堀と土塁を隔てて曲輪があります。こちらは赤埴氏の居館跡と考えられているようです。日本の城郭シリーズ「奈良中世城郭辞典」等に記載されている縄張り図を参考に散策しましたが、普通の土豪の城郭というより陣城といわれた方がしっくりする感じの遺構でした。城域を南東に行くと段々となった削平地や石垣もありますが、後世のものではないかと思っています。

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ぴーかる

赤埴上城 (2022/03/20 訪問)

【赤埴上城】
<駐車場他>登城口に1台だけ入ります。/南にある児玉稲荷は2台程入ります。
<交通手段>車

<見所>堀・土塁
<感想>赤埴上城は南北朝時代南朝方であった赤埴氏によって築城されました。赤埴氏は北畠氏に属したが北畠氏滅亡後は筒井順慶、豊臣秀長、福島高晴(福島正則の弟)に仕え宇陀松山城に出仕したが、赤埴に戻り医術を修めたようです。
 城跡入口から案内は無く、道もロストしているようなので他にもあるかもしれませんが私は、城跡入口左手の後世?の削平地の東へ最奥へ進むと右手山側に谷間から土石と倒木がドッドッと流れ出てきたような場所がありますのでそこから入り込みます。南に少し登ると谷間を扇状に削平された段曲輪(これも後世の改変?)があるので数段登ると正面に土橋がありますのでこの辺りから城跡のようです。
 城跡は北西に主郭、主郭は北側に巨石の石列が残り、南に虎口、虎口は鉤状に土塁になっていて石垣跡が見られます。主郭周りは東から南虎口にかけて鉤状に堀土塁を設けています。主郭南側にも鉤状の馬出しまたは枡形があり西側に石垣跡が見られます。その南側に江戸時代の墓地があり南東方向にかけて広大な平坦地になっています。主郭の東側は入ってきた土橋がありその南に大堀、大堀を挟んでその東側も広大な平坦地になっていて奥にも江戸時代の墓地があります。広い削平地の部分は全体が廃城後の江戸時代に墓地になったのかもしれません。堀にご遺体を入れて土塁の土を被せる。だんだんと平坦地が増えて残ったのが現在の主郭部分だけになってしまったのかも。だとするとこの主郭は小さすぎるのでかつての主郭ではないのかも。
 支城の赤埴下城も投稿しております、ご覧あれ。

<満足度>◆◆◇

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イオ

赤埴下城(奈良県宇陀市) (2020/06/23 訪問)

赤埴上城の1km弱手前にあり、詳細は不明ながら赤埴上城の支城として築かれたと考えられます(城びと未登録のため、赤埴上城で投稿します)。

東西に細長い主郭と堀切をはさんだ東の曲輪で構成され、主郭の北下には帯曲輪、西側の尾根は二重堀切で断ち切っています。東の曲輪の西側は堀切、東側は切岸になっており、登城口からは東の曲輪が眼前にそびえ立って見えます。

近くにある仏隆寺前駐車場(無料)に駐めさせてもらい、道路を少し上っていくと道路脇からすぐに登城できます。小さな城で30分もかからずに見て回れますし、赤埴上城に行く途中にありますので、あわせてどうぞ(寄り道ついでに下志明城も)。
 

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イオ

山奥の織豊系陣城 (2020/06/23 訪問)

南北朝期に南朝方だった赤埴氏によって築かれ、小牧・長久手の戦いに際しては羽柴方の陣城として改修されたものと考えられます。

角馬出を伴った主郭と、谷を隔てた北側の曲輪、南の台地続きの曲輪、その西の小さな曲輪で構成される城で、主郭は東から南にかけて土塁と横堀で囲われ、北部には大きないくつか石が並び、南側には石垣が残る虎口があります。虎口を出ると北東と南西に虎口を設けた角馬出になっており、東から南にかけて土塁と横堀で囲われています。北の曲輪は南側を堀切で遮断し、堀切の内側には土塁が設けられています。南の曲輪は、北・西・南の三方が低い土塁と浅い横堀で囲われていますが、兵の駐屯地とも(城とは無関係の)鹿垣とも言われています。西の小曲輪のあたりにも一応行ってみましたが、藪化していて土塁は確認できませんでした。

時季的にあちこち藪化していましたが、それでも土塁や横堀がはっきりと確認でき、山奥の城でありながら角馬出や石垣が見られるなど、なかなか見応えがありました。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 赤埴氏
築城年 南北朝時代
主な城主 赤埴氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、土橋
住所 奈良県宇陀市榛原赤埴上俵