がくでんじょう

楽田城

愛知県犬山市


旧国名 : 尾張

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しんちゃん

上を向いて歩こうかな。 (2024/04/13 訪問)

楽田城は織田久長によって永正元年ごろに築かれたとされ、「遺老物語」によれば永禄元年(1558)城中に高さ5mの檀を築き、その上におよそ12mと15mの櫓を建て、階上の中央に八畳敷き程の座敷を設けたとあります。どうやらこれが天守閣に対する最も古い記述とされているようです。
天正12年の小牧・長久手の戦いの際には小牧山の徳川家康に対して、豊臣秀吉家臣・堀秀政が守り、秀吉も犬山城から楽田城に入ったとされています。かつての土塁や堀も今は失われ、楽田小学校の一角に城址碑が立っています。

話はかわりますが、コンビニのツバメが巣立って行きました。一羽残らず巣立つことができたようで、ツバメの親の努力には頭が下がります。だいぶお疲れと思うのですが、いまごろ四羽を先導して南に向かって飛んでいるのでしょうか。一羽も欠けることなく目的地にたどり付けると良いですね。
また話はかわりますが、正直 「百名城かるた」の件は残念です。自分のことばかり書いていますが、こうしたイベントで城びとが盛り上がってコンテンツとして長く続いて欲しいと思っているのは本当です。「かるた」もなんらかの形で継続していって欲しいと思っていますし、様々なイベントで皆が楽しめて、新しい城びとが入ってこれる呼び水になってくれればいいなと思っています。

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天守閣の起源 (2023/09/09 訪問)

 小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉の本陣がおかれたこともある城址です。石碑だけの城址に再訪することはほとんどありませんが、門跡の石碑などを確認していなかったため行って来ました。
常福寺にあった移築門がなくなっていることをキンヤさんの投稿で知りました。残念です。
 永禄元年ごろにあった櫓が天守閣の起源といわれています。


名鉄楽田駅から徒歩にて散策しました。

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ぴーかる

楽田城 (2023/07/22 訪問)

【楽田城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑前に停車できそうです。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾1城目。楽田城の築城は永正年間(1504~1521年)に尾張守護代織田久長が築城したと伝わります。1558年頃に犬山城主織田信清に攻略されて信清の出城となりますが、1562年に織田信清は織田信長から離反したために犬山城を追われて、それ以降楽田城も信長の支城となり信長の家臣を入れます。小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉側の前線基地として使われますが戦後廃城となったようです。現在城跡碑のある場所に僅かに残る土塁があるだけで遺構は楽田小学校建造で取り壊されてしまったそうです。文献上最も古い天守(殿守)の文言が出てくる城跡で昭和55年まで小学校内にあったそうですが撤去されたそうです。見たかった。

<満足度>◆◇◇
 

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宗春

“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」③楽田城 (2023/08/17 訪問)

前回(春)にも販売された“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」が、性懲りも無く再び発売されました。(今回は金箔入り)
今回は、前回行けなかった楽田城を訪れました。前回の御城印はえらい遠くまで買いに行かなかんかったのですが、今回は犬山城前観光案内所にて3城分を販売。でら良かった〜。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 殿守[2重/1558年築/破却(廃城)]
築城主 織田久長
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 織田氏、坂井政尚、梶川高盛、堀氏
遺構 移築門?(常福寺)、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県犬山市城山