(続き)
岩崎山砦(小牧市岩崎)
熊野神社が建つ岩崎山に築かれた砦で、稲葉一鉄・貞道らが4千の兵で守ったとされます。南西麓の岩崎中会館の前に岩崎山砦跡の石碑と説明板が立てられていました。岩崎山の頂部からは小牧山城をすぐ近くに望むことができます。また岩崎山は花崗岩の岩山であるため、名古屋城石垣の石切場になっていて、矢穴のある石も見られました。
田中砦(小牧市東田中)
三ツ山古墳群の三基の古墳を利用して築かれた砦で、堀長政、蒲生氏郷、加藤光泰らが1万3千の兵で守ったとされます。三基の古墳のうち南端の三号墳のみが現存し、北裾に田中砦跡の石碑と説明板が立てられています。往時は岩崎山砦から田中砦を経て二重堀砦まで土塁が築かれていたようですが、現在では痕跡も見られません。
二重堀砦(小牧市二重堀)
小牧山城に最も近い最前線の砦で、日根野弘就らが2千の兵で守ったとされます。二重堀の地名が残る住宅地の一角に日根野備中守弘就砦跡の石碑が立てられていますが、現在地に移設されたものであり、遺構は耕地整理により消滅していて砦の所在地も不明のようです。
さて、この後は小牧山城に攻め込むつもりでしたが、6つの砦めぐりに思いのほか時間を要したため、またの機会に徳川軍の砦と一緒にめぐることにして、金龍紀行の一環として別の機会に行く予定だった清洲城に行先変更。犬山城や青塚砦は昨年に登城済みなので、これで城びとの記事で紹介されていた楽田城周辺の羽柴軍の城や砦は全部行けたよな、と思って帰宅して記事を読み返してみると…小口城を見落としてた~っ! 清洲城より小口城に行くべきでした…やれやれ(この日二度目)。
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