がくでんじょう

楽田城

愛知県犬山市


旧国名 : 尾張

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天守閣の起源 (2023/09/09 訪問)

 小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉の本陣がおかれたこともある城址です。石碑だけの城址に再訪することはほとんどありませんが、門跡の石碑などを確認していなかったため行って来ました。
常福寺にあった移築門がなくなっていることをキンヤさんの投稿で知りました。残念です。
 永禄元年ごろにあった櫓が天守閣の起源といわれています。


名鉄楽田駅から徒歩にて散策しました。

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ぴーかる

楽田城 (2023/07/22 訪問)

【楽田城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑前に停車できそうです。
<交通手段>車

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾1城目。楽田城の築城は永正年間(1504~1521年)に尾張守護代織田久長が築城したと伝わります。1558年頃に犬山城主織田信清に攻略されて信清の出城となりますが、1562年に織田信清は織田信長から離反したために犬山城を追われて、それ以降楽田城も信長の支城となり信長の家臣を入れます。小牧長久手の戦いでは羽柴秀吉側の前線基地として使われますが戦後廃城となったようです。現在城跡碑のある場所に僅かに残る土塁があるだけで遺構は楽田小学校建造で取り壊されてしまったそうです。文献上最も古い天守(殿守)の文言が出てくる城跡で昭和55年まで小学校内にあったそうですが撤去されたそうです。見たかった。

<満足度>◆◇◇
 

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宗春

“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」③楽田城 (2023/08/17 訪問)

前回(春)にも販売された“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」が、性懲りも無く再び発売されました。(今回は金箔入り)
今回は、前回行けなかった楽田城を訪れました。前回の御城印はえらい遠くまで買いに行かなかんかったのですが、今回は犬山城前観光案内所にて3城分を販売。でら良かった〜。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:楽田城 (2023/04/23 訪問)

羽黒城からの転戦です。石碑付近(35.328250、136.950542)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、1504年(永正元年)頃に織田久長によって築かれたと云われています。 大赤見城主の織田久長が楽田城を築いて居城を移したそうです。
1562年(永禄5年)犬山城主織田下野守信清によって攻め落とされ、犬山城の支城となったが、1562年(永禄5年)信清は織田信長に追われ、楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城しました。
1570年(元亀元年)坂井政尚が近江国堅田で討死すると、奥城主梶川高盛が城主となりました。
小牧長久手合戦では秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに秀吉も犬山城から楽田城へ移ったそうです。

楽田小学校北西側の校門付近に石碑と案内板があります。
本日、投票日で楽田小学校は投票会場になっており、すぐ撤退です。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=下奈良城を目指します。

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城郭情報

分類・構造 平城
天守構造 殿守[2重/1558年築/破却(廃城)]
築城主 織田久長
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 織田氏、坂井政尚、梶川高盛、堀氏
遺構 移築門?(常福寺)、土塁
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県犬山市城山