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にのまる

36見附めぐり⑦~喰違見附~

喰違見附はほとんどが枡形門の外堀で唯一土塁を組み合わせた見附で、惚れ惚れするような喰い違いっぷりは今でも健在、非常に見通しの悪いS字カーブです。
縄張りは「甲陽軍鑑」の編者であり武田流軍学の祖と言われる小幡景憲。すぐそばの上智大学真田堀グラウンドは真田信之担当の堀跡で、私の好きな匂いのする一画です。四谷見附から土塁散歩できます。
真田堀グラウンドはすごく広くて深いのですがホントはもっと深かったそうで、これを人力で⁉︎なんて想像すらできません。館林藩・庄内藩・仙台藩などもこの区画の堀づくりに参加し、掘り出された大量の土は周辺の武家地や町人地の造成に使われたとのことです。
周辺チェックポイントは迎賓館の東門と上智大学紀尾井亭前にある「尾張名古屋藩屋敷跡」の碑とホテルニューオータニの隅にある「近江彦根藩井伊家屋敷跡」の碑。
次の赤坂見附に向かうのにここから紀尾井坂を下っていくと大久保利通哀悼碑のある清水谷公園を通れますが、弁慶濠の外側、紀国坂を通ると濠の高低差やカーブをよりリアルに感じることができます。

明日と明後日は横浜です(●'◡'●)

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肉球

車で行けます (2021/12/12 訪問)

刑部さんの投稿にあるように狭い道は『ポツンと一軒家』ロケ状態。
でも狭い道はすぐ終わり浄水場の脇に駐車できるスペースがあります。
車を停めると目の前には案内板と虎口あり三の廓が広がっています。
轍に沿って進むとまた虎口あり今度は三の廓ほど広くない二の廓。
でも二の廓の土塁はかなり高く造られています。
本廓は5〜6メートル高いところにあり
奥には羽黒神社が鎮座。土塁も残っています。
千本城を築いた千本氏は天正年間に断絶したようですが
その後千本氏を称した系統は江戸時代に入り
南側の麓に陣屋を構え明治むかえたようです。
その時の石段が草むらを進んだ奥に残っています。
初めてそこまで行きましたが夏は無理そうです。

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todo94

本佐倉城に向かいがてら (2021/11/03 訪問)

市街地の中の城なので全く期待していなかったのですが、登城口に案内はあるし、標柱・石碑もあるし、それなりに遺構も残っていて十分に満足できました。ゆとりがあれば新勝寺の重文・三重塔もチェックしていきたかったのですが、渋滞に巻き込まれるのもいやだったので先を急ぐことにしました。

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いんげん丸虫

刎石堀切 群馬県安中市 (2021/11/28 訪問)

旧中山道の熊野神社へ向かう碓氷峠の山道にあります。
あの豊臣秀吉の小田原征伐の際に北条氏家老の大道寺政繁が進行を食い止めようと
堀切を穿った場所です。
前田利家、上杉景勝、真田昌幸らの大群には通用しませんでした。
国道18号の中山道看板のあるところに2台位駐車可能です。
愛宕山城のわきを通り堂峰番所を経て、風穴、弘法の井戸、茶屋跡等を見つつ40分位
で着きます。

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カズサン

案内板と周辺を眺める (2021/12/11 訪問)

 城びと登録未踏の城名古屋市東部地区城廻り、新居城、龍泉寺城を終えて南西に直線で約2.5km程の所に在る小幡城を目指す。
 ナビはグーグルマップで小幡城の史跡マークの有る辺りにセット(35°12'19.0"N 136°58'02.9"E) 「愛知県名古屋市守山区西城2丁目13-26ビブレにししろ」

 駐車場は有りません、車は史跡案内板の在る辺りに路駐し急ぎ探訪。

 介護施設?ビブレにししろの南前に一角が地肌の出た駐車場月極か?が有りその路肩に案内板が一本立てるだけ、寂しいものですが有るだけで有難い。案内板が有る辺りが本曲輪?ビブレにししろビルの北は崖に成って居り水路、道路住宅地、西は崖に成って居り下に西城小学校、南は住宅街、南の坂道を登って来る時に案内板が微かに確認出来た。
 東は阿彌陀寺との間に道が有り北の崖下まで通ってる、堀切跡かも?阿彌陀寺は次の曲輪跡地なのか?、今回は利用しませんでしたが阿弥陀寺の参拝者駐車場(35°12'17"N 136°58'05"E)に有り空いてればちょっとの探訪時間なら可能かも?
 
 歴史は小牧長久手合戦の時家康が修復して三河との連絡の城として活用したと案内板にはあります。

 案内板と西側、南側、北側、東側を眺めての短時間小幡城探訪でした。

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カズサン

庄内川東岸丘陵の城址 (2021/12/11 訪問)

 尾張新居城を終えて直線で約4km程の所に在る龍泉寺城を目指す、車は門前の参拝者無料駐車場を利用。

 龍泉寺域が城域の様です、馬頭観音、国宝地蔵菩薩、円空佛などで有名な名古屋の名刹です、庄内川東岸の小高い丘陵で東は崖と成り低地は県道15号線が走ってる、見晴らしも良く防御に適した砦、城址だったのでしょう。
 
 信長の弟、信行が城を築いたともいわれている、小牧長久手合戦では家康の小幡城進出に対して秀吉が龍泉寺に陣を張り改修したが、城跡利用を恐れ火を放って退いたと言われてる。

 現在本殿奥に模擬天守閣風の宝物館が有る、その西崖丘陵上に見晴台も有りますが、日曜日と祝日しか本殿横の木戸を通って入る事は出来ません。
 土曜日の探訪でしたので当然入れませんが、庭掃除等されてた女性の方がカメラを持ってウロウロ窺って居ましたので、撮り(天守閣)に来たのと言われ返事しましたら、そこの砂利の所までなら良いよと許可を頂き急いで樹間の模擬天守閣を撮影しました。有難うございました。
 その方に見晴台からの眺めは鐘堂からの眺めと同じだよと言われ、鐘堂から庄内川越しに眺める素晴らしい眺望です。
 本堂参拝、多宝塔、鐘堂、東門、仁王門などで見学して次の城へ出発。

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小城小次郎

ほぼほぼ住宅地に埋もれてはいるが (2021/09/11 訪問)

後北条氏の傘下に入った諏訪一族が領し、武田氏の小田原侵攻時に落城したとの伝承を有するが現状はほぼ住宅地。でも城域内の道路が不自然に折れていたりするのはもしかしたらお城があった時代の名残なのかもと思ったりもする。

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モト

復元された城壁と門が素敵です (2021/05/11 訪問)

生田緑地の中にある城跡です。
遺構は残っていないようですが城跡にある門とその横の城壁が雰囲気満点です。
敷地に建つ展望台から周りの景色を眺めて、昔はこの地で戦やその戦で利用された城があったという事を感じてはいかがでしょう。

緑地には春と秋には薔薇の名所もあります。
古民家が建つゾーンも併せて見学すると楽しいですよ。

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ぴーかる

山下城 (2021/11/28 訪問)

【山下城】
<駐車場他>駐車場はなし。川西市郷土館(入館料有料)駐車場が利便よし。
<交通手段>車

<見所>石垣跡・曲輪・大堀切
<感想>山下城はかつて書物に一蔵城・獅子山城とも書かれてありました。築城年代は定かではなく、平安時代・南北朝時代・戦国時代と3説ほどあるがいづれも塩川氏の築城によるもので、その塩川氏も出自が定かではないが代々多田院の有力御家人の筆頭として多田庄・能勢郡一帯に勢力を持っていました。戦国時代には塩川国満が北にいる能勢頼次と領土争いを行い、1584年能勢頼次が秀吉の九州征伐軍の遠征中に能勢氏の城(地黄城は陣屋なので丸山城か?)に勝手に戦をしかけ落城させた。帰国後秀吉は激怒し、池田輝政に討伐を命じ山下城は包囲落城した。塩川国満は切腹してその時城は廃城となりました。国満の首が大手門前にさらされたことから現在も大手門跡に首供養地蔵があります。
 登城口は<34.898480, 135.408523>のポイントでかつての大手門跡です。山に入るとすぐ畑になった段曲輪が両サイドにありますが改変したものか判別は難しいところ。まっすぐ奥に進むと神社手前にかつて石垣のあった一文字土居の遺構があります。その先に𠮷秀大神の神社があります。ここから右に折れ斜面を登ると愛宕神社のある曲輪に出ます(主郭から7段目の曲輪だそうです)。ここから川西市山下町が一望できます。次に三日月状の腰曲輪がありその上が主郭から3段目の大きい曲輪があります。ここから主郭まで害獣よけの超音波の出る装置が設置されていてやたら耳障りです。
 主郭は南北にやや長い長方形で東側に大土居、北側にも一段低い土居があった感じがします。北東隅に櫓台跡があり土居と櫓台はすべて石垣造りであった模様。櫓台外側にも回り込んでみましたら石垣跡が残っていました。主郭南側以外の3方はすべて切岸になっており、櫓台のある北東先に大堀切と堀切の2重堀切があります。堀切の先から東に向かって尾根道になっていて、ずっと先に単郭の曲輪があるそうですが行きませんでした。そこを合わせて二山一城と言われているそうです。
 主郭の石垣はかなり崩落してはいるが主郭内に大石が転がっていたりしてかなりの面積が石垣造りになっていたように感じました。予想より見応えのある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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AJ

違和感の正体 (2021/09/30 訪問)

ズボンを履いていない人が公園に立っていたら、どう思うでしょうか。最初の写真を見て、同様の違和感を覚えたあなたはかなりの城好きに違いない。

高田城三重櫓(3層3階。1993年復興)。櫓の土台を含め、この城には石垣というものがほとんど見当たらない。資料が少ないため正確な姿は定かではありませんが、天守代用でありながら、石垣を積むことなく草木が生い茂る土塁上に直接櫓が建てられている光景は奇妙極まりない。

なぜか。これは当時の緊迫した情勢を反映しています。関ヶ原はそれほど「天下分け目」とならず、豊臣家はその後も秀頼を温存。北陸方面に目をやれば、加賀に前田、出羽に上杉と警戒を怠れない状態。そこで家康は牽制目的で六男・松平忠輝(伊達政宗の娘婿)を越後に投入し、直江津の福嶋城よりも開けた平野部にわずか3ヶ月半で高田城を普請しました。有力外様13家に競い合わせた突貫工事。75万石の親藩国主大名家ならではの巨大要塞にもかかわらず、天守や石垣は省略されています。完成から3ヶ月後には大坂冬の陣が始まりました。

幸い城の東西に水深の深い河川。これを外堀(広いところは100mを超える)にすることで、石垣なしでも堅牢性を担保しています。縄張はやや変則的な輪郭式。本丸を二の丸と北の丸で囲み、南側に三の丸を配置しています。三重櫓は、1重目と3重目に入母屋屋根。加えて切妻造の出張りを付けるなど、見ていて飽きない意匠となっています。下部を下見板張としたのは、土塁の上に直接建てられたため、雨水の跳ね返り対策が必要だったためとみられます。

地元から愛される城址公園は、春は桜、夏は蓮の花、秋は紅葉で、冬は雪行灯と四季折々の風情を楽しめるのも魅力。ちなみに小生が訪れたのはちょうど蓮と紅葉のあいだ、、。我ながらこの上ない間の悪さですね。

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肉球

萩原代官屋敷・神奈川県横浜市戸塚区 (2021/11/02 訪問)

徳川譜代の旗本杉浦氏の代官萩原氏の代官屋敷跡に
表門が残っています。
最後の当主萩原行篤は直心影流の免許皆伝。
ここに道場を開いていたそうで若い頃の近藤勇もここを訪れたようですが
当主不在で会うことはなかったようです。

子孫の方がまだお住まいのようです

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肉球

荒川氏陣屋・神奈川県横浜市緑区・元家臣の心意気 (2021/11/02 訪問)

説明書によると荒川氏は織田信長に仕えたのち
徳川家康に仕えた徳川譜代の旗本のようです。
武蔵国、上総国、下総国に領地を賜り最高石高850石。
江戸時代を通じてこの地に陣屋を構えたようです。
今は河川工事により直線的になった恩田川ですが
当時は蛇行していたようで跡地のほとんどが川の中。 
この説明板設置の発起人は家康公からの元家臣の子孫たちのようです。

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新ろくべえ

玉縄城

すごい遺跡はその痕跡がなくなりつつある

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カズサン

本丸土塁が良好に残存 (2021/12/11 訪問)

 三河川口城を終えて名古屋市の北、東の城びと登録未踏の城を廻る事にしました、始めに尾張旭市に在る新居城へ、来た道の猿投グリーンロードを経由して地道で新居城の在るレストラン旭城(ナビに指定)、模擬天守閣風レストランに成って居ます。
 車はレストラン旭城の西側に専用駐車場(テニスコートの駐車場も兼ねる)を利用。(トイレ完備トイレットペーパー常設無し)

 丁度昼時でしたので旭城を訪ねましたが土日祝は休館でレストラン営業はやって居ませんでした。

 登城ルートは駐車場からトイレ横を登って行く、途中に旭城の石碑、本丸土塁の開口部、虎口か?を通り本丸へ本丸内はクヌギなどの樹林が紅葉で黄金色、東側傾斜地に馬蹄形に土塁が残ってる、案内解説板で二重土塁の解説と絵図、歴史解説、西側に一段下がって二の丸現在テニスコート、本丸下がった所には現弓道場、本丸土塁上を歩き、東の土塁下を歩き高さを確認、二重目の東側土塁を確認するが良く分からない、結構高い丘陵上に城跡が有り南は田園、西は下がった運動公園、住宅、グーグルマップで見ると大森池、北側に長池が有り往時は北、西、南は沼地、湿田、湿地で防御の城塞だったのでしょう。
 現在は城山公園として整備保全されて居ます。

 歴史:城が出来た時期は1460年ころで、水野又太郎良春四代の孫(一説五代)雅楽頭宗国によって築かれた。(案内板より)

 模擬天守閣風の建物を撮れる所を数ヶ所写真に納まました。これはこれでいい眺めです。

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✨お城EXPO2021限定御城印✨ (2021/12/16 訪問)

✨お城EXPO限定✨

今週末に迫るお城EXPO2021では、【中城城跡限定御城印】を販売!

お城EXPOと同時期の冬至の日、沖縄では太陽が生まれ変わるとされ「わかてだ(若い太陽)」を祝い讃える行事があります。

世界遺産中城城跡で迎える「わかてだ」のエネルギーを御城印にのせて皆さまにお届けします🌅

\月桃紙/

お城EXPO限定御城印に使用するのは、沖縄に自生する植物【月桃】を使用した紙です。

古くから月桃には邪気払いや魔除けにも効果があるとされ、私たちの暮らしの中で活用されています✨
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\ わかてだを見よう! /

中城城跡では冬至の時期に、生まれ変わった太陽へ健康と発展を願い、祈りを捧げる「わかてだを見るつどい」を毎年開催しています。

今年はお城EXPOと同日の12月18日(土)に開催されます!

わかてだのエネルギーを感じに是非ご来城ください🌅

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りあそーる

図書館に行け! (2021/12/14 訪問)

岩倉市図書館3階資料室に岩倉織田家の特集や地形図がある。駅から図書館~誓願寺~岩倉城~岩倉街道~山之内一豊生誕地~駅が良い!
岩倉城跡は復元図もあって何もないけど素晴らしい。

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イオ

復興天守の隣には… (2021/12/01 訪問)

仕事で近くに行く機会が多いので、ちょい寄り程度でも年に何度かは登城していたんですが、コロナ禍で原則リモートになったため、大阪に行く機会自体がほとんどなくなり、ほとんど2年ぶりの大坂城です。

今回のお目当てはふたつ。ひとつは天守東隣の謎の高台を確認することです。登城の前日、関西ローカルの情報番組で「大坂城の謎を解く」として天守東隣の高台が取り上げられていましたが、そういや天守の東側、金蔵の裏手に何かあったな、とは思っても特に意識したことがなかったのでよくわかりません。豊臣期の天守台は現在より北東にあったとされますが、徳川期に埋められているはずですし、明治以降の陸軍関係の施設かな? とも思いましたが、正解は大阪市水道局の「大手前配水池」でした。明治にコレラや赤痢の蔓延防止のため上水道を整備する必要があり、周辺の最高所である上町台地突端の大坂城本丸に建造されたそうで、考えてみれば、和歌山城も山上の本丸御殿跡が上水道の配水池になっていました。なるほど納得です。大手前配水池は今なお現役で、現地に行ってみると鉄柵に鉄条網、防犯装置まで備えて厳重に管理されていました。また、大手前配水池の南側では令和5年春を目標に豊臣期石垣の公開施設が建設中ですが、この配水池の改良工事が石垣発見のきっかけとなったんだとか。大坂城との不思議な因縁ですね。

配水池を一周し、天守の北東隅に来ると天守台石垣の爆撃被害跡に目が留まりました。大坂城の復興天守は今年で90周年を迎えましたが、多くの復興天守が戦災での焼失からの再建であるのに対して、この天守は戦前から建っていて大阪大空襲をもくぐり抜けてきたのか…と考えると、豊臣と徳川を組み合わせた天守であっても、これはこれでありがたいなぁ、と。

もうひとつのお目当ての紅葉は、大阪城公園はほぼ終わっており、豊国神社と本丸日本庭園のモミジと、西外堀外周のイチョウ並木が見られたくらいでしたが、久しぶりに大坂城を訪れると、堀の幅広さ、石垣の高さ、櫓ひとつをとっても巨大で、今さらながら大変な巨城であることを再認識させられます。やっぱりすごいなぁ…。
 

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ばばよ

スーパーマリオを思い出す!?? (2021/11/28 訪問)

菅谷館からそのまま車で。
嵐山町役場で続100名城スタンプをもらいつつ向かうのがルート的にもわかりやすいですが、うっかり直行しようとしたら安定のいまいちカーナビのせいで変な狭いルートから行くことに...。

みなさんが褒めるのでどんなものかと思いましたが「よう手の込んだものを作ったなぁ!」という驚きがありました。
某城郭ライターの方が「どう守るか想像するだけで悶絶ものです」と言ったかどうかはわかりませんが、どちらかと言えば訪問する我々は攻める側の視点になります。
どう攻めるか想像しても、色んな所から攻撃を受けてしまいそうな構造です。
どうやったら攻撃を受けずにクリアできるだろうか...。
この状況、思考が何かに似てると思ったら、スーパーマリオやっている時の感覚に近いように感じました。
よう分からん比喩になりましたが、少し城郭知識をかじった人にはワクワクする気持ちを引き起こしてくれること間違いなしです!

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todo94

本佐倉城に向かいがてら (2021/11/03 訪問)

妙見神社を目指しましたが、Googleマップ上で感じた以上に道幅が狭かったので、かなり手前の愛宕神社付近に駐車し、歩いてアプローチしました。樹叢の中に竪堀らしき雰囲気を感じる箇所もありましたが…。

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朝田 辰兵衛

羽越国境警備の城。 (2021/12/11 訪問)

出羽と越後で羽越です。小さかった頃に,日本海側の新潟-山形県境がハッキリしないと話題になっていたことがありました。現在はとりあえず決まっているようですが…。さて,この城の監視ラインは山側から海岸線に抜けるルートなので,戦国期と現在では主要道が大きく相違しています。この予備知識がないと,本丸からの眺望に疑問だらけとなります。
標高:349m,比高:230m。登城口は,小国集落の簡易郵便局からチョイ先の小路を向かい側に約50m進むとあります。登城口から本丸までは徒歩約30分。三の丸手前は道が細く滑りやすいので慎重に。

久々の川柳…「会津攻め すると見せかけ 裏をかく」

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