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赤い城

企業の私有地で入れない (2022/10/13 訪問)

国道400号線から塩原温泉に少し入ったところにあります。
駐車場もありませんがそもそも私有地で入れないようです。
遺構は残っているようなのでいつか入れる日が来ると良いです。
宇都宮氏に対抗し、塩原温泉を守るために君島氏が築いた城です。
箒川と背後の山に守られた城でなかなか攻めにくい。
今度は温泉にゆっくりとつかりに来たいです。

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「川辺堀之内城」。 (2022/11/06 訪問)

東京都 日野市 川辺堀之内に「川辺堀之内城」があります。
地名からして川辺にあり、堀が備わってる お城を連想してしまいますが、築年数、廃城年数はもちろん、誰が治めていたのかも不明です。

到着すると住宅地の中の、ゴルフ練習場。
しかも、ゴルフボールが落下する、練習ネットの反対側です。
、、、戦の時の石礫体験、シュッと音も体感できるので、矢で攻められたら こんな感じなんでしょう。
私も怖かったですが、練習してる方達も、ビックリしたに違いません。

遺構は「川辺堀之内城」に見えて欲しいので、切通を下がり水堀に到着した事とします。
『堀之内緑道』の案内板の後には石垣、、、、。
「川辺堀之内城」に見えて欲しいからであって、残念ですが遺構ではありません。
少し高い場所に「川辺堀之内城」はありました。

古いお墓がありました。暦から江戸時代の物です。お名前が入っていたので、写真は写してません。

近くに新撰組のふるさと(?)日野宿があり、佐藤 彦五郎さんが構えた道場には、川辺堀之内からも門弟がいたんだとか。

なんだか、全て中途半端な情報でした。
でも、戦国の世なら北条家の所領。幕末なら、都で大暴れした新撰組の故郷。
想像力は無限に、広がる、かなぁ~?(;´д`)

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taka

渋いお城 (2022/11/23 訪問)

飾り気はないが質実剛健を感じる

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カズサン

【越前・白山平泉寺城】福井県勝山市 残存大杉を訪ねて (2022/11/03 訪問)

 中世の石畳道編の続きです。

 南谷発掘地、復元の門と土塀、中世の石畳を探訪の後、まほろば館の担当の方から、天正2年(1574年)一向一揆との攻防で白山平泉寺全域が焼失する中、残った大杉の事も説明が有り、中世の石畳道南端が若宮神社と成って居り、そこに幹の太い大杉が立って居ましたがそれが残存大杉、全山延焼の時期から440年以上その時点でも大杉だったでしょうから500年600年の年輪を経てる事でしょう。
 その大杉の東奥にも残存坊院跡石垣が幾重にも重なって往時の栄華、多数の坊院を思い起させます。
 散策マップの南端の道を西に進み神明神社にも残存大杉が数本有ります、紺屋坂まで西進、その間石垣、石塀の跡が残って居ます、紺屋坂を降って行くと白山平泉寺の精進坂に当たります、紺屋坂の石垣、石垣区切り、屋敷跡、石垣石塀に囲まれた西念寺、精進坂の北側には石垣構えの顕海寺、西進して開山の泰澄大師の廟、探訪出発点のまつや前駐車場、歴史探遊館まほろばに着きます。

 約1時間半でしたが見逃した処、パスした処も有りまだまだ見切れましんでした、イオさんの投稿写真で白山神社の城郭構造を数拾年振りに見つける事が出来且つ探訪出来た事は久しぶりの快楽です。
 イオさん有難うございました、投稿楽しみしています。
 また勝山市周辺を含めて訪ねる時に再訪し見聞を広めたいと思います。
 皆さんも白山平泉寺城訪ねられたら如何でしょう、素晴らしい所です。先ずはまほろば館で説明閲覧し散策マップを入手しましょう。
 4編長々と見て頂き有難うございました。
 

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侍ホリタン

日本最北端の現存天守を訪ねて (2022/11/25 訪問)

JR弘前駅から2キロ、徒歩30分です。バス利用ですと6番乗り場から10分程度です。弘前公園内は広いので何処から入場しても天守まで5分から10分かかります。現在、本丸東面石垣の積み直し工事中、天守は移動されて仮の天守台にされています。その他、追手門、南内門、春陽橋が工事中でした。五つの城門と三つの櫓は全て現存、天守と合わせて見所多いですが、点在していて公園内も広いのでじっくり見学するには2時間ぐらいかります。今の時期(11月24から3月31日)は有料区域は開放されていますが、天守には入場できないので100名城スタンプ、御城印は公園内の弘前城情報館での取り扱いになっています。ここは「日本三大夜桜」に認定されている程桜の本数が多いので、桜満開時に再度訪問してみたいと思いました。

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小荷駄

久々利城跡 (2022/10/06 訪問)

可児市郷土歴史館に駐車場とトイレは有ります。そこから道路を横断してすぐに登城口になりますがわりと交通量が有りますので横断のさいには注意が必要かと思います。郷土歴史館を見学を見学した後に職員の方に久々利城のことを伺ったところ詳しい資料を頂けました。それを読んでから登城してきました。二重堀切や虎口、曲輪などの見どころも沢山あり尚且つ手入れもされていて非常に散策しやすく楽しかったです。また郷土歴史館の職員の方も親切に対応して頂きありがとうございました。また行きたいです。猪等の獣が出没しているようなので熊鈴等の準備をしていきました。

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朝田 辰兵衛

水の手アクセスルート未整備が残念… (2022/11/12 訪問)

広い城域にもかかわらず,とてもきれいに整備されています。それだけに,水の手アクセスルート未整備が残念でした…。ヤブ化しており,足元もほとんど見えない下り傾斜がキツくなったところで断念しました。
標高:628m,比高:68m。駒寄城は伊南川の東側に位置していたのに対し,久川城は西側となります。しかも,伊南川流域を広く眺望する造りになっています。

明日から2泊3日で東京に向かいます。カルビンさんとにのまるさんが紹介してくださった「はちはく」に立ち寄れるかビミョーです。高幡城のtodo94さん(←という表現は正解か?),長期休館になる資料館(予約は取れませんでしたが…)は眺めてきたいと思います。

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宗春

紀伊半島中央突破シリーズその1 宇陀松山城 (2022/11/21 訪問)

紀伊半島中央突破シリーズその1
地元の友人と一緒に名古屋から紀伊半島の中央を車で突破してきました。

車を「道の駅宇陀路大宇陀」に停めて登りました。途中に駐車場があるのですが、何故か入口のところで「車両通行止め」でチェーンが。大した山登りではなかったので良いのですが。
城址では郭、石垣、堀などが見られ、まあまあといったところ。景色も良し。ただ、続百名城ならもう少し整備すればいいのにとは思いました。

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赤い城

箒根神社 (2022/11/13 訪問)

県道30号線沿い、箒根神社が城跡です。
駐車場はありません。
神社の石段前に説明板も立っています。
結構急で長い石段を登ると箒根神社が建ち、ここが本丸です。
奥に進むと空堀が残っていました。
さらに先にもう一つ曲輪があります。
別名は野沢城、川崎城の支城として大館弾正が築城したとされます。
箒根神社境内は銀杏の落葉で黄色く覆われていました。

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にのまる

再訪悩み中。 (2022/11/11 訪問)

七沢リハビリテーション病院の城址碑と説明板を確認して、周辺をひとまわりしてきました。
見城山行きたい。

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小城小次郎

いいところに立っていると思う (2022/05/04 訪問)

一国一城令の例外として佐竹西家(小場家)によって代々守られたお城だが戊辰戦争で灰燼に帰した。地図ではぴんとこないが現地で見ると段丘上の実にいいところに立っていて、想像以上にお城っぽさを残している。

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ぴーかる

滝山城 (2022/10/30 訪問)

【滝山城】
<駐車場他>神戸箕谷線<34.706206, 135.182741>の駐車スペースに駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁
<感想>城跡に至るルートは2つくらいはあるようで、上記の駐車スペース(城跡西側)からハイキングコースで城の搦手から入るルートと東側の布引から瀧山ハイキングコースを通るルートとあるようです。私の行った西からのルートは比較的なだらかですよ。
 滝山城の築城年は定かではないが築城者は赤松円心によるもので、1333年鎌倉幕府倒幕で挙兵した円心が摩耶山城を築いて京都近辺まで進撃しますが六波羅探題軍に押し返されて「生田布引の城にこもる」(瀧山城)と文献にあるそうです。戦国時代には松永久秀の持城となり現在の遺構に見られる大改修を行います。その後三好三人衆との権力抗争で淡路の安宅水軍に攻められて落城します。
 私の行った西側からのルートは堀切・二重堀切を超えたあと主郭櫓台の裏側搦手側から城跡に入ります。主郭から放射状に広がる段曲輪にはあちこちに石垣の転落石が転がっており少しだけ石垣跡も見られる箇所もあります。主要部の南にある大竪堀とその周辺は山城観のある見応え、現地説明板・縄張り図のある主要部の虎口には巨石がありここも見ごたえあります。主要部から南に連なる曲輪を見て終了しました。城跡内で夢中で石垣を探しをしました。円心が築城して松永久秀が改修している山城でこんだけ遺構が残っている城跡ってあまりないような気がします。なかなかいい城跡でした。

<満足度>◆◆◇ 
 本当にこれにて城びと登録のある赤松氏の山城コンプリート出来ました。自分好みの石垣・石垣跡の多く残る巨大山城が沢山ありました。またそれらを巡り山城遺構を見る目が出来て大変勉強になりました。また再訪したいです。

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カズサン

【越前・白山平泉寺城】福井県勝山市 中世の石畳道 (2022/11/03 訪問)

 南谷・復元の土塀と門編の続きです。

 白山平泉寺城へたどり着くまでに数拾年掛かりましたが、今思えばそれまでに近くの一乗谷城、越前大野城、勝山城、村岡山城(ムロコヤマジョウ)、勝山城博物館と探訪しておきながら、イオさんの投稿写真で一瞬ハット気付く、勝山城博物館の北側の道を東に2km程進んだ所だったのですね、近くに行きながら気づかない。疑問もやもやがはっきりして有難い。
 白山信仰の最初の拠点で中世の宗教都市、城郭都市、武装集団と歴史が綾成って居ます、発掘調査されて一部復元、まだまだ発掘調査が続く事でしょう、坊院跡も全体で6000箇所在るとか、世界遺産登録を狙ってるとか、白山信仰と中世宗教都市、武装都市として一乗谷城の中世城下町、城跡と合わせて登録なると良いですね!

 さて、続きの探訪は、南谷発掘地の復元の門・土塀の区画を終えて、西へ進み四辻へ、そこの南北筋が中世の石畳として発掘調査の上石畳道が復元されて東側は坊院の石垣塀、石垣塁が若宮神社まで続いてる、石畳道の西側は横堀が若宮神社まで続いてる。横堀の西側も土塀が在ったそうです。
 石畳道の東奥には杉林が林立してますが石垣などで区切られた坊院跡が曲輪が群がる様に在るそうで、石垣段の連なる様が垣間見られます。
 壮大な広さです。皆さんも大野城、勝山城つながりで探訪されたら如何でしょうか?

 (続きます、残存大杉を訪ねて編へ)
 

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いんげん丸虫

笹平城 新潟県村上市 (2022/11/20 訪問)

上杉謙信の重臣、本庄氏の反旗に対抗するために謙
信の命により急造されたようですね。
標高238mの山頂に主郭があり、主に2つの主要尾
根上に遺構が展開しています。
連続竪堀、畝状阻塞が数ヶ所にあります。
また投石陣地と称して川にあるような丸い石が集積
されてる箇所が何ケ所かありますね。
しかし新潟特有の常緑植物ユキツバキが凄くて、移
動するのも大変です。雪に耐える為、茎はしなやか
で冬に花を咲かせるので生き生きとしています。
まぁ、このツバキ種の藪のおかげで遺構の保存が
良好なのかもしれませんが。。
尾根先端の畝状阻塞など写真とかでは表現出来なく
その場に出向かないと見れないというのが逆に貴重
な遺構かも。もしも藪状態でなく遺構が明瞭に見れ
たら山城ファン垂涎の城郭になるでしょうね。
先人のHPでは中津川に木橋が架かってたようです
が、現在はありません。
城跡の周りに林業関係の作業道がありますね。

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零汰

9月:大分角牟礼城と、4回目の福岡鷹取城・・・撮ツー (2022/09/10 訪問)

局地的にゲリラ豪雨に見舞われて、梅雨時期からまともに城に行く事が出来ずにいた。降水確率0%晴れ時々曇り所により雨、毎日が予報のフルメニュー、どの予報を信じていいのやら。

9月に入り幾分天候が落ち着いてきて完全に晴れそうな日が2日あったので1泊で出掛けてきました。本格的に山城はちょっと気乗りせず、九州の平城は思い浮かばず思案していた。おお!そうだ、4回目の鷹取城行こう、今年こそはウネウネ見れるかもしれない。だったら角牟礼城にも行って石積と一緒に写真撮ろう。結果、阿蘇方面を抜け、気になっていた城の入り口を確認しながら景色を楽しみ写真を撮りながら城訪問には滅多にお供しない1号機で出掛けた。

大分の角牟礼城は2019年に行った。続100城なんですね、今年初めに知りました。こちらは三の丸まで行けるので石垣と一緒に良い写真が撮れます。

福岡の鷹取城は2019年から毎年訪れている城で、城廻りのきっかけになった大切な城の1つです。が、1度もウネウネを見たことが有りません。今回も見ることが出来なかった。草刈はしているのだけどウネウネ廻りは毎回手付かずの様子です。

早朝からガツガツしてめい一杯城を廻るのも良いが、稀に気の抜けた城訪問もそれはそれで楽しく思える。

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カズサン

【越前・白山平泉寺城】福井県勝山市 南谷・復元の門と土塀 (2022/11/03 訪問)

 中枢寺社城郭編の続きです。

 白山平泉寺は717年に泰澄大師が白山に登ろうとして開いた所、池の傍らで祈っていたら白山の女神が現れ現れ、この池は「平清水」(ヒラシミズ)「平泉」(ヒライズミ)と呼ばれ、ここを中心に修行者の為の宿坊、白山を礼拝する拝殿や寺院が建ち並び発展した。のちに「平泉寺」(ヒライズミデラ)と呼ばれる様になり、何時しか音読みに。
 寺社域は主翼の尾根に社堂48社36堂の神社仏閣が建ち並び北尾根の間の北谷に2400坊、南尾根の間の南谷に3600坊、僧、僧兵8000人、社領9万石9万貫が中世、戦国期の最大勢力の様子でした。
 戦国期天正2年(1574年)一向一揆との抗争により焼失し、9年後焼け跡に再興し、時の領主金森長近、秀吉の庇護、江戸期には松平氏の庇護を受け再建をしていく。
 明治に成り神仏分離廃仏毀釈で平泉寺の名称廃止、白山社の本社、拝殿、鳥居などは白山神社として残された。
 (白山平泉寺散策マップの歴史編からの私なりの大まかな抜粋です)
 
 さて、続きの探訪は、拝殿、本社、三の宮参道鳥居の南側の坂道を降りて南谷側へ、降りると可愛い手製の南谷発掘地への案内指示板、途中に整備されたトイレが有りトイレ休憩、案内に従って東に登り南に進行、復元の土塀、門が見えて来る、イオさんの投稿写真が現実に、復元の門と土塀に対面、南谷発掘地此処まで立派に発掘復元されたのかと感激、屋敷跡に門を潜って行ったり来たり、復元石畳通路、排水溝、水路かも?石橋、石垣塀、虎口風な出入り口、復元門と土塀の西隣にも屋敷跡、石垣で虎口出入り口が残り、屋敷内は草刈りされた直後かよく整備されて居る、石畳通路の途中に矢穴の有る石垣が案内板で指示、他に人は無く私一人、中世最盛期の白山平泉寺南谷坊院跡を独占状態良い空間に迷い込んだ様でした。
 石畳通路、石垣塀、屋敷跡等一つ一つが小城郭屋敷跡の構え防御の様に観えたりもしました、これだけの構えの物が6000坊も有ったのかと驚嘆もした。畏るべし白山平泉寺城郭跡。

 (続きます、中世の石畳道編へ。)
 

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todo94

城カードと天守リニューアル (2022/11/04 訪問)

今回の備後遠征は福山城に一刻も早く行きたかったからに他ありません。2021年のお城EXPOでチラシを頂き、2022年8月28日の天守リニューアルを心待ちにしていたのに新型コロナウイルス感染症の第7波に打ち砕かれてしまいました。お城カードの重文三重櫓シリーズのラスト、伏見櫓のカードは文化の日にゲットしました。この日は伏見櫓の特別公開が行われていました。職場の越県禁止解除が実現した時には既に手遅れだったのですが、羨ましいったらありゃしない。天守に入るにも土日祝日はネットでの事前予約が必要とのことで、改めて平日に出直した訳です。修学旅行生でかなり賑わっていましたがね。特別展「水野勝成と徳川四天王」、しっかり拝見させて頂きました。

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にのまる

住宅街に痕跡 (2022/11/11 訪問)

城址碑のある天神社と(伝)七士の墓へ行きました。
内堀跡とされる水路はこの地が交通の要衝であるためいつの時代のものか判明していないようですが外堀跡とともに館跡としての整合性はあるようです。そして今でも現役です。
駅への往復で外堀にあたる住宅地を歩きました。中村獅童さんのお顔がずっとチラチラしていました。

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Tokyobay

クランクはあるものの、城下町らしからぬ道幅の広さが印象的 (2022/10/17 訪問)

クランクはあるものの、城下町らしからぬ道幅の広さが印象的。武家屋敷の配置は城に近い方が上級なので作りが立派になっているようだが、こういうことは大々的には案内していないので気を付けて見ないとわからないかもしれない。
ちなみに、城下町散策の往路はタクシー利用しようとしたが駅前に一台もなく、新幹線停車駅の観光地でもこの惨状なのかと驚く。レンタサイクルは休業だし、バス利用しようとしても歩いた方が早いと言われ、仕方なく往復歩く事に。タクシーは予約した方がよいかもしれない。

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ぴーかる

摩耶山城 (2022/10/30 訪問)

【摩耶山城】
<駐車場他>掬星台駐車場有料を利用
<交通手段>車

<見所>竪堀・当時のものなら石垣
<感想>攻め取りこぼしていた赤松氏の山城、涼しくなってきたので攻略してきました。摩耶山城は1333年、護良親王の令旨を受け鎌倉幕府討幕の挙兵をした赤松円心が播磨から進軍し六波羅探題勢と戦うために築いた城です。
 掬星台駐車場に駐車し掬星台展望台から天上寺跡を通過しハイキングコースを南下・下山しました。城跡は摩耶ケーブル「虹の駅」から西側一帯にあり、狭地(かつての堀切か?)を挟んで東西2つのピークに曲輪が分かれています。東側は展望所となっている曲輪・そこから下段(雑草化している)の曲輪がいくつかと東側ピークにはコンクリートの建造物があり、その傍から大竪堀が1条見受けられます。西側の曲輪群はかつての摩耶花壇跡(宿泊・娯楽施設)で現在は私有地となっていて立入禁止となっています。西側には石垣が多く残り、基壇と一部は施設跡(石垣の石を使用している?)狭地とケーブル駅を降りてすぐ左手に見える石垣などは隙間をコンクリートで埋めているものの、私には当時の石垣(城びと情報にも遺構石垣とあるので)をそのまま補強しているように見えました。戻りもロープウェイ代をけちってハイキングコースを徒歩で登りました。1㎞くらいかなりきつかった。

<満足度>◆◆◇
<周辺観光>掬星台:六甲山展望所と共に神戸の夜景が美しいデートスポットです。20代の頃から数回来たことがあり、昔から城跡があることも知っていましたが赤松氏の城だったとはつゆ知らず。
天上寺跡:摩耶山天上寺は大化二年(646年)孝徳天皇の勅願によりインドの高僧法道仙人によって開創されました。1976年に火災にあい建物のほとんどが焼け落ちましたが山門は残っています。摩耶山城も当時は天上寺を背後の守りとして砦として利用していたかもしれません。

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