清正公の銅像から行幸橋を渡り、行幸坂を少し登ると、備前堀を挟んで、奇跡の一本足で有名になった「飯田丸五階櫓」が右手に見えます。近づく事はできないので、ここから堀を挟んでしか見る事はできません。ここも現在は解体され櫓の資材は保管されています。石垣を一から積み直す作業が本格的に始まっているようで、足場が組まれ重機が入っていました。やはり勇気を与えてくれた五階櫓の復旧を一日でも早く見たいと願っている市民は多いのではないでしょうか?
実はこの飯田丸五階櫓、今回の地震の崩落で新たに分かった事実がありました。加藤忠広(清正の子)が築いたとこれまで言われていますが、櫓台の中から清正時代の石垣が出てきたそうです。つまり、清正がいったん櫓台と石垣を築き、その外側に忠広が裏込めの粟石とさらに石垣を築いて櫓台を拡張し、その上に五階櫓を建てていたという事実です。これは地震がなければ永遠にわからなかった事になります。今回の復旧では、完全に元のとおりにするそうです。つまり土台をしっかり固め、清正時代の石垣と、その外側に忠広時代の粟石と石垣を復旧して元のとおりの櫓台にして、そしてその上に解体保存されている五階櫓を組み上げるとの事です。私には清正時代の石垣を見る事ができないまま埋め戻されてしまうのがちょっと残念ですが・・・(もう埋め戻しは始まっていました😩)。
ここは他に比べ急ピッチで復旧が進んでいるように見えました。おそらく3番目に復旧するのは、ここではないかと思います。それでもあと2~3年はかかるでしょう。どのように再建された飯田丸五階櫓が見られるのか、今から本当に楽しみです。
次は「二様の石垣と本丸御殿」の現状です。
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