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じゅんじん

ゴルフ場 (2022/01/02 訪問)

大部分はゴルフ場となって破壊されたみたいです。フェンスから入り少し歩けば主郭?に到着します。説明板がありました。入口とは反対側になりますが給水塔奥に八畳岩があります。ここで酒宴を催したとか。

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todo94

献血前の宇都宮市の城めぐり④ (2021/11/21 訪問)

この日訪れた宇都宮市の城の中では間違いなく最高の物件です。個人的には宇都宮市内の城としては飛山城の次くらいに好きかもしれません。ルート表示がしっかり設置されていますが二の丸の先は余り手が入っていなくてよく分かりませんでしたが、本丸周りの空堀、土塁だけでも十分に楽しむことが出来ます。

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にのまる

石垣のお城 (2022/01/01 訪問)

予備知識として持っていたのは、
・豊臣秀吉が弟秀長のために縄張りし、藤堂高虎が普請奉行を務めた
・三大連立天守のひとつである
・太平洋戦争時に空襲で天守が焼失した
・藩主が渡るための御橋廊下が再建された
・天守郭がある
・紅葉渓庭園がある
・動物園がある
ということで、「石垣」については全く知識を持ち合わせていませんでしたが、このたび初めて訪れてみて、石垣のスケールの大きさと種類の多さを知り、また、次々に現れるいくつもの個性に接して、認識がすっかり「石垣の城」に変わってしまいました。さまざまな時代の積み方やその境目を見るのも面白かったのですが、緑泥片岩ならではの独特の積み方が特に印象的でした。

 見学ルートは、旧大村家住宅移築長屋門のある岡口門から入り、駐車場に至る不明門跡のクランクを確認して新裏坂から天守、本丸御殿跡へ。裏坂を下りて二の丸跡を一周し御橋廊下を渡って西の丸、紅葉渓庭園、鶴の渓、砂の丸広場へ。わかやま歴史館を見学して北側の歩道から一の橋、大手門、伏虎像、表坂、松の丸跡とまわる約四時間のコースとなりました。
 天守群は見る場所によってまるで違って見えるのがとてもおもしろかったです。連立天守ならではの美しい姿を堪能させていただきました。天守内や歴史館には発掘された遺物などのお宝がたくさん‼私がいちばん好きな石は建物の礎石なのですが、誰もいない静かな展示コーナーで大天守礎石と対面したのは今年のお正月の忘れられない思い出になりそうです。(もちろん、石垣を登るあの子に会えたのも♪)


⛄昨日の雪は大騒ぎしましたが、🐧歩き習得への道はまだ厳しそうです。

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カズサン

【備前・閑谷学校】岡山県備前市 岡山藩藩校 かまぼこ型石塀と備前焼瓦 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、赤穂城を終えて前々から一度訪ねたいと願って居た特別史跡・閑谷学校を初探訪しました。

 住所:岡山県備前市閑谷784 専用駐車場、トイレ完備

 岡山藩池田光政公が庶民教育の為の学校を立てる様にと寛文10年(1670年)命じた。
 講堂を中心に聖堂(孔子を祀る)、閑谷神社(池田光政公を祀る)をかまぼこ型の切込接ぎ石塀が山手を除く三方を囲んでいる、あまり例を見ない素晴らしい石塀です。
 校門は備前焼の瓦と鯱が飾って居ます、講堂も勿論備前焼の赤瓦、講堂の床は黒漆で塗られ床に外の景色が写されて素晴らしく綺麗、秋の紅葉時期は聖堂前の楷の木が紅葉して赤い楷の木の姿が講堂床に写されます。
 校門前には泮池が長く水堀の様に護って居ます、訪問時期は夏でしたので閑谷学校を囲ってる山々に入道雲が昇り夏の静けさも素晴らしい眺めでした。
 火除けの為、講堂から離れた所に学舎、学寮が西に置かれて居ります、現在は資料館に成って居ます。

 1時間程観察探訪資料館観覧し黒光りする講堂でしばし佇み講堂内と外の景色を眺めて居ました、あまり人出は無く静かな探訪時間を楽しみました、初探訪満足でした。

 この後は先に投稿した吉備路の城廻り寺社巡りに向かいました。

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カズサン

赤穂城探訪・二の丸三の丸櫓台と石塁編 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、赤穂城を探訪し余りにも素晴らしい櫓台と石塁の復元整備された景観を投稿し皆様に少しでも知って頂けたらの思いです。
 今回の赤穂城の探訪は朝から3時間に渡り復元整備の素晴らしい状態を垣間見ました、まだまだ復元整備中で二の丸庭園は観覧する事が出来ませんでしたが今後の楽しみです。
 素晴らしい時間を過ごせました。

 長々の投稿をご愛読頂きましてありがとうございます。

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atsufumi

四天王像そろいぶみ (2022/01/06 訪問)

お城から少しだけ離れた桜城橋と篭田公園の間に四天王像がそろいぶみです。

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カズサン

赤穂城探訪・水手門と米蔵編 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬、赤穂城を探訪、二の丸庭園外側の眺めと周辺を終えて二の丸内から米蔵、水手門と船着場と観察探訪しました。
 米蔵、水手門、船着場とも発掘調査復元整備されて居ります、二の丸の北東櫓台から外周が石塁、櫓台で構えられ南に潮見櫓台と続き水手門に至りますが石塁、櫓台の眺めは壮観です。往時は海に臨み景観も最高で水手門、船着場も綺麗に整備され往時の景観、構えが伺えます。

 続きは二の丸、三の丸の櫓台、石塁編ではendです。

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POYO58

続きです (2022/01/02 訪問)

写真を追加します。

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POYO58

東海の名城! 日本で初めて木造で復元された天守! 御殿が現存!? (2022/01/02 訪問)

掛川城は山内一豊の城です。この城は山内一豊が築城した高知城に似ていますが、高知城の天守は掛川城を手本にしてつくったようです。また掛川城が地震により崩れた後しばらく復元されませんでしたが、その後高知城を手本に復元天守がつくられました。この城が日本最初の木造の復元天守だそうです。またこの城は御殿が現存しています。御城印はここで買えます。(掛川城の御城印だけです。横須賀城と高天神城と掛川城の3つを買うには、これっしか処というお土産屋に売ってます。)
この城は徳川家康にせめられますが、その際霧でお城を隠したという伝説も残っています。
石垣に銀杏型のものがあります。
見どころたくさんです。東海の名城掛川城にぜひ行ってみてください。私は綺麗すぎて感動しました😭

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POYO58

武田方と徳川方の激戦地! (2022/01/02 訪問)

高天神城はとても難攻不落の城です。あの最強な武田信玄でも攻め落とせませんでした。信玄の没後、徳川方の城でありましたが信玄を継ぐ勝頼が攻め落としました。その後激戦を繰り広げ最終的に家康がこの城に火を放ち、廃城となります。この城を回るには早くて40分、じっくりだったら90分くらいだと思います。けっこう登るので疲れると思います。

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POYO58

徳川家康の本拠地 唯一の玉石垣の城! (2022/01/02 訪問)

横須賀城は高天神城を攻めの拠点となった家康の城です。この城は天守があった様です。唯一の玉石垣で美しかったです。この城は発掘調査により瓦などは見つかっており、実際見てみると草原だけのように見えますが、建物があったとされています。

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モト

土塁が残ってます。 (2021/12/31 訪問)

群馬の城巡りの移動中に看板を見つけて立ち寄りました。
城びと未登録の城跡でした。
看板の案内を確認してやや狭い道の住宅地に入っていくと行き止まりが城跡です。
神社が建っていて土塁に囲まれています。
神社の入り口は虎口のようになっていました。

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朝田 辰兵衛

東端が萬福寺,西端が湯殿神社。 (2021/12/18 訪問)

東京に10㎝で大雪警報が!坂の多い渋谷では転んでる人多いだろうな…。肩幅程度の2ライン上を足裏で踏みしめるように歩行しましょう。通称:ペンギン歩きで🐧🐧🐧。。。。。。凍ったところより新雪部分をチョイス。くれぐれもご注意ください。
越後なら,積雪10㎝でも普通に山城を登っています。標高:150m前後を目安で。

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モト

雰囲気が漂う城跡でした (2021/12/31 訪問)

土塁、曲輪が残っています。
城跡は畑などになってはっきりわかるのは土塁、曲輪でした。
屋敷跡なども竹藪になっていて遺構はここがそうなのかなという感じでした。
しかし、城跡を示す碑がある場所付近や入口から登城すると土塁がそうなのか不思議と城跡の雰囲気をプンプン漂わせておりました。
すごい遺構だぁということではないのですが強く城跡を感じる事ができる城跡でした。
少しでも遺構を残していただき感謝です。

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赤い城

城址公園だが堀底道も (2021/12/26 訪問)

城址公園になっていて広い駐車場があります。
登城口には説明板があり、整備された登城路に続きます。
途中右手に堀のような部分を発見。
やはり堀、もちろん堀底道を進むことにしました。
冬のみかもしれませんね。
進んでいくとだんだん深くなり、橋がある辺りが最も深い感じです。
主郭部分が公園で虎口や堀も整備されて残ります。
主郭からは北浦も綺麗に望めます。
北浦周辺は漁業権の争いもあったらしく小競り合いも多くあったエリアだそうです。
ここの城主であった津賀氏も南方山十三館の仕置に遭ったとされています。

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小城小次郎

近世台場と近代要塞がひとつになった (2021/09/19 訪問)

江戸時代に陸から切り離された島の上に幕府の命で鳥取藩が台場を築き、明治になって砲台となり由良要塞群のひとつとして昭和まで存続した。近世台場と近代要塞がひとつになった、ちょっと珍しい光景が広がる。

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新ろくべえ

土浦城に行ってきました! (2021/12/26 訪問)

茨城県土浦市にある、続日本百名城の土浦城に行ってきました。
ここは、室町時代(1333年~1573年?)の後期に若泉氏が築城したといわれています。
そして戦国時代は小田氏、結城秀康、江戸時代に入ると、
松平氏、西尾氏、朽木氏、土屋氏、松平氏、土屋氏と譜代大名が治め、土屋氏の時には
9万5千石と、常陸国水戸藩に次いで、大きな領を治め、関八州の防衛にも使われました。
この土浦城は、輪郭式(本丸を中心に、渦巻き状に曲輪を配置する方法)でなわばりが張られており、
本丸には天守がなく、代わりに櫓門、東櫓、西櫓、霞門で四方を固めていて、現在そのうちの
櫓門が残り、東、西、両櫓が復元されており、東櫓は内部が公開されています。
今は亀城公園となっています。その近くには土浦市立博物館があるので、
そこも見てみるといいと思います。(あくまで個人の感想です)

〔城情報〕
・築城分類     ❘平城
・築城年代     ❘室町時代後期(平安時代とも)
・廃城年代     ❘1869年(廃藩置県によって)
・最後の城主    ❘土屋挙直(1868年~1869年)
・主な遺構     ❘堀(存)、土塁(存)、本丸土塀(復)  (存=現存、複=復元)
・主な建造物    ❘東櫓(複)、西櫓(複)、櫓門(存)、二の丸門(存)(旧前川口門)
・天守       ❘無
・説明版、石碑   ❘両有り
・駐車場      ❘土浦市立博物館第二駐車場OK(第一駐車場はNG)

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カズサン

赤穂城探訪・二の丸庭園周辺編 (2011/07/15 訪問)

 10年前の平成23年7月中旬赤穂城を訪れ二の丸庭園がもしかして見れるかなとの淡い期待も有りましたが内部公開はしてなく復元整備継続中、周辺の各門、狭間の入った白漆喰土塀、二の丸復元石塁、櫓台を観察見学しました。
 資料は歴史博物館入館時にゲットしました。
 公開されて探訪できる時を待って居ます。

 続きは水手門と米蔵。

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カズサン

赤穂城探訪・大手門周辺編 (2011/07/15 訪問)

 赤穂城の顔として昭和30年復元整備よりドンと構えてる三の丸大手門と東北隅櫓周辺を10年前の平成23年7月中旬探訪写真投稿致します。
 赤穂城は忠臣蔵で有名で正保2年(1645年)常陸国笠間から入封した浅野長直が甲州流軍学、山鹿流軍学により縄張し、千種川扇状地海岸に本丸、二の丸は輪郭式、二の丸と三の丸は悌郭式として出隅櫓台、枡形、横矢屛風折れ石垣を多用して築城に13年余を費やす。
 浅野家は3代で終り、永井家、森家と続き明治を迎える。
 明治以降民間に払い下げられ赤穂中学(赤穂高校)が城内に竣工、昭和27年に都市公園の計画決定し昭和30年の大手門、隅櫓の復元から発掘調査復元整備と進められ勘九郎が大石内蔵助を演じた大河ドラマ放映の前には本丸整備、本丸櫓門が完成し大河ドラマに使われ、二の丸庭園復元整備と現在も続いて居ります。

 赤穂城は城内に高校が在る頃、昭和40年代が初登城で時々寄って約40年経ちました平成23年7月中旬、三の丸大手門周辺を探訪観察、新しく大手内桝形石垣が出来上がり櫓門跡の前には番所小屋が休憩室代わりに新しく建って居ました、大手門、大手橋、東北隅櫓、内側と外側の石垣、外濠北面、東面、三の丸東隅櫓台を探訪。

 続きは二の丸庭園周り。

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bono

井伊谷城

大河ドラマになっただけあり、色んなところが整備されています。道は舗装されていて、手すりもあります。ただ、雨の日や雨の日の翌日は、道がかなり滑りやすくて要注意です。また、めちゃくちゃでかいカタツムリも出ます。小さいのもたくさんいて、潰さないように歩くのが大変です。あと山頂?まで結構歩くので、サンダルはやめておいた方がいいかもです。

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