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加藤城乃助

源義経の正室のご実家 (2023/01/20 訪問)

川越城の後、東武東上線で二駅、霞ヶ関に向かいました。霞ヶ関駅から徒歩で約15分程、入間川のすぐ横にあります。
史跡公園として整備されています。横の常楽寺には河越重頼と源義経と重頼の娘で義経の正室の京姫の供養塔があります。

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肉球

庭園は外から眺めるだけです (2022/12/15 訪問)

旗本松平氏の陣屋跡で庭園が残されていますが
先に投稿されているtodo94さんも記されているとおり
立ち入り禁止でした。
陣屋時代からあったとされるカヤの木から眺めるだけです。
20年ほど前に訪れた会津武家屋敷に移築されている画像も
一緒に

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肉球

荒田館・青森県平川市 (2022/10/21 訪問)

築城に関することは不明のようで
小野井氏の居城のようです。
江戸時代は津軽藩の代官所が置かれたようで
今は住宅が建ち並んでいます。
住宅街の北の一角に小野井氏が創建した八幡宮だけが残されています。

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登城道、ありません (2023/01/22 訪問)

「城びと初投稿いただきます」(ぴーかるさん投稿からのぱくり)ですが、登城道はなく、急な斜面をクリアしても遺構はほとんどないので、皆さん、敬遠されてたのかも。
麓に福知山線に加古川線が接続する谷川駅があり、山深いですが、昔から交通の要衝であったと思われます。
東麓の長慶院の裏手斜面に久下氏の祖重光の五輪塔、時重の顕彰碑があり、そこまでは手入れされていますが、その上の斜面10mほどをすすきかき分け登ります(古城盛衰記さん指南)。鹿が通ったとおぼしき痕を行きました。すすきが終わると杉植林地で、下草はないですが、倒木や落ちた枝が直登を拒みます。
尾根まで登って、左手の緩い傾斜を行くと、二ノ丸、次いで、本丸です。本丸の向こうに馬場があって、本丸と馬場の間を画する浅い堀切が残っています。城域全体は、北東に口を開け気味にしたコの字型で馬場の先のコの字の先端が三の丸と。ほとんど自然地形のままで、急斜面を利用しただけの守りと見えます。
ちなみに久下氏は鎌倉時代からの名門。丹波守護代であったことも。

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肉球

17年ぶりでした (2022/10/21 訪問)

弘前藩主津軽信枚の次男信英によって築かれた陣屋跡です。
跡地は御幸公園となっていて石碑が建ち
わずかに空堀が残っています。
少し離れたところに国登録有形文化財に指定された
九戸家住宅が現存しています。
現在もお住まいのようで公開はされていません。
少し歩けば中町こみせ通りがあり
食事処や造り酒屋もありこちらの方が賑わっています。





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カズサン

徳川軍を二度も撃退した真田の名城、桜が良く似合う (2015/04/09 訪問)

 上田城へは五十数年前に夏季休暇直前東京出張の帰り上信越夜行で遠回りし上田城に初登城した思い出のある城郭です、その当時は西櫓が残ってるだけで何か寂しい感じでしたが、現在は整備が行き届き、東虎口櫓門の復元再建、移築されて居た北櫓と南櫓が再移築で元の場所に戻って復元整備され、南下の尼ヶ淵の公園整備と駐車場が完備して良く成り観光客で賑わって居ます。

 POYO58さんのお城クイズの答えは朝田辰兵衛さんにのまるさんご本人POYO58さんの既に投稿されていますので答えの必要は無いのですが、一応形式なので、答えは・・上田城南櫓下内空堀を本丸東虎口前土橋から南に眺めた水留の石垣です。
 上田城を登城された方は直ぐに判る遺構です。
 
 折角のPOYO58さんのクイズ投稿でしたので、久し振りに上田城の保存写真を眺めてみました、一応城郭放浪記さんの写真館も覘き、勿論城びとの上田城投稿も全て目を通しました、投稿者それぞれの個性が出て居り楽しく拝見しました。

 城には桜が良く似合うと常々思って居ますので、桜の時期に登城した写真を投稿します。

 POYO58さん、浜松城にお越しとか、浜松城天守閣は昨年末外観リニューアル完了して白壁、黒下見板、金具が綺麗に輝いています、また昨日22日から2月28日まで二の丸跡(元、元城小学校跡)で「どうする家康」浜松大河ドラマ館プレオープン中です、是非観て堪能してください。
 

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イオ

破却された近世城郭 (2023/01/07 訪問)

宇陀郡の有力国人・秋山氏が南北朝期より本城とした秋山城を前身とし、豊臣秀長の大和国入りに伴って秋山氏が退去した後は豊臣家配下の諸将が城主となって近世城郭に改修。大和郡山城、高取城とともに大和国支配の拠点となりました。関ケ原の戦いの後は福島高晴(福島正則の弟)が入って城下町を整備し松山城に名を改めましたが、大坂夏の陣で豊臣方に内通した嫌疑を受けて改易され、松山城も小堀遠州らによって破却されました。

今年の城始めは、一年の計に則って近場の続100名城から。道の駅の第2駐車場に車を駐め、千軒舎の脇を抜けて登城開始。登城道は舗装された広い道で、奥には10数台は駐められそうな駐車場も整備されていますが、なぜか車は通行止めになっています。登城口から10分あまりで春日神社からの大手道と合流し、切通状の道を進んだ先に巨大な横堀が横たわっていました。横堀は折れを伴って御加番曲輪の西辺をめぐっていて幅も高さもあり、堀底に立ってみるとよじ登ることもできないまま四方八方から撃たれ放題を実感します。新年早々のド迫力に気分を高揚させて先に進むと、南西虎口部(雀門跡)には石垣と石段が見られ、そこから左に折れてさらに右に曲がる連続枡形が続いています。枡形内の石垣もしっかり遺っていて、ここで早くもテンションMAX! 幸先の良い一年のスタートになりました。

御加番曲輪にちょっと寄り道(横堀を見下ろす)してから本丸へ。本丸には発掘調査により本丸御殿をはじめとする礎石建物が確認されており、南東部と西部に虎口を設け、周囲を多聞櫓で囲んでいたようです。南東虎口にはトラロープが張られて通行できなくなっていましたが、石垣と石段が確認できました。本丸からは四方に眺望が開け、大峰山をはじめとする周囲の山並みを見渡すことができます。本丸の東側一段上の天守郭には発掘調査により天守の存在が明らかになっており、北側の虎口には石垣積みの付櫓跡が見られます。天守郭はかつては総石垣だったようですが、破却され土や草に埋もれながらもあちこちに石垣が覗いています。最高所の天守郭からは城内がよく見渡せ、東下にはいくつかの曲輪群が連なっていますが、降りて行く道が見当たらないので直降して向かいました(続く)。
 

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POYO58

瞬殺でしたか… にのまるさん惜しいですね。

はい。朝田辰兵衛さんの言う通りです。正解は上田城でした。ちょっとカズさんから回答がなかったのが残念。でもにのまるさんにも回答を頂いたので嬉しかったです。瞬殺できなかった方、次頑張ってください。
別件ですが、またまた僕の質問コーナーです。100名城スタンプの件なのですが、スタンプはしばらくしたら消えるのかな?皆さんは攻城歴が長いと思うのでご存じであれば、なんかアドバイスをもらえませんか。スタンプが消えない方法というものはあるのでしょうか?それともそんな簡単には消えないのでしょうか?これから何十年もこのスタンプ帳を使うと思うのでスタンプが消えてしまっては困ります。アイデアをお待ちしています。

今日は雨ですが、3度目の小牧山城を攻城します。もちろんスタンプ目当てです。もう何回行くんだか。
来週も再攻城祭り。吉田城とカズさんのお城である浜松城に行って参ります。
これからも投稿頑張ります。ただ2月はテスト期間なので攻城は断念。

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にのまる

瞬殺間に合わず。

POYO58さんのクイズ。
手持ちの写真を探しているうちに出遅れました。

遅参!

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朝田 辰兵衛

三段の滝って,横に三段ってこと? (2022/12/17 訪問)

相模線沿線の第2弾は,磯部城。磯部城よりも気になったのは,三段の滝。どう見ても縦は2段。横に三段ってこと?
気になって,三段の滝のほうに,余計な時間を費やしてしまいました…。

POYO58さん,とても勇気ある出題です。
ここは信州。todo94さんのお膝元じゃないですかぁ!
真田勢が2度にわたり徳川勢を蹴散らしたあの名城。あえて答えは言わないでおきますネ。

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にのまる

2022年城納め (2022/12/31 訪問)

料亭菜香亭跡地に堀跡、建物跡などが平面復元され史跡公園として整備されていました。説明板も充実しています。大内氏館との間の駐車場でも調査報告を見ることができました。
ここから山口駅まで城下町散策しながら戻りました。観光地としての見どころも多いので、湯田温泉に一泊などしてゆっくり過ごしたいところです。(実家まで2時間弱なので18きっぷで帰りました。)

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赤い城

車伊豆堂城 茨城県北茨城市 (2023/01/09 訪問)

2022年夏に発見された新規物件だそうです。
車城の駐車場から徒歩、民家の間の道を進むと登る道がが
祠を経て削平地があります。
居館跡でしょうか。
さらに登っていくと竪堀のような地形、自然のものかもしれません。
登城路からズレてさらに進むと堀底道、結構な長さがありました。
一部二重になっていましたが情報によると三重になっているようです。
登って主郭の先に堀切を2つ確認しました。
主郭には土塁も付いていました。
駆け足での登城でしたがもっとじっくり見たいと思う城でした。
期待が薄かっただけになおさらです。
ただ、夏は藪かな。

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ぴーかる

新所城 (2022/12/30 訪問)

【新所城】
<駐車場他>関宿西追分駐車場
<交通手段>車

<見所>麓居館跡?・竪土塁
<感想>新所城の築城年代は天正年間(1573~1593年)に亀山城主の関盛信によって築かれたと云われます。関盛信は蒲生氏郷の与力大名となり白河に移るとともに新所城は廃城となったようです。
 登城口は山崎パン工場の駐車場裏側から山に入ります。入って真っすぐ奥に石垣の残る居館跡のような曲輪群が広がっています。ここから私間違えて東の方の池のある場所から尾根に取り付いたので道無き山を直登して山頂城跡の東の虎口に至りました。奥の主郭に進まず竪土塁から谷に降りて周辺をうろうろしてしまいました。麓居館?跡の最奥から尾根に取り付いて登っていくと主郭に至るようでした。一応主郭以外は網羅しましたが、まだまだ城攻めの未熟さを痛感しました。

<満足度>◆◆◇

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POYO58

お城クイズ!瞬殺されたら困る…

僕にも参加させてください!朝田辰兵衛さんのようなクイズを僕にもさせてください!
ではクイズ。僕は100名城から出させていただきます。さて、この写真はどこでしょう。
空堀に石垣が使われています。結構特徴的で守りを若干強くしているようです。
当てられたらすごいのかな?いやでもカズさんだったら瞬殺されそう。頑張ってみてください!

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いんげん丸虫

高山城(城の腰城) 千葉県長生郡 (2022/12/31 訪問)

史実、詳細不明。標高約90mの細尾根上に狭い
平場がいくつかあり、堀切も数ヶ所確認できま
す。細尾根は城壁の役割で、現在大崎電気シス
テムズの建物が建つ平地部を守る区画になって
ますね。2019年の猛烈な台風15号の影響なのか
歩くのも困難な深く削られた尾根や倒木が目立
ちます。
看板、標柱はありません。大崎電気システムズ
の全面道路左手に登り口があり、近くに路駐可
能です。

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橋吉

初心者にお薦めの山城 (2023/01/08 訪問)

風呂ヶ谷駐車場に車を止めて登城。
風呂ヶ谷に立って見ると、三方を曲輪に囲まれていることがわかります。
したがって、ここに立った時点で戦力を大幅に削がれることにるでしょう。

尾根沿いに曲輪があるのですべてまわってもさほどきついところはありませんでした。
その割には遺構がいろいろ残って見所ありますし、自分が歩いてきた道のりも振り返られるので達成感があります。
初心者の方にはお薦めの山城だと思います。
所要時間約1時間です。

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侍ホリタン

大坂城の西の守りを担った名城を訪ねて (2022/05/15 訪問)

大坂夏の陣後に西国支配の拠点とされた大坂城の西の守りとして戸田氏鉄公により築城されました。歴代城主は戸田氏、青山氏、松平氏と譜代大名が務め5万石とは思えぬ程の規模であったと言われています。惜しくもお城は明治政府の廃城令によって取り壊されました。現在の天守は資産家の寄付により再建されたものです。
阪神尼崎駅から徒歩で数分、アクセス非常に良いです。城内では武将、忍者の衣装を着ての記念撮影や鉄砲、刀、槍を手に取って重さ等を体験出来るコーナーなど子供連れでも楽しめます。

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ryu

立花山城探訪登山 (2023/01/08 訪問)

久しぶりに立花山に登って立花山城をじっくりと探訪しようと、縄張り図を片手に立花山七峰を巡り遺構を見て回った。
連休中日で登山者は多かった。
探訪ルート
立花口の登山口より入山。イバノヲ・大タヲの石垣(立花口側)~下原側の隅角部を持つ石垣~登り石垣と空堀~松尾山山頂部の曲輪、堀切~白岳山頂部の二段の曲輪~大つぶらの曲輪~小つぶらの防塁状の石積み、畝状竪堀群~井楼山西側の石垣、曲輪~山頂部の虎口、櫓台~三日月山への尾根上の堀切~古井戸~馬責め場~大一足の曲輪、石垣~小一足の曲輪~立花口の登山口に下山

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チェブ

あれは、異国の黒船か!いや、平家か!里見か! (2022/12/25 訪問)

いやでござんす(1853年)ペリーさん。
と、学生時代にテスト前、必死で暗記したせいか『浦賀』と言ったらペリーさんしか出てきません。

黒船を睨もうと『東叶神社』へ。左手に古い説明板があり
『源 頼朝が再興の折、伊豆より移植奉納。』
立派な蘇鉄でした。頼朝さん、、、?
幕末気分が鎌倉時代に移ります。
こちらの神社、1181年 源氏の再興を願って霊をお迎えしたんだとか。願いが叶って『叶大明神』と呼ばれるようになりました。

階段を上ります。かなり ゼイゼイする頃に「浦賀城」に到着します。
『勝 海舟 断食の跡』の碑があり、幕末へ。
少し高くなって海が見渡せる所に「浦賀城」の説明板がありました。
「三崎城」の出城として、北条 氏康さんが浦賀水道と里見氏の房総半島を睨むため、築いたんだそうです。
気分は戦国へ。
と、頭の中で、いろんな時代を楽しめます。

そうそう、京急 浦賀駅のそばの壁に学生達が描いた 大きな絵画が、いくつかありました。
車の信号待ちで見つけ、じっくり見られませんでした。絵画からも『浦賀』を学べます。
『いやでござんす』だけだった『浦賀』の歴史でしたが、
たくさんの先人たちが、自国を守る為に「浦賀城」で睨んできたのでしょう。

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todo94

2022年・城納め (2022/12/28 訪問)

神浦城からの転戦です。結構な距離があり、時間がかかってしまったので、予定していた福田城はパスしてしまいました。中に踏み込んでみましたが、海岸に降りていく道は見つけられませんでした。翌29日に、高島に渡ったのですが、その折りに渡船より、四郎ヶ島台場を観ることが出来たのはラッキーでした。世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産の1つ、ジャイアントカンチレバー・クレーンもよく見えて長崎港からの船旅はなかなかのお薦めです。良い形で2022年の城納めができたと思います。

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