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イオ

周辺の中世山城遺構 (2023/01/07 訪問)

(続き)

天守郭から東下の大御殿に降りて振り返ると、周囲に横堀をめぐらせた天守郭が聳え立っています。大御殿の南部には南東虎口部(大門)が開口し、石垣積みの櫓台を両脇に設け、石段や門の礎石も見られました。

虎口を出て堀切を越えて二の丸へ。大御殿と二の丸間の堀切あたりまではきれいに刈られていますが、二の丸は全く手つかずのため少し躊躇するも、虎穴に入らずんば…と覚悟を決めて笹藪に突入。二の丸内もほぼ藪ながら奥に進むにつれ多少はましになり、南東隅の櫓台も何とか確認できました(ただし写真で見るとただの藪)。二の丸から南西に続く尾根筋は堀切(現状は切通道)で断ち切り、南東隅の櫓台下には横堀がめぐり、東尾根にも堀切が設けられています。また、大御殿との間の堀切にあわせて北東下には竪堀も見られました。

大御殿に戻り、北東の御加番曲輪を経由して北麓へ。御加番曲輪の麓をめぐる横堀の堀底を西に進んで少し行くと、二重の堀切を竪堀で繋いだ大きな土の遺構が見られました。

…ということで、巨大な横堀に枡形虎口、石垣を備えた近世城郭に改修された宇陀松山城ですが、天守郭東側の曲輪群の周辺には秋山城当時のものかは不明ながら堀切や竪堀など中世山城の遺構も見られ、二重に堪能させてもらいました。本丸周辺はよく整備されていますので、あとは二の丸の笹藪を何とかしてもらえれば…。ともあれ、十二分に満足のいく城始めとなりました。やっぱり続100名城に選ばれるだけのことはありますね。
 

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todo94

2023年の初城詣で (2023/01/01 訪問)

2022年の年始に行こうと思っていたのに時間が足りなくなってしまって今年に持ち越しとなりました。実家近くの橋上から大関東平野に登る初日の出を拝み、関東風雑煮の朝食を摂ってから、繰り出しました。元旦からの攻城は余り記憶がありません。「鎌倉殿の13人」の効果だと思いますが、地元熊谷ナンバーの他につくばナンバーや横浜ナンバーの車も駐まっていて人気の高さがうかがえました。皆さん、愛馬を担ぐ銅像や墓所をしっかりとチェックされていました。この近隣には、畠山重忠の幟が至る所に立っていて地元での崇拝ぶりがうかがえました。

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にのまる

最強寒波、お気をつけて。

遅参、空振りだったかと思っておりましたが、拾ってくださりありがとうございますm(_ _)m
私の『残念なスタンプコレクション』はこちら↓です💁‍♀️

三井記念美術館_φ(・_・メモメモ

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POYO58

もういっちょ城クイズ

この城はどこでしょう?これ瞬殺されてしまったら泣きます。ってか僕が出す問題ってかんたんですか?カズさん、わかったらまたこの城の投稿見せてくださーい。

朝田辰兵衛さんスタンプの件ありがとうございます。わざわざ写真まで。ご迷惑をおかけしました。

来週の日曜日は浜松城と吉田城に加えて岡崎城も行くことにしました。どれもスタンプ目当て。家康館は時間の都合上浜松城のものだけ行きます。楽しみです♪

今日小牧山城行ってきましたが、ショックなことに天守閣周辺が工事中で閉鎖していました。石垣も見ることができません。石垣を見にきたのに…。まあスタンプは押せたので良かったです。投稿は後ほど

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ぴーかる

峯城 (2022/12/30 訪問)

【峯城】
<駐車場他>峯城北登城口からスロープを上がった所に駐車出来ます。私は柴崎公民館に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・伝天守台跡
<感想>峯城の築城は正平年間(1346 - 1370年)に関盛政の5男関政実が峯氏を名乗り築いたといわれます。峯氏は以降6代続きましたが1574年、当主の峯盛祐が長島一向一揆で討死(関氏はこの時信長に従っていた。支族の峯氏も同様と思われる)すると後継者が幼小であったため、信長家臣の岡本良勝が峯城主となりました。1583年、柴田勝家に味方した滝川一益、その甥の滝川益重(一説にあの前田利益とされる人物)が攻めて落城しましたが、秀吉の包囲軍に兵糧攻めにされ奪い返され織田信雄の領地となります。小牧長久手合戦の前哨戦で再び秀吉軍に攻められて落城し1590年、岡本良勝の亀山城移封により廃城となったようです。
 北の登城口から墓地を通り入城しました。墓地辺りが北東の虎口的な感じになっています。墓地脇にかんざし井戸、墓地奥からが仕切り土塁があり曲輪になっています。送電線の鉄塔や綺麗に杉が植林された曲輪跡を過ぎると虎口があり通路側に高土塁のある段曲輪があります。屋敷跡といった感があります。次に伝天守台の西側下段の広い曲輪に出ます。曲輪南側虎口付近には仕切り土塁があり、段が石積みであったような石が多く落ちています。帯曲輪南東側の登城道?と合流して南側から主郭に入ります。主郭虎口も石積みであったようで石が多く落ちています。左手の土塁上スロープを登っていくと伝天守台に着き、ここも石積みであったようです。主郭は広い楕円状で土塁と曲輪の間に深い堀がある珍しい防御遺構があります。伝天守台のある土塁と主郭は空堀で仕切り、西側下段の曲輪と一体としていた形状だったろうと思われます。
 平山城表記となっていますが、北からの台地の南端に位置して周囲からは比高もあり、縄張りも山城の様相があります。しかし臨時制の詰城ではなく居住感を残した見ごたえある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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朝田 辰兵衛

「遅参」はサイコー,座布団5枚!

にのまるさん,わざと「遅参」のタイミングを狙っていたのかな…と,勘ぐってしまいました。誰も反応してくれませんでしたね。
うまく,真田勢,上田城,徳川秀忠,関ヶ原がからんだ絶妙な漢字2文字でした。思わず「やられたぁ~!」と,声が出ました。

POYO58さんの心配していた薄いスタンプですが,薄いのは心配ないかと思います。今のところ。どちらかというと,濃いのが問題を起こしています。日本100名城では,熊本城が裏の佐賀城に影響を及ぼしています。また,続日本100名城では,佐土原城が裏の中津城に影響を及ぼしています。画像を添付しますね。祝登城完了のスタンプも含めて。

そうそう,4月15日から(6月11日まで)東京の三井記念美術館で「どうする家康展」が開催されます。たぶん,4月中に行くと思います。

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びーこ

寒い二条城と温かいすき焼き (2022/12/23 訪問)

「青天を衝け」にハマって早2年。ようやく二条城に行く機会に恵まれた。半日という時間制限の中、効率良く見学するためには予習が必要。ということで、タイミング良く放送された千田先生の「京都ぶらり歴史探訪」を見てしっかり見所を確認して、いざ京都へ!

東大手門の隠しキャラ
徳川の力を見せつけるために正面に建てられた東大手門。
立派な金の飾り金具の中に、可愛い小鳥が隠れていた!当時の人の遊び心?

重要文化財の唐門
これは言うまでもなく素晴らしい彫刻の数々。
縁起の良いアイテムがたくさん隠されている。龍、虎、唐獅子、牡丹、蝶、鶴、亀が、金とカラフルな色合いで施されている。あまりの美しさにしばし見とれる・・

二の丸御殿
入口にある部屋(遠侍)には、何頭もの虎や豹が金の襖に描かれており圧倒される。徳川の力を表しているようだ。
大政奉還の部屋と言われる大広間(黒書院だという説もあり)には、巨大な松の絵が!将軍に後光がさしているように見える効果がある。大広間の奥にある黒書院にも松が描かれているが、大広間より小さく、桜もあしらわれており、落ち着いた雰囲気になっている。更にその奥には将軍が生活していたという白書院があるが、こちらの襖は水墨画になっており、いかにも生活の場所という感じである。巧みに計算された、遠侍から白書院の襖絵のコントラストが素晴らしかった。

二重構造の二ノ丸庭園
大広間から見た庭の石は大きく縦長なものが多く、武家らしい猛々しい印象になっている。
また、池の対岸側から見ると、柔らかい雰囲気の横長の石が配置された公家風の庭となっている。二条城を訪れた天皇を
おもてなしするために造られたということだ。非公開のため、残念ながらこちら側から庭を眺めることはできなかった。

本丸御殿
こちらは現在改修中で見るとができなかった。完成したら、また訪れたい。

中仕切門
本丸の正面ではなく側面にある、中仕切門。
こじんまりとした門だと思って油断して門と対面すると、背後には本丸が!ぐるりと回り込んだことで方向が分からなくなっていたようだ。

雁木
本丸の四方を取り囲むように張り巡らされた雁木は、他のお城にはない珍しいものだとか。
確かにこの雁木を登った先に鉄砲隊がずらりと並んだら、もうどうすることもできないであろう。

恐ろしく寒い二条城で2時間以上も費やしてしまったので、
手足は痺れるほど冷たく、お腹はペコペコである。
ということで、調べてあった京都おばんざいとすき焼きのお店へ!
冷え切っているとは言え、このご馳走の前でビールを飲まないわけにはいくまい。
ということで、暖かい部屋で、温かいすき焼きと冷たいビールを堪能して、二条城見学はお開きとなった。

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姫街道

見所満載!奥三河の名城 (2023/01/03 訪問)

今回は、「竪堀群」「桝形門」「二の丸腰曲輪」に注目した。見事な竪堀群は、逆に地形的な弱点だからこそ。竪掘を上がってきた敵に対する、主曲輪に絶対到達させない誘導性構造に惚れ惚れしました。二の丸腰曲輪は、ここほど綺麗に感じるところは無い!階層的であり、「ザ・腰曲輪」的な適当な面積。土塁も巻いていて、この城の見所の一つ。桜の季節も良いが、下草が枯れてるこの時期も見やすくて本当に楽しめます🎵

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姫街道

築城時期を再考 (2023/01/02 訪問)

まず南北朝時代に活用された城である事は疑いようがない。この城を難しくしているのは主曲輪西面の連続横堀。しかも石垣まで積んであるため、小牧長久手戦後の徳川による対豊臣に備えた遺構である説がある。個人的には、立地条件他を考えても小牧長久手時は疑問。三方原合戦後の武田方駐屯時説もあるが、圧勝後に対徳川に対してこれだけの遺構築造はこれまた疑問。私は、長篠合戦前後の徳川による対武田ではないかと考える。ただ石垣だけは…「いつ?誰が?何のために?」 逆に謎が深まった。

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加藤城乃助

源義経の正室のご実家 (2023/01/20 訪問)

川越城の後、東武東上線で二駅、霞ヶ関に向かいました。霞ヶ関駅から徒歩で約15分程、入間川のすぐ横にあります。
史跡公園として整備されています。横の常楽寺には河越重頼と源義経と重頼の娘で義経の正室の京姫の供養塔があります。

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肉球

庭園は外から眺めるだけです (2022/12/15 訪問)

旗本松平氏の陣屋跡で庭園が残されていますが
先に投稿されているtodo94さんも記されているとおり
立ち入り禁止でした。
陣屋時代からあったとされるカヤの木から眺めるだけです。
20年ほど前に訪れた会津武家屋敷に移築されている画像も
一緒に

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肉球

荒田館・青森県平川市 (2022/10/21 訪問)

築城に関することは不明のようで
小野井氏の居城のようです。
江戸時代は津軽藩の代官所が置かれたようで
今は住宅が建ち並んでいます。
住宅街の北の一角に小野井氏が創建した八幡宮だけが残されています。

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登城道、ありません (2023/01/22 訪問)

「城びと初投稿いただきます」(ぴーかるさん投稿からのぱくり)ですが、登城道はなく、急な斜面をクリアしても遺構はほとんどないので、皆さん、敬遠されてたのかも。
麓に福知山線に加古川線が接続する谷川駅があり、山深いですが、昔から交通の要衝であったと思われます。
東麓の長慶院の裏手斜面に久下氏の祖重光の五輪塔、時重の顕彰碑があり、そこまでは手入れされていますが、その上の斜面10mほどをすすきかき分け登ります(古城盛衰記さん指南)。鹿が通ったとおぼしき痕を行きました。すすきが終わると杉植林地で、下草はないですが、倒木や落ちた枝が直登を拒みます。
尾根まで登って、左手の緩い傾斜を行くと、二ノ丸、次いで、本丸です。本丸の向こうに馬場があって、本丸と馬場の間を画する浅い堀切が残っています。城域全体は、北東に口を開け気味にしたコの字型で馬場の先のコの字の先端が三の丸と。ほとんど自然地形のままで、急斜面を利用しただけの守りと見えます。
ちなみに久下氏は鎌倉時代からの名門。丹波守護代であったことも。

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肉球

17年ぶりでした (2022/10/21 訪問)

弘前藩主津軽信枚の次男信英によって築かれた陣屋跡です。
跡地は御幸公園となっていて石碑が建ち
わずかに空堀が残っています。
少し離れたところに国登録有形文化財に指定された
九戸家住宅が現存しています。
現在もお住まいのようで公開はされていません。
少し歩けば中町こみせ通りがあり
食事処や造り酒屋もありこちらの方が賑わっています。





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カズサン

徳川軍を二度も撃退した真田の名城、桜が良く似合う (2015/04/09 訪問)

 上田城へは五十数年前に夏季休暇直前東京出張の帰り上信越夜行で遠回りし上田城に初登城した思い出のある城郭です、その当時は西櫓が残ってるだけで何か寂しい感じでしたが、現在は整備が行き届き、東虎口櫓門の復元再建、移築されて居た北櫓と南櫓が再移築で元の場所に戻って復元整備され、南下の尼ヶ淵の公園整備と駐車場が完備して良く成り観光客で賑わって居ます。

 POYO58さんのお城クイズの答えは朝田辰兵衛さんにのまるさんご本人POYO58さんの既に投稿されていますので答えの必要は無いのですが、一応形式なので、答えは・・上田城南櫓下内空堀を本丸東虎口前土橋から南に眺めた水留の石垣です。
 上田城を登城された方は直ぐに判る遺構です。
 
 折角のPOYO58さんのクイズ投稿でしたので、久し振りに上田城の保存写真を眺めてみました、一応城郭放浪記さんの写真館も覘き、勿論城びとの上田城投稿も全て目を通しました、投稿者それぞれの個性が出て居り楽しく拝見しました。

 城には桜が良く似合うと常々思って居ますので、桜の時期に登城した写真を投稿します。

 POYO58さん、浜松城にお越しとか、浜松城天守閣は昨年末外観リニューアル完了して白壁、黒下見板、金具が綺麗に輝いています、また昨日22日から2月28日まで二の丸跡(元、元城小学校跡)で「どうする家康」浜松大河ドラマ館プレオープン中です、是非観て堪能してください。
 

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イオ

破却された近世城郭 (2023/01/07 訪問)

宇陀郡の有力国人・秋山氏が南北朝期より本城とした秋山城を前身とし、豊臣秀長の大和国入りに伴って秋山氏が退去した後は豊臣家配下の諸将が城主となって近世城郭に改修。大和郡山城、高取城とともに大和国支配の拠点となりました。関ケ原の戦いの後は福島高晴(福島正則の弟)が入って城下町を整備し松山城に名を改めましたが、大坂夏の陣で豊臣方に内通した嫌疑を受けて改易され、松山城も小堀遠州らによって破却されました。

今年の城始めは、一年の計に則って近場の続100名城から。道の駅の第2駐車場に車を駐め、千軒舎の脇を抜けて登城開始。登城道は舗装された広い道で、奥には10数台は駐められそうな駐車場も整備されていますが、なぜか車は通行止めになっています。登城口から10分あまりで春日神社からの大手道と合流し、切通状の道を進んだ先に巨大な横堀が横たわっていました。横堀は折れを伴って御加番曲輪の西辺をめぐっていて幅も高さもあり、堀底に立ってみるとよじ登ることもできないまま四方八方から撃たれ放題を実感します。新年早々のド迫力に気分を高揚させて先に進むと、南西虎口部(雀門跡)には石垣と石段が見られ、そこから左に折れてさらに右に曲がる連続枡形が続いています。枡形内の石垣もしっかり遺っていて、ここで早くもテンションMAX! 幸先の良い一年のスタートになりました。

御加番曲輪にちょっと寄り道(横堀を見下ろす)してから本丸へ。本丸には発掘調査により本丸御殿をはじめとする礎石建物が確認されており、南東部と西部に虎口を設け、周囲を多聞櫓で囲んでいたようです。南東虎口にはトラロープが張られて通行できなくなっていましたが、石垣と石段が確認できました。本丸からは四方に眺望が開け、大峰山をはじめとする周囲の山並みを見渡すことができます。本丸の東側一段上の天守郭には発掘調査により天守の存在が明らかになっており、北側の虎口には石垣積みの付櫓跡が見られます。天守郭はかつては総石垣だったようですが、破却され土や草に埋もれながらもあちこちに石垣が覗いています。最高所の天守郭からは城内がよく見渡せ、東下にはいくつかの曲輪群が連なっていますが、降りて行く道が見当たらないので直降して向かいました(続く)。
 

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POYO58

瞬殺でしたか… にのまるさん惜しいですね。

はい。朝田辰兵衛さんの言う通りです。正解は上田城でした。ちょっとカズさんから回答がなかったのが残念。でもにのまるさんにも回答を頂いたので嬉しかったです。瞬殺できなかった方、次頑張ってください。
別件ですが、またまた僕の質問コーナーです。100名城スタンプの件なのですが、スタンプはしばらくしたら消えるのかな?皆さんは攻城歴が長いと思うのでご存じであれば、なんかアドバイスをもらえませんか。スタンプが消えない方法というものはあるのでしょうか?それともそんな簡単には消えないのでしょうか?これから何十年もこのスタンプ帳を使うと思うのでスタンプが消えてしまっては困ります。アイデアをお待ちしています。

今日は雨ですが、3度目の小牧山城を攻城します。もちろんスタンプ目当てです。もう何回行くんだか。
来週も再攻城祭り。吉田城とカズさんのお城である浜松城に行って参ります。
これからも投稿頑張ります。ただ2月はテスト期間なので攻城は断念。

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にのまる

瞬殺間に合わず。

POYO58さんのクイズ。
手持ちの写真を探しているうちに出遅れました。

遅参!

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朝田 辰兵衛

三段の滝って,横に三段ってこと? (2022/12/17 訪問)

相模線沿線の第2弾は,磯部城。磯部城よりも気になったのは,三段の滝。どう見ても縦は2段。横に三段ってこと?
気になって,三段の滝のほうに,余計な時間を費やしてしまいました…。

POYO58さん,とても勇気ある出題です。
ここは信州。todo94さんのお膝元じゃないですかぁ!
真田勢が2度にわたり徳川勢を蹴散らしたあの名城。あえて答えは言わないでおきますネ。

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にのまる

2022年城納め (2022/12/31 訪問)

料亭菜香亭跡地に堀跡、建物跡などが平面復元され史跡公園として整備されていました。説明板も充実しています。大内氏館との間の駐車場でも調査報告を見ることができました。
ここから山口駅まで城下町散策しながら戻りました。観光地としての見どころも多いので、湯田温泉に一泊などしてゆっくり過ごしたいところです。(実家まで2時間弱なので18きっぷで帰りました。)

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