(武田神社HP)http://www.takedajinja.or.jp/
武田神社…甲府駅からバスで10分程度の場所にあり、ここにはかつて「躑躅ヶ崎館」という武田氏の居城がありました
本殿にて参拝…ある程度長い列ができており、二礼二拍手一礼のお参りこそ済ませたのですが、正面から本殿を撮ろうとすると人が写ってしまいよろしくない…と感じたので、人気のない角度から撮影してみました(画像1枚目)
お参りしてから授与所にて、まず御朱印を求めました。事前に調べたところ直書きは300円と安いがデザインがシンプルで寂しい…書き置きは500円と少し高めだが信玄のイラストが入っており何か惹きつけられる…😍
なので文句無しに後者を注文…立ち姿と座り姿があり、これも後者を選びました(2枚目)。立ち姿はちょっとナヨナヨしく見えるのに対し、座り姿はどっしり構えていて戦国武将のイメージに相応しかったからかな👹
ここはかつて武田氏の居城…ということで、(今は神社にも関わらず)何とここにも御城印の販売が…逃さずにそれを購入しました(3枚目左)今は「信玄公御神忌四百五十年」の限定版となっており、つまり没年が1573年なので(今年は2024年…2024-1573=451…リリースは2023年…ちょうど450年の時だが翌年4月まで販売と書いてあったので451年と計算上なってもセーフ)そう印字されてるわけです🧐
それから宝物館を見学。中は撮影が一切禁止になっているので、ガチで目に焼き付けるだけ…展示品の主なものは信玄の肖像画数枚…肌が浅黒く頭が禿げていて髭を生やしたもの(これは別人説あった気もする)、白い毛のフサフサした兜を被り赤い上着を羽織って目のギョロリとした肖像、武田二十四将の絵…
解説文を読んで一目瞭然なのは、どれも本人の死後に描かれたもの…特に武田二十四将は江戸時代中期だそうです…つまり没後150年後あたり?😅 「信玄のオッサンちょっとイカつく描いちゃえ😁 じゃあ山本勘助はこんな感じぃ?」という具合に、本人たちを見てもない人間が信玄およびその家来をイメージで描いただけ…だから描かれてる顔に信憑性はまるでなし
勝頼の肖像画は目が小さく細め…でも彼は(「どうする家康」でも描かれていたように)日々レスリングのような投げ合いを家臣たちとおこなっており、鍛錬を積んで武勇に長けていたそうです(肖像画および私の中のイメージとかなり違う😅) 彼の代に武田の領土は最大となり決して暗君ではなかった…けれど長篠の戦いから何かおかしくなり、その7年後に再び信長軍と戦うも家臣の裏切りにあい、天目山にて側室や息子と一緒に自害💀💀💀
その首級は京で晒された…とも(解説文に)ありました。他には甲冑、鎖帷子、法螺貝(当時の伝達手段)、武田女子の短刀(いざとなればこれで自害)
信玄年表を見る中で、信玄の長男義信(1538-67)が気になりました
(武田義信wikipedia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E7%94%B0%E7%BE%A9%E4%BF%A1
父がまだ十代の時に生まれた長男…有力大名の娘と結婚…戦で活躍となかなか腕は立つ…謀反の嫌疑をかけられ、最期は若くして自害…という点で、松平信康と運命似てます👼
ちなみに武田の家系は現代にまで残ってますが、それは信玄の次男(信親)の系統であることも館内の展示にありました。彼は盲目のため後継者から外されたのですが、返ってそれが塞翁が馬的な結果になったようです(後継者となった勝頼は妻子と共に自害して果てたので)
宝物館は16時で閉館。それからバスの時間まで武田の屋敷跡(4枚目)を見物。画像内の四角く黒ずんでいる場所に建物があったそうです。神社の敷地外にも当時は屋敷があり、堀で周りを囲んだ城でもあった
けれど武田家滅亡後から現在までの間にやがて屋敷は無くなり更地に…近年では宅地開発により史跡も幾分か削られつつあるそうです。ここは市民および武田氏愛好家(?)により保存されることとなった、せめてもの遺構なのでしょう…少し離れた場所に天守の土台のような石垣が見えて、そこに登ってる人もいたのですが時間に余裕が無かったので、バス停まで引き返し甲府駅に戻りました🚌
+ 続きを読む









