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肉球

田安陣屋・山梨県山梨市 (2022/03/01 訪問)

徳川吉宗の次男田安宗武によって1747年に陣屋が築かれた。
甲斐国領内の石高は三万石ほど明治まで田安領として存続した。
跡地は住宅が建ち並び一角に水上稲荷神社があり
案内板が建っています。

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肉球

清水陣屋・山梨県笛吹市.山梨市・桃畑と葡萄畑になってます (2022/03/01 訪問)

九代将軍徳川家重の次男清水重好が甲斐国の領地を治めるため
1763年から重好が亡くなるまで笛吹市内に陣屋を構えた。
跡地は山梨特産桃や葡萄の畑になって
稲荷神社が建っている場所に案内板があります。
1830年再び清水家の領地が甲斐国に設定され
今度は山梨市内の窪八幡神社付近に陣屋を築き
1856年まで存続したようです。
こちらも葡萄畑の脇に案内板があり2〜3段の石垣があります。

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カズサン

【石見・大森代官所】島根県大田市 世界遺産石見銀山 (2010/11/05 訪問)

 12年前の平成22年11月上旬、出雲・石見城廻り、観光地旅行の二日目、荒神谷遺跡、出雲大社を終えて国道9号線を西へ1時間半、大田市にある世界遺産石見銀山を訪ねる、始めに開設したばかりの石見銀山世界遺産センターを訪ね資料見学勉強、大森町の天領大森代官所、大森銀山重要伝統的建造物群保存地区を見学する。

 車は大森代官所から奥の銀山川沿い観光案内所と駐車場が有りここを利用

 鉱山である間歩はパスして伝統的建造物群の有る街道筋を見学、赤い瓦の石州瓦甍群、街道筋が古の趣で充満して居る、天領である石見銀山を治めてる大森代官所を見学、大森代官所の前にある土産物店が赤い石州瓦二階建て、赤い郵便ポスト、桜の紅葉と相まってほっこり、故郷の昔を思い出させるゆったりとした雰囲気でした。滞在は約1時間。

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肉球

一ツ橋陣屋・山梨県甲斐市.韮崎市 (2022/03/01 訪問)

徳川吉宗の四男一橋宗尹が十万石を賜り 
そのうちの三万石の領地が甲斐国にあり
1746年〜1753年まで甲斐市の住宅街に陣屋を構えた。
現在は畑の前に案内板があるのみで遺構はありません。
1753年からは韮崎市の商工会付近に移され、
領地換えとなる1794年まで存在した。
こちらも案内板があるのみです。

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肉球

整備進行中 (2022/03/01 訪問)

皆さんの投稿を見て整備が進んだ新府城へ10数年ぶりに行ってきました。
車を県道沿いの駐車場に止めお城北側の出構を眺めながら乾門枡形から入城。
桝形の土塁部分がきっちりと整備され歩きやすくなっていました。
その先には木橋が確認されたようで詳しい案内板が設置され大きな井戸も整備されていました。
井戸から二の丸へ向かう途中で早朝ということもあり獣の足跡が。たぶん鹿かと。
以前訪れた時には大きな木々が茂っていた丸馬出付近は綺麗さっぱり。富士山がよく見えます。
本丸では発掘調査中のようで案内板が増えることを期待してます。
しかし三の丸部分やシトミの構付近は薮状態で整備されていないようです。今後に期待です。



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赤い城

大東神社 (2022/02/26 訪問)

大東神社が陣屋跡で駐車場も隣接しています。
神社境内に陣屋の説明板が立っています。
遺構はほぼありませんが南側が池、西側が水生公園になっていて堀だったと思われます。
冬のこの時季は水が抜いてあり空堀っぽいですが当時は水堀だったのでしょう。
東側も僅かに窪んでいて堀の跡であるように思います。
築城年代は不明ですが久永重勝が築いたとされます。
明治維新で廃城となりました。
ここは緑が綺麗な時季の登城が良さそうです。

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カズサン

【出雲大社】島根県出雲市 遷宮御修造中でした (2010/11/05 訪問)

 出雲大社は故郷鳥取からも近く色々ご縁の有る所で、国鉄の中国地方周遊券を使って年末年始休暇に岡山城から山陽を廻り大晦日には萩城を訪ね、夜行で鳥取へ途中下車し早朝出雲大社へ元旦初詣50数年前の記憶が甦って来ます。結婚にあたっては母と妻と3人で結婚の挨拶参りとして出雲大社、出雲大社だけでは片参りに成ると美保神社も合わせて参ったものです。
 今回の城廻り旅行も定年退職のお礼のお参りの一つでした、訪ねた12年前の平成22年11月上旬は出雲大社が60年に1回の大遷宮御修造工事中で拝殿が御仮殿に成って居ました。
 
 車は大社の門前の駐車場を利用、他にも博物館など多く有ります。

 参拝を終わっての帰り門前通りのミュージアムに出雲大社、古代の大社(16丈48m)と現在の大社の模型が展示されて居り古代の大きさに驚愕、又数年前に神殿前で発掘出現した巨木三本束ね柱のレプリカが有りこれにもびっくり、これが9本有って神殿を支え高さ16丈48m、付階段が長さ1町109m有ったそうです、大柱の配置は宮司家の千家家に「金輪御造営差図」として伝蔵されてるそうです。 現在は半分の8丈24mとの事。古文書等によると約800年前は16丈48mの神殿が有り驚愕した旨の記述が有るそうで、これが復元再建されたらどんなに素晴らしい事か?さぞびっくりするでしょう!

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まゆ

山城好きさんいらっしゃぁい

3月6日 日曜日
14時より 愛知県 奥三河地域の
山城を語るオンラインイベントが行われます^ ^
オンラインなので、全国、全世界から見られます
良かったら、是非(●´ω`●)

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尼崎城(公式)

尼崎城三人衆からのホワイトデー

2月のバレンタインイベントに続き3月は「尼崎城三人衆からのホワイトデー」💙

来城者の皆さまに感謝を込めて森永製菓のハイチュウminiテトラを先着でお渡しいたします😊

※各日150個、無くなり次第終了です!

尼崎城三人衆と自由に写真を撮れるチャンスです!ぜひ尼崎城へ!

日時:令和4年3月12日(土)13日(日)

時間:13時/15時

場所:尼崎城3階

協力:森永製菓株式会社

お待ちしてまーす🥷

詳しくは尼崎城公式WEBへ↓
https://amagasaki-castle.jp/topics/2216/


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トク

花の壇から山頂の本丸へ (2020/11/19 訪問)

カズサンの投稿を見て、2年前に訪問した時、私も迷った末に登った事を思い出し、失礼とは思いましたが、その時の花の壇から先の様子を投稿させていただきます(その先はこんなふうになっていましたよという事で)。

私も花の壇の所で迷った末、写真のように見た目が意外とまっすぐで簡単に登れるではないかという気にだんだんなってきたので登る事にしました。しかし、少し行くと大きな堀切が! 渡れない! いったん降りてまた登る、なかなかまっすぐ進めない!(見事に尼子氏の罠にはまってしまいました! 私はたぶんここで打ち取られていたでしょう(笑))。
七曲りの木は伐採され階段も舗装されてよく整備されていました。途中には湧水がありました(これで1年半の籠城に耐える事ができたわけです)。しかし何せすごい急斜面! 体力のない私では途中から心臓がバクバク足はガクガク、結局休み休み登ったので20分どころか40分もかかってしまいました。さらに頂上三の丸に着くと30分動けず(笑)。しかし、ここからの景色は抜群でした。目の前の山には当時毛利元就の陣があったとの事。尼子義久はどんな気持ちで籠城して毎日ここから元就の陣を見ていたのでしょうか? 
三の丸からは二の丸さらに本丸へと比較的平坦になっています。本丸の神社は、尼子義久がたぶん最後に籠った場所ではないかと思います。また、神社の向こうは、断崖絶壁になっていて、背後から攻める事はまず無理です。登ってみて「日本一難攻不落の山城」と言われている理由がよく解りました。
「七難八苦」を体験したい方は、山頂まで行かれる事を是非オススメします(笑)。

[月山富田城へのアクセス]:JR山陰本線安来駅から、イエロー観光ループバス「月山入口」下車すぐ、または米子方面行「市立病院」下車徒歩10分

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岩崎城

岩崎城フィールドワーク

岩崎城の遺構や縄張りについて、学芸員が解説しながら案内するガイドツアーです。

発掘調査の話や、縄張図をもとに歩くなど、お城好き・マニアックな解説が聞きたい方向けです。

■日時
4月16日(土)  13:30~15:30
※雨天の場合は中止になります。

■講師 当館学芸員 内貴健太

■募集人数 先着10名

■参加費 200円(保険代として)

■申込期間 4月9日(土)から 9:00~17:00 月曜休館

■申込方法 当館までお電話にてお申し込みください。

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小荷駄

膳所城 (2022/03/03 訪問)

駐車場は向い側にありました。すぐそばにある生涯学習センターには銅板で作られた膳所城の模型がありますのでそれをじっくりと見てから散策してきました。遺構は少ないですが湖に架かる橋から当時を想像してきました。移築門は幾つかあるみたいですが膳所神社と地蔵さんの所だけしか見学していないのでまた行きたいと思います。また余談ですが膳所城跡の道沿いにある和菓子屋さんのイチゴ大福餅がおいしかったです。

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火ノ島豊後守正宗

勝瑞城 (2022/03/03 訪問)

続60城目。
一宮城跡から車で30分程度で勝瑞城址に到着。
めちゃくちゃ市街地にあります。
正直言うと、城址というイメージがあまりありません。
車は近くのローソンの駐車場に停めさせていただきました。

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火ノ島豊後守正宗

一宮城 (2022/03/03 訪問)

続59城目。
自動車で一宮城址にやってきました。
一宮城址近くの大日寺の駐車場を少し拝借しました。
ここが一番を分かりやすくて駐車もしやすいようです。
スタンプは登山口前にあります。
そして、一緒に無人の御城印販売もあります・・・・御城印販売が無人とは・・・
もちろん私はちゃんと300円支払って御城印を入手しました。
本丸まで登山口から20分程度です。山城としては大したことはないかな・・・
周囲の景観を望みながら食べたおにぎりがとても美味しかったです。

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案内板に描かれる重ならない2つの平面想像図

こんにちは。

躑躅ヶ崎歴史案内隊の甲冑案内人、Eこと上田絵馬之助です。

当隊は、山梨県甲府市にある躑躅ヶ崎館(史跡武田氏館/現・武田神社)の歴史案内活動を不定期に行う甲冑ボランティアガイド集団です。

自分で言うのは正直憚られますが、境内を普通に歩くだけでは見落としがちな史跡を、楽しくわかりやすく(しかも無料で)説明するので、案内した方々からは好評をいただいてます。

躑躅ヶ崎館のことや当隊のことを知ってもらいたく、オンラインで(もちろん無料で)ご紹介します。

躑躅ヶ崎館跡は武田信虎公・信玄公・勝頼公の三代にわたって武田氏の居館としてその興亡の歴史を見守ってきました。現在は敷地内に信玄公を祀る武田神社が創建され、神社を囲む土塁と堀に当時の面影を残しています。

境内の2箇所に設けられた案内板には、各曲輪配置平面想像図(縄張図)、東・中曲輪平面想像図(屋形図)の2つの平面想像図が解説文とともに描かれていて、戦国の頃の武田氏館の姿をしのばせてくれます。

ガイドにとってもこの案内板、境内の案内をする前に、何が残っていてどこを回るのかを説明するのにたいへん便利です。

…便利、なのですが…

ここで、2つの想像図をもう一度ご覧ください。

おわかりいただけたでしょうか。

これ、重なりません。

屋形図に「東・中曲輪」とわざわざ書いてあるのに、
縄張図に描かれる東・中曲輪には、天守とか石積みの仕切りとかが描いてあるので
肝心の屋形が収まるスペースがないんです。

実は…この縄張図と屋形図は、時代が違うのです。

屋形図は甲陽軍鑑を編んだ小幡景憲が描いたと伝えられる「信玄公屋形図」または「伝来の絵図」と称される古絵図をもとにしています。
信玄公がお住まいになっていた屋形として、描かれる施設は甲陽軍鑑など文献との一致も多く、また、永禄11年(1568)に建てられたといわれる毘沙門堂が描かれていることから、信玄公晩年の頃のものと考えられています。

ところが、信玄公逝去から時が流れた天正九年(1581)、勝頼公が本拠地を新府城(韮山市)に移した際に、躑躅ヶ崎の屋形は打ち壊されたと伝えられています。

一方の縄張図ですが、これは古絵図や発掘調査をもとに描かれています。
現在武田神社が所在する主郭部分が東曲輪と中曲輪に区切られてますが、この仕切りの石積みや天守台、西曲輪の南にある梅翁曲輪などは、天正10年(1582)の武田滅亡後に甲斐を支配した徳川、豊臣が作ったものと考えられています。

つまり、縄張図は武田家滅亡後の躑躅ヶ崎館の姿を描いたものです。

徳川、豊臣の両氏は甲斐に入国すると勝頼公が破壊した躑躅ヶ崎館跡に入り、改修・拡張を行って防御力を上げ、甲斐統治の拠点にふさわしく整備しました。
同時に、現在の甲府駅近くにより大規模な城郭として甲府城を築き、文禄3年(1596)頃に完成するとこれに移り、
以後、躑躅ヶ崎館は廃城として大正8年(1919)の武田神社の創建を待つことになります。

話を戻しますと、信玄公の屋形は東曲輪・中曲輪が仕切られる前の主郭部分にあったことになるので、
2つの図面を重ねるには、縄張図の東・中曲輪の天守やら仕切りやら灰色の部分を取っ払うのが正解です。

屋形図のとおり躑躅ヶ崎館は、甲斐国守護の屋形として主殿造の建物や渡り廊下、泉水を備えた庭があったと考えられています。
また、縄張図にある天守台や梅翁曲輪などは一部が現代にも残り、徳川・豊臣の当時の築城術が導入されたことがうかがえます。
平成の発掘調査で泉水や仕切りの石積みと思われる痕跡が発掘され、想像図の裏付けがされています。

ガイドを始めた頃、時代の違いに気づかないままうっかり案内板の説明を始め、途中で気がついて、

「重ならないっ! これ、重ならないよ! お客さんに指摘されたらどうしよう!?」

と内心アセりながらも平静を装ってなんとか説明したことも、今となってはいい思い出です。

当隊ガイドは日々研鑽し、最新の研究を織り込んだ案内をするよう心がけています。
活動は不定期ですがTwitter(https://twitter.com/KoufuSamurais)で告知しています。興味がありましたらご覧ください。(E)

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小城小次郎

天守風の建物には入れるのだ (2021/10/30 訪問)

復元建築と移築建築が集まった逆井城は、それ自体がひとつの博物館とも言えそうだ。恥ずかしながら天守風の建物には入れないものと勝手に思い込んでいたが、入れるどころか高欄を歩けたりもすることには正直驚いた。

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赤い城

今は畑を守る土塁 (2022/02/26 訪問)

県道76号線に案内板が立っています。
駐車場はなさそうだったので近くの宝珠寺の駐車場を拝借しました。
すぐ横に粕川が流れていて自然の堀になっています。
案内板から城跡に入っていくと畑になっていて周りを高い土塁が囲んでいました。
この畑が本丸、北側に虎口があります。
虎口は食違になっていて説明板が立っていました。
赤堀氏の居城で古河公方足利氏、上杉氏、北条氏に仕えましたが北条氏が滅びるとともに廃城となりました。
畑なので農耕車のタイヤ痕もありますが予想以上の高い土塁が素敵な城でした。

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刑部

浅間神社が城址 (2022/02/23 訪問)

神社の奥が土塁でしょうか?かなり盛り上がってました。隣にある川を、要害にしてたようです。

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朝田 辰兵衛

新潟城城下 湊町エリア (2022/02/27 訪問)

新潟城城下の信濃川河口付近を総称して「湊町エリア」。
1858(安政5)年,徳川幕府は,アメリカ,オランダ,イギリス,ロシア,フランスの5か国と修好通商条約を締結。そして,函館,横浜,新潟,神戸,長崎の5港を開港。
その開港5港の中で,運上所(税関庁舎)が現存・復元されているのは新潟のみ。新潟市歴史博物館(みなとぴあ)が併設されているので,新潟城散策を充実させたい方にうってつけだと思います。
また,徒歩圏内に北前船で繁栄を築いた小澤家住宅があるので,見学してみるのもいかがでしょう…?

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カズサン

【出雲・荒神谷遺跡】島根県出雲市 銅剣、銅矛の大量出土 (2010/11/05 訪問)

 昭和の終わり頃出雲の広域農道(出雲ロマンス街道)建設に伴う昭和58年遺跡調査で一片の土器発見から翌昭和59年大量の銅剣358本出土発見、翌60年銅剣発見近くで銅矛16本銅鐸6個を出土発見と全国ニュースで大きく報道されて居ました。
 何時か訪ねたいと思いつつ今回の城廻り企画に入れ込み12年前の平成22年11月上旬、荒神谷遺跡を訪ねました。

 住所:島根県出雲市斐川町神庭873ー8
 車は荒神谷遺跡の専用駐車場を利用。
 
 荒神谷博物館も見学、銅剣、銅矛の発掘出土現場を見学、レプリカが置かれ出土時状態で屋外展示場されて居ます、少し遠くからの見学観察です、博物館では近くから見学する事も出来ます、幸神谷遺跡レプリカ展示、幸神谷史跡公園として綺麗に整備され出雲の往時を体で感じ取る事も出来るかも? いい雰囲気の所です。やっと20数年振りに願いが叶いました。

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