築城時期等の詳細は不明ながら六角氏に仕えた永原氏が築いたとされ、永原城の詰の城として機能したと考えられます。六角氏が織田信長に敗れると永原氏は信長に従い、小堤城山城は廃城となったようです。
先達の皆さまの投稿で行ってみたいと思っていましたが、野洲市での出張!お城EXPOにあわせて登城しました。国道沿いの工場脇から林道に入り、ゲート前の空きスペースに車を駐めて登城開始。あちこちに設けられた案内表示に従って歩くこと十数分で曲輪コースと尾根コースの分岐に到着。分岐に立てられている小堤城山城跡案内図によれば、曲輪コースは山麓の曲輪群を中を進むようなので、迷わず曲輪コースへ。
山麓の曲輪群は、主郭北麓の谷筋を通る登城道の両脇に階段状に配されていて、曲輪を区画する石垣があちこちに見られます。各曲輪には案内図に付された番号の表示が立てられているので、案内図の写真を撮っておけば参照しながらめぐれるのが嬉しいところ(以下、案内図記載の曲輪番号で標示します)。登城道から右手の曲輪へ、次は左へ、また右へと曲輪群をめぐりつつ登って行くと曲輪12の切岸に突き当たります。切岸には石垣が設けられ、石垣沿いに東に回り込んでさらに登って行くと、またも突き当たる主郭13の切岸には今度は二段の石垣が! 主郭13の麓を西側に回り込むと西辺にも石垣が続き、その先から主郭13に至ります。主郭13には説明板が立てられ、城内最大の曲輪ですが最高所ではなく、南を山頂の尾根、東を中腹の尾根に守られています。曲輪群を配した尾根を大土塁に見立てた縄張は観音寺城を思わせます。やはり六角氏の城なんですね。
主郭の東側には中腹の曲輪群の間に設けられた巨大な堀切が見えるので、そちらから中腹の曲輪群に向かいます(続く)。
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