とがむれじょう

栂牟礼城

大分県佐伯市

別名 : 城山
旧国名 : 豊後

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西尾根堀切
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零汰

ムレムレ繋がり (2019/10/14 訪問)

津賀牟礼城・騎牟礼城と続いたのでムレムレ繋がりで栂牟礼城に寄り道。訪問したのは5年前です。

主郭の高さは標高223m、南北250m程度の範囲にⅠ~Ⅳの曲輪が配置されている細長い城跡です。尾根続きの南側と西の派生尾根に集中して連続堀切が施されています。西側にある小山田城の後に西側尾根から訪問しました。ですので南尾根の堀切は曲輪近くの1本を見たに過ぎません。こちら城跡は石混じりの尾根を彫り込んだ堀切が見所なのですが、それに対して少々土塁が少な目に感じました。

大分県には牟礼の付く城跡が多く意味を調べてみると古代朝鮮語で山を表すのだとか。牟礼の付く城跡は残り4か所、大分県も本格的に侵攻の際は行く予定です。次回も寄り道して、お隣の小山田城の投稿へ。

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しんちゃん

堀切もすごいが、山の斜面はものすごく滑る。防御力最強かも。 (2023/01/09 訪問)

栂牟礼城は佐伯氏の山城で、かつて主家の大友義鑑が謀反の疑いで
臼杵長景に命じ、2万の軍勢で囲み攻めるも落城させることはできなかった
と伝わります。
小田山城から続く道があって、幾重にもめぐらされた堀を渡って
二郭から北上し主郭にたどり着きます。
主郭北端から東に道が続き、その先も二重堀切などで防御してあります。
二郭南端からやや東寄りに南に通じる道があって、そこも堀切で防御してあります。
比較的小規模な城ですが三方の尾根筋を多重堀切でしっかりと防御してありますが
それだけではありません。
帰る際に元来た道を通り過ぎ、南側への通路に入ったのに気づき
ショートカットして元来た道へ移動しようとしたのですが
足元がひどく滑って止まりません。
登山用の靴とストックがまったく役に立たないので木の枝を伝って
猿のように引き返します。

大分にもいくつか活火山がありますが西に阿蘇山があります。
かつて高千穂峰に登った際に御鉢の斜面が滑るので閉口しましたが
この山も同じように火山灰や噴石で山の表層が形成されているのかもしれません。
たしかに、これでは山の側面から攻めるのは不可能です。
難攻不落の堅城の正体を身を以て知るはめになりました。
九州の山城は登山道のある城を選んで登りたいものです。


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昌官忠

九州遠征 (2019/10/10 訪問)

小田山城(城びと未登録)攻城時に駐車した小田山駐車場(32.965358、131.847020)に車を残し、徒歩で栂牟礼城がある北方向に進むが、休憩施設に栂牟礼城の方向標識があるのみで、道はなかった。
当初、調べた登城口(32.965754、131.856605)へ向かうには、17:00を過ぎた時間を考えると断念せざるを得なかった。以上より攻城時間は記載しません。
堀切、畝状竪堀が見たかったのに残念でした。

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怪鳥松にうそぶいて (2019/02/28 訪問)

 佐伯惟治が大友義鑑から謀反の嫌疑をかけられ2万大軍を送られたが落ちなかったとされる難攻不落の城です。城域には堀切や竪堀を認めていますが、二の丸から小山田城方面に向かうとみられる連続堀切が一番の見所です。
山村広場まで車で行こうとしましたが全面通行止めとなっていた。結局、古市の登城路左谷コースより登城しました。小雨が降っていて足元も悪かったのですが何とか本丸へ辿り着きました。それなりの山道ですがまあまあ整備されていました。途中、奇妙な鳴き声が聞こえて来て気味が悪かったのですが、本丸に「栂城訪古歌」の看板があり「怪鳥 松にうそぶいて声咄々松蔭の苔蘚 孤跡をしるす、、」とありました。あれは鳥の声であったのかと思いほっとしました。帰りは小山田城を経由して下山しました。二ノ丸からは急峻な坂道となっています。道がわかりにくかったのですがトラロープ(一部黒ロープ)を目安に下りればいいかと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 佐伯惟治
築城年 大永年間(1521〜1528)
主な城主 佐伯氏
廃城年 文禄2年(1593)
遺構 曲輪、土塁、堀切、堅堀
指定文化財 市史跡(栂牟礼城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 大分県佐伯市稲垣
問い合わせ先 佐伯市役所
問い合わせ先電話番号 0972-22-3111