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カズサン

庵原山城初探訪 (2022/02/24 訪問)

 城びと登録で未踏の城で県外の方々が探訪投稿されてるのに県内の私が訪ねて無いとは申し訳ないと、武漢コロナウイルスオミクロン株感染拡大で静岡県も蔓延防止規制措置中、再延長3月上旬まで? 県境を越えての城廻りは自粛中、未踏の庵原山城を探訪に出掛けました。
 庵原山城の上を通ってる新東名と東名の清水連絡路は何回か通りこの下が庵原山城との体験はしてるのですが下からの探訪は初めて、浜松から国道1号線バイパスを使い道の駅で休憩し静清バイパスを抜けるのに時間が掛り地道を90kmほどを約3時間で目的の場所に到着。
 目的の場所は古城盛衰記さん案内に駐車スペースと有る所(35°03'03.8"N 138°29'09.6"E)で山切川をしろやま橋を渡ってふるさと農道に入った所で大乗寺北の石垣沿い辺りです。

 路駐した処から大乗寺北側の石垣下に朽ち果てた庵原山城の案内板が斜めに置かれて居ました、清水連絡路架橋下に庵原山城が南東に向かって、三の丸二ノ丸先端が本丸と連郭式、登れる所を探すが高速道NEXCO中日本管理フェンスで囲まれて入れない、保全管理用の階段が有る、ぐるっと待って山切川沿いの高速道管理で無い階段が上まで通ってるが階段まで枯れ草が茂って居り、階段上部は矢竹の竹笹が茂って居り、藪漕ぎしてまで登る元気も無く断念、遠望と望遠レンズで撮影のみ。
 古城盛衰記さんのガイドで北側のルート、山切川しろやま橋から北にもう一本の橋が有りそれを渡り北から南に登る道から攻めるほうが行き易いと記載されて居ましたので念のため。

 ふるさと農道を北方向に登り途中途中に庵原山城を遠望、三池平古墳に登り庵原山城を遠望する、同古墳も探訪しました、墳丘68m、三段墳丘の前方後円墳で清水港を見下ろしています、サッカーの清水ナショナルトレーニングセンターJに隣接しています。三池平古墳には駐車場とトイレ完備。トレーニングセンターにも駐車可能です。

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にのまる

36見附めぐり㉚~西の丸大手門(皇居正門)~

正門石橋の左手に見えるのが皇居正門、かつての西の丸大手門です。
タイミングが合えば皇宮護衛官の正門儀仗交代式が見られます。かっこいいです!
大手門→正門と大きくその役割を変えていない、どこよりも頑丈で厳重な現役の門です。

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ぎりょう

仙台藩二十一要害(その八) 平澤村要害 (2022/02/20 訪問)

二十一要害八か所目は平澤要害。この地は古くから交通の要衝として戦国時代から重要視され城館が築かれていたのだが、築城年代や築城者は不明とのこと。慶長7年(1602)、伊達家家臣高野光兼が平澤領主となり家中屋敷が整備され、高野家(永代着座二番座1,650石)の要害屋敷として続いた。明治維新後は役割を終え放置されたが、大正期に珪藻土の採種場となり、その遺構はすべて失われてしまったという。(現地説明板の解説による)
現在城址は平沢地区公民館とグランドとなっている。貞享4年の刈田郡平澤村要害屋敷惣絵図(宮城県図書館所蔵)には南北に並ぶ二つの曲輪、北側はL字型で 一 居所 の記載、南側から登る大手道を受けた虎口、門が見える。南側は東西に長い方形で南側中央には南に降りる虎口が見え、その先は広い水堀が描かれている。その先、南側には家中屋敷が続き館下町が続く。周辺には寺屋敷や百姓屋敷は見えるが町屋敷は見られない。
城址最高所の公民館駐車場まで車で登ることが可能で、途中の街並みにかつての家中屋敷の成り立ちがイメージできる。

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ぎりょう

仙台藩二十一要害を訪ねて(その七)坂本要害 (2022/02/19 訪問)

谷地小屋要害、新地城を訪問後に国道6号線を北上して宮城県亘理郡山元町へ。道路右側JR坂元駅前に隣接する農水産物直売所「やまもと夢いちごの郷」を見つけて休憩する。この日も特産のいちごや地場産フルーツのスイーツを求める人たちで賑わっており、私もいちごとジャムを買い求め坂本要害にいざ出陣。ここは元亀3年(1572)に亘理氏家臣の坂本三河によって築城されたが、伊達政宗が元和2年(1616)に大條宗綱に知行地として与えると大條氏(御一家4,000石)の要害屋敷として明治維新まで続いた。
貞享4年の亘理郡坂本要害屋敷絵図(宮城県図書館蔵)を見ると、最高所(現在は坂元神社が鎮座)を 一居所(本丸)とし、北に一段低い二下中屋敷(二ノ丸 現小学校敷地)、さらに北に水掘で隔てた下中屋敷の曲輪(三ノ丸)が続く縄張。東側は広い沼地を天然の堀とし、西側は大規模な堀切で遮断している。三ノ丸を囲繞する下中屋敷とその東側の街道に沿って町屋敷が続く。
城址にある説明看板にはかつての要害屋敷絵図と現在の航空写真を並べて表示しているが往時の街並みがほとんどそのままに残されているのは驚きだ。もちろん今風の住宅建物や店舗ではあるのだが。また三ノ丸の虎口に有った大手門や板倉、茶室が現存していることも訪問者を楽しませてくれる。
JR坂元駅から徒歩15分(1.2km)、山元南スマートICから車で4分(2.4km)、三ノ丸跡と坂元神社に駐車場あり

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赤い城

城域は広いが・・・ (2022/02/20 訪問)

太鼓森への案内板があるもののそれに従って進んでも駐車場がなく引き返し、県道沿いの広いスペースに路駐しました。
太鼓森の説明板手前に堀切があります。
道を進んで行くと主郭部にあたる妙見社に着きます。
結構な雨で少し霞んだ感じでした。
妙見社のある郭には岩盤を削った切岸があり、堀切状になった部分がありました。
背後の土塁上を登ると切通状の動線があり、物見台と思われる郭も。
縄張図を見ると城域はかなり広いですが詳細は不明です。
次の予定もあったのでここで撤退しました。
庁南武田氏の城ですが小田原平定により廃城となりました。

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朝田 辰兵衛

火薬庫跡を散策できる旧道は通行止め! (2022/02/13 訪問)

3連休の最終日。「江戸東京博物館」に向かう前にどこへ行こうかと考えて,久留里城へと。千葉駅前から高速バス(カピーナ号)を利用。ホントは外房線を巡りたかったが,次のお楽しみで…。
昨年からコロナ閉城に巡り合わせていますが,今回も久留里城址資料館はコロナ閉城。重ねて,火薬庫跡を散策できる旧道は通行止めという不運…。
散策中に雨足が強くなり,帰りに寄ろうと思っていた千葉城は断念しました。
しかしながら,別名の「雨城」はしっかりと記憶に刻まれました。

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小城小次郎

登るのはキツイが実にいい。 (2021/10/24 訪問)

明智光秀に従った時期もあった須知氏だったが去就定まらぬ丹波国衆の一人としていつしか粛清の対象となり、主のいない須知城には高石垣と枡形虎口が設けられ、いわゆる織豊系のお城に生まれ変わった。登るのはキツイが実にいい。

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勝龍寺城

YouTubeで勝龍寺城の動画を発信!

勝龍寺城や、お城にゆかりのある明智光秀・細川ガラシャの魅力を、長岡京市ガラシャ祭公式チャンネルにて発信しています。

YouTubeでは、
・城郭考古学者(奈良大学)・千田嘉博教授「近世城郭の原点 勝龍寺城」
・ブラタモリで活躍!京都高低差崖会崖長の梅林秀行氏「長岡京市の歩き方」
・『麒麟がくる』の時代考証をされた小和田哲男氏監修「細川ガラシャ(明智たま)の物語」
など、豪華メンバーによる勝龍寺城の動画が盛りだくさん。ぜひご覧ください。

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カズサン

大給松平氏陣屋幕末に龍岡城五稜郭に移る (2010/10/04 訪問)

 平成22年10月上旬、故郷鳥取からの帰り東名高速が事故渋滞で2~3時間掛かる表示が出ていましたので、急遽湾岸道から東海環状道の豊田東ICで降り、先月訪ねた龍岡城五稜郭の大給松平氏の本拠地、奥殿陣屋に寄る事にしました、元々佐久の龍岡城の後には訪ねたいと思って居りましたので良いチャンスでした、帰路は国道301号線で松平氏の本拠地から作手新城へ出るルートを使い国道257号線で浜松へ。
 大給松平奥殿藩は三河に4000石、信州佐久に12000石有り、幕末に願い出て信州佐久の田野口に龍岡城を築く。現在の奥殿陣屋建物は明治に払い下げられた龍渓院の庫裏を昭和59年現在に地に移築復元した。

 訪ねた日が丁度月曜日で陣屋の見学は休館日、周囲を廻り、覗きで終了、その後12年経ちますがまだ再訪して居ません。
 投稿写真の説明は省きます。

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イオ

大向出城(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅崎) (2022/02/06 訪問)

# 大向出城(城びと未登録)は安宅本城の出城と考えられるため、安宅本城で投稿します。

大向出城は日置川河口部南岸の海に突き出した岬に位置する河口部や海上を見張るための出城で、築城者や時期など詳細は不明ながら、安宅氏の支城群のひとつとして機能したと考えられます。

県道沿いの展望所に駐車して登城開始。展望所から県道を南西に進むと、すぐに日置川河口部と大向出城のある岬が見えてきます。県道が切通道状に岬を横切るあたりに登城口があり、案内標識と説明板が建てられていました。登城口から案内標識に従って10分ほど歩くと、最大の(というか唯一の)見どころである二重堀切に至ります。二重堀切は深さも幅もあり、外側の堀切の内側には安宅氏の城の特徴である石積みが施され、竪堀状になった北端まで石積みが続いています。やや浅くなった内側の堀切を越えた先のピークに主郭が設けられていますが、削平は甘くほぼ自然地形です。現状では主郭周辺は雑木林になっていて河口部や海上は見えないので、見張台らしい場所を求めて尾根の先へ少し探索してみましたが、眺望の開けた場所は見付けられませんでした。

…ということで、安宅氏城館群をひと通りめぐってみましたが、紀伊半島南部の訪れにくい場所ではあるものの、八幡山城や安宅勝山城をはじめそれぞれに見応えのある城ですので、ぜひ一日かけてめぐってみて下さい。
 

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小城小次郎

銅門番所は櫓か番所か (2021/10/24 訪問)

本丸に残る「銅門番所」は昭和の本では「銅門続櫓」だった。形状を見る限り確かに番所。櫓と番所を厳密に区分する必要はないと思いつつ全国の「現存櫓」を数える人にはやっかいな存在だろう(笑)。

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ばばよ

防衛機構を備えた居館 (2021/11/28 訪問)

アップダウンはそれほどないですが、空堀や土塁は発達しており、防衛機構を備えた居館といった感じです。

駐車場はややわかりづらく、一度通り過ぎてしまいました。

続100名城スタンプを、10も20も押してるおじさんに待たされました。マナーというかルール違反でしょうね...。

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カズサン

平成22年復元二階建釣鐘門を初探訪 (2010/10/01 訪問)

 平成22年10月上旬、前年に復元された二階建釣鐘門を早く観察見学と、丁度郷里鳥取檀家寺での遠忌法要に合わせて舞鶴若狭道道経由福知山城に寄りました。
 時期的には秋の彼岸過ぎ、彼岸花が福知山城の土塁上に真っ赤に咲いて居ました、釣鐘門は二階建て本丸の東側端の登城口の門として守って居ます、復元は門と左右の続土塀で平成21年1月竣工完成しています。
 本丸の天守閣周りを眺め、今回初めて二の丸側より本丸の西面の石垣石塁を眺める。

 やっと復元釣鐘門を観察見学出来て満足です、往路鳥取へは久し振りに国道9号線を走行、久しぶりに見る景色に感激でした。

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赤い城

南方山十三館の仕置で。 (2022/02/13 訪問)

久しぶりに再訪、説明板の前のスペースに駐車しました。
畑の中を進んで行きます。
雨が強くなってきたので駆け足で、と思ってましたが深い堀底道を見るとそういう訳にもいきません。
まずはナカジョウの堀底が待っていました。
さらに進み、ウチミジョウ手前にも堀があります。
ウチミジョウには坂虎口のようになっていて主郭は畑。
土塁も残っていました。
この先は結構な藪で雨もあったので撤退。
ウチミジョウ西側にも曲輪があり、堀が囲んでいます。
倒木もあるので注意が必要ですね。
ここの城主、小高氏も佐竹氏に太田城へ呼び出され殺されてしまいました。
確かに攻め落とすよりは手っ取り早い。

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北風の又三郎

フォロワー24人達成!

フォロワーが24人を達成しました。フォローしてくれている方に感謝です。🙇‍♂️
特にPOYO58さんやカズサン、ヒロケンさん、朝田辰兵衛さん、モトさんの投稿はよくみてます。

まだフォローしてないよていう方はフォローしてください。
今はコロナ禍で城に行くことが難しいですが、皆さん話の投稿や、お城の本(最近は黒牢城など)を読んでいます。

また、ゆっくりと投稿するので、もしよければ見てください。

追記
POYO58さん、誤字からの誤字すいません。しかし、北里の又三郎ではなく、北風の又三郎ですよ。

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tsuchinari

雪化粧の岩村城 (2021/12/19 訪問)

岩村城には3回目の登城になる。
1回目は2015年10月、2回目は2019年8月。秋、夏ときて今回は冬。季節が変われば城はすべて違った顔を見せてくれる。今回は雪で真っ白となった岩村城を堪能。この冬がもたらす雪の世界が、女城主の悲劇をより強く連想させる。今回も岩村城とその城下町、麓に広がる日本一の農村風景もしっかりと楽しむことができた。
また次はいつになるだろうか?笑

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tsuchinari

気になる天守の未来 (2021/12/19 訪問)

岐阜県大垣市の大垣城。
現在、鉄筋コンクリートで再建された天守が建っていて城の縄張りだったり、石垣などの遺構はあまり見られない。だがこの大垣城の天守は戦前までは現存天守であった。たしか戦前は国宝だったかな…それを空爆で消失。鉄筋コンクリートで再建されて今現在に至る。
比較的小ぶりではあるが、近世城郭の天守の作りをよく取り入れた綺麗な天守だった。
この天守も建て替えが必要な時期にきている。「復元的整備」の名の下、天守の修復、再建のハードルが下がったのは間違いないが、2年近く前に文化庁からこの発表があって以降、今のところ再建に至った例はまだひとつもない。
その動きの先頭に立つ香川県の高松城が、天守再建を実現させれば、大垣城を含めた日本中の再建が必要な天守に大きな影響を及ぼすだろう。

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tsuchinari

淡路島の近世城郭 (2021/10/30 訪問)

淡路島を満喫する旅の一つとして初めて訪れた洲本城。続日本100名城に数えられているけど、鉄筋コンクリートで再建された、しかも模擬の天守の印象があったので、どうだろうっと、期待値は低めだった。しかし登ってみると(車でだけど笑笑)立派な石垣が張り巡らされていて、見応え十分でしっかりと楽しめた。その石垣と山頂の本丸から見下ろす淡路島の風景はとてもよい眺めだった。今度はもっとゆっくりと時間をかけて石垣を堪能したいと思う。

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イオ

古武之森城(和歌山県西牟婁郡白浜町安宅) (2022/02/06 訪問)

古武之森城(城びと未登録)は、すさみ町境近くの古武之森と呼ばれる山の頂部に位置し、江戸期の軍記物「安宅一乱記」によれば、戦国中期の安宅氏の跡目争いにおいて阿波国から来援した小笠原右近太夫が守備した城とされますが、詳細は不明です。

安宅勝山城から五重堀切を越えて登城開始。下調べによれば尾根伝いに東から南東方向に行けば問題ない…はずでしたが、途中のピークでシダの藪に入り込んで方向感覚を失い、スマホの地形図アプリのお世話になって何とかたどり着きました。ただ、正しいルートには藪は無いので、藪に入りそうになったら立ち止まって確認すれば道に迷う心配はないかと思います。

安宅勝山城に続く北西尾根の主郭から少し離れた位置に堀切があります。堀切を越えて急斜面を登って行くと堀底を歩いているような感覚になり、見渡すと隣にも竪堀が並んで落ちていました。東端の竪堀は上端で横堀状になっていて、ずいぶん浅くなっていますが畝状空堀群のようです。続いて二条の堀切があり、さらに主郭の北下には石積みが施された腰曲輪も設けられていて、北西尾根方向への厳重な警戒ぶりが窺えます。主郭には巨岩が露頭している…ようですが、シダの藪に沈んでいて足を踏み入れられませんでした。主郭の南西下にも小さな曲輪があり、東側斜面に竪堀を落としています。小曲輪の先は南西方向に緩やかな尾根が続いており、途中の平坦地には投石用と思しき丸みのある礫石が散乱していました。

古武之森城は、北西側(安宅勝山城側)に防御施設を集中させる一方で南西尾根は緩斜面ながらも防御施設はほとんど見られず、安宅勝山城でも東尾根(古武之森城側)に五重堀切を設けるなど互いに警戒しあう造りになっていることから、安宅氏の内紛によるものか隣接する周参見氏によるものかはわかりませんが、安宅勝山城と対立する勢力による城であることを現地に立ってみて納得しました。
 

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todo94

神保原 (2022/01/02 訪問)

上武国境の城で最寄り駅は高崎線・神保原駅です。新町駅の隣駅で高校時代から強く認識していた駅でした。その駅の近くにこんな城があったんですね。城址碑の前には小さな金窪城址公園がありました。この日の攻城の締めとなりました。

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