つねやまじょう

常山城

岡山県玉野市


旧国名 : 備前

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登城口
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赤い城

児島湾を見下ろす天然の要害 (2024/11/04 訪問)

登城口の案内板は常山駅から徒歩で数分、舗装された登城路がついています。
車で山頂部まで行けるとのことですが途中の墓地に車を置き、近くの登城口から歩きました。
杖も置いてあります。

ここから山頂部までは40分くらいでしょうか。
途中に底無し井戸があります。
確かにおどろおどろしい😒

さらに登っていくと惣門丸から曲輪が段になって連なります。
山頂部が主郭、その下の兵庫丸には石垣も残ります。
主郭には城主の上野隆徳が切腹したと云われる岩があり、顕彰碑も立っていました。
主郭からは瀬戸内海を望むことができます。
この日も晴れていて眺望もよかったです😃

北二の丸から下山、ここには女軍を弔う石碑が建っています。
上野隆徳の妻、鶴姫が女性軍率いて戦ったと云われています。

途中石垣も見ながら下山、駐車場の先には栂尾丸、ここからの眺望もよかったです。
帰りは舗装された道を降りていきます。
イノシシにも出会いましたが千人岩を経て無事に下山。

この日は山城4本、心地よい疲労感とともに帰陣しました。

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しんちゃん

城主以下壮絶に散る。女軍も全滅。ご冥福を祈ります。 (2022/12/30 訪問)

常山城は標高307mの常山の山頂一帯に築かれており
城址近くまで車で行くことが出来ます。
天正3年(1575)6月7日、城主上野肥前守隆徳の守る常山城を
毛利・小早川の大軍が攻め、城主と妻鶴姫は自害、34人の侍女衆も壮絶に
戦いを挑み討ち取られてしますいます。(常山合戦)
常山城は主郭から北とやや北寄りに東の二方向に郭が伸びています。
いわゆるレの字の形をしているのですが
駐車場は北の郭側、青木丸の北に位置していますので
すぐに城址を堪能することが出来ます。
北三の丸にはトイレがあって、二の丸には壮絶な最期を遂げた
女軍の碑と墓群があります。
本丸からの眺望は素晴らしく、遠く瀬戸内海を見渡すことができます。
東の郭群を確認した後、駐車場に戻る途中で侍女頭が身をなげたという
底無井戸を見たのですが、おどろおどろしいオーラが出ていて
呪われるといやなので写真は撮っていません。ぜひ訪問してご覧になってください。
この城郭は二方向に郭が伸びているのですが、両郭群の連携は難しそうだと感じました。
大軍相手だと持ちこたえるのは難しいでしょう。
城内の士気が高いだけにいささか残念な気持ちになります。




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児島半島が、島だった頃 (2020/03/29 訪問)

本郭近くまで車で行けるが、敢えて自力登城してみました。縄張りや歴史の説明板は、駐車場にあり、自力登城すると経路に説明板はありません。
説明板がアップされていなかったので投稿します。
空気が澄んでいて四国が近くに見えました。江戸初期まで児島半島は、島でした。戦国時代は、児島を四国勢が狙ってたと記述を見ますが、なんで瀬戸内海を渡って攻めてくるのかと腑に落ちなかっです。地図を見ると、高松→児島と児島→岡山の陸地の距離は、同じ位だったのですね。四国勢が攻めてくるのも分かりました。

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マイリバ

通行止め解除されてます (2019/02/02 訪問)

2019年2月2日にリア攻めしてきました。
2011年から続いていた通行止めは解除されています。
パッソクラスならば通行には支障ないものの、すれ違い箇所は限られています。
大きな台風が来るとまたいつ通行止めになるかわかりませんので、リア攻め派の方には今がチャンスです。

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 上野氏
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な城主 上野氏、戸川秀安、伊岐真利
廃城年 慶長8年(1603)
遺構 曲輪、石垣、横堀(空堀)、井戸
指定文化財 市史跡(常山城跡)
再建造物 石碑
住所 岡山県玉野市宇藤木/岡山市南区
問い合わせ先 玉野市観光協会
問い合わせ先電話番号 0863-21-3486