つちやまじょう

土山城

滋賀県甲賀市

別名 : 土山氏砦
旧国名 : 近江

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①Ⅰ曲輪
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)17日目:土山城 (2024/10/08 訪問)

近江土山バスから徒歩5分ちょっとで、城址碑前(34.938892、136.286686)に着きました。城址碑の左の通路より攻城、奥に説明板が見えます。

築城年代は定かではないようですが、文明年間(1469年〜1487年)に土山盛忠によって築かれたと云われています。
土山氏は音羽野城主・頓宮四方介利盛の二男、土山鹿之助盛忠を祖とする甲賀の名門でした。
土山左近太夫盛綱が城主の1582年(天正10年)、織田信長の家臣である滝川一益によって攻められ落城しました。
その後、「小牧・長久手の戦い」の際に羽柴秀吉がこの城を改修して在城したという説もあります。

城址には土塁や堀切、虎口などの遺構が良好な状態で残っています。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=佐治城を目指す為、近江土山バス停から甲賀コミュニティバスで小佐治公民館バス停に向かいました。

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しんちゃん

甲賀流+織豊流築城術の土の名城 (2023/06/26 訪問)

土山城は土山氏の居城だったと伝わります。
後に羽柴秀吉によって小牧・長久手合戦の際に使用されたらしく
登城してすぐに土塁を設けた馬出しにたどり着きます。
南にも郭があり、北上すれば郭Ⅲ、土橋を経て郭Ⅱ
郭Ⅱは角馬出状虎口空間と立札に書かれており、周囲を土塁で囲われ
枡形の役目もはたしているようです。
そのまま土橋をわたり主郭に至りますが周囲を土塁で囲まれているだけでなく
その周囲も土塁で囲まれ、いわゆる二重土塁になっており、その間を堀切が渡ります。
北東部にも堀切が切ってあり、物見のようになっています。
明らかに他の城郭とは構造が異なっており、甲賀流築城術を織田・羽柴流で
スケールアップしたようなイメージです。
この日は最初の訪城で目覚めの刺激にちょうど良い名城でしたが
いかんせん入口の雑草が育ち過ぎで登城道が全く見えません。
もったいないので地元の篤志家が草を刈ってくれると有り難いのですが。

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ぴーかる

土山城 (2022/03/05 訪問)

【土山城】
<駐車場他>あいの丘文化公園駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>曲輪・土塁・堀切・横堀・虎口
<感想>「第13回 日本100名城、続日本100名城に負けない名城」の土山城に行ってきました。登城口の民家脇から森に入った所から既に城跡になっているので、山を登る苦労はありません。城跡は南北に連なる連郭式の曲輪を軸として主郭のすぐ北に2重堀切、主郭は深い堀で取り巻いています。主郭のすぐ南の曲輪Ⅱは堀で囲んだ馬出し、城跡の入口の曲輪Ⅴは枡形の虎口も堀で囲まれており特徴的です。秀吉によって改変されているかもしれないとはいえ、主郭の高土塁と高切岸や山の塁線に添った竪堀等甲賀地方の特徴ある遺構はそのまま残っています。縄張り図には無いですが、主郭から2重堀切の北側の茶畑辺りまでが城跡で広い曲輪、横堀、池の傍には馬洗い場のような窪地があります。見落としなく巡って下さい。

<満足度>◆◆◆

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るるパパ

2つの馬出しが凄いです! (2021/09/19 訪問)

甲賀市役所、土山支所に車を停めさせてもらい、徒歩5分で登城口、そこから10分で本丸です。娘と行きましたが高低差はあまりなく楽チンでした。地図のⅡとⅤが馬出しです。正面に出入口があり、武田や北条の城の馬出しとは違いますが、防御力は抜群。秀吉が小牧・長久手の戦いで名古屋方面に移動する際の宿所となり、その際、改修されたようです。土塁の高さも3メートルほどあり立派。土橋もきれいに残っています。本丸裏の堀切も深い。保存状態はとてもよく、感動できる名城です!

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 土山盛忠
築城年 文明年間(1469〜1487)
主な改修者 羽柴秀吉
主な城主 土山氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、土橋、馬出し
再建造物 石碑、説明板
住所 滋賀県甲賀市土山町北土山