石垣が良く残っている
(2011/04/09 訪問)
瀬戸内海を見下ろす山稜に築かれて居る下津井城は慶長のはじめ宇喜多秀家によって築かれたが関ヶ原後小早川秀秋の治める所と成ったが3年で改易、慶長8年(1603年)池田輝政の息子忠継28万石が岡山藩に入封、支城の下津井城は輝政の弟池田長政3万2千石が城主として一大整備が成され、城は慶長11年に現在の遺構に見るような本格的な形態を整えるに至る。後、池田由之、荒尾但馬、池田由成の歴代城主を経て一国一城令のため寛永16年(1639年)廃城と成る。
雲を突き抜ける様な利神城を築城し、余りにも凄い城郭ゆえ幕府のお咎めを恐れた輝政より三層天守閣破却を受けた池田由之が下津井城城主でもあったのですね、息子の池田由成が最後の城主、廃城後由成は近くの倉敷市藤戸町に岡山藩家老とし天城陣屋を構え移った。(案内板抜粋、一部加筆)
廃城後の石垣も良く残って居ましたので探訪時の残存石垣を中心に、①本丸西前石垣塁、木々が多く全体写真が良く撮れませんでしたので南側部石垣、➁二の丸北側の石塁石垣、上に多聞櫓でも在ったのでは?と思わせる幅、③三の丸南下の石垣、④二の丸南下出隅石垣、⑤二の丸南下の西側石垣と桜、⑥三の丸二の丸南面石垣を土留止石垣、⑦三の丸東面石垣、黄色い花と、⑧中の丸跡内部と桜、前の投稿で抜けて居たので、⑨三の丸東面石垣と帯曲輪手前石段、➉西の丸虎口自然石の大岩活用。
まだまだ有るのですが10枚に絞って投稿します。
景観整備、石垣の修復が進んでより良く整備保全され多くの方に訪ねて頂きたい城跡です、景色眺望も素晴らしい。
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