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桜の名所 (2023/01/19 訪問)

三方を小野川に囲まれ天然の堀となり、背後は羽黒山が守る要害となる地にあります。土塁、石積み、井戸、石積みされた排水溝等を見ることができます。よく整備され概ね歩きやすかった。山荘へ降りて行く手前に堀もしくは堀切かと思われるような地形がありましたが、当時のものか否かわかりません。春は桜がきれいだそうです。桜も見たいのですが、城跡を見るときは花見のシーズンを避けています。

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赤い城

細尾根に堀切、そして畝状竪堀 (2023/01/04 訪問)

浄福寺の駐車場に停めさせて頂き登城。
墓地の中の白山神社裏手から登って行きます。
少し登ると観音堂があります。
ここからが大変、尾根道を登って行きます。
前回もそうでしたが落ち葉で滑る。
途中に落ちる竪堀を見ながら登ると山頂部には小さな祠があり、これが主郭。
登ってきたものを含め4本の尾根に展開されていますが今回も東の尾根に進んで行きました。
途中、尾根上には深い堀切があり、先端部には南関東では稀な畝状竪堀もありました。
他の尾根もチャレンジしたかったですが藪っぽく時間もなかったので撤退しました。
東京にも味のある山城がありますよ。
ただし体力は必要ですかね。

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カズサン

加藤忠広公配流の地・出羽丸岡城跡 (2018/04/16 訪問)

 朝田辰兵衛さんがtodo94さんへ「この城はどこ?」と瞬殺希望の1月16日投稿(1月14日訪問)と成って居ましたが、todo94さん、にのまるさんも夫々反応が1回有りましたので、皆さんで投稿交流もいいのかな?と割り込んだ形ですが推定回答いたします。

 投稿写真は出羽丸岡城の北側水堀を西から俯瞰した写真と推定します。

 この出羽丸岡城へは5年前の平成30年(2018年)4月16日訪問して居ます、出羽未踏の城廻りで15日は70歳の誕生日、山形駅前のスナックで同年のママとお客さんで祝ってもらい、翌日月山麓の道ではみぞれ交じりでノーマルタイヤの愛車で冷や冷やした思い出が過って来ます。

 朝田辰兵衛さんの写真を見て、出羽丸岡城と佐久の伴野城が頭をよぎましたが13重の石塔が目に入り、出羽丸岡城の脳内メモリーには石塔のイメージが無く、城びとの昌官忠さんの投稿写真で石塔を確認、私の撮影写真でも石塔を確認し、此処だなと推定に至りました。

 出羽丸岡城は加藤清正公の嫡嗣忠広公の配流先、曇りで雨模様気味と物悲しい気持ちにも成った所でした、でも桜は綺麗に咲き出羽山地の残雪に相まって物静かでも綺麗でした。

 割り込んで申し訳ない、でも出羽丸岡城跡を5年振りに振り返る事が出来て楽しい事でした。
 

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todo94

新上五島町 (2022/12/27 訪問)

2022年最後の旅は長崎県。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つ、頭ヶ島の集落を目的に新上五島町を訪れました。泊をとって朝駆けで攻めた魚目城は離島の山城としてはなかなかのレベルでした。なんちゃって展望台はご愛敬で、郭や石垣などの遺構がしっかり残っています。中通島に行く機会がありましたら攻城をお薦めしたい城です。2023年3月31日までの国境の島★離島カードキャンペーンで期間限定版の離島カードをたくさんゲットできて満足です。

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みぃ

お城めぐりとソロツーリング (2022/11/09 訪問)

ひと月前にスーパーカブ110で目指したが辿り着けず、今回はGB350で、そのリベンジとなった。
奈良まで往復201kmは、それまでの最高距離だった。街を走ってるとあちこちからお香の香りが漂ってきて、奈良に来たんだなぁと、独特の雰囲気を感じた。
城跡は綺麗に整備されていて、天守台に上がると眺めがとても良い。遠くに若草山や東大寺などが見えた。
お城の作りが竹田城と似ている工法だそうだ。
いつか行ってみたい。
ランチはすぐ横にあるパン屋カフェにて。オススメを聞いたら、エビフライが人気だと。冷えてもサクサクの大きいエビフライが3尾もあり、美味しくて大満足❗️
まだ食べたいからヤマト城に来ようと思うほど。

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赤い城

永林寺の裏手 (2023/01/04 訪問)

永林寺敷地内が城跡です。
立派な山門をくぐり境内へ。
裏手の墓地手前に石碑が立っていました。
墓地奥の高台にあるフェンスに由木城跡の看板が。
城址には石碑と大石定久の像がありました。
遺構は無さそうですが石碑裏手の山を散策するとそれらしい地形も?
通路が堀にも見えるしそれっぽい沼もありました。
妄想は膨らみます。

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トク

⑩【関ケ原の26人 】(5)島左近  (島左近と杭瀬川) (2022/12/01 訪問)

(5人目)は「島左近」です。
初戦で一矢を報いた「杭瀬川合戦の地」を訪れてきました。
大垣から養老鉄道に乗り北大垣駅で下車、川の土手沿いを10分程歩いた所です。それから、関ケ原の笹尾山にある「島左近陣跡」も訪れてきました。

岐阜城を落とした徳川家康は、1600年9月13日(関ケ原決戦前々日)清州城を出て岐阜城下を迂回し、美濃赤坂(岡山)に陣を張ります。大垣城にいる西軍諸将は、14日夜明けとともに、家康の金の馬印が背後の赤坂に見えた事に動揺します。この動揺を鎮めるべく、島左近は500の兵をもって杭瀬川にいる(東軍)中村一栄隊に一撃、そして逃げるふりをして誘い出した所を明石全登(宇喜多家臣)の鉄砲隊が一斉射撃! 初戦に勝利を収める事で動揺を鎮め、逆に味方を鼓舞する事に成功しました。逆に家康は、ここ大垣で戦をするは不利と判断、その夜に関ケ原へ移動する事を決断します。

「治部少には過ぎたるもの、島左近と佐和山城」

と石田三成は自ら語ったように、家禄の半分を左近に与え、左近を最も頼りとしていました。

私は、杭瀬川合戦の地から、徳川家康が陣を張る「赤坂」の地を眺めてみました(写真①)。この杭瀬川で一矢を報いた時、島左近はどんな気持ちでここから同じように赤坂の地にいる徳川家康の陣を眺めていたのでしょうか? (どうだ! と家康に自慢する気持ちだったのでしょうか? それとも・・・)

そして翌9月15日、島左近は笹尾山の石田三成を守るように三成陣の前に馬防柵を設け、最前線に陣を構えます(写真⑥⑦⑧)。そして、この「島左近」が関ケ原で最大の激闘(死闘)を繰り広げます。


次は(6人目)に続きます。
 

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ぴーかる

池田城 (2022/12/24 訪問)

【小坊子城】
<駐車場他>登城口北側<33.945940, 135.130228>道路脇に2台程駐車できる。
<交通手段>車

<見所>堀切・眺望
<感想>初投稿いただきます。Googleマップには池田城とあるのでここは池田城と。現地説明板によると池田城は1522年秋、阿波の三好義長が由良港に上陸しこの城を根拠地として築城し畠山氏の鞍賀多和城を攻め落とした。冬、畠山高国が湯川氏と共にこの城を攻めて三好氏を阿波へ追いやった。とあります。
 登城口は<33.946168, 135.130737>のポイントから山に入ります。虎ロープ沿いに尾根上まで登って尾根を上がって行きます。途中に空堀や畝堀等の立て札がありますが自然地形にも見え判然としません。一旦登り切ったら何故が車1台が通れる広い砂利道に出て電柱もあります。どうやら南の池田集落からの山道で途中の分岐普門院方向から車で登って来れるようです。上に出たら城跡の方へは行かず砂利道を200m程下った所に展望所がありますので必見です。城跡の登っていくと広場に着きます。広場から北方向の山道に入り堀切を超えると主郭にたどり着きます。登城口から30分程度かかります。
 城跡は楕円形の主郭を中心に東西南北の4方向にそれぞれ伸びる尾根上に曲輪を設けて堀切で仕切っています。南は広場も含めて南出曲輪、東出曲輪は主郭からの段曲輪になっており、北出曲輪は堀切を挟んで2つ大きな削平地があります。途中の尾根から由良湾が見えます。西出曲輪は少し行くと灌木が激しく難渋しそうなのでやめました。

<満足度>◆◆◇

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AJ

どうする直政 (2022/12/28 訪問)

、、、と言ってもべつにピンチというわけではありません(ちょっと流行に乗ってみました)。むしろ、徳川四天王筆頭として、井伊直政が手堅い仕事をしたのが箕輪城(群馬県高崎市)。また、この配置から関東に移封された家康の首都圏構築プランが見えてきます。

箕輪は徳川の関東支配の時期に近世城郭としての体裁を整えました。主郭部に積まれた石垣の多くは直政が城主だった頃の遺構とされます。ただ、8年後の1598年には居城を高崎に移したため廃城となります。地形を生かした城域はゆっくり見て歩くのがおすすめ。高崎駅とを結ぶバスは本数が少ないため、時間に余裕を持って行動しましょう。

築城は16世紀前半、関東管領山内上杉の重臣・長野氏によります。その後、西上野に足場がほしかった信玄が1566年に攻め落として城代を置きますが、武田滅亡後は城主が目まぐるしく代わる展開。秀吉の小田原平定でひと段落します。

榛名山東南麓の低い尾根の端に、河岸段丘を利用して築かれた広大な平山城(47ha)で、曲輪は梯郭式に配置。大規模な空堀や土塁が各所に残されています。注目は主郭部を南北に分断する大堀切。これにより、どちらか片方が陥落しても、もう一方に籠って戦い続けることができたといいます(一城別郭)。堀切は深さが最大20m、幅30m。斜面の下の方は石垣で補強されています。また、発掘調査で直政時代の礎石が確認され、2016年には二の丸の南に郭馬出西虎口門が復元されました。

さて、関東に入った家康は江戸から100km前後の各要所に腹心を配置します。このうち、北西の高崎と厩橋(群馬県前橋市)は、真田と上杉に睨みを利かせる意図が見て取れます。ちなみに、後に前橋に入る雅楽頭家・酒井家は井伊家同様、大老の家柄ですね。

このほか、大多喜(千葉県)、小田原(神奈川県)、水戸(茨城県)、館林(群馬県)、甲府(山梨県)、宇都宮(栃木県)もほぼこの円周上に位置。外様への押さえだったり、後の将軍スペアの御座所だったりと、狙いはさまざまですが、確実に布石を打った印象です。北条滅亡後、真空状態となった関東に放り込まれた家康が「どうした」のか、丁寧に見て回るのも楽しいかもしれません。

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岡崎城

岡崎城リニューアル記念及び令和5年特別限定御城印発売のお知らせ

1月21日(土)に岡崎城がついにリニューアルオープンします。
それに合わせて、2種類の御城印を販売いたします。

まず1つ目が、岡崎城リニューアル記念「切り絵御城印」です。
リニューアルオープンを記念し、岡崎城で初めて切り絵の御城印を販売します。
岡崎城天守に、岡崎市の花である桜と藤、そして江戸時代の歴代城主の家紋を、藤色の和紙にデザインしました。
1枚800円、8,000枚限定の販売となります。

もう1つが、令和5年特別限定御城印「家康公御遺訓シリーズ『春』」です。
これまでも年に数回販売しておりました限定御城印を、今年は「家康公御遺訓」シリーズとして、年4回販売を予定しております。
『春』『桜』『夏』『秋』と4作集めていただきますと「家康公御遺訓」が完成するかたちとなりまして、
まず第1弾として、家康公の幼名である「竹千代」にちなんだ新年らしい緑の竹と、徳川四天王筆頭である酒井忠次の家紋をデザインした『春』バージョンを販売いたします。
こちらは1枚300円、5,000枚限定の販売となります。

※店頭でお買い求めの場合、どちらの御城印も、お1人様5枚までとさせていただきます。
 数に限りのある商品となりますので、より多くのお客様の手に行き渡るよう、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。

※郵送での購入をご希望される場合は、どちらの御城印も、各1枚限定の販売となります。
 郵送をご希望される方は岡崎城(0564-22-2122)にお電話ください。

岡崎城にお越しの際は、ぜひ記念にお買い求めください。

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カズサン

本丸北土塁・石垣が整備され良く確認できます (2023/01/12 訪問)

 浜松城の本丸は元城小学校、浜松市役所の建設の為か約半分開削されてしまいました、本丸を土塁・石垣で東側を囲まれて居ました、その痕跡が残って居ます、本丸富士見櫓台跡下の東から伸びる土塁・石垣で開削された裾より見る事が出来ます、2、3年前の旧元城小学校の発掘調査で北東角の石垣の根石部が発見されました、古地図絵図では北東角から南へ延びて、途中に本丸裏御門、南東角に二階建ての菱櫓が建ち、西に本丸鉄御門、多聞櫓と続き天守曲輪の南東角面に続く土塁・石垣です、天守曲輪南東角に少しですが土塁・石垣の痕跡が残って居ます。

 今回大河ドラマ「どうする家康」に合わせてか、北側の本丸土塁・石垣が辺りが雑木、草が刈られてよく観察出来ます、またその下に「浜松城本丸とその石垣・堀跡」の解説板が新設されて居ました、大河ドラマ「どうする家康」で来訪される方々のお・も・て・な・しの為にか、本丸北裾通路と本丸東裾通路が綺麗に整備されて穴ぼこが無くなりました、1月22日の大河ドラマ館のプレオープンを待つばかりです。

 チケットも購入して居ますのでタイミングを見て大河ドラマ「どうする家康」ドラマ館を訪ねたいと思います、ドラマ館敷地内には、発掘調査結果の発見された石垣の根石部、二の丸庭園の痕跡なども地上露出展示がされるようです。
 
 写真7は2022.04.07 写真8、9は2021.12.25 写真10は2019.11,05の撮影に成ります。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー56城目 (2022/12/17 訪問)

甲州牛のビーフシチューで贅沢な昼食をとった後の山梨ドライブの締めは続100名城の要害山城。なかなかの寒さでしたが、御坂城を攻略した日の要害山城に比べれば、風が殆どないだけ楽です。枡形の連続は圧巻ですが、草刈り後、冬枯れの季節がやはり見栄えが良いようです。続100名城選定により、訪れる人は確実に増えています。山頂で山ピクミンの苗をゲットできました。スタンプ置き場の藤村記念館前に信玄の父の武田信虎の銅像が出来ていました。

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みぃ

慣らし運転と御城印 (2022/10/01 訪問)

GB350の納車が8月お盆明けで、雨が多い今夏、なかなか慣らし運転が進まなかった。
そこで、彦根城へGBで行こう!と思いたち出かけた。
往復172kmほどで、リターン後の1日あたりの最高距離となった。

真夏のような暑さ、プロテクターがっちりついたコスチュームにライダーブーツ。急階段が多い彦根城内で、この服装に加えビニールに入れたブーツを持ち、かなり無理があった。汗びしょびしょ汗汗汗
ひこにゃんがいたなぁ。
これが本物かあーと見入ってしまった笑
御城印は限定ものの高そうなデザインを選んだ。
500円なり!

お昼は城下町に繰り出し、近江牛のハンバーグランチをいただく。
ガッチリ身を包んでいるライダーのお城めぐりは、今後検討が必要である。

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みぃ

雨で山に上がれなかった霧山城 (2022/06/25 訪問)

北畠氏館跡(霧山城跡)
突然集中豪雨に襲われ、山を登らず引き返した。
改めて登城したいと思う。
今回は、白山のひとえやお団子をいただき、御城印ゲットしたあとで君が野ダム経由で帰宅。

また、御城印を購入した北畠神社で窓口の女性とバイクの話になり、この方とも会話がきっかけでリターンライダーとGB350購入の決意をした。
バイクでお城めぐり♡
楽しみだなぁ

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にのまる

前編 (2022/12/31 訪問)

駅の観光案内所で、無理だろうと諦めていた登城路がハイキングコースでしかも近道だという情報と手書きの登山マップをいただき、足取りも軽く登城口の山口大神宮に向かいました。
駐車場横に「史跡大内氏遺跡高嶺城登山口」の標柱があり、神社の奥まで行くと「鴻ノ峯登山口」の案内が出ていました(写真①)。
案内があったのは登城口のこの二か所で、ここから先は電波塔近くの郭跡に着くまでなかったと思います。

登城口からは石段が設置されていたので、楽々登山です。と思ったら、途中から崩れていました。しかし、眺めのいい場所に出てホッと一息。この地点までは昭和47年の土砂崩れ箇所を巻いて登ってきたということのようです(写真②)。

その先、ジグザグの石段を登ると間もなくかっこいい石積みが現れました(写真③)。つい最近までここに石鳥居があったようで、いただいた地図にも載っていますが、現在はありません(倒れています)。この上にあるのが岩戸社(写真④)です。石鳥居が崩れた跡のある石段は上がれなかったので左側から巻いて登りました。

岩戸社からは左右に道が分かれていますが、ここは左に進みます。(いただいた地図によるとジグザグの石段を上がったところの分岐を右に行くと岩戸社から右に行った道とつながっているようですが、現在どうなっているかはわかりません。)

ここから先はちょっとした登山です。道幅の狭いところや急なところもありましたが、ゆっくり気をつければ大丈夫です。史跡境界の標柱があり、ちょっとワクワク(写真⑤)。

岩戸社から5分ほどで写真⑥の場所に出ました。麓から見上げた写真⑦の矢印↓の場所です。
地図の解説を読むと“最も眺望がいい”とか“尾根を通って中継塔に出る”とか書いてあります。しかし、あたりを見まわしても理解できず……。でも、ゴツゴツ岩のところに、ここを登るとしか考えられない、ちゃんと踏み跡のある道筋がありました。地図に載っている矢印の方向とも合致しています。
若干アスレチック感のある岩を越えて出た平場からもう一段登ると、何の前触れもなく写真⑧⑨⑩の郭跡が現れました。いきなりだったのでビックリでした。尾根伝いの郭を登ってきたみたいです。(石垣どこにあった?)

ということで無事、林道経由の道との合流地点(電波塔の横)に辿り着きました。

麓の山口大神宮からは30分程度。ほぼ参道で、ほどよいハイキングコースでした。駅の観光案内所でいただいた登山マップのおかげで不安もなかったです。
ちなみにこの地図、昭和53年にハイキングガイドのために作成されたもののようです。年数が経っているので人工的なものは記載どおりではないものもありますが、自然は大きくは変わっておらず、ポイントとなる地点や分岐を間違いなくチェックすれば問題ないと感じました。

本編へ続く。


todo94さん、山梨県コンプおめでとうございます🎊
お祝い画像、選定中です♪

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みぃ

街中のお城公園 (2022/06/20 訪問)

自宅から1番近いお城
こんなところにお城があったのか!と驚きながら散策した。

織田信長の弟 織田信包が築城した。関ヶ原の戦いで開城後、藤堂高虎が大修築したという。
南北を間に挟まれた平城。広い内堀。方形の曲輪、多門櫓、高石垣など築城名人と言われた高虎らしい城。

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みぃ

初めてのお城めぐり 赤木城 (2022/02/11 訪問)

2022年2月11日、熊野の旅行の折に訪れた赤木城跡。
駐車場に車を停め、上まで歩いて丁寧に見た。
それから2ヶ月後お城めぐりに目覚めた。
赤木城は丁寧に見たので、是非御城印が欲しくてずっと機会を待っていたから、今回の旅行で御城印をGETできて大満足!
いつか雲海に浮かぶ赤木城を見てみたい。

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ぴーかる

本之脇城 (2022/12/24 訪問)

【本之脇城】
<駐車場他>海岸沿い<33.894349, 135.114655>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>石積跡
<感想>本之脇城の築城者・築城年代は定かではなく、現地案内板には定かではないが美濃左兵衛の居城とされる。阿波から渡海した三好一族の拠点となった説もあるようです。上記ポイントに駐車し煙樹ヶ浜をまず堪能、長ーい海岸線の浜はなかなか楽しめます。 
 <33.894701, 135.115999>ポイントに城跡の説明板があり北方向へ道を進んで行きます。少し登ると左手に溜池、右手にくくり罠の札があるところから入り込むと居館跡があります。石垣も一部残っており数段の曲輪があります。ここから15分程舗装道を登ると堀切、木ベンチがあり添付写真のベンチ間の矢印の方向に山に入るとそこが城跡になります。案内板が無く、先達のとあるさん・イオさんの投稿がなければ見付けられず通り過ぎてしまうところでした。助かりました。城跡は尾根上の曲輪とその下段に帯曲輪があり帯曲輪に石垣が一部残されています。当時は曲輪壁に多く石垣を使用していた感じがしました。

<満足度>◆◆◇

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モト

石垣に感動しました (2023/01/12 訪問)

主郭にある石垣には誰もが感激するのでないかと思います。
その石垣だけでなく堀切など見所がたっぷりの素晴らしい城跡だと思います。
山への入り口からの道のりは勾配なども多少ありますのでそれなりに登山です。
ですが途中で見る事ができる堀切などは疲れを感じさせない遺構達でした。
まして主郭へ辿り着いて見る事ができる石垣には大満足できました。

※ぜひぜひご紹介
苦労したのは素晴らしい城跡の割に案内板などの看板の少なさです。
○○城こちらのような案内はなく登城口にはかなり迷ってしまいました。
山に入る入り口は3つくらいあります。
徳運寺からとお寺を正面に右手におよそ200mで現れる入り口、さらに20m奥にももう一つあります。
いずれの入り口も獣よけネットを開けて入ります。
ここで私は、みなさんの投稿が助かりました。
それがなければわからなかったと思います。
ですから私なりにご紹介します。
登り方は大きく2つ、徳運寺の墓地の後方にある入り口と先ほどお寺から右手に220mほど行ったところにある入り口です。
ほんとうは220mの入り口が1番近いはずですが、その入り口には登城はできないとの案内がぶら下がってました。
ただ結果的には山を降りた際はなぜかこの入り口から出る事になりました。
徳運寺からの道は一本、ひたすら真っ直ぐ進む感じですのでわかりやすいと思います。
尾根を進みますが勾配がそれなりにあるのでなかなか険しい道でした。
その間の矢印などの看板などは主郭近くまで皆無で少々不安な道のりでした。
車は獣よけネットの前のスペースに停めるか徳運寺にある駐車場が良いと思います。

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todo94

瞬殺無理です (2022/12/17 訪問)

朝田辰兵衛さん、お祝いいただきありがとうございます。クイズの方は瞬殺無理です。暫く考えてみます。

山梨コンプの後は近くの城の再訪へ。最初の時は工事中だった谷村城です。小学校の周りを板塀風に囲う景観の工事だったのですね。説明板は金ぴかで美しいのですが、まぶしすぎて文字は読みにくかったです。

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