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美夢

【かるた】丸岡城の読み札

雪深し 丸岡城の 石瓦

読み札のみの投稿です
現存天守では丸岡城だけの特徴である笏谷石の石瓦
豪雪地帯ならではのくふうを詠んでみました

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【かるた】吉田郡山城の読み札

百万一心 三本の矢が守る 吉田郡山城

 毛利元就は吉田郡山城の普請のときに人柱に代えて「百万一心」と書かれた石を埋め、みんなで心と力を合わせてことにあたるように教えたとされています。三本の矢の教えとともに一致団結の大切さを示したものです。その心が尼子の大軍の猛攻にも耐えられたのでしょう。その一方で毛利元就は敵に対しては一致団結を壊すことを得意としていたように思います。

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トク

【かるた】大野城の読み札

大宰府の 守り固めよ 大野城

写真は百閒石垣です。

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トク

大野城(大宰府口門、百閒石垣) (2023/03/31 訪問)

かるたの投稿をする前に、よく考えたら大野城は地元福岡なのにまだ一回も行ったことはない事に気がつきました(笑)。同じ四王寺山(しおうじやま)の中腹にある岩屋城には何度も行っているのに・・・。ということで今回はあと1km足を延ばし、山の頂上の大野城まで登ってきました。

663年白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた天智天皇は、この連合軍がもし日本に攻めて来た場合を想定し、翌年に大宰府政庁を防衛の拠点とし、その北側に「大野城-水城(みずき)-基肄城(きいじょう)」の防衛ラインを築きました。(岩屋城より見た防衛ライン:写真①)

訪れてみて驚きました。関ケ原より1000年も前の築城だというのに、野面積の石垣や土塁などを用いています。説明板から、この四王寺山は山の頂上から麓まで全体が大規模に要塞化されていたようです。同じ頃に造られた鬼ノ城も訪れた事がありますが、推測するに大野城の方がさらに規模が大きかったのではないかと感じました。百済から技術者を連れてきて築城したらしいですが、当時の朝鮮にはすでにここまでの築城技術があったのには驚きました。

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トク

【かるた】津和野城の絵札

太鼓谷稲成神社にある千本鳥居の写真です。

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朝田 辰兵衛

【かるた】上田城の読み札 (2017/06/10 訪問)

二度までも! 徳川キラーの 上田城

第一次上田合戦,第二次上田合戦,ともに相手は徳川軍というポイントを詠んでみました。『どうする家康』でどのような描かれ方をするのか楽しみです。ナレーションだけで終わるのは勘弁してほしいです。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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朝田 辰兵衛

【かるた】弘前城の読み札 (2018/05/03 訪問)

天守移動 曳家工法 弘前城

話題になった曳家工法による天守移動を詠んでみました。元に戻すのは2025年と言われています。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅵ (2023/03/20 訪問)

 伊勢志摩未踏の城廻二日目は前日終わりの鳥羽城からの続きで、先の遷宮されてから参拝してない伊勢神宮に朝早く参拝し開店前のおかげ横丁の散策をして、再登城ですが久しぶりなので田丸城、松坂城と廻り時間が有ったので松阪市にある八田城を伊勢未踏の城廻Ⅵとして初登城しました。

 案内ガイドは、古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 駐車場は有りませんが古城盛衰記さん案内で登城口前に駐ました。(34°36'57"N 136°26'58"E)

 登城は害獣除けのフェンスを開閉して入ります、登城口に城名石碑と八田城跡案内板があります、簡単な登城門が設置してあり、櫓風の小屋もありますが風雪に耐えた建造物で少し心配な造り、比高20~30メートルほど堀底道を登って行くと主郭に着きます、虎口があり、周囲は土塁がある、中心に屋根付きの八田城跡看板、虎口の反対西側土塁上に樹木に隠れて丸木組の櫓が立ってる、その下に別曲輪への虎ロープ付き道がある、南側にもう一つの虎口、続いて大堀切、その上に丸太3~4本束ねた橋が交互に架かってる、不安定で渡るに緊張が走る。主郭の戻り下城しました。

 歴史、城跡情報は八田城跡案内板をご確認ください。掲載投稿しています。

 車を駐めたエリアから西にしだれ桜が満開できれいでした、走行中には桜の開花が見られました、今年は早い。
 
 

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POYO58

4年ぶりの攻城 (2023/03/16 訪問)

遺構★★★⭐︎⭐︎ 石垣、水堀、天守閣跡
駿府城に行ってきました。ってかめっちゃ久しぶりの投稿となります。駿府城は徳川家康が築城したのが始まりですが、そのすぐ後、秀吉の命令によって関東に移されると、中村一氏が改築し、天守を築きました。秀吉の死後、再び家康が入り、一氏の天守を取り壊して日本一大きな天守を築きました。家康はそこで晩年を過ごし、亡くなります。その後天守は落雷により焼失、再建されることはありませんでした。

駿府城は主に外堀と石垣が見どころとは思いますが、発掘調査のされた天守閣跡を見るのがいいと思います。中村一氏のものと家康のものが共存しており大変貴重です。一氏の天守台は野面積みが主ですが、家康のは切り込み接ぎや打ち込み接ぎとなりよく違っています。さらにすごいのはなんと、家康の天守台にはかつて薬研堀があったようです。これには驚きました。他にも、本丸堀の石垣や、朝田辰兵衛さんのクイズにもあった水路の石垣も必見です。積み方が混合された石垣は見どころですよ。あ、ちなみにこれなぜかというと、観光協会の方に伺うとどうやら、地震が起きるたびに石垣を修復していたからだそうです。歴史の背景もかんじられる面白い城でした。
写真はスマホで撮ったものです。後ほどカメラで撮ったものも紹介します。

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イオ

【かるた】金沢城の読み札と絵札

「石垣の博物館」の 金沢城

お城より 庭で知られる 金沢城

訪れたのは本格的に城めぐりを始める前だったので、ざっとひとめぐりしただけでしたが、次の機会には一日かけて「石垣の博物館」と云われる金沢城の石垣めぐりをしてみたいものです。…でも、城好き以外のほとんどの人にとって、金沢城は城としてよりも兼六園のほうが圧倒的に有名ですよね。

絵札は色紙短冊積み石垣の写真が特徴的でいいんでしょうけど、手元には無いので、兼六園の徽軫灯籠の写真のみで。
 

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たぬぬ

登城口が分りにくい (2023/03/30 訪問)

岡本北小学校の北の林が城址なのですが、登城口を見つけるのに苦労しました。公民館から農地を通ります。

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美夢

【かるた】津和野城の読み札

千本の 鳥居をくぐって 津和野城

読み札のみの投稿です
津和野城の麓にある太皷谷稲成神社は日本の五大稲荷
約千本の鳥居が階段に連なっていて綺麗で厳かでした

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トク

【かるた】人吉城の読み札 (2022/07/20 訪問)

球磨川に 負けるな跳ね出し 人吉城

2020年九州南部豪雨により球磨川が氾濫し、人吉城は水没しました。それから現在も復旧作業は続いています。昨年私が訪れた時、少し高台にあるこの跳ね出し石垣が城全体に「がんばれ!」と鼓舞していたように見えたのを思い出し、詠んでみました。

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にのまる

松潤抜きでもかっこいい (2023/02/24 訪問)

大河ドラマ館の見学を終えて浜松城公園へ。
行くたびに進化を遂げているお城、私の中のナンバー1です。
どんどん見やすくわかりやすくなっているので、毎回新たな気づきがあり、新鮮な感動を覚えます。(私に見る目がなかったというのも大いにありますが。)
“市民の憩いの場”なのだと思いますが、遠方からの城好き観光客が紛れても馴染みやすく居心地のいい空間です。
リニューアル天守の展示も旬で、理解が深まりました。
今年だけでなく来年以降もずっと楽しみです。

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朝田 辰兵衛

【かるた】鳥取城の読み札<R‐12ver.> (2022/06/11 訪問)

餓え殺し 狂気の人食 鳥取城

一説には,動けなくなった者は「死者」とみなし,食されたそうです。秀吉は人が苦しむ姿を眺めるのが趣味だったのかな…?
太平洋戦争の時もそうと聞きますが,生きるか死ぬかの瀬戸際でホントの人格が現れるとのこと。
目を背けてはいけない現実世界を詠んでみました。
もっとイイ謳い文句があれば,上書きしていただいてかまいません。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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【かるた】長篠城の読み札

援軍来ると 鳥居強右衛門 長篠城

 長篠城の攻防戦で織田徳川の援軍が来ると命を懸けて知らせた鳥居強右衛門。長篠城を救ったのは彼でしたね。

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赤い城

真田氏ゆかりの続100名城 (2023/03/19 訪問)

ようやく登城することが出来ました。
岩櫃城への登城者というよりは岩櫃山の登山者が多い印象でした。
スタンプは冬季(3/31まで)は群馬原町駅の観光協会に置いてありました。
夏季は登城口の平沢登山口観光案内所にあるようですが閉鎖中でした。
登城口から中城方面に登るとすぐに横堀があります。
おそらく夏は藪でしょうが堀底を歩いて見ました。
中城へ戻り、さらに進むと本丸方面への虎口に、さらに登って行きます。
竪堀があり、登ると本丸と二の丸の間に出ました。
本丸には碑と説明板が立っています。
見晴らしもよかったです!
南側には桝形虎口があり、さらに下には横堀も。
さらにのみと岩櫃山に向かいますが、山より城。
沢の方面に向かいました。
堀として使われていたと思われる沢には石が転がっていました。
登城口まで降り、出浦渕まで見学しました。
出浦渕への途中には土橋と空堀も残っていました。
大河、真田丸を見てたので草刈さんや寺島さんの顔を思い浮かべながらの散策でした。

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カズサン

志摩未踏の城廻Ⅰ九鬼氏の城 (2023/03/19 訪問)

 五ヶ所城を終えて国道167号線沿いにある田城城を初登城。

 駐車場:JA伊勢鳥羽支店を使わせて頂きました。国道167号線沿い西側50m南です。

 田城城は今まで登っていませんでしたが、浜島に有るリゾート子会社にプライベート、業務で伊良湖フェリー経由で国道167号線を往復しており、神社が国道沿いに在る事は記憶に有り今回、田城城/九鬼岩倉神社と認識しました、湾岸道が開通してからは玉城IC経由で浜島に向かいましたので田城城の前を通る回数は減りました。

 田城城へは九鬼岩倉神社鳥居から階段を登り、岩盤尾根筋東西に小さく細い曲輪があり、神社の拝殿、本殿が鎮座しています。
 案内板と標柱が鳥居横に設けられています。案内板を投稿掲載しますのでお読みください。

 この後は時間も有ったので夕暮れでしたが鳥羽城に久しぶりに寄りました。
 

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【かるた】駿府城の読み札

気候よし 家康隠居の 駿府城

 静岡市に住んだこともありますが、冬も温暖で過ごしやすい街でした。家康が晩年を過ごしたのは、この気候にもよるのだろうと思っています。

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別城一郭 (2023/03/30 訪問)

 井上氏の城塞群を構成した城のひとつで、案内板には別城一郭という表現がしてありました。
案内板には「山城は、三つの部分からなる。城の大手に当たる第一群は、尾根筋に堀切、土塁、土橋を三重に配置して城の入口である虎口を固めている。第二群は、尾根筋の中央部分の郭の周囲に腰郭、段郭、帯郭を配している。第三群は本丸部分に相当する主郭を守るため、二つの郭を階段状に配置し、防御性を高めている。」とあります。堀切が浅くなっていたりしてわかりにくい所もありましたが、縄張りは明瞭で岩盤を削った堀切等あり楽しく散策できます。

 尾根の北側より登城しました。尾根をひたすら登って行きます。道は整備されていて歩きやすいのですが、主郭手前ではトラロープを使って登る所もあります。主郭を越えて鉄塔のある場所まで行き、その先にある浅くなっていた堀切を確認して引き返しました。往復で約1時間40分くらいでしょうか。

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