絵になる模擬建築群があるのでついついそちらに気を取られるが、模擬建築群の周囲は切り立っているしところどころに石積みも残る。堀で仕切られた多くの曲輪を持つ広大なお城であったことが現地に立つと推察できる。
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2023/06/28 07:43
2022/08/28 13:10
2021/12/31 11:42
R29沿いの気に成ってた模擬櫓 (2011/07/18 訪問)
10年前の平成23年7月中旬、残念ながら遠望で終えた若桜鬼ヶ城を後に戸倉峠を越えて播磨の国宍粟市、国道29号線沿いの山腹にひっそりと模擬櫓が目に入って来ます、以前より国道29号線を往来し気に成って居ましたが今回、道案内に従って山腹専用駐車場に駐める。
熊注意の看板も有り当時はまだ山城登城も稀で熊ベルの準備はしてなく、周りの様子を見ながら模擬櫓方向へ進むが樹木に覆われて暗く成った辺りから急に不安に成り、ここも引き返しました、麓から模擬櫓の遠望写真を撮影。
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2021/01/23 13:47
城域はどこまで? (2020/12/13 訪問)
【波賀城】
<駐車場他>波賀城史蹟公園駐車場<35.160795, 134.554398>
<交通手段>車
<見所>石垣・模擬櫓
<感想>日帰り宍粟市攻城の旅1城目。波賀城の城域は一体どこまでなのだろうか。城の主要部だったところは本当は違う場所ではなかったのではなかろうか。自分が行って見て来た疑問に明瞭に解決するものが見つからなかったので、今回の私の投稿が的外れなものでしたらすみません。またこの疑問に対する答えを御存じの方おられましたら教えて下さい。かなりの長文になりますが次に見て来た事実を記述します。
史蹟公園駐車場の手前数百㍍手前から山の斜面に登り石垣のような石積み(これはGoogleのストリートビューでも見れます)が見られます。駐車場は山の塁線を広く削った弓状になっていて、南側下は崖になっていますが、そこの斜面に遠くからですが石垣が見られます。疑問点は駐車場の北側上方で山の斜面に巨石が広大に散乱、小さめの石であちこちに石垣が見られます。そこに「この付近は城山です」「この付近は馬隠しです」と書かれた小さな看板があるだけでここには他に特に案内図や説明板もなにも無く一旦あとにして、城に向かいます。「馬隠し」というのは、波賀城跡説明板によると、〚この地は十一世紀初め頃には伯可荘という石清水八幡宮の荘園となっていました。築城者と推測される芳賀氏の芳賀七郎という武士が有名な名馬を飼っており、都からその名馬を献上せよとの命令が下されましたが、芳賀七郎はそれに従わず合戦になりました。その時「馬隠しの穴」に名馬を隠しましたが力尽き戦死していまいました。〛とありますが、その看板の付近に特に穴は見当たらなかったのでよくわかりませんでした。
駐車場から車1台通れる林道を100㍍ほど南西方向に進むと2股に道が分かれています(ここもストリートビューで見れます)。分岐に林道の案内板と杉板の販売の看板があります。分岐の左手斜面には曲輪と石垣が僅かにあります。右手斜面は私には畝状竪掘り跡のように見えました。分岐の片方北方向の道へ散策するのもあと回しにしてまずは南西方向の波賀城跡に向かいます。
分岐から緩やかな下り坂になっていて、200㍍程先に城跡入口の冠木門があります。分岐から冠木門入口までの道両脇の山の平地には石が散乱し、堡塁のような小山が数個あります。石垣巻きの堡塁から石垣が全て落ちてしまった転落石に見えなくもないです。
冠木門から中は波賀城の城跡公園になっているので皆さんの投稿の通りなので割愛します。少し所見を記述すると、冠木門を入って進むと、主要部の小山脇に横堀跡が見られますが、ここにも石が溜まっているので、これは絶対主要部小山斜面の石垣であった転落石だろうと思われた(写真9枚目・ストリートビューで見れます)。結局、波賀城跡公園の主郭部分はこの一帯山系の下った南西崖先端の小山山頂にあり、標高では車を駐車した駐車場の位置とほぼ同じだろうと感じた。調べてはいないが、ここ周辺の山系の一番高いところは駐車場北東側にある広大な巨石敷きの斜面を登った先の山が高いように見えました。
城跡公園を見終わったあと、先程の林道の案内板のある分岐の道を北上しました。右手は山で、左手は谷になっていますが、ここも大竪掘りと舌状の曲輪に見えなくもないのがあります。200㍍程進むと「此の道は二百米先で行止まりです・・・」の看板と銘の無い石碑と諸々があります。その手前斜面が窪地(曲輪に見える)になっていて、巨石、道斜面に巨石の石垣に見えなくもない(写真8枚目)のがあります。
駐車場に戻り、いよいよ謎に思った「城山です」「馬隠しです」の山を攻めました。駐車場のすぐそばに半円形に組まれた石垣があり(写真5・6枚目)駐車場からでも見えます。曲輪か塹壕跡のようにも見えます。またここの斜面が巨石の滝(写真7枚目)のようになっています。この光景は赤松氏の白旗城「谷落としの岩」と感状山城の大手門跡手前の大手道の巨石の散乱具合と非常に良く似ている。この光景も駐車場から見えますので、来られたら見て下さい。巨石敷きの薄い場所を登って中腹に虎口跡のような石垣(写真1枚目)と小さめの石を集めた何か施設のような石垣(写真2枚目)があります。更に少し登ると大きく平地になっている場所が何箇所かあります。石が堆積しています。山頂に向かう上方の平地(曲輪?)の輪郭に沿って長い石垣があります(写真3・4枚目)杉の落葉の堆積と石垣が崩れていて低くなってはいますが、元々は相当高く積まれていたように見えます。この石垣は山頂の方まで伸びているように見えました。山頂まではまだ数百㍍ほど登らなければならない感じで、あとで後悔したのですがここで山を降りました。
波賀城跡公園となっている面積よりはるかに広く、高い山頂の方にあり、後世に積まれたものとは思えない石垣遺構を見てこの場所は城跡かという謎と城跡ならば何故広く説明されていないのかの疑問が深まる所、自分が見た感じではすごい所に見えました。
<満足度>◆◆◆
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分類・構造 | 山城 |
---|---|
築城主 | 芳賀七郎 |
築城年 | 弘長年間(1261〜1263) |
主な改修者 | 中村光時 |
主な城主 | 芳賀氏、中村氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、堀切 |
再建造物 | 復興二層櫓、冠木門、塀、柵、石垣、石碑、説明板 |
住所 | 兵庫県宍粟市波賀町上野 |
問い合わせ先 | 宍粟市社会教育課 |
問い合わせ先電話番号 | 0790-63-3000 |