たけだのぶみちやしき

武田信道屋敷

東京都大島町


旧国名 : 伊豆

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チェブ

海風に吹かれて散歩。 (2024/02/24 訪問)

この時期の伊豆大島は、椿祭りがあるので、当日レンタカーを借りるのは難しく元町港から歩いて「武田 信道屋敷」に向かいました。
昨日 投稿した「源 為朝の館」は朝の7時到着。
その後、元町港近くの『喫茶酒場なべきち』でひとまず計画を立てます。喫茶酒場と言ってもお洒落なカフェです。この辺のお店は早朝から開いてます。
*伊豆大島のお店やバスは、PayPayが使えて便利でした。バスでSuicaは使えません。

1615年、大久保 長安事件で配流された武田 信道夫妻と息子さんの「武田 信道屋敷」は、大島一週道路沿い。海側に灯台があり、道を挟んで大黒屋酒店とお隣のお宅の裏手にありました。
石碑があります。お社がお祀りされていて辺りは草刈りされていました。石碑もピカピカです。
野増郵便局があり、もう少し上に墓地があり説明板があります。
因みに、大きな蔵があり、こちらを大黒屋酒店と勘違いしました。

少しバスまでの時間があったので『大宮神社』へ。
説明板には1466年、三原山のたびたびの噴火被害を避け、この地に遷座した。と、あります。
黒い大地や地形を見ると、なるほど噴火の痕。
石段が神秘的です。大きな椎の木があり、パワーをいただきます。
調べてみたら、源 為朝さんや武田 信道さんたちが過ごした時代にも噴火が確認されてました。
私が中学生の頃、噴火し大ニュースになりました。
テレビの画面越しに怖かった記憶があります。

伊豆大島は黒い大地に、赤い椿が彩ります。

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赤い城

為朝館 東京都大島町 (2023/06/22 訪問)

元町港から徒歩で数分のホテル赤門が館跡です。
ホテルの前に赤門が建っていて説明板もあります。
赤門から奥に進むと抜け穴とされる穴があります。
隣接する為朝神社似はなぜかシーサーが鎮座、鳥居も小さなものでした。
祀られる源為朝は平安時代の武将で保元の乱で敗れ大島に流されました。
この日の発着港である岡田港の前にも碑が立っていました。
お昼には名物のべっこう丼を頂きました。
青唐辛子と醤油に漬けた白身魚が乗っています。
ちょっと醤油辛いですが歩き疲れた身体には程よい感じでした。

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赤い城

背中を押されて (2023/06/22 訪問)

訪れる予定は無かったのですが朝田さんのコメントに背中を押されて機会を伺っていました。
転居にあたってのtodoが1日空いたので思い立ってしまいました。
当日朝、東海汽船のホームページからジェット船を予約(2割引きになります)しました。
8:50竹芝港発、帰りは15:30大島発の日帰りです。
発着時間は時季によって違うかもです。
この日は梅雨空で発着港は岡田港でした。
これは当日にならないと分かりませんが天候がよい日は元町港になるようです。
屋敷跡は元町港が近いのですがやむを得ません。
岡田港から元町港までは路線バスを利用、片道370円で20分くらいかかります。
屋敷跡までは元町港から徒歩で30分くらい。
にのまるさんのレポートにあるように大黒屋酒店の裏手の石碑を確認しました。
遺構は無さそうです。
近くの墓地の中に供養塔もありました。
これから行かれる方がいらっしゃるかどうかは分かりませんが折角なので三原山をはじめとする大島の自然をゆっくりと味わうのがよいと思います。

で、東京都並びに関東地方の登録城をコンプできました!
本当に良い思い出になりました。

チェブさん、トクさんメッセージありがとうございます。
四国からもレポートできるよう無理なくチャレンジしますね。
引き続きよろしくお願いします。

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にのまる

コンプ\(^o^)/ (2021/12/29 訪問)

<行き>8:35 竹芝桟橋(東京)→10:20 岡田港(大島)

<帰り>15:30 岡田港→16:15 熱海港

という旅程で行ってきました。ジェット船利用です。
前の晩に急に思い立って行くことにしたので竹芝桟橋に着くまで空席があるかわからず、ドキドキでした。(24時間予約可能ではないため。)年末で増発便があったので飛び乗れました(;・∀・)
しかし帰りの便の予約受付時間には早すぎたため、片道切符だけで上陸というあやうい遠征スタートです。岡田港についてすぐに帰りのチケットを確保し、ようやく落ち着きました。野宿回避(‘◇’)ゞ
帰りの便を熱海行きにしたのは、竹芝着だと岡田港出航が14:35で、熱海にした方が現地滞在時間を1時間長くとれるからです。目的地の「武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡」は元町港から2km強なので、元町港発着であれば帰りも竹芝で充分だったかと思いますが、6kmほど離れた岡田港発着だったため、移動時間がとられることを考慮し、熱海着の便にしました。(熱海から自宅まで約3時間かかることについては考えないことにしました^^;)
岡田港からレンタサイクルの利用も考えていたのですが、元町港までの直行バスが出ていたのでひとまずバスで元町港まで行きました。(路線バスもあります。)元町港から目的地のある野増地区までは、大島一周道路をのんびりと歩きました。

大島といえば三原山。1986年の噴火の際の衝撃的な映像は未だ鮮明に記憶に残っています。
今回、噴火の跡の残る山肌や溶岩流を海に誘導するための巨大な溝(溶岩導流堤)などを目の当たりにし、また、海の向こうに見える富士山へ連なる火山帯を想像し、自然の驚異や神秘、人類の叡智や山岳信仰などいろいろなことを考えました。途中で寄った「伊豆大島火山博物館」がとても勉強になりました。

「武田信道屋敷跡」は大黒屋酒店さんの裏手の細い路地でした。一度気づかずに通り過ぎてしまい、その裏の郵便局のあたりをうろうろしてしまいました。目の前だったのに!
「武田信道及び家臣供養塔」は少し先の墓地の中です。どちらにも東京都教育委員会設置の石碑があります。
 武田信道(顕了道快)は信玄公の次男・龍宝(御聖導さま)の嫡男で、高家武田氏へと繋がる系統です。龍宝さんは目が不自由で早くから仏門に帰依していましたが、天正10年(1582)の武田氏滅亡の際に自害したと伝えられています。
 元和元年(1615)に大久保長安事件に連座して大島に配流された信道夫妻とその子信正らが居住したと伝えられるのが屋敷跡で、信道夫妻とこの地で没した家臣ら7名を祀ったのが供養塔です。信道は寛永20年(1643)に大島で没し、信正は寛文3年(1663)に許されて本土へ帰されました。

 これで東京都内の城びと登録全78城コンプリートですヽ(^o^)
推しの甥の屋敷跡でゴールできたのが感慨深いです♪
78城は城びとの分類では、
 台場…1
 屋敷…1
 丘城…9
 平城…26
 平山城…27
 山城…14
ですが、ほぼ住宅街。寺社・学校・石碑のみ・何もない、といったところも多く、離島が1コあるとは言え、他の道府県に比べると制覇しやすいのではないかと思います。(八丈島の宇喜多さんち入ってないし…)

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城郭情報

分類・構造 屋敷
築城主 武田信道
築城年 元和元年(1615)
主な城主 武田氏
遺構 石垣
指定文化財 都史跡(武田信道及び家臣供養塔並びに屋敷跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 東京都大島町野増6
問い合わせ先 東京都教育庁大島出張所管理担当
問い合わせ先電話番号 04992-2-4451