道路沿いに城址碑と説明板があります。そこに駐車して林のほうへ。門跡があり主郭へ。いくつか曲輪があります。かなり整備がされていました。
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2022/02/06 20:07
2022/02/06 19:15
[鎌倉殿の13人]関連史跡 しとどの窟 (2016/10/23 訪問)
散策自粛している今、丁度鎌倉殿の13人を放送しているので、ゆかりの史跡をご紹介したいと思います。
放送ではスルーされてましたが、石橋山合戦で敗北した源頼朝が身を潜めていたとされる場所が[しとどの窟]と呼ばれております。
(大泉洋さんの夢枕に西田敏行さんが登場したシーンの場所です(笑))
近くにある土肥城城主・土肥実平にこの場所に匿われた・・・んだそうな(ーωー;)
現地には解説版と雰囲気のある洞窟が残りますが、逆にそれだけなので行かれるかどうかの判断はお任せします。。。
湯河原駅からバスで[しとどのいわや]バス停で下車し、上に行くと土肥城、下に行くとしとどの窟に行けますのでセット訪問が良いかと。
ただこのバス思いっきり本数が少ないので、お城と史跡散策した後は急坂を下って土肥氏の菩提寺・城願寺も合わせて訪問するのがよいでしょう(バス停のところに駐車場あったので車なら問題ないかな)
ちなみにこの下りの道中、前にも土肥城UPした際に野生の猪と遭遇して危険な目に遭っておりますので要注意です。
(土肥城の記事にも猪ネタ以外にも上と同じような事書いてましたww)
余裕があれば今後も鎌倉殿の13人ネタ書くかもしれません(^^;)
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2022/02/06 18:16
2022/02/06 18:03
長篠城址 (2022/02/06 訪問)
攻城址🏯8城、攻城址4
何も無い。近くに飯田線と第二東名が見えました。
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2022/02/06 15:45
山城らしさがよく伝わります (2021/04/28 訪問)
八王子駅からバスに乗り、滝山城址下で降りればそれほど迷わずに行けると思います。
まずは加住市民センターで情報収集するとよいでしょう。
空堀や馬出しのダイナミックさがよく伝わります。
十分立派ですが、東西方向(街道と平行)にはかなり広い一方、それと比べて南北方向(街道と垂直)には相対的に小ぶりに見えなくもないです。
関東の中だけで勢力争いをするならまだしも、強大な豊臣勢を相手にするのに北条氏照がより堅固さを求めて八王子城に移った理由が分からなくもないです。
構造的にはだいぶしっかりしてそうに思えますがね。
初めての山城でもあり、写真はいまいちです。
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2022/02/06 14:49
2022/02/06 14:45
2022/02/06 12:03
奥平氏の苗字の地なのだ (2021/10/16 訪問)
豊前中津10万石の奥平氏の苗字の地。同じ上州出身ということになっている徳川氏にとってはそういう意味でも家康の実娘を送り込むには相応しい家柄だったのかもとか余計なことを考えるが、城自体は拍子抜けするくらい遺構が薄い。
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2022/02/06 10:42
【三河・大樹寺】愛知県岡崎市 ビスタライン (2011/03/24 訪問)
大樹寺は松平家・徳川家の菩提寺として名高く、桶狭間の戦いで今川義元が討取られ家康が大高城から大樹寺へ敗走し祖先の墓前で自害を覚悟するが時の住職に「厭離穢土、欣求浄土」の経文で諭され以後この八文字を旗印に戦って行く。深いつながりが有る寺です。
住所:愛知県岡崎市鴨田町広元5-1 車は大樹寺の駐車場を利用
案内:以前TV番組で大樹寺本堂、山門、総門のラインから岡崎城を望むビスタラインの放映を受けて是非確認探訪したいと訪ね実感遠望しました、この間には眺望を遮る建物は立てないとの岡崎市民の心意気が約400年近く発揮され、この貴重な景観を今日見る事が出来ます。
寺院は本堂、鐘楼、多宝塔、山門、総門、松平八代墓所ここは秀忠公が修復再建、昭和44年には岡崎市民が隣接して家康公の墓と碑を建立、家康公の遺命により位牌は大樹寺におさめよと、以後歴代将軍14代まで等身大の位牌を安置して居ます、有料で文化財収蔵庫、位牌堂を拝観できます。
岡崎城登城の後に大樹寺ご参拝も宜しいかと、岡崎城のビスタライン遠望を兼ねて良い体験が出来ます。
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2022/02/06 10:19
雪の多賀城跡と歌枕を探訪 (2022/02/05 訪問)
昨日、東北歴史博物館をセミナー参加で訪問したついでに多賀城跡と付近の「歌枕」の地を訪れました。
多賀城跡は昨年12月の投稿にも記載したとおり、2024年の「創建1300年」にむけて、外郭南門(全面瓦ぶきの入母屋造り2重門)や築地塀の復元工事中です。前日からの雪で足場も悪いため政庁跡の主要部はパスして南門の工事現場と、歌枕として名高い「壺の碑」(多賀城碑)他を散策しました。
多賀城には陸奥国府や鎮守府が置かれたこともあり、都人あこがれの地として古くから歌に詠まれた歌枕の地が多く残されています。
浮島、沖の井(沖の石)、野田の玉川、おもわくの橋、末の松山、壺の碑、志引石(千引石)で、古今集や新古今集、山家集などにみえます。
元禄2年(1689)には西行の足跡を辿り芭蕉が「おくのほそ道」の旅で、天明6年(1786)には菅江真澄が仙台行きの途上でこの地の歌枕を訪れています。
ほとんどが多賀城跡周辺に有りますから城址訪問の際に足を延ばしてみてはいかがでしょうか。
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2022/02/06 07:27
2022/02/05 22:49
2022/02/05 21:34
三方ヶ原の戦い (2022/02/05 訪問)
徳川家康が九死に一生を得た三方ヶ原の合戦の碑がありましたので見に行きました。浜松市のHPによると戦いがあった場所ついては、三方原台地であるということ以外、詳しいことはわかっていないようですが、1984(昭和59)年、「三方原歴史文化保存会有志」の手により、三方原の一角であるこの地に碑が建立されたとのことです。
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2022/02/05 21:33
千本城 千葉県君津市 (2022/02/23 訪問)
国道410号線沿いに小さな案内板があり、細い道を登っていきます。
登城口のところに車を駐めることができます。
登城口から右手に登って行くと岩盤堀切がありますが後に取っておくこととし、北野神社の参道を行きました。
北野神社が主郭でその手前に大きな堀切があります。
北野神社の背後を進むと曲輪が連なってその先が用替地区ですが倒木と藪。
ピンクリボンが付いていてそれに従って進んで行きました。
鉄塔のある曲輪には大きな土塁が付いていました。
その先に尾根道があり、途中まで進んだところで獣の気配。
恐らく猿でしょうが堀切のところで引き返すことにしました。
城内には湿地となっているところもあり、水は豊富にあったと思われます。
最後に念願の岩盤大堀切を見学して退却しました。
恐らく夏はもっと藪がひどく、ヤマビルも出そうなので冬季の登城がお勧めです。
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2022/02/05 21:32
2022/02/05 21:30
2022/02/05 21:21
2022/02/05 21:17
2022/02/05 19:28
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