秋月城は県道139号線によって南北に分断されており
その周囲を巨大な堀がめぐり南北も堀切によって
分断されていたようです。城址碑のある北側の郭が
主郭のようで現状墓地でヤブ化が進んでいます。
城郭大系に寄ればここが南北朝時代に四国大将・四国管領
として四国の守護に号令した細川氏の居館跡ということです。
阿波の吉野川流域の武士たちが足利尊氏に協力し湊川の戦いで
楠木正成を破る強力な兵力になっていたそうです。
戦国期には秋月五郎左衛門光秋が城主を務め、天正年間に落城。
本丸の一角に秋月城主及び戦没将士の墓 があるそうです。
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