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美夢

【かるた】鉢形城の読み札

氏邦が 部下を救けた 鉢形城

読み札のみの投稿です
豊臣秀吉様の小田原攻めの際
籠城した北条氏邦様は兵の助命を条件に開城された
という歴史を詠んでみました

春には「氏邦桜」が綺麗に咲きます🌸

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にのまる

【かるた】弘前城の読み札

津軽富士 望みてゆかし 弘前城


かっこいい岩木山の写真、ください!!

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にのまる

【かるた】根城の読み札

みちのくの 中世城館 浮かぶの根!


城郭名を最後に入れてみたの根!

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ヒロケン

【かるた】上田城の読み札 (2023/04/01 訪問)

「六文銭 陣旗たなびく 上田城」

第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を翻弄しその名を全国に轟かせた真田父子と上田城。
桜が満開で千本桜祭りが行われており、花見客の方でごった返していました(*_*) 30分程駐車場難民でうろうろしましたが、櫓と桜のコラボ奇麗でした(*^▽^*)

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じゅんじん

8年ぶり2回目 (2023/01/04 訪問)

土木技術の高さがわかります。よきお城。土の城代表格です。

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まにまに

桜と吉田城 (2023/04/01 訪問)

久しぶりに吉田城。
やっぱり城と桜はよく似合う。
酒井忠次が城主を務めた時代もあるから、大河ドラマで少しは盛り上がってるのかなと思ったら、いつも通りの吉田城でした。

以前に来たときは本丸大手が通行止めだったのが、通行出来るようになってた。
それで気づいたのだけど、城址碑が石垣の上にあった。あの高さではなかなか気が付かないと思うのだけど何故?

城内はかなり広く、堀や石垣もしっかり残っていて、散策するにはピッタリ。
雁木や刻文、鏡石なども思わず通り過ぎそうだけど、しっかり見てほしい〜。

はらはら散る桜も綺麗でちょっと切なくなってしまった。

ちなみに駐車場は無料なので、心ゆくまで城内散策できます!

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カズサン

桜が二度美味しい掛川城 (2023/03/29 訪問)

 掛川城は3月10日前後の掛川桜と3月末前後の染井吉野桜と二度の桜が3月に鑑賞する事が出来ます、3月8日に掛川桜と掛川城の鑑賞と探訪を楽しみ、3月29日には染井吉野桜が満開と情報が飛び交い心もウキウキ春爛漫の遠州路へ飛び出し、袋井市の久野城の桜を始めに、続いて掛川城へと登城しました。
 染井吉野桜は満開、城と桜はいいですね、水曜日ですが人の出も多くそれなりに賑わっていました、しかし天守閣の修復工事の完了は3月末まで、リニューアルした天守閣に登れるのは4月1日より、投稿してる本日に登閣オープンと成ってる事でしょう。
 
 ルートは大手門駐車場から大手門を潜り、大手橋からの眺めを楽しみ逆川沿いを歩き緑橋から三の丸へ、三の丸から本丸天守閣方面を眺めて桜とのコラボを楽しむ、二の丸御殿階段の右にあるミツバツツジも咲き左は桜、階段中央に鉢植えチューリップと、絵になりパチリ、二の丸御殿の庭先より天守閣を眺めて、三日月掘りと桜、十露盤掘りと桜、本丸に入り下よりリニューアル天守閣と桜を撮る、あと三日で天守閣に登れたのにと思うが仕方なし。
 
 昼時でしたので城下町で、そばでも食べようと思い出るが水曜日で店は休みの様子、緑橋たもとのイタリアンは団体か?1時過ぎまで入れない、下のショップで掛川どら焼きを買い手持ちの城廻非常食と合わせて昼食とする、掛川どら焼きは抹茶あんこで美味しかったです。
 次の勝間田城を目指す。
 

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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅶ 細野城 (2023/03/21 訪問)

 伊勢志摩未踏の城廻の三日目は雨予想、早朝より長野氏の城跡で一族の細野氏が南北朝時代に築かれたと云われる細野城を前泊の松阪市のホテルより地道をナビに従い目指す。

 情報ガイドは古城盛衰記さんグーグルマップで登城口国道163号線沿いに到着、駐車場無。

 駐車エリア:登城口のある国道163号線の長野川側下に高木自動車板金塗装がありその隣に北長野浄化センターが在る、センター沿いの道が幅広になっており縦列して駐車可能数台(34°44'21"N 136°21'56"E)、農道の様で車の動きは少ない。国道側を見上げると細野城(長野氏城)東の城の山容である。

 車を駐車エリアに駐めた頃小雨状態に山沿いは雨が早く来たようです、とりあえず登城口へ案内板、縄張り図(縄張り図には赤線で登城路が付記されている)、周辺を撮影し、少し登ってみるが倒竹で登城路はふさがれており、倒れた竹は古くあまり整備がされて居ない様子、雨も降り登城はそこで諦めました。
 駐車エリアも確認できたので次のチャンスを狙いたい。

 この城は津市の表記では長野氏城跡されており、城郭放浪記さん古城盛衰記さん表記では細野城を取っておりましたので細野城を取りました。
 城びとでは三城をそれぞれ東の城、中の城、西の城と扱っておりましたので、手前の東の城で投稿させて頂きました。
 ここから北西に長野氏の主城である長野城が在ります、のでここは長野氏城(東の城・中の城・西の城)と表記されたのでしょう。
 

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チェブ

【かるた】山形城の読み札

駒姫の 覚悟の後ろに 山形城

人好きなもので、、、。駒姫の嫁ぐ日を、読み札に込めてみました。この後の悲劇が可哀想で。
一文字門とか、枡形門とか素晴らしい「山形城」。
なのに写真は、駒姫のお父様 最上 義光さんばかりでした。

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朝田 辰兵衛

【かるた】小谷城の読み札 (2017/11/27 訪問)

気をつけろ! マダニが巣くう 小谷城

コロナ前に良くマダニ被害を耳にしました。外出規制が解かれた本年,あらためて注意が必要と思い,詠んでみました。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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朝田 辰兵衛

【かるた】丸岡城の読み札 (2017/11/25 訪問)

霧を呼ぶ 大蛇伝説 丸岡城

丸岡城の井戸に大蛇が生息していたという伝説があります。丸岡城が敵から包囲されてしまった時,井戸から大蛇が姿を現し,霧を呼んで城を覆い隠したとのこと。別名の霞ヶ城は,この大蛇伝説が由来。そんな世界観を詠んでみました。
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※続け,常連の猛者たちよ!

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美夢

【かるた】丸岡城の読み札

雪深し 丸岡城の 石瓦

読み札のみの投稿です
現存天守では丸岡城だけの特徴である笏谷石の石瓦
豪雪地帯ならではのくふうを詠んでみました

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【かるた】吉田郡山城の読み札

百万一心 三本の矢が守る 吉田郡山城

 毛利元就は吉田郡山城の普請のときに人柱に代えて「百万一心」と書かれた石を埋め、みんなで心と力を合わせてことにあたるように教えたとされています。三本の矢の教えとともに一致団結の大切さを示したものです。その心が尼子の大軍の猛攻にも耐えられたのでしょう。その一方で毛利元就は敵に対しては一致団結を壊すことを得意としていたように思います。

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トク

【かるた】大野城の読み札

大宰府の 守り固めよ 大野城

写真は百閒石垣です。

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トク

大野城(大宰府口門、百閒石垣) (2023/03/31 訪問)

かるたの投稿をする前に、よく考えたら大野城は地元福岡なのにまだ一回も行ったことはない事に気がつきました(笑)。同じ四王寺山(しおうじやま)の中腹にある岩屋城には何度も行っているのに・・・。ということで今回はあと1km足を延ばし、山の頂上の大野城まで登ってきました。

663年白村江の戦いで唐・新羅連合軍に敗れた天智天皇は、この連合軍がもし日本に攻めて来た場合を想定し、翌年に大宰府政庁を防衛の拠点とし、その北側に「大野城-水城(みずき)-基肄城(きいじょう)」の防衛ラインを築きました。(岩屋城より見た防衛ライン:写真①)

訪れてみて驚きました。関ケ原より1000年も前の築城だというのに、野面積の石垣や土塁などを用いています。説明板から、この四王寺山は山の頂上から麓まで全体が大規模に要塞化されていたようです。同じ頃に造られた鬼ノ城も訪れた事がありますが、推測するに大野城の方がさらに規模が大きかったのではないかと感じました。百済から技術者を連れてきて築城したらしいですが、当時の朝鮮にはすでにここまでの築城技術があったのには驚きました。

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トク

【かるた】津和野城の絵札

太鼓谷稲成神社にある千本鳥居の写真です。

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朝田 辰兵衛

【かるた】上田城の読み札 (2017/06/10 訪問)

二度までも! 徳川キラーの 上田城

第一次上田合戦,第二次上田合戦,ともに相手は徳川軍というポイントを詠んでみました。『どうする家康』でどのような描かれ方をするのか楽しみです。ナレーションだけで終わるのは勘弁してほしいです。
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※続け,常連の猛者たちよ!

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朝田 辰兵衛

【かるた】弘前城の読み札 (2018/05/03 訪問)

天守移動 曳家工法 弘前城

話題になった曳家工法による天守移動を詠んでみました。元に戻すのは2025年と言われています。
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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅵ (2023/03/20 訪問)

 伊勢志摩未踏の城廻二日目は前日終わりの鳥羽城からの続きで、先の遷宮されてから参拝してない伊勢神宮に朝早く参拝し開店前のおかげ横丁の散策をして、再登城ですが久しぶりなので田丸城、松坂城と廻り時間が有ったので松阪市にある八田城を伊勢未踏の城廻Ⅵとして初登城しました。

 案内ガイドは、古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 駐車場は有りませんが古城盛衰記さん案内で登城口前に駐ました。(34°36'57"N 136°26'58"E)

 登城は害獣除けのフェンスを開閉して入ります、登城口に城名石碑と八田城跡案内板があります、簡単な登城門が設置してあり、櫓風の小屋もありますが風雪に耐えた建造物で少し心配な造り、比高20~30メートルほど堀底道を登って行くと主郭に着きます、虎口があり、周囲は土塁がある、中心に屋根付きの八田城跡看板、虎口の反対西側土塁上に樹木に隠れて丸木組の櫓が立ってる、その下に別曲輪への虎ロープ付き道がある、南側にもう一つの虎口、続いて大堀切、その上に丸太3~4本束ねた橋が交互に架かってる、不安定で渡るに緊張が走る。主郭の戻り下城しました。

 歴史、城跡情報は八田城跡案内板をご確認ください。掲載投稿しています。

 車を駐めたエリアから西にしだれ桜が満開できれいでした、走行中には桜の開花が見られました、今年は早い。
 
 

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POYO58

4年ぶりの攻城 (2023/03/16 訪問)

遺構★★★⭐︎⭐︎ 石垣、水堀、天守閣跡
駿府城に行ってきました。ってかめっちゃ久しぶりの投稿となります。駿府城は徳川家康が築城したのが始まりですが、そのすぐ後、秀吉の命令によって関東に移されると、中村一氏が改築し、天守を築きました。秀吉の死後、再び家康が入り、一氏の天守を取り壊して日本一大きな天守を築きました。家康はそこで晩年を過ごし、亡くなります。その後天守は落雷により焼失、再建されることはありませんでした。

駿府城は主に外堀と石垣が見どころとは思いますが、発掘調査のされた天守閣跡を見るのがいいと思います。中村一氏のものと家康のものが共存しており大変貴重です。一氏の天守台は野面積みが主ですが、家康のは切り込み接ぎや打ち込み接ぎとなりよく違っています。さらにすごいのはなんと、家康の天守台にはかつて薬研堀があったようです。これには驚きました。他にも、本丸堀の石垣や、朝田辰兵衛さんのクイズにもあった水路の石垣も必見です。積み方が混合された石垣は見どころですよ。あ、ちなみにこれなぜかというと、観光協会の方に伺うとどうやら、地震が起きるたびに石垣を修復していたからだそうです。歴史の背景もかんじられる面白い城でした。
写真はスマホで撮ったものです。後ほどカメラで撮ったものも紹介します。

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