玄宮園は彦根城に隣接する大名庭園(池泉回遊式庭園)で「楽々園」とともに国の名勝に指定されています。延宝6年(1678)に4代藩主・井伊直興によって整備されたとされ、11代藩主・井伊直中の隠居屋敷となったようです。背後に天守を借景とし、4つの島と9つの橋がかかっています。
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2024/02/07 22:30
2024/02/07 20:59
天下人の真骨頂。 (2024/01/26 訪問)
石垣山城には5年置きくらいに行っています。久々に訪れたら本丸北の石垣が少し崩れていたみたいですね。もちろんすぐにはわかりません。昔の写真と比較してみて気づいたんですね(ヒマ人か)。石垣山城の築かれている尾根は箱根山が噴火した際に冷えて固まった溶岩によって構成されているようで、皮肉なことに小田原城のすぐ近くで石垣に使う石材を調達することが出来たようですね。
だからといって土の城の到達点といえる小田原城のすぐ近くに総石垣の城を築くなど常人に思いつくことではなく、まさに天下人秀吉の真骨頂と言えると思います。パンフレットには一夜にして建造物に白壁をほどこし、伊達政宗が紙を張ったものと見貫き、秀吉を始め諸将に賞賛されたと記されています。急造とはいえスケールの大きい石垣を持つ城ですが、こんな小技も駆使していたのですね。
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2024/02/07 19:55
蒲郡シリーズ 竹島2 毛利秀就の石切り場 (2024/02/03 訪問)
竹島の秘密。それは石燈籠の礎石になっている岩が矢穴石なんですね。三河湾一帯から篠島に至るまでは幡豆石と呼ばれる花崗岩(もしくはトーナル岩)の産地で名古屋城の天守閣の石垣などに使用されているようです。蒲郡では竹島のあたりが毛利秀就の石切り場とされているみたいですね。他にも西浦海岸には福島正則の石切り場が有りました。篠島には加藤清正の枕石がありました。戦の合間に武士たちが目の色を変えて石を探している様が目に浮かびます。
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2024/02/07 19:31
ふらりと立ち寄ってみました。 (2024/02/04 訪問)
また上ノ郷城に行ってきました。自宅が豊橋市なので非常に近いんですね。大河ドラマで丸々1回をこの城の攻略に費やしていたので記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。この城はいつ行っても誰かが訪問してきているようです。主郭には地元の方が植えたスイセンの区画が有りました。城址碑のある土塁の近くには気の早い梅の花が咲いていて見る者の目を楽しませてくれます。
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2024/02/07 19:21
小川西ノ城跡 (2023/12/23 訪問)
【小川西ノ城跡】
<駐車場他>清光寺駐車場?県道138号線脇の駐車スペース<34.847132, 136.033274>に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>横堀・土塁・曲輪
<感想>小川西ノ城の築城は小川城の投稿の通り戦国期に多羅尾氏が改修したと考えられています。南の小川城から街道の谷を挟んで北側に位置する比高のあまりない丘城です。
小川城から続けての登城、上記駐車ポイントから城跡への矢印版がありますし、山に入った所からすぐに城跡遺構があるのですぐ分かります。城跡は主郭の東側に堀切を挟んで副郭、その東に曲輪群があります。副郭は土塁と横堀で囲んでいます。主郭はひと際高く位置して横堀があります。小川城の説明板に東斜面に畝状竪堀があるそうですが添付写真のように現在は薄くなって表面観察では分かりません。主郭内部もたいぶ笹薮化していますが、北側に2か所切り込みがあり虎口だったかもしれません。西隅に盛土があり何らかの遺構にも見えました。主郭の西は谷・大堀切になっていて、小さい尾根が続いていました。
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2024/02/07 17:26
2024/02/07 08:05
まっすぐのびる馬場跡 (2023/12/16 訪問)
詳細は不明ながら、室町前期に御馬廻衆として幕府に仕えた藤井三位の城で、室町中期には廃城となったようです。
茨木市立文化財資料館から徒歩で登城。茨木川と坊領川の間の美沢公園周辺が城跡ですが、住宅地となっていて遺構は見当たらず、公園内に石碑と説明板があるくらいです。公園の外側に沢良宜城説明板の案内表示が掲示されているのがありがたいですね。
美沢公園の東には佐和良義神社の鳥居があり、その東側に一段高く南北にまっすぐのびる参道は沢良宜城の馬場跡と云われています。かつては馬場の東側には茨木川が流れていたことから考えるに、馬場は川沿いの土塁を兼ねていたようにも思えます。馬場の北端には佐和良義神社の社殿が建っています。沢良宜城の北東隅にあたるため、鬼門除けの意味もあったのかもしれません。そして、美沢公園まで戻って西辺を画する坊領川を渡り、次の目的地の三宅城に向かいました。
石碑と説明板のほかは馬場くらいしか見るところはありませんが、まっすぐのびた馬場跡は見るからに馬場! という感じでした。
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2024/02/07 07:08
平戸島にわたる前の朝駆け (2023/12/26 訪問)
平戸城を海峡越しに臨むホテルに泊をとり、平戸島にわたる前に朝駆けにて攻城してまいりました。セブンイレブンのある交差点から登城してみました。なかなかの空堀が巡っていましたが、竹藪と化してしまっています。主郭と思しき場所も竹藪でした。
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2024/02/07 07:08
雪景色 (2024/02/06 訪問)
東京出張を南岸低気圧が直撃、都心でも積雪となりました。
湿った雪で足元は大変でしたが仕事前に江戸城周辺を散歩しました。
宿を茅場町に取っていたので徒歩でまずは常盤橋門ヘ。
立派な石垣の前に型崩れした雪だるまがポツンとおいてありました。
その後大手門、巽櫓、桔梗門、坂下門を経て伏見櫓から桜田門ヘと定番コースを進みます。
流石にこの日はランナーの姿もありません。
さらに堀沿いを歩き日比谷見附ヘ。
伊達政宗終焉の地でもあります。
日比谷公園もいつもは多くの人がいるのにこの日はまばら。
石垣の写真も人を入れずに取り放題でした。
仕事の時間も近づいてきたので和田倉門を見学して地下鉄ヘ。
まだ少し余裕があったので飯田橋で途中下車して牛込見附も見学できました。
江戸城見学はここまで。
この後仕事もちゃんとやって讃岐へ大返し。
久しぶりの江戸城、足元は悪かったもののふだんは見られない雪景色。
これはこれで貴重な経験なのかもしれませんね。
関東を離れ半年、久しぶりに東京ヘ来ましたがやっぱりキラキラしていて良いな、と。
たまに来るから感じるのかな?
それにしても寒かった。
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2024/02/07 00:50
三八城=さんぱちじょう……と読むのではなかった(;'∀') (2023/12/01 訪問)
人生初の八戸線2駅乗車で本八戸駅に降りたち、現在は南部会館表門となっている角御殿表門へ向かいました。
凡そ棟門のイメージとかけ離れた存在感のある門はその大きさゆえに独特なつくりをしています。唯一の建物遺構だと思うとしっかり見ておかなくてはという気持ちにもなり、近づいたり離れたり、歩道橋に上がったりしながら目に焼きつけてきました。(※東門の移築と伝わる門が根城に現存)
風雪のため倒壊した冠木の中央から小さな毘沙門天が発見されたという話に遺構浪漫を駆りたてられます。
道路を渡った三八城(みやぎ)公園が本丸跡。絵図を見ると駅から歩いてきたあたり一帯が城域のようです。八戸藩初代南部直房公像、城址碑などを見ながら城思いに耽ってきました。公園内の築山も土塁も発掘調査により江戸時代のものと判明したそうです。少し高台で、展望デッキは工事のため行けませんでしたが、城下を一望できました。
公園散策のあと八戸市の中心街の方に向かっていると少し変わった形のロータリーに出ました。
何だかすごく……お城の匂いがします。大きな石碑には「明治天皇行在所舊阯」。八戸城の文字はありません。でもなんか気になる……。
でもまぁおなかもすいたことだしと、八戸城のことは一旦おいといてお昼ごはんのお店をさがしに出かけました。しかしあいにくお目当てのせんべい汁のお店は見つけられず、八食センター(八戸市民の台所)まで行くのも時間的に厳しかったので、次の目的地の根城へバスで向かいました。
根城では、散策前に前回訪問時に寄らなかった八戸市博物館に入館しました。
てっきり根城のガイダンス施設だと思いこんでいたので、新御殿の模型や城絵図など、見てきたばかりの八戸城の資料が充実していてびっくりでした。角御殿表門のあった場所も理解できましたし、冠木から発見された小さな毘沙門天の実物が目の前に現れた時には大感激そして大興奮でした。
また、城絵図をじっくり見て、先ほど城の匂いを感じたロータリー周辺が二の丸へ至る枡形のあたりと重なることを確認しました。水堀は埋められ当時の面影は失われていますが重要な虎口のあった場所は時代がかわってもその雰囲気を残しているものだと実感しました。
歴史を感じながらの町歩き、楽しかったです。
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2024/02/06 23:13
川田館(山梨県甲府市) (2024/01/07 訪問)
にのまるさんから紹介していただいた“勝頼グランパ館”。八田家御朱印屋敷から徒歩圏内です。たったパネル1枚ということで,有能な子供から全くリスペクトされなかった親の抜け殻を見た気がしました…。
この日の晩,大月駅前で,その有能な子供「信玄」の名を冠した郷土料理店で「ほうとう」を食しました。みそ味。
川田館だけでは写真がショボいので,「ほうとう」と「信玄」の門構えをアップします(←スタッフに了解済です)。
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2024/02/06 21:48
根城は案外要害なのだ (2023/05/03 訪問)
北から郭群を見上げてみたら意外と切岸が高く要害の地であることを認識した。南端の沢里郭も南側の堀までよく残っている。それにしても中世以来の武家制度を明治まで維持した八戸(遠野南部)氏はやっぱりすごいと思う。
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2024/02/06 21:33
三島神社のお参りコースが登城道となる。 (2023/04/29 訪問)
岩尾城は去年のGWに訪問したのですが時間が遅く写真も暗めだったんですね。お蔵フォルダをあけて中をのぞいてみたら案外いけるんじゃない?と思って勢いで投稿させていただきます。千曲川と湯川の合流する丘陵上に築かれている平山城で文明10年(1478)に佐久郡大井荘の地頭大井氏の氏族・大井行俊によって築かれたとされています。
大手は東側にあり三日月掘が三の丸の東側にあり、三の丸、二の丸と続いて本丸に至ります。伊豆箱根三島神社の裏側がわずかに高地になっていて、そこが本丸跡になります。写真を見ると暗い写真を調整したりしていろいろ苦心したあとが見受けられます。
考えた末にお蔵入りしていたのですが、結局ひっぱり出してきています。セコセコ投稿ですね。
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2024/02/06 20:57
2024/02/06 20:19
蒲郡シリーズ・竹島 日本のモンサンミッシェル (2024/02/03 訪問)
愛知県蒲郡市の竹島は陸地と387mの橋でつながっています。干潮時には歩いても行けるんじゃないかと思えるほどで(やったことないけど)それだけ陸地に近いのに独自の植物体系を持っていて八百富神社の社叢は国の天然記念物に登録されています。
島の頂部には日本七弁天の一つ「八百富神社」など5つの神社があり信仰の島でもあります。どこかで見たことが有ると思ったら、かの有名なモンサンミッシェルにそっくりじゃないですか(雑賀崎か!)
いまのは冗談ですが竹島の鳥居の扁額は東郷平八郎の書を写したもので、大戦中に金属として供出されましたが戦後新たに復活しています。帰りに橋の上にカモメがいっぱい留まっていました。両脇にとまっていて、なんとなく神様の気分になります。と思ったらどこかのオジイがエサをあげてます。そうか‥悪いけど君らのゴハンは持っていないんだよ。
※竹島にはまだ秘密があります。
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2024/02/06 19:48
いにしえの城のいにしえな口コミ (2014/01/07 訪問)
肉球さん。坂本城の石垣の写真「いいね」です。琵琶湖がますます干上がって、もう少しで遺構全部が陸上に出てきそうですね。関西は大丈夫でしょうか?ますますもって琵琶湖県‥もとい滋賀県の有り難さが身に沁みますね。
私と言えば性懲りも無く古い写真を持ってきてしまいました。正月に九州に行く予定が急きょ予定が入って中国遠征にとどまり、しばらく九州に行く予定は無さそうです。ちょっち悔しいので大野城の写真を登録してしまいます。大野城は天智2年(663)白村江の戦いの後に西日本各地に築かれた朝鮮式山城の一つで、政庁の北にそびえる標高409mの四王寺山に築かれ、周囲6.5kmを土塁で囲み谷は石塁で塞いでいます。城域の東北部、二重土塁の内側に小石垣や百閒石垣などの石垣遺構が残っています。
写真もいいかんじにボヤけて、いにしえ感満載ですね。(悪い意味で)
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2024/02/06 19:26
小川城 (2023/12/23 訪問)
【小川城】
<駐車場他>主郭手前に5台程度の駐車場がありますが、登り口<34.848581, 136.040028>からの山林道路が狭いためお勧めではありません。運転経験がある5ナンバー以下の4駆車なら行けそうです。私は200m程手前の分岐にある空き地(1台分)に駐車しました。お勧めは小川中ノ城跡の登り口<34.845128, 136.032368>に1台分の駐車スペースがありますのでそこに停めて中ノ城を見て裏奥の登山道を登って城跡に入るルート(おそらくこの道が大手道かも)がよいでしょう。
<交通手段>車
<その他城跡説明>Googleマップに小川城跡(徳川家康の伊賀越え)と西にもう一つ小川城というのがありますが前者が城跡主郭位置で後者は城跡の大手口の基地(尾根曲輪と傾斜削平地)のような感じになっている遺構でした。
<見所>主郭・切岸・堀切
<感想>現地説明板によると小川城は1305年に鶴見氏によって築城されたとの伝承があるが定かではありません。戦国期には西之城・中之城とともに改修され多羅尾氏の支配下にあったと考えられています。多羅尾氏は豊臣秀次事件に連座して城は廃城となりました。その後本能寺の変の際、徳川家康の伊賀越えで家康は信楽で1泊したのがこの小川城と伝えられ、この時の功績で多羅尾氏は江戸時代に世襲代官となります。
山頂部一帯はよく整備されていて草が綺麗に刈られています。主郭中心部は山を削り掘り下げて周囲を土塁にして内側下部に石積みが残っています。また礎石も残されています。主郭西端は土を盛上げて櫓台のようになっており、主郭南側は広い平坦地になっています。主郭の南西隣に東屋のある曲輪があり、その西側が堀切で城跡主要部の虎口だったようにも見えます。そこに中ノ城への下って行くルート(前述<駐車場他>のルートと繋がる)があり下ってすぐ舌状曲輪⇒前述の大手口基地⇒中ノ城との中間地点に小さい堀切とすごい深くて大きい堀切があり見応えあります。
主郭の東側は小さな段曲輪があり一旦谷になっています。東にもう一回登ってピークに狼煙台のような小さい曲輪があります。その東がまた降りて尾根曲輪の削平地になりその先が整備が終わって笹薮になっていました。
北西麓の中ノ城と西ノ城は東西をはしる街道を南北に挟んで築かれていることから街道を押さえる城で、山頂部は合戦があれば本城の役割をする連携している一連の城郭群だったと私は考えます。領主の多羅尾氏は平素どこに住んでいたかは分かりませんが、山頂部の規模や主郭に礎石建物があったとすると相当立派なものだったと思われます。時間を取って前記2城と合わせて3城見る事をお勧めし、満足度は3城跡合わせてのものとします。このあと西ノ城、中ノ城を訪城したので順次投稿します。
<満足度>◆◆◆
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2024/02/06 10:37
標高663m、寒いはずだわ・・ (2023/12/23 訪問)
上田からしなの鉄道に乗って、いざ小諸へ!
なんとも懐かしい電車が来たではないか!調べてみたら、湘南カラーというのね。いきなりテンションが上がった。
さて、この日の小諸は前日からの雪が少々積もり、吹き付ける冷たい風で顔もパキパキである。
午後から用事があるため、開園とともに登城しようと思い少々早く着いてしまった。
1分でも外で待つのは辛いという中、懐古園入口横にある歴史博物館「徴古館」の館長さんが、チケットは後で良いので、中に入って見学してても良いですよ、と言ってくださり、有難く中に入れてもらった。感謝〜
博物館は小さいが「どうする家康」にハマっている私と友人にとっては興味深いものばかり!盛り上がって喋りまくっていると、館長さんが展示物の説明をしてくださり、色々と勉強になりました。
館長さんとの楽しいお喋りの後は、いよいよ小諸城へ。しかし、雪のせいで足元がおぼつかなく、ざっと見るのがやっと。私は2度目だが初登城の友人は残念がっていた。併設されている動物園にも行ったが、寒すぎて動物たちの動きも鈍い。ということで、冬の小諸は寒すぎて登城には不向きであることが分かった。でも今回は博物館を見るだけでも十分楽しめたので良しとしよう(その1)。
登城後のお楽しみはもちろん小諸そば♪寒いけどビールも!ここで元気を取り戻し、最後は駅を越えて雪を被った大手門を見学。寒かったけど、美しい門が見れたので良しとしよう(その2)。
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2024/02/06 10:25
91【関ケ原の26人】(25)島津豊久 (佐土原城①-鶴松館・いろは館) (2023/11/04 訪問)
(25人目)島津豊久の続き④です。関ケ原当時の居城「佐土原城」を訪れてきました。
宮崎駅または宮交シティ(南宮崎駅前)から出ている橘通り経由「西都(さいと)」行のバスに乗り40分、「交流センター」で下車すると目の前が佐土原城「鶴松館(かくしょうかん)」と城の駅「いろは館」です(写真①②⑦)。
父の家久には1584年沖田畷の戦いで龍造寺氏を破った功績で、ここ佐土原の地が与えられます。そして1587年豊臣との根白坂の戦いに敗れるも、秀吉より佐土原の地を安堵されますが、翌年に突然の病で亡くなってしまいます。そこでまだ18才であった嫡男の豊久が後を継ぎ佐土原城主となりました。
当時は鶴松館の背後一帯の山が城で、山頂に天守があり、関ケ原で豊久が亡くなると豊久に嫡子がなかったため、家康から叔父の島津以久(これひさ)に与えられ、似久が初代佐土原藩主となりました。そしてその子(2代藩主)忠興が山頂は不便なため麓に館(鶴松館)を構え居を移し、その館が現在再建されています。
スタンプは(いろは館)(鶴松館)どちらでも押せますが、鶴松館は土日祝しか開館していないので注意です。私はまずいろは館に行き荷物を預ける所がないか聞くと、気さくな店員さんで「うちで預かりますよ、パンフレットもよければどうぞ!」と無料で預かってくれました(ありがとうございます)。おかげで身軽で登城する事ができました。おいしそうなお弁当が売られていてイートインコーナーもあったので、そこで食べてから登城しました(この手作り弁当おいしかったです😊写真⑩:登城後に食べたソフトクリームも)。
いろは館の前には記念撮影用のコーナーもありました。豊久は美男子だったとの説があり、それでコミックの主人公にもなったようですね(写真⑧)。訪れたのは秋で、ちょうどいろは館の前はコスモスが綺麗に咲いていました(写真⑨)。
まず登城前に鶴松館に入りました(写真③)。入口から入ると大広間があります(写真④)。ここは藩主の対面の場に使われていたようです。さらに庭園を眺めながら(写真⑤)その廊下を渡った奥の書院は歴史資料館になっていて、佐土原城の歴史(伊東氏の時代から島津氏の時代と西南戦争まで)が展示説明されています。また佐土原城登城路の様子がビデオなどで解説されてますので、登城する前に先に見学される事オススメです(写真⑥)。
次は、佐土原城に登城する前に、家久・豊久の墓が近くにあるのでちょっと先に見てきます(続く)。
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2024/02/06 08:34
見れました (2024/01/11 訪問)
今回も仕事途中の立ち寄りです。
普段は湖水に沈んでいる石垣が姿を現していることを思い出し向ました。
相方はマクドナルドで昼食、私はコンビニのおにぎりを頬張りながら見学。
入り口は畦道にある小さな看板。
僅かな時間でしたが貴重な遺構を見ることができ満足しました。
12月にしんちゃんさんが投稿されてましたが更に水位が低下しているようで
雪解けが始まる時期まで見ることができそうです。
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