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ランフランコ

#27 亀宝城 (2023/04/01 訪問)

サンガスタジアムのすぐ近くにあります。観戦前に寄りました。桜満開でお濠の周りはとてもいい雰囲気でした。

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todo94

【かるた】高知城の読み札 (2015/02/15 訪問)

南海に 本丸完存 高知城

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美夢

【かるた】高知城の読み札

むねを張り 「現存なり」と 高知城

朝田さんのお言葉に甘えて、現存天守&本丸御殿をテーマに詠んでみました
望楼の下の大きな入母屋造屋根が胸を張って誇らしげにしているように見えるので
「胸」と「棟」をかけて、あえて平仮名にしてみました

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ぎりょう

武田氏築城技術の集大成 (2023/03/31 訪問)

コロナ禍も一息ついた感のある年度末、三年越しの新府城訪問を実行することにした。東北新幹線はやぶさと中央本線あずさを乗り継ぎ甲府駅着午前11時40分、レンタカーで一路韮崎市へ。攻城前に韮崎市民族資料館で新府城の復元模型を見て、「見どころマップ」をゲットし、3km5分で新府公園駐車場に到着した。駐車場(未舗装、20台駐車可能か)は城址の北東に位置している。道を渡ると直ぐ左に堀(湿地)跡と東出構が目に入り、その向こう側には西出構も見えており期せずして搦手方面からの攻城となる。当初は丸馬出と三日月堀、大手桝形虎口が気になり、三の丸側からと考えたが、駐車場から南への移動が県道17号/七里岩ライン(対面二車線)を歩くこととなり歩行スペースが狭く交通量も多いから搦手側からの攻城は正解だったと思う。
東出構から西出構へ堀跡を西に進む。突端で比高129mの七里岩の断崖を覗き込むとその高さに足がすくむ。乾門桝形虎口を抜けて二の丸方面へ。途中で直系25mほどの井戸跡を見ることができる。二の丸は東西55m、南北75mの長方形の曲輪で北、西、南に土塁を築く。南側に馬出の曲輪を設けるが笹薮が生い茂り詳細は確認できなかった。ここで本丸を目指すところだが、攻城後の移動を考え三の丸側を優先する。三ノ丸は北側130m、南側100mの台形の曲輪。中央に土塁が作られ東三の丸と西三の丸に分かれていたというがここも笹薮が茂り踏み込むことができなかった。そしていよいよこの城の目玉ともいえる大手桝形虎口と丸馬出・三日月堀へ。城内側の桝形虎口からは遠く富士山の姿が望める。天正9年(1581)12月24日勝頼は甲府躑躅ヶ崎館から新府へ本拠地を移転したが、折々この場所で富士山を眺めることもあったのだろうか。丸馬出は東西30m、南北15mで外側に低く土塁が廻り、外側の三日月堀との比高差は10mほど。本丸は東西90m、南北150mの曲輪で現在は藤武神社が祀られている。また北側には八ヶ岳を望むことができる。
武田氏の築城技術の集大成といわれる新府城だが、天正10年(1582)3月2日に織田軍の攻撃により高遠城が落ちると、翌3月3日早朝に勝頼は城に火を放ち岩殿城に向けて落ちて行った。在城わずか68日間という。
参考文献「甲信越の名城を歩く山梨編 吉川弘文館」

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トク

【かるた】松山城の読み札

坊ちゃんも 見上げた天守 松山城

小説の主人公「坊ちゃん」こと夏目漱石。松山城の麓にある旧制中学に教師として赴任し、ここで様々な人間ドラマを繰り広げます。その度に彼はこの松山城を見上げ、人間関係に悩み、そして葛藤を描いていたのではないでしょうか?(吾輩も猫になりたい🤔?)
 

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赤い城

【かるた】江戸城の読み札

江戸城の 見附めぐりで 4万歩

にのまるさんのレポートに触発されて挑んだ江戸城の三十六見附めぐり。
8月の陽射しの中歩いた4万歩。
徳川の力を思い知らされました。

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宗春

家康ゆかりのお城を巡る③浜松城 (2023/03/21 訪問)

3/20に休暇を取って4連休とし、徳川家康ゆかりの城&大河ドラマ館を訪問してきましたが、最終日には名古屋から帰る途中で浜松城に立ち寄りました。

二ノ丸跡(ですかね)には大河ドラマ館が出来ていて、葵をモチーフにした(?)広場が綺麗でした。

ただ、天守付近以外に遺構的なものは無く、少し物足りない印象は否めないのが残念でした。

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赤い城

土塁が主郭を囲む (2023/03/19 訪問)

県道231号線沿いに説明板があり、駐車スペースになっています。
そこから上にも道路はありますが駐車スペースも無いためここから歩きます。
案内板も立っているので迷うことは無いでしょう。
土塁があり、城跡入口にも説明板が立っています。
主郭には石碑と東屋があり、周囲は土塁で囲まれています。
石碑の背後は結構な高さもあります。
主郭の周りには腰曲輪があり、虎口は3箇所に付いていました。
山城ではありますが堀切や竪堀も見当たらない小規模な城のようです。
それでも遺構も残り、真田氏が北条氏の攻撃を撃退した城ということで岩櫃城まで来たらセットで訪問してはいかがでしょうか。

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にのまる

【かるた】盛岡城の読み札

不来方の 記憶とどめし 盛岡城


お城の草に寝転んでみたい。

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美夢

【かるた】佐倉城の読み札

1100の さくらが誘う 佐倉城

このダジャレがやりたいだけで、写真を撮りに行って来ました(笑)
ですが、本数が千本以上あるというだけでなく、品種も約50種類ある
まさに桜の園なのです

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朝田 辰兵衛

【かるた】岩国城の読み札 (2019/11/25 訪問)

美の追求 錦帯橋と 岩国城

錦帯橋とコラボした景観美を追求し,本来の天守台から約50m南に現在の天守が建っている実情を詠んでみました。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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朝田 辰兵衛

【かるた】高知城の読み札 (2021/05/04 訪問)

土佐満喫 ひろめ市場と 高知城

お城の特徴で詠もうとすると,現存の天守と本丸御殿。17音ではうまく詠めません(どなたか詠めたら被せていただいてかまいません)。なので,ちょっと視点を変えて,土佐観光的に詠んでみました。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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キンヤ

横堀を多用した豊田氏の城 (2023/03/19 訪問)

この地域で勢力を持った豪族 豊田氏の居城とされます。
松永久秀に攻められ落城し、松永氏の指示によって改修されたと考えられるそうです。

郭は藪が多く見辛いですが、堀は比較的確認し易いです。
各郭の周囲は横堀が巡らされ、端は竪堀となる箇所が多いです。
特に南郭の西側から南側の横堀・竪堀、主郭・副郭の南西側の横堀から竪堀への折れが見応えありました。
主郭・副郭の南東側は、馬出状があり、二重の横堀や竪堀が交わり複雑です。

主要部の郭群から南東に離れた尾根には長大な横堀(堀切)・竪堀があります。
そこから更に南東側の二重目にも長い横堀がありますが、後世の通路のようにも見えました。

城域は思っていた以上に広大で、横堀を多用しテクニカルで凄い城でした。

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ヒロケン

特別史跡 徳川大阪城 (2023/03/25 訪問)

豊臣大阪城は大阪夏の陣後、豊臣氏と共に滅びました。大阪城はその後、2代将軍徳川秀忠公が幕府直轄地とし、西国有事に備えた幕府の軍事拠点としています。
今まであった豊臣大阪城に盛り土を施し、1620年から10年の歳月をかけ築城をし直しました。普請総奉行は築城の名手と言われた、藤堂高虎・戸田氏鉄等が務め(工期や城域により変更がありました)西国大名64藩に命じた天下普請によって築城されました。
再建された大阪城は、城域は豊臣大阪城の4分の1に縮小されましたが、石垣や天守閣の高さは豊臣大阪城を圧倒しています。

この日、岡山の在所に野暮用があり、久しく行っていない大阪城に訪問することを決め、豊橋を3時に出発し大阪の森ノ宮駐車場に6時半にIN。すぐさま、大阪城音楽堂を横切り南外堀・桜の並木道を通過しながら、石垣最高所の五番櫓東側付近33.5mの石垣を堀越しに画像に収めながら通過。大手門を横切り、西の丸の乾櫓を堀越しにパシャリ。その後、大手門から入城し、大手門、多聞櫓、千貫櫓を堪能し本丸へ攻め入ろうとしたとき、1枚の立て看板( ゚Д゚) 「大阪城の櫓 2023特別公開」(多聞櫓・千貫櫓)春の公開が3月18日~5月7日 夏の公開が7月15日~8月20日 秋の公開が9月16日~11月26日 時間を確認7時。公開は9時~オーマイガー!岡山には、遅くても13時までには、入らないと厳しい((+_+))夏か秋に再訪を決め、断念しました。ちなみに拝観料金は、西の丸・天守閣・櫓含め1300円です。
今日の投稿はココまでです。

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カズサン

桜と景観整備進む勝間田城 (2023/03/29 訪問)

 桜も満開、春の陽気に遠州路を桜と城跡を求めて、袋井市の久野城、掛川城を終えて牧之原市の勝間田城へ、2月の末に姫街道さんが二次景観整備なる二の曲輪と東尾根曲輪間の谷筋の樹木伐採、樹木高さ調整の投稿が有りましたので草が伸びる前にと桜満開に合わせて登城しました。

 駐車場は麓の専用駐車場利用、既に1台入ってる。トイレも完備、資料ボックスにもパンフレット充足。帰る頃は5台で満車。

 駐車場から舗装路を登って行く、住宅地に桃の花が咲き、茶畑は新芽が萌えてい美しい景観です、出曲輪、既に樹木伐採された景観整備の三の曲輪北側には灌木が茂ってきましたが、二段土塁、横堀、東の二重堀の畝こぶももよく確認できます。
 三の曲輪新虎口より二の曲輪虎口越しに桜を鑑賞、三の曲輪内部に桜が数本とミツバツツジがあり桜は満開、ミツバツツジは今少し、内部と土塁上から桜を鑑賞、二の曲輪へ西の桜と南の桜、二の曲輪南側、東尾根曲輪北側の大堀切からの谷筋が樹木伐採、樹木高さ調整されて二次景観整備が完了している、大変見やすくなっていました、二の曲輪西側と北尾根曲輪(Ⅱ)の間も樹木伐採されてすっきりしました。
 東尾根曲輪から東の五重堀の手前二つの堀と曲輪は北側伐採されてすっきり、その奥東はまだ樹木が密集してる、東尾根曲輪より五重堀方向に山桜?がありビューポイント、また二の曲輪方向も見ごたえありのビューポイント、雲が厚く富士山は見えず、冬の晴れてた日には見えるでしょう、本曲輪には桜が満開、絵になります。
 本曲輪の南側土塁法面の昨年台風15号9月23日土砂崩れの爪痕はそのままですが道は整備されています、南曲輪、南曲輪の下の道は堀切の上になっており橋が緩んで歩行注意のまま、西方向の一騎駆けまで探訪、新緑新芽が美しい。

 また4月2日には静岡古城研究会会長と小次郎さん案内人による山城案内と森林ウォーキングの案内チラシがトイレ横のチラシボックスと諏訪原城ビジターセンターに置いてありました、投稿時には既に終わってるでしょうが。
 
 この後は桜は少ないですが諏訪原城に寄って帰ります。
 

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チェブ

多宝塔と涅槃像。 (2023/02/25 訪問)

茨城県龍ヶ崎市の「馴馬城」は歴史民俗資料館の奥に遺構があります。
、、、実際、よく分かりませんでした。空堀かな?と進むと民家で、遺構かは分かりません。
「馴馬城」は文献資料によると、南北朝時代にあったようです。
南朝方の、春日 顕国さんが籠城し、北朝方の 宍戸 朝里さんに攻略されました。
お二方とも、初めましてで、どのような方々なのでしょう?
そして、写真③が「馴馬城」として写したつもりですが、何を写したのだか自分でも分かりません。

ちょっと歩くと、『来迎院』がありました。
多宝塔があり「江戸崎城」の城主が室町時代に修築したそうです。て、ことはもっと古い建築物です。
どっしりとしてますが、木々の組み方が繊細です。
多宝塔の後ろには涅槃像が横たわってお休みしてます。最近、足がつるので、仏様の足をなでなでしてきました。肩こりや腰痛もあるんだよな~と、仏様も目を覚ましちゃうんじゃないかと言う位、うろうろ。
*写真はありません。なでなでに一生懸命で忘れました。

「馴馬城」攻めのついでに『来迎院』、いかがでしょうか?
プロフィール写真を変えました。
、、、緑は目に良いから、が理由です。

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赤い城

【かるた】箕輪城の読み札(番外かも)

じゃない方 いくつもあるよ 箕輪城

メジャーな名前では無いと思いますが上野の他信濃と下総の同名城には登城しました。
下野にもあるようですが他にもあるかな?

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小荷駄

掛川城跡 (2023/03/25 訪問)

カズサンの投稿を拝見してから気になっていましたので当日は雨が降っていましたが塗りたての土佐漆喰の天守を見てきました。半年程たつと色が変わりはじめるみたいなので今のうちかと思います。カズサン参考にさせいただきました。ありがとうございます。

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カズサン

【伊勢・四日市陣屋】三重県四日市市 伊勢未踏の城廻Ⅸ 天領代官所 (2023/03/21 訪問)

 伊勢浜田城を終えて北に1km程の所にある四日市陣屋跡(現中部西小学校)を目指す。

 住所:三重県四日市市北町2-23(中部西小学校)
 駐車場:ありません。 校門前に一時路駐して撮影見学数分。
 情報とガイド:余湖図コレクションさんとグーグルマップに依ります。

 現在遺構は消滅してるようですが、小学校南側の校門横に四日市宿陣屋の案内板があります、案内板には四日市宿陣屋絵図と東海道分間延絵図巻九の四日市宿の絵図が掲載されています。案内板には四日市宿陣屋として載っていました。
 歴史と構造は案内板に在りますのでお読み下さい。
 

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カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅷ 俵藤太末裔の城 (2023/03/21 訪問)

 細野城(長野氏城)を終えて16年振りの津城再登城をゆっくり済ませた後、東名阪道を使い四日市の浜田城を目指す。

 駐車場は四日市文化会館の駐車場を当てにしていたのですが当日旗日催事利用者でないと使えないとの事で入口の東側にあるコインパーキングを利用。浜田城跡の在る鵜の森公園までは直線で600mほど四日市駅方向へ駅ちかの公園で、近くにもコインパーキングが彼方此方ありました。

 情報ガイドは古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 結構広い公園で約150m四方、出入り口は四方に在ります、公園の北東部に鵜野森神社が鎮座し神社の周囲に土塁が残っている、東に鳥居がありその周辺に、平成28年復元の冠木門、復元冠木門の提要の看板、浜田城址碑、鵜森神苑碑、俵藤太十六間四方白星兜の案内板などが設置されている、樹林の桜も開花し満開前、多くの市民が集っていました、参拝者もちらほら、工事中で一部閉鎖されて居る所もありました。

 田原氏の築城で俵藤太(藤原秀郷)の末裔、15世紀末から約100年この地で栄え信長の伊勢侵攻で信長の家臣滝川一益に攻められ落城したとあります。
 
 鵜森神社の社宝として俵藤太(藤原秀郷)の愛用の兜と伝わる十六間四方白星兜が国重文として大切に守られている。毎年十月の鵜森神社の例祭・式典の後一般公開されてると案内板に有りました。
 

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