蓮池城を終えて北陸路15番目南西に約3.4km程の安養寺城に初登城しました。
駐車場:無し、跡地約50m南の道路歩道のやや広い所に路駐(36°27'47"N 136°50'07"E h=60m)
参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップによる。
カーナビの目的地を少しずらし過ぎて目的地を見失うも、近くの八幡宮辺りで地元の方に聞き目的地に到着。
県道274号線を八幡宮角四辻を東に100~150m程行くと右手歩道側に勝興寺跡(安養寺御坊)指示看板が立っている、そこより北に農道50m程に安養寺城(安養寺御坊跡)の跡地に石碑、案内解説板、蓮如上人御文書の一説が刻まれた石碑が石橋を渡って小公園と成っている。約四百数拾年前にはこの辺りに越中門徒の一大拠点である、勝興寺が建っていたのでしょうが、現在は農地改良整備で水田地帯に成って小公園がその跡地を偲ぶ姿と成っている。
地元の方に聞いた時「安養寺御坊跡」より「勝興寺」の方がよく理解されてる様子でした。
案内板によると。
伏木古国府にある勝興寺は、蓮如上人の次男蓮乗が土山御坊を開いたことが起源である。その後移転を経て永正16年(1519年)に当地安養寺御坊を開く。天正9年(1581年)木舟城主石黒氏に攻められ焼失。天正12年(1584年)佐々成政は守山城主神保氏張を通して古国府城地を勝興寺に寄進し、勝興寺は現在の地に再建された。
勝興寺と井波城に在る瑞泉寺とは越中一向一揆二大勢力を誇った、現在の古国府城勝興寺、井波城瑞泉寺の寺院伽藍の彫刻は素晴らしく時間を忘れて見ほれるばかりです、さすが欄間彫刻で有名な井波の彫刻師集団の職人技なのでしょう。
この後は、射水の放生津城へ地道を使って走行。
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