あんようじじょう

安養寺城

富山県小矢部市

別名 : 安養寺御坊
旧国名 : 越中

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ぴーかる

勝興寺の安養御坊跡 (2026/05/09 訪問)

【安養寺城】
<駐車場他>駐車場はなし。路肩に停車してダッシュで撮影しました。
<交通手段>車

<感想>1泊2日富山ちょこ城巡り1000㎞旅3城目。安養寺城は現地説明版の通り勝興寺の安養御坊跡ということだそうです。一向一揆の拠点になっていたようです。石碑の場所が鐘楼跡で、城びと情報では堀跡も遺構があるようですが、停車中でしたのでこの場所の撮影のみとしました。名盤の石碑が倒れていました。

<満足度>◆◇◇

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カズサン

勝興寺の安養寺御坊跡 (2024/04/20 訪問)

 蓮池城を終えて北陸路15番目南西に約3.4km程の安養寺城に初登城しました。

 駐車場:無し、跡地約50m南の道路歩道のやや広い所に路駐(36°27'47"N 136°50'07"E h=60m)
 参考資料:城郭放浪記さんグーグルマップによる。

 カーナビの目的地を少しずらし過ぎて目的地を見失うも、近くの八幡宮辺りで地元の方に聞き目的地に到着。
 県道274号線を八幡宮角四辻を東に100~150m程行くと右手歩道側に勝興寺跡(安養寺御坊)指示看板が立っている、そこより北に農道50m程に安養寺城(安養寺御坊跡)の跡地に石碑、案内解説板、蓮如上人御文書の一説が刻まれた石碑が石橋を渡って小公園と成っている。約四百数拾年前にはこの辺りに越中門徒の一大拠点である、勝興寺が建っていたのでしょうが、現在は農地改良整備で水田地帯に成って小公園がその跡地を偲ぶ姿と成っている。
 地元の方に聞いた時「安養寺御坊跡」より「勝興寺」の方がよく理解されてる様子でした。

 案内板によると。
 伏木古国府にある勝興寺は、蓮如上人の次男蓮乗が土山御坊を開いたことが起源である。その後移転を経て永正16年(1519年)に当地安養寺御坊を開く。天正9年(1581年)木舟城主石黒氏に攻められ焼失。天正12年(1584年)佐々成政は守山城主神保氏張を通して古国府城地を勝興寺に寄進し、勝興寺は現在の地に再建された。
 
 勝興寺と井波城に在る瑞泉寺とは越中一向一揆二大勢力を誇った、現在の古国府城勝興寺、井波城瑞泉寺の寺院伽藍の彫刻は素晴らしく時間を忘れて見ほれるばかりです、さすが欄間彫刻で有名な井波の彫刻師集団の職人技なのでしょう。
 
 この後は、射水の放生津城へ地道を使って走行。
 

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小城小次郎

国宝・勝興寺の故地だという (2023/04/22 訪問)

越中一向一揆の一大拠点であったが焼き討ちされて移転したという。古図には堀跡も記載されるが圃場整備によって遺構は消滅した。ちなみに移転した寺とは古国府城の跡に建ち国宝の本堂を擁する大伽藍・勝興寺なのだそうだ。

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しんちゃん

越中一向一揆の拠点。 (2021/11/19 訪問)

安養寺城は安養寺御坊として渋江川の南の
台地城に築かれていました。周囲は田畑となっており
現在、石碑が建っているあたりが、かつての中心部だったようです。
周囲には土塁が築かれていたようで、畑地の周囲は切岸のように
なっており、南西の八幡宮には土塁が残ります。
元は蓮如上人の次男蓮乗が築いた土山御坊が前身で、高木場移転を経て、
永正16年(1519)三代実玄によって、この地に移転したとあります。
かつての寺領は十数万石におよび、瑞泉寺と並んで越中一向一揆の
中心として機能していたようです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 実玄
築城年 永正16年(1519)
主な城主 一向一揆勢
廃城年 天正9年(1581)
遺構 空堀、鐘楼堂跡
指定文化財 市史跡
再建造物 石碑、説明板
住所 富山県小矢部市末友363
問い合わせ先 小矢部市教育委員会文化スポーツ課
問い合わせ先電話番号 0766-67-1760