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POYO58

4年ぶりの攻城 (2023/03/16 訪問)

遺構★★★⭐︎⭐︎ 石垣、水堀、天守閣跡
駿府城に行ってきました。ってかめっちゃ久しぶりの投稿となります。駿府城は徳川家康が築城したのが始まりですが、そのすぐ後、秀吉の命令によって関東に移されると、中村一氏が改築し、天守を築きました。秀吉の死後、再び家康が入り、一氏の天守を取り壊して日本一大きな天守を築きました。家康はそこで晩年を過ごし、亡くなります。その後天守は落雷により焼失、再建されることはありませんでした。

駿府城は主に外堀と石垣が見どころとは思いますが、発掘調査のされた天守閣跡を見るのがいいと思います。中村一氏のものと家康のものが共存しており大変貴重です。一氏の天守台は野面積みが主ですが、家康のは切り込み接ぎや打ち込み接ぎとなりよく違っています。さらにすごいのはなんと、家康の天守台にはかつて薬研堀があったようです。これには驚きました。他にも、本丸堀の石垣や、朝田辰兵衛さんのクイズにもあった水路の石垣も必見です。積み方が混合された石垣は見どころですよ。あ、ちなみにこれなぜかというと、観光協会の方に伺うとどうやら、地震が起きるたびに石垣を修復していたからだそうです。歴史の背景もかんじられる面白い城でした。
写真はスマホで撮ったものです。後ほどカメラで撮ったものも紹介します。

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イオ

【かるた】金沢城の読み札と絵札

「石垣の博物館」の 金沢城

お城より 庭で知られる 金沢城

訪れたのは本格的に城めぐりを始める前だったので、ざっとひとめぐりしただけでしたが、次の機会には一日かけて「石垣の博物館」と云われる金沢城の石垣めぐりをしてみたいものです。…でも、城好き以外のほとんどの人にとって、金沢城は城としてよりも兼六園のほうが圧倒的に有名ですよね。

絵札は色紙短冊積み石垣の写真が特徴的でいいんでしょうけど、手元には無いので、兼六園の徽軫灯籠の写真のみで。
 

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たぬぬ

登城口が分りにくい (2023/03/30 訪問)

岡本北小学校の北の林が城址なのですが、登城口を見つけるのに苦労しました。公民館から農地を通ります。

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美夢

【かるた】津和野城の読み札

千本の 鳥居をくぐって 津和野城

読み札のみの投稿です
津和野城の麓にある太皷谷稲成神社は日本の五大稲荷
約千本の鳥居が階段に連なっていて綺麗で厳かでした

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トク

【かるた】人吉城の読み札 (2022/07/20 訪問)

球磨川に 負けるな跳ね出し 人吉城

2020年九州南部豪雨により球磨川が氾濫し、人吉城は水没しました。それから現在も復旧作業は続いています。昨年私が訪れた時、少し高台にあるこの跳ね出し石垣が城全体に「がんばれ!」と鼓舞していたように見えたのを思い出し、詠んでみました。

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にのまる

松潤抜きでもかっこいい (2023/02/24 訪問)

大河ドラマ館の見学を終えて浜松城公園へ。
行くたびに進化を遂げているお城、私の中のナンバー1です。
どんどん見やすくわかりやすくなっているので、毎回新たな気づきがあり、新鮮な感動を覚えます。(私に見る目がなかったというのも大いにありますが。)
“市民の憩いの場”なのだと思いますが、遠方からの城好き観光客が紛れても馴染みやすく居心地のいい空間です。
リニューアル天守の展示も旬で、理解が深まりました。
今年だけでなく来年以降もずっと楽しみです。

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朝田 辰兵衛

【かるた】鳥取城の読み札<R‐12ver.> (2022/06/11 訪問)

餓え殺し 狂気の人食 鳥取城

一説には,動けなくなった者は「死者」とみなし,食されたそうです。秀吉は人が苦しむ姿を眺めるのが趣味だったのかな…?
太平洋戦争の時もそうと聞きますが,生きるか死ぬかの瀬戸際でホントの人格が現れるとのこと。
目を背けてはいけない現実世界を詠んでみました。
もっとイイ謳い文句があれば,上書きしていただいてかまいません。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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【かるた】長篠城の読み札

援軍来ると 鳥居強右衛門 長篠城

 長篠城の攻防戦で織田徳川の援軍が来ると命を懸けて知らせた鳥居強右衛門。長篠城を救ったのは彼でしたね。

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赤い城

真田氏ゆかりの続100名城 (2023/03/19 訪問)

ようやく登城することが出来ました。
岩櫃城への登城者というよりは岩櫃山の登山者が多い印象でした。
スタンプは冬季(3/31まで)は群馬原町駅の観光協会に置いてありました。
夏季は登城口の平沢登山口観光案内所にあるようですが閉鎖中でした。
登城口から中城方面に登るとすぐに横堀があります。
おそらく夏は藪でしょうが堀底を歩いて見ました。
中城へ戻り、さらに進むと本丸方面への虎口に、さらに登って行きます。
竪堀があり、登ると本丸と二の丸の間に出ました。
本丸には碑と説明板が立っています。
見晴らしもよかったです!
南側には桝形虎口があり、さらに下には横堀も。
さらにのみと岩櫃山に向かいますが、山より城。
沢の方面に向かいました。
堀として使われていたと思われる沢には石が転がっていました。
登城口まで降り、出浦渕まで見学しました。
出浦渕への途中には土橋と空堀も残っていました。
大河、真田丸を見てたので草刈さんや寺島さんの顔を思い浮かべながらの散策でした。

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カズサン

志摩未踏の城廻Ⅰ九鬼氏の城 (2023/03/19 訪問)

 五ヶ所城を終えて国道167号線沿いにある田城城を初登城。

 駐車場:JA伊勢鳥羽支店を使わせて頂きました。国道167号線沿い西側50m南です。

 田城城は今まで登っていませんでしたが、浜島に有るリゾート子会社にプライベート、業務で伊良湖フェリー経由で国道167号線を往復しており、神社が国道沿いに在る事は記憶に有り今回、田城城/九鬼岩倉神社と認識しました、湾岸道が開通してからは玉城IC経由で浜島に向かいましたので田城城の前を通る回数は減りました。

 田城城へは九鬼岩倉神社鳥居から階段を登り、岩盤尾根筋東西に小さく細い曲輪があり、神社の拝殿、本殿が鎮座しています。
 案内板と標柱が鳥居横に設けられています。案内板を投稿掲載しますのでお読みください。

 この後は時間も有ったので夕暮れでしたが鳥羽城に久しぶりに寄りました。
 

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【かるた】駿府城の読み札

気候よし 家康隠居の 駿府城

 静岡市に住んだこともありますが、冬も温暖で過ごしやすい街でした。家康が晩年を過ごしたのは、この気候にもよるのだろうと思っています。

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別城一郭 (2023/03/30 訪問)

 井上氏の城塞群を構成した城のひとつで、案内板には別城一郭という表現がしてありました。
案内板には「山城は、三つの部分からなる。城の大手に当たる第一群は、尾根筋に堀切、土塁、土橋を三重に配置して城の入口である虎口を固めている。第二群は、尾根筋の中央部分の郭の周囲に腰郭、段郭、帯郭を配している。第三群は本丸部分に相当する主郭を守るため、二つの郭を階段状に配置し、防御性を高めている。」とあります。堀切が浅くなっていたりしてわかりにくい所もありましたが、縄張りは明瞭で岩盤を削った堀切等あり楽しく散策できます。

 尾根の北側より登城しました。尾根をひたすら登って行きます。道は整備されていて歩きやすいのですが、主郭手前ではトラロープを使って登る所もあります。主郭を越えて鉄塔のある場所まで行き、その先にある浅くなっていた堀切を確認して引き返しました。往復で約1時間40分くらいでしょうか。

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美夢

【かるた】高松城の読み札

唐造 「龍宮のごと」 高松城

読み札のみの投稿です
かつて天守は南蛮造で、海から見るとまるで波の上に浮いているように見える、美しい海城だった
という長い文章を表現したくて
与謝野晶子さんの有名な歌
「わだつみの 玉藻の浦を前にしぬ 高松の城 龍宮のごと」
から本歌取りさせて頂きました

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ヒロケン

【かるた】大阪城の読み札 (2023/03/25 訪問)

「徳川の 威厳に満ちた 大阪城」

今に残る徳川大阪城は、天下普請で西国大名63藩、10年の歳月をかけ築いた巨大な城郭です。巨石を使用し、石垣の高さ最高所で33.5mで日本一を誇ります。城面積では、豊臣大阪城の4分の1とのことですが、当時も現代でも見た人の度肝を抜いたことでしょう(*^▽^*) 

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小荷駄

逆井城跡 (2023/03/20 訪問)

前々から行きたいと思っていた逆井城にやっと行くことが出来ました。城跡は公園となっていて駐車場も大きくトイレも有ります。遺構も素晴らしく移築門や復元櫓、主殿、櫓門、井楼矢倉等も素晴らしかったです。まさに皆様がおっしゃる通り中世城郭にタイムスリップした気持ちになれました。散策時間は一時間半程でしたが仕事の合間でなければまだまだタイムスリップしていたかったです。また行きたいと思います。

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朝田 辰兵衛

【かるた】萩城の読み札 (2021/10/10 訪問)

維新志士 続々輩出 萩城下

収まりの悪い文字数なので,城下に目を向けてみました。人材を大量に輩出していて,これを詠まずに萩は語れないだろうと思いました。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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朝田 辰兵衛

【かるた】備中松山城の読み札 (2017/08/27 訪問)


天空の 山城 備中松山城

そのままストレートに詠んでみました。会津若松城のように詠むのが難しい城ですね…。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!

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赤い城

【かるた】月山富田城の読み札と絵札

登るのが 七難八苦ぞ 月山富田城

ぴーかるさんの尼子十旗のレポート嬉しかったです。
元々三沢城下の生まれなのですが今のところ三沢、三刀屋、白鹿とこの富田城しか行けてません。
(写真は2016年夏のものです)
今度帰省したらどこか行きたいです。
それにしても夕景城はやはり登城困難なのですね。
確かにあの辺りには熊も住んでて冬は結構な積雪もありますから。
労多くして・・・という感じなのでしょうがいつか行きたいです。

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小荷駄

大給城跡 (2023/03/10 訪問)

大給城へは三年ぶり三回目の訪問になりますが何度訪れても楽しめる良い所だと思います。駐車場は3~4台程停めれます。トイレは有りませんでした。駐車場から主郭までは20分程で着きます。三回目の今回でも一時間半以上散策してしまいました。足元もしっかり整備されていて歩きやすく遺構も素晴らしいそして眺望も良い城跡です。

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新ろくべえ

別府城に行ってきました→城レベル3 (2023/03/30 訪問)

別府城は、平安時代末期に、成田氏当主の成田太夫助高の次男・次郎行隆が
別府を支配し、別府氏を名乗り、この場所に別府城を築いたのが始まりの城である。
その後は、行隆の長男・義行が別府城(香林寺が屋敷?)に、
次男・行助が、別府城の西に館(西別府館)を作り、別府氏の領土を二分し、
それぞれ、東別府氏、西別府氏と名乗った。
東別府氏は代々成田氏の家臣となり生き残ったが、一二代長清の代の1590年、
豊臣秀吉の小田原征伐の時に、北条側に付き、領地をとられ、廃城となった。
現在は、中心に東別府神社があり、その周りには、幅5m、深さ2.3mの掘と、
高さ2mの土塁が残っている


【城情報】
・形式       ❙平城
・築城年      ❙平安時代末期
・廃城年      ❙1590年
・築城者      ❙成田(別府)助高
・最後の城主    ❙東別府長清
・廃城理由     ❙小田原征伐の時に北条氏についたため
・主な城主     ❙成田助高、東別府長清など
・遺構       ❙ 土塁、空堀、曲輪
・主な建築物    ❙なし
・説明看板、石碑  ❙説明看板が1、石碑が2
・駐車場、トイレ  ❙駐車場らしきもの?有り
・天守       ❙なし
・保存状態(自身判断)❙堀と土塁がのこり、曲輪の形が分かる
・城レベル     ❙3(詳しくは新ろくべえのプロフィールへ)
・備考       ❙・入り口までのみちは狭く、探しにくい
          ❙・東別府神社は1590年まで城の鎮守神だった
          ❙・別府の名前の由来は平安時代末期に別官符によって開墾されたからや、
          |国府の支庁の別府が置かれたからという説がある

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