みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

カズサン

圧巻の残存総石垣「大手門・搦手門枡形虎口」編(2/4) (2023/10/02 訪問)

 三の丸に構えてる大手門桝形虎口の残存石垣も大変すばらしい、二の丸への返し喰い違い虎口が連続してる、搦手門枡形虎口も大きな石を使用してどっしりしている、裏側に武者溜り曲輪を構えてる、搦手には馬場跡から堀切、ホウヅキ段石垣を南、南西側の裾を通って搦手に至る、石垣城塁の横を通る道である。樹木の茂りと石垣が直近で南側の本丸・天守台石垣を俯瞰撮影する事が出来ない。
 それにしても織豊系の石垣、枡形虎口が大変な見所で圧巻です。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

圧巻の残存総石垣「本丸・天守台」編(1/4) (2023/10/02 訪問)

 12年前に林道登城路を間違えて頂上の総石垣郭を未探訪のままに成って居ましたが、今回、若桜駅前の観光案内所で十分確認して林道を使って登城探訪する事が出来ました。
 沢山撮影した写真から、本丸と天守台として写真投稿させて頂きます、破城されて居ますが大きな石も残り総石垣造りの若桜鬼ヶ城が甦って来るような気持でした、本丸跡には残存瓦片が散見され、どんな建物、天守閣が建っていたのかと思いを膨らませます、ふるさと鳥取の名城の一つである若桜鬼ヶ城の復元イラストを是非香川元太郎画伯にお願いしたいなぁ~の気持ちです!
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

けむん

千軒舎の方からの登城になるようです (2023/10/21 訪問)

大手道である春日神社の方から登るつもりでいたのですが、観光タクシーの運転手さんが、事前に「まちかどラボ」に聞いていただいており、千軒舎裏の保安道路からが推奨されているとのことで、そちらから登りました。こちらからは、ほとんどが舗装道路になるので、楽でした。時間制約もあり本丸往復でしたが、台風被害等があったようで、他郭を自由に見られるといった感じではありませんでした。

+ 続きを読む

赤い☆稲妻

日本最高所に聳える6段壁が圧巻 (2022/08/06 訪問)

見渡す限りの山の中、少し汗を流して訪問
駐車場から15分ほどの登山です

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い☆稲妻

秋田の名城 (2023/08/09 訪問)

豪雨被害から見学再開で訪問
秋田駅からバスで行きましたが、歩けますね
帰りは徒歩で戻りました

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

エジプトの ピラミッドみたい 六段壁(字余り) (2023/10/21 訪問)

岩村城は織田信長の伯母、おつやの方が城主を務めたことで「女城主」の城として
有名で、日本三大山城の一つに数えられています。城下町から登ってもよし、出丸跡
の駐車場から直接本丸に取りついても良し‥なのですが結局、山頂から石垣や石畳に
つられて下の方までいってから、また石畳をえっちら登って来ることになりました。
この城の売りは、なんといっても本丸北西に展開する六段壁で、まるでペルーの
古代の遺跡やエジプトのアレのようです。ピラミッドってもっと真っ直ぐだろと
ツッコミが入りそうですが、あるじゃないですか階段ピラミッドってやつが‥。
(だいぶ苦しい)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

規模は中程度だが枡形虎口や喰い違い虎口などの遺構が良く残る。 (2023/10/22 訪問)

今城は天文年間(1532~1555)に小池家継が築城したと現地案内板に書かれています。
高低差はそれほどありませんが遺構が非常に良く残っています。車で来られる方は
今公民館に駐車してほしいと注意書きがありますので、利用させていただくと良いと
思います。北西側に入口があり、そこから枡形虎口を経て直接本丸に入れますが、
本来は北側を迂回して、二の丸、本丸へと入っていくようなので、一度二の丸に入って
から本丸に入ります。本丸の東から南にかけて土塁が良く残っています。西側は切岸に
なっていて三の丸が眼下に広がります。南は食い違い虎口になっていて西に道が折れ
曲っていき三の丸にたどり着きます。成り行き上、ロープの外に出てしまったので
そのまま城を後にしました。
今公民館 岐阜県可児市今2008付近 35°22'56.8"N 137°02'59.2"E 
35.382444, 137.049778

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

変態じゃないけど

とりあえず私も持ってました。
ラブホの近くの標柱、堀も残っていました。
ごめんなさい、負けず嫌いが出ちゃいました。
「赤い城さんもアップしていませんでした」は褒め言葉、ちょっと嬉しかったのとアップしておけばよかったかな、と。
(やっぱり変態か)
また関東の城、攻めたいです。

追伸、見返したら同じ写真アップしてました。
近くに牛舎か豚舎があったような。香りが・・・・。

本丸には堀も廻っていて見ごたえのある城ですね。

+ 続きを読む

しんちゃん

規模は小さいが遺構はしっかり残っている。 (2023/10/22 訪問)

根本城は甲州の武田氏の一族の若尾氏によって標高285mの城山に築かれています。
登城道は良く整備されていて、迷わずにすむよう親切に案内板が多数設置されて
います。尾根上を進み北側から城域に入ります。本曲輪の北に堀切を挟んで搦手曲輪
、南西にも曲輪を配し東西に竪堀が配されています。本曲輪の北側には大きな土塁が
残り、規模は小さいですが遺構はしっかり残っています。今回は登城道の前にある
駐車場を使わせていただきました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

かつての姿を知る由も無し。 (2023/10/22 訪問)

羽崎城は土岐氏の一族、羽崎氏の居城(居館)とされ、応永年間(1394~1427)
に築かれたとされます。城址のあるあたりに社があり、周囲の高台は藪に覆われて
いて識別は出来ません。ある程度雰囲気を味わってから城を後にしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

レア画像御礼~越中より愛をこめて~ (2023/10/09 訪問)

にのまるさん,レア画像ありがとうございます。「翔んで埼玉」県の青鳥城の城碑ですネ。あらためて検索してみたら,この城址碑画像をアップしている方は(元祖変態プリンス?の)カルビンさんだけなんですねぇ…📷
設置場所の確認が難しいのかなぁ…。赤い城さんもアップしていませんでした…。
ここを攻城する機会があったら,しっかり確認したいと思います。埼玉ということで,顔に泥を塗って行ったほうがいいかな…<笑>。

私からは「レア画像返し」ということで,越中ツアーズで万葉線(高岡駅~中新湊駅間)利用時,復路で「ドラえもんトラム」の運行とタイミングが合いましたのでコレを。放生津城よりも感動を上回りました…<笑>。

放生津城の城址碑はただの「城址」という表記となっています。『城址はここだけじゃねェぞ~!』と叫びたくなります。

かるたの件ですが…
「年内を目標に…」と申されてました。じゃあ,横浜までに間に合わせなきゃダメだろうと思い,「じゃあ,横浜で」と返した次第です。ビミョーかもしれません。
ま,にのまるさんや私などは,このキャンペーンで入賞を果たし,副賞として手元に届くことを期待しましょう!

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

周囲を囲む深い堀切。 (2023/10/22 訪問)

顔戸城は応仁の乱(1467~77)の頃、この地で活躍していた斎藤妙椿によって築かれた
と、現地の石板に書かれています。東西およそ150m、南北およそ167mの規模と記載
があり、周囲を深い空堀が囲い、主要部はさらに高地にあり周囲に土塁が残っています。
なかなか登り口が見えませんでしたが、なんとか登れそうなところを登ってみると
郭の中は藪になっていて、その向こう側は宅地のようなので、土塁だけ見てすぐに
退散しました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

現状は城址公園。 (2023/10/22 訪問)

高山城は承久の乱の頃、土岐氏の一族高山伊賀守秀頼によって築かれたと現地案内板に
書かれています。戦国期には平井頼母が城主となり、織田信長と武田信玄、勝頼との
領土争いで激しい戦いが繰り広げられたそうです。今では三の丸が駐車場となり、
北側の展望台がある広場が本丸のようです。二の丸は広場の一部になったのか、詳細が
不明ですが本丸の西側にあったようです。公園化によって形状は変化したものの
かつての山城としての雰囲気は残っているように思われます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城とマスク

秋の鶴ヶ城 (2023/10/23 訪問)

向羽黒山城の帰りに鶴ヶ城も寄りました。プレミアム濃厚抹茶ソフトクリームが美味しかったです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

やっと山頂の総石垣群探訪出来ました (2023/10/02 訪問)

 12年前の7月未踏、今回と同じ中学合同同級会で前回は還暦3年後、今回は卒業60年の集まり前日に、市場城を終えて車で林道を通り馬場跡駐車場へ、山頂部の郭総石垣群を12年目に探訪する事が出来ました。

 駐車場:山頂部馬場跡駐車場、数台は可能、仮設トイレ、熊注意看板あり
 参考資料:城郭放浪記さん、古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップ、直近に観光案内所で若桜鬼ヶ城パンフレット入手且つ係りの人に十二分に説明を受けました。

 先ずは若桜駅に車を駐めて、観光案内所へパンフレット(パンフレットに車での林道地図も載っている)を入手し十二分に説明を受けて車で進行、若桜駅から工程は約4、5km程のアスファルト舗装道、要所2ヶ所に案内板あり、アスファルト舗装の終点にも駐車場有、更に未舗装の道を馬場跡駐車場へ。
 馬場跡駐車場には仮設トイレ、案内解説板、熊注意の看板、鬼ヶ城150mの指示板あり、熊除け鈴はつけてますが少しビビりますが丁度車で県外の方が登城されて人が増えて一安心、その後役場の方も来られてさらに安心。
 掘割、土塁を越えて石垣郭の北方向へ害獣除け電気フェンスを通て、ホウヅキ段西側沿い石垣横を通り、搦手枡形虎口石垣、裏手は武者隠し曲輪、見上げるホウヅキ段、本丸、天守台は三段石垣の様子、本丸西角の破城痕は物悲しいが大きな残存石が見事、搦手から本丸西の石垣沿いに在る帯曲輪を通り二の丸へ、本丸廊下橋虎口と城名石碑を見上げ、二の丸、三の丸へ、三の丸には大手枡形虎口石垣がよく残ってる、三の丸から城下の俯瞰も素晴らしい。
 三の丸の大手虎口と西櫓台間を通て二の丸へ、本丸廊下橋虎口を登り本丸枡形虎口石垣、破城の痕はあるが良く残ってる、本丸は広く、南隅に天守台が有る、天守台虎口を通り天守台へ、天守台からは戸倉峠方向のR29播磨方向と氷ノ山越えのR482但馬方向の街道が良く見通せる、要所に鬼ヶ城築城の意味が分かる。
 観光案内所の方に六角石垣の事をよくよく聞かされたので別尾根筋へ降りて見る事に、作業されていた役場の方に聞くと5分くらい?と聞き、脚力は弱ってきてましたが六角石垣、なかなか遠い下り坂、帰りこれを登るのかと思うと不安になる、やっと六角石垣に着き、案内板と六角石垣の天端を撮影、更に降りる気に成れず撤退、二の丸へ登るその間一回滑って転ぶことも、六角石垣は皆さんの写真で確認しました。
 約2時間城内を堪能しました、作業されてる役場の方がいらっしゃり安心も有り楽しい時間でした。

 若桜鬼ヶ城の石垣は関ケ原後の慶長5年(1601年)秀吉配下であった山崎家盛が関ケ原の功で城主となり、大きく改修して総石垣の織豊系城郭に変身させた、一国一城令と元和3年(1617年)池田光政の因幡・伯耆2か国の鳥取藩と成り、山崎家は備中成羽へ転封、城は破却廃城へ。
 山崎家は家盛、嫡男家治と続き、築城の名手として若桜鬼ヶ城、成羽城、丸亀城の見事な石垣を世に披露する事に成ります。今残ってる成羽城(陣屋)、丸亀城の石垣は天下一品です。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

厩橋城と前橋城と再築前橋城と群馬県庁 (2023/09/02 訪問)

夏の18きっぷの5回目です。
2018年春に訪れた際に県警本部まわりの土塁で満足してしまっていたので再訪しました。

まずは群馬県庁舎32階の展望フロアへ。
前回訪問時に見た夕焼けが忘れられず、真っ昼間だったけれど上がってみました。
が、何やら大きなイベントの真っ最中。眺望はおあずけのようでしたので、26階のふれあいテラスへ下りてみました。するとそこには群馬県の大きなジオラマが!陶器製で上を歩いても平気。群馬県にはなんだかんだで10回近く足を踏み入れているのではないかと思うのですが、訪れた場所の記憶はあっても県全体の地理や地形はまるでわかっていなかったので、これはとても勉強になりました。

地上に下りて、周囲の土塁をまわります。
一帯は本丸御殿跡。幕末から明治維新後までのわずかな期間存在した「再築前橋城」の記憶を今に伝える残存土塁は今もがっちりと県の本丸を守っています。樹木のせいか孕みのようなところがあったのが気にかかります。

続いて、北側の道路を渡ったところにある前橋公園へ行きました。楫取素彦らの銅像に「花燃ゆ」を思い出します。
この公園内にとても大きな土塁が残されていました。鮮やかな緑に覆われた土塁は桜並木の遊歩道を備えており、登って歩くことができます。「再築前橋城復元図」と比べてみると、土塁の端あたりに砲台が設置され、右へカーブして天守台跡の方へ続いていたようです。さちの池の向こう側から眺めるとより土塁らしさを感じられました。

一旦公園から離れ、前橋護国神社、東照宮、臨江閣をまわってから天守台跡である虎姫観音堂へ行ってみました。県庁舎の真裏(西側)で、利根川をはさんだ対岸は石倉城跡になります。
天守があったのは酒井氏の時代で、現在の県庁舎は当時は三の丸だったようです。「前橋城絵図」に描かれているのは三層の天守。現地にも「前橋城天守閣推定復原図」が掲示されていました。栄枯盛衰、利根川と共にあったこの地の歴史を感じられる場所でした。

続いて向かったのは車橋門です。再築後の遺構でさえ少ない中で、酒井氏時代の城の姿を伝える大変貴重な門跡だそうです。
区画整理事業により片方の台石が移動され間隔が狭くなっているそうですが、表通りから裏の通りまで抜けられるように整備されているので門の雰囲気を味わうことができました。

最後に、駅へ戻りつつ大手門跡へ行ってみました。
2年前、工事現場で酒井氏時代の大手門の石垣が発見されたと話題になったところです。埋め戻されていることは承知のうえで本町1丁目交差点へ。“大手門”のつく新しめのビルがあったのでこのあたりかなと。車橋門との位置関係も把握できたので、何もなくてもその場所を押さえておくのは大事だなと思いました。

かつて家康に“関東の華”と言わしめた「厩橋城(4代藩主酒井忠清の時に前橋城と改称)」と、住民らの100年の悲願が咲かせた“最後の華”「再築前橋城」。
重なり合う二つの華を背景に成長してきた町なかを2時間ほど歩いてみて、少ない遺構を繋ぎ合わせて自分の頭の中で城をよみがえらせる楽しさを味わいました。

※現地解説板のほか、
「関東の華前橋城・ときめきの県庁前史」(群馬県埋蔵文化財調査事業団)
「江戸東京博物館地域展-前橋遺跡―」チラシ
「前橋まちなか&新前橋駅周辺マップ」
を参考にしました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

にのまる

のどぐろ

朝田さんへ

悪魔に心を売った件ですが、
そのままストレートに受け止めるはずなどございません😁
何かがきっとある……とは思いましたが、
元ネタわからず撃沈⤵︎⤵︎⤵︎
気分を害すなどもありえません!
うまい返しができなかったのが逆に申しわけないです(;'∀')
聖飢魔Ⅱ、リアル世代なのですが^^;(閣下の仮の年齢より下です。念のため。)
なので、るの門は素直なエンジェル👼の心で見てきました(ことにしました)。

「お城EXPO in 姫路」は行けませんでしたが、かるた進捗情報ありがとうございます。イオさんも!
お二人ともさすがです!抜かりない!!
では12月の横浜でお披露目でしょうか?????

のどぐろ、おいしそうです。
つみれの唐揚げも葱いっぱいのアサリ汁も。。。

お返しに城グルメの写真があればいいのですがなかったので、↓の写真をどうぞ。
この錆びきって埋もれた1本の城碑にどれほど感動したか!
こんな写真、変態さん♬にしか送れません。
(ある意味、おいしい城グルメです。お腹いっぱいになりました😋)

+ 続きを読む

しんちゃん

多治見邸リターンズ。土岐氏の流れを汲む多治見氏の館跡。 (2022/10/22 訪問)

久々に近くを寄ったので訪問してみました。館の主の多治見国長は正中元年(1324)
京都で非業の最期を遂げますが、地元の多治見市では人気があるようで「多治見まつり」
の武者行列の中でも主役の扱いを受けているようです。土岐氏の流れを汲む饗庭氏の
一門らしく中央の石碑には桔梗の紋が彫刻されています。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

落合五郎城  岐阜県中津川市 (2023/10/21 訪問)

落合五郎城は木曽義仲の家臣・落合五郎兼行の居館跡で、中津川バイパスの北の丘に
ある、おがらん四社のある場所に築かれていました。街道を望める立地はすばらしく
遺構は残ってはいないものの案内板や石碑が設置されています。幼い義仲を養育した
中原兼遠には樋口兼光、今井兼平、落合五郎兼行と義仲の愛妾(妻)となる巴の
三男一女があり、まさに義仲ファミリーともいえる面々です。ドラマとかでやって
欲しいですね。
お伽藍(おがらん)神社 岐阜県中津川市落合241−12

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

しんちゃん

規模はそれほど大きくないがアクセスが良好で遺構も満足できる。 (2023/10/21 訪問)

阿木城は阿木川の北側にある丘陵地に築かれており、道沿いに登城道が二つあり南側が
Aゲート、北側がB(ゲート?)で南のAゲートからアクセスするのが良いと思います。
害獣除けの策をカチャっとあけて入るのですが、これがなかなか開けやすい。ゲートは
全部このタイプになっていると助かりますね。城の規模はそれほど大きくないですが、
楕円形の主郭の東に二の郭、西に帯郭が二段に配され土塁も残ります。主郭の虎口は
南北に付いていて、二の丸側の切岸はなかなか見ごたえがあります。東西の尾根を大き目
の堀切で断ち切ってあり、東の堀切を確認しながらB地点から車道に出ますがこちらには
柵がありません。Aゲートの柵はなんだったんだろうと考えつつも、遺構に満足して
Aゲート付近に停めた車を目指します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ552