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にのまる

【かるた】大阪城の読み札

・なにわのこと 地下に眠りし 大阪城

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にのまる

【かるた】江戸城の読み札

・堀底が 通勤経路だ 江戸城址

石垣と 首都高なかよし 江戸城址

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にのまる

【かるた】川越城の読み札

・小江戸川越 散策コースに 川越城

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にのまる

【かるた】箕輪城の読み札

・戦なき 世によみがえる 箕輪城

・堀歩き 見上げる木橋 箕輪城

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koyuki

現在は東別院が建つ古渡城 (2023/05/20 訪問)

名古屋城から本町通をくだり古渡城跡へ。信長攻路にも含まれるようです。

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赤い城

高槻城公園芸術文化劇場 (2023/05/19 訪問)

所用があり、高槻へ。
用事は午前中で終わったので立ち寄りました。
高槻駅から徒歩で15分。
先日将棋の名人戦が行われた高槻城公園芸術文化劇場は二の丸跡。
真新しい模擬石垣や堀が眩しい、雨なのに。
石垣には丁寧に家紋も彫ってありました。
芸が細かい。

本丸は高槻城址公園や槻の木高校のあたりのようです。
高校の敷地内に石垣の石が展示されていました。
公園の高山右近像にご挨拶、しろあと歴史館を見学しました。
遺構は微妙かもしれませんが高槻市が観光にも力を入れていこうとしている意気込みは感じることができました。

もしかしたら数ヶ月後に城下の住民になってるかも?

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朝田 辰兵衛

酒田東高校~円通寺は… (2023/03/11 訪問)

酒田東高校のグランドが本丸とのこと。正門ワキにパネルが設置されてます。その先を覗くと土塁が目に入ってきます。問題は,搦手門が移築されている円通寺までの移動。散策者泣かせです。遠いというだけでなく,吉田集落の住宅街に見事に溶け込んでいて,見つけるのにウロウロしてしまいます。

赤い城さんへ。
浦賀城,行ったことないですが,直感で解答しました。当たって安堵しました…。

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まるび

お土産は飫肥天 (2023/04/13 訪問)

行ったのが平日だったのもありますが、大変のどかな所でした。お城目的ではありましたが、周囲の城下町も記念館やお店など見どころがたくさんあったのでまたの機会があったら多めに時間とっていきたいと思います。
最寄りの飫肥観光駐車場の敷地内にある案内処で御城印も購入できました。
駐車場近くにある四半的射場も外国からの観光の方でにぎわっていました。

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織田晃司

道の駅「つくで手作り村」 (2023/05/05 訪問)

第2駐車場からおよそ5分で本丸にたどり着きます。
すぐ近くに古宮城があるのでセットで…

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チェブ

近くて遠い石碑。 (2023/05/06 訪問)

「宇都宮城」の南を守る「江曽島城」です。
古墳を利用し瓢箪の形をした御城なので、またの名を「ひさご城」と言うそうです。

ナビの『目的地に着きました。』は民家の前。こちらに石碑がありますが、お庭の撮影は控えました。お隣の方が遊んでいたので、早めに退陣。
写真①を真っ直ぐ行った所に石碑があるお宅があります。近くに『馬頭観世音』がお祀りしてあったので、パチッ。御酒とお水がお供えしてました。

因みに「江曽島城」跡となる『雷電神社』は駐車場の奥のようです。こちらも、入城を躊躇しました。
でも、『行った』をポチっ。
私にとって、難攻不落な「江曽島城」でした。

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ヒロケン

金沢城の石垣巡り パート1 (2023/05/05 訪問)

金沢城公園は、加賀百万石前田家の居城であった城が一般に開放された歴史的空間です。重要文化財に指定されている「石川門」「三十間長屋」「鶴丸倉庫」のような歴史的建造物、近年に再建された「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」「河北門」「鼠多聞」等、見所がいっぱいです。

加賀一向一揆の拠点、尾山御坊があった地に1580年、佐久間盛政公が築城を開始し、賤ケ岳の合戦後の1583年前田利家公が入城し、本格的に城造りを行っています。

今回、孫に会うために金沢を訪れましたが、孫とも一緒に居たい(*^▽^*)、金沢城にも行きたい(*^▽^*)との欲求から、5月4日と5日の両日、孫が遊んでくれない時間帯を狙って、早朝無料入園で金沢城を訪問しました。(4月1日~8月31日の間は4:00~6:45まで早朝無料入園。年中早朝無料入園は行っていますが、早朝の時間帯が異なります。)
今回、金沢城は「石垣の博物館」と言われているとのことで、石垣を中心に2回に分けて、ご紹介いたします。

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織田晃司

茶畑を進むと (2023/05/05 訪問)

勝間田城が見えてきます。
圧巻は東尾根曲輪の五重堀切です。
三の曲輪の先にも二重堀切があります。

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織田晃司

模擬天守 (2023/05/05 訪問)

模擬天守に目が行きがちですが、復元とはいえ三重堀切や丸馬出は見ごたえあります。

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織田晃司

田中城下屋敷には (2023/05/04 訪問)

現存の本丸二階櫓が移築されております。
本来の城の位置は西益津小学校と西益津中学校になっており土塁と水堀が所々残ってます。

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織田晃司

そんなの関係ねぇ そんなの関係ねぇ オッパッピー (2023/05/04 訪問)

石高2万石以下なので城ではなく陣屋。
総石垣の威容は他の城に引け劣らない。

現在書院の移築復原が行われています。

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美夢

【かるた】吉野ケ里の読み札

弥生時代 タイムスリップ 吉野ケ里

勾玉を 作る体験 吉野ケ里

吉野ケ里 四季の移ろい 花暦


いつもでしたら追加は編集ボタンからするのですが
前回お写真をいただいたトク様への
来訪の御報告も兼ねて
改めて投稿させていただきました
ランチに赤米も美味しく頂きました

一句目
吉野ケ里歴史公園は敷地がとても広く
内郭の物見やぐらから回りを見ても
広大に敷地が広がっているのが印象的で
衣装を着られたボランティアスタッフの方々のおかげもあって
タイムスリップした気分になれました


二句目
体験コーナーでは、いくつか出来る体験があり
勾玉づくり、石包丁づくりはその定番でした
自分も不格好な勾玉を作りました


三句目
吉野ケ里歴史公園に着いた瞬間、花の多さにまず驚きました
園外には洋花やハーブが多いですが
園内には弥生時代からの植物を沢山保護し、自生&管理しています
通常の園内マップとは別に、お花のマップもありますので
弥生人も見たお花を探すのも楽しいですね

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Pylori

戦いの城 小倉城 (2023/05/20 訪問)

遺構の整備が進められて、実戦的な城郭が見所満載の城でした。来てよかったです。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:楽田城 (2023/04/23 訪問)

羽黒城からの転戦です。石碑付近(35.328250、136.950542)に路駐しました。

築城年代は定かではないようですが、1504年(永正元年)頃に織田久長によって築かれたと云われています。 大赤見城主の織田久長が楽田城を築いて居城を移したそうです。
1562年(永禄5年)犬山城主織田下野守信清によって攻め落とされ、犬山城の支城となったが、1562年(永禄5年)信清は織田信長に追われ、楽田城には信長の家臣坂井政尚が守将として入城しました。
1570年(元亀元年)坂井政尚が近江国堅田で討死すると、奥城主梶川高盛が城主となりました。
小牧長久手合戦では秀吉の部将堀秀政が在陣し、さらに秀吉も犬山城から楽田城へ移ったそうです。

楽田小学校北西側の校門付近に石碑と案内板があります。
本日、投票日で楽田小学校は投票会場になっており、すぐ撤退です。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=下奈良城を目指します。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:羽黒城 (2023/04/23 訪問)

伊木山城からの転戦です。興禅寺駐車場(35.352936、136.949681)に駐車場しました。

築城年代は定かではないようですが、建仁年間(1201年〜1204年)に梶原景親によって築かれたと云われています。 梶原景親は源頼朝に仕えた鎌倉幕府の重臣梶原景時の二男景高の子です。
梶原氏は1200年(正治2年)鎌倉を追われ上洛するさなか、駿河国清見関での戦いに敗れて一族の多くが討死しました。
そのうち景高の子豊丸が、乳母に連れられて羽黒へ落ちのび、長じて景親と名乗り現在の興禅寺に館を構えたそうです。
梶原氏は羽黒一帯に勢力を持ち、信長に仕えた梶原義景の頃には羽黒3,000石を領していました。
1582年(天正10年)梶原義景は、本能寺の変で織田信長に殉じて梶原氏は滅亡したそうです。
1584年(天正12年)小牧長久手合戦において羽柴秀吉方の砦として修築され、山内一豊、堀尾茂助が守将となったそうです。


羽黒城は梶原氏の菩提寺である興禅寺の東側一帯に築かれていたそうです。
南端に土塁のような高台があり、その上に石碑が建っています。
北側は堀跡のような窪地があり、北側の道路に面して土塁のようなものが残っています。
興禅寺には梶原氏所縁の案内板があります。お寺の北東側にも土塁があります。
伊木山城から羽黒城に向かう途中の橋の上から犬山城が見えましたので、車の中から写真を撮りました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=楽田城を目指します。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)6日目:伊木山城 (2023/04/23 訪問)

猿啄城からの転戦です。伊木の森公園駐車場入口(35.386077、136.922188)から進入し、駐車しました。
そこから、遊歩道入口(35.385959、136.921718)に向かいました。

築城時期や伊木家の経歴については諸説あるようですが、一般に信じられている来歴は以下の通りのようです。
1561年(永禄4年)この地を攻めた織田信長によって、武功を挙げた香川長兵衛忠次が、この地の名にちなんで伊木の苗字を授けられ、伊木忠次と改名したそうです。
そして、この伊木山に伊木山城を築き居城としました。後に信長の家臣である池田恒興に転仕しました。
恒興の死後も池田輝政に仕え、1590年(天正18年)に輝政の三河吉田への転封にともない、田原城に移ったため廃城となりました。

現在城址周辺は「いこいの森伊木の森」として整備されています。
心臓破りの道から山頂に向かいましたが、さほど急坂ではありません。
山頂には無線塔が建っています。山頂からの眺望は殆どありません。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=羽黒城に向かいます。

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