柴田勝家の祖父と伝わる柴田源六勝重が尾張守護斯波氏の命により築いたとされています。城びとには未登録の城址です。名古屋市名東区神蔵寺、貴船神社付近が城址です。遺構はなく石碑も説明板もありませんが、柴田勝重の墓がありました。
地下鉄東山線上社駅から徒歩約10分で行くことができます。
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2023/08/17 22:45
2023/08/17 22:38
稲葉地城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)
津田豊後守の城と伝わっています。城びとには未登録の城址です。神明社となっていて遺構はありませんが、石碑と説明板があります。説明板によると「「津田豊後守とは誰か」について諸説ありますが、「稲葉地 津田氏の由来 津田保雄著」及び「中村歴史の会編纂 稲葉地村」の記述によると、稲葉地津田氏の祖、織田豊後守は岩倉城主で織田敏定の庇護を受け、敏定の末息子敏元を養子嗣に迎え、居城を稲葉地に構え、津田を名乗ったとされる。敏元は信長の母の姉を室に迎えた(従って敏元は信長の伯父)。」と記載されていました。信長は幼少の頃、津田家にあずけられ近くの陵雲寺で学問をしたと伝わっています。かなり親しい関係だったようです。織田家では津田信澄のように津田姓を名乗る方がいますね。以前から不思議に思っていましたが、少し調べただけではわかりませんでした。
名古屋市中村区にあり地下鉄東山線中村公園駅より城址とされる神明社まで徒歩約20分です。
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2023/08/17 22:30
豊臣秀吉誕生の地など(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)
豊臣秀吉誕生の地(諸説ありますが)として知られる中村公園は名古屋市中村区にあり地下鉄東山線中村日赤駅から徒歩約15分で行くことができます。豊国神社があり石碑、説明板がありました。となりの常真寺には豊臣秀吉公産湯の井戸やお手植えの柊、銅像があります。付近には秀吉の家臣で後に秀頼の補佐役も務めた小出秀政邸址と秀吉の正室高台院の甥にあたる木下長嘯子邸址の石碑と説明板がありました。
先に投稿しましたが、となりの妙行寺は加藤清正の銅像や生誕の地の石碑があります。
名古屋市中村区にあり地下鉄東山線中村日赤駅より清正公通を歩いて徒歩10分くらいです。
歌舞伎役者の初代中村勘三郎もこの地で誕生したという説があり公園内に象と説明板があります。初代勘三郎の祖父の兄が豊臣家三中老のひとり中村一氏であると説明板にありました。
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2023/08/17 22:25
61【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成生誕の地:石田町) (2023/07/02 訪問)
(23人目)は「石田三成」です。
まず三成の生誕の地(石田町)を訪れてきました。長浜駅前にある秀吉と三成の銅像前(写真①)のバス乗場から近江長岡行のバスに乗り20分、石田で下車します(写真②)。
1560年に三成はこの石田村の土豪の子として生まれました。その屋敷跡は、現在は石田会館(資料館兼公民館)になっています(写真③④)。そこには三成の銅像もありました(写真⑤)。また三成が生まれた時の産湯に使われたという井戸もありました(写真⑥)。
すぐ近くの八幡神社の奥には石田神社があります。ここにはかつて石田家代々の墓がありましたが、関ケ原での敗北後、地元の人々はこれらの墓が徳川に見つかってはまずいと地中に埋めたそうです。そして昭和16年にその埋めたとされる墓石が発見され、昭和41年に再び地元の人々によってここに石田一族の供養塔が建てられました(写真⑦⑧)。
ここからふと見上げると、横山城のあった山が見えました。ここは秀吉の前は浅井氏の所領でもあり、姉川合戦のゆかりの地でもあったようです(写真⑨⑩)。
次は、秀吉と三成の出会いの地(大原観音寺)を訪ねます。
【余談】どうする家康では、中村七之助さんが石田三成を演じられるようです。ドラマ後半の最大のキーマン(と私が勝手に思っている)石田三成をどのように演じて下さるのか、今からとても楽しみです。あと大谷吉継は忍成修吾さんが演じられるようです。この三成と吉継の友情物語にも私は注目しています😊!
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2023/08/17 22:10
2023/08/17 21:59
2023/08/17 21:56
丹羽長秀邸(夏の名古屋市散歩) (2023/08/17 訪問)
丹羽長秀生誕の地と伝わる丹羽長秀邸址が名古屋市西区にあります。城びとは未登録です。遺構はありませんが、石碑が立っていました。
地下鉄鶴舞線浄心駅より徒歩15分くらいで行くことができます。
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2023/08/17 21:50
2023/08/17 17:07
石のない城の強さがわかる (2023/08/17 訪問)
山中城に行って来ました。ほんとは富士山を見るために行ったのですがまさかの曇りで全く見えませんでした泣。
でも山中城はすごく面白かったです。
山中城は北条氏が小田原城を秀吉軍から守るため築城されました。かなり堅固な城ですが、秀吉の大軍によりわずか半日で落城してしまいました。
最初は出丸に向かいました。一の堀とすり鉢曲輪が見どころです。駐車場に着くと出丸と本丸への矢印がありますが、反対方向なので出丸をみてから本丸へ行った方が良さそうです。御馬場曲輪を歩いて過ぎると大きな堀切が見えます。少しだけ畝堀になってます。そのまま行くと土塁で囲まれた曲輪が二つあり、その二つ目がすり鉢曲輪です。低土塁で囲まれ、鉢のような底になっています。出丸には見晴台が二つあり、そこからは一の堀が見えます。これは畝堀になっておりなかなかすごいです。これを見ると秀吉の大軍を抑えるために急いで築かれたのがよくわかります。
さてつぎは西の丸へと行きます。
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2023/08/17 15:25
飯山城ぶらぶら散歩 (2023/06/19 訪問)
9年振りの再登城(初登城H26年4月)、移築復元南中門へ駐車場から向かうと南中門前でTVでお馴染みのバラエティー司会の中山秀征さんと地元TVの飯山紹介番組撮影中で暫し撮影が終わるのを待って、撮影クルーと反対方向より再登城ぶらぶら散歩を開始。
復元南中門を潜って弓道場方向へ、元南中門址の礎石、復元桜井戸、三年坂、二の丸、本丸、二の丸東側、坂口門跡、三の丸、二の丸、帯曲輪、西曲輪、飯山城址交流展示館、扇坂跡、南大手門跡、外濠跡と進み撮影クルーとぶつからない様に廻りました。
西曲輪の復元整備され、南中門西の石垣上にはしだれ桜が大きく育ち葉も茂り景観には一部邪魔な姿、桜の頃はベターでしょう!、9年前にも掲示されていた「上杉謙信公 飯山築城450年『飯山城址整備』」のパネルはそのままでまだまだ鮮やかに立っていました、残り復元整備の本丸城門はまだまだの様です。本丸南西隅の二重櫓の復元もお願いしたい。
飯山のシンボルとして!
4編に分けて掲載写真がダブらない様に投稿させて頂きました。
長々とご覧いただきありがとうございます。
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2023/08/17 15:15
有備館夏季企画展「家康と政宗展」が開催中 (2023/08/16 訪問)
6月20日から開催している企画展を見に有備館を訪問しました。KHK大河ドラマで「どうする家康」を放映中ですが天正19年(1591)8月18日、奥州再仕置で従軍していた家康がここ岩出山(当時は岩手沢)に足を運び、榊原康政とともに岩出山城の縄張・普請を行っています。修復の具体的内容の記録はありませんが9月22日には終了の通知が政宗に届いており最大34日間の工事だったようです。また「伊達家家譜書上」には「本丸は権現様(家康)、二ノ丸から曲輪は榊原式部大夫(康政)の縄張」の記載があるという。(以上は企画展リーフレットによる)また、家康は城下の実相寺を宿舎としましたが、寺には家康が使用した茶碗が二つ伝来しており、本企画展でも展示されています。
奥州仕置以前、ここは大崎氏の重臣氏家氏の居城でしたが、当時は山上の主曲輪や西側の天王寺曲輪周辺が中心だったと考えます。江戸時代を通じて一門の岩出山伊達家(政宗4男宗泰が初代)の要害屋敷となる二ノ丸なども、この時の改修工事なのでしょうか。
この日も気温32℃、城址には登らず見学後は有備館の庭園を散策しました。宮城県北も連日の猛暑ですが、ホッ、と一息つくことが出来ました。岩出山城の詳細については過去の投稿を御覧ください。
企画展は9月18日(月)まで。 旧有備館まで JR陸羽東線有備館駅 東北自動車道古川IC 鳴子方面20分 10km
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2023/08/17 09:34
狸の本音? (2021/08/14 訪問)
駿府歩き。城址を具に見て回るのが基本ですが、たまに鳥の(鷹の?)の視点で俯瞰するのも良いですね。
子どものころから夏休みのたびに遊びにきた静岡ですが、この高さで市街地を一望するのはこの時が初めてでした。見えてきたのは、関ヶ原後も続いた微妙なパワーバランスと、家康の“終活“の一端。
北に山々、南に駿河湾、西には大井川と安倍川、そして東に天下の嶮・箱根。これほどの要害堅固な地はそう多くはないはず。家康は1605年、江戸開幕からわずか2年で将軍職を息子の秀忠に譲り、自身は駿府へ。
当時、大坂には秀吉の遺児・秀頼が健在。つまり駿府は対豊臣戦で江戸を守る最重要砦ということになるでしょうか。そして、そう考えると、関ヶ原は本当に「天下分け目」だったのかどうか、、。実際、そこから大坂戦役での決着までに10年以上を要します。
わずか2代で滅ぶことになる豊臣。今まさにそれを仕掛けんとする家康が同時に推し進めたのは、自分の死後、全く同じことが徳川に起きないよう、徹底した予防線を張るというものではなかったでしょうか。駿府の街並みには、そんな家康の危機感が見え隠れしているような気がします。
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2023/08/17 08:16
大阪お城フェス2023 (2023/08/12 訪問)
大阪お城フェスに行ってきました。昨年は日程の都合がつきませんでしたが、今年は2日目の夜に大阪で仕事関係の所用があったので、それとあわせての訪問です。
グランフロント大阪の会場に入ると、まず全国と大阪近辺のお城マップがお出迎え。大阪近辺のお城マップはかなりマニアックな城まで載っていて、隣県に住んでいながら名前すら知らなかった城もいくつもありました。
お城マップの奥は地下に眠る豊臣大坂城の企画展示コーナー。豊臣時代大坂城天守の復元模型が目を引きます。壁面には説明パネルが掲示され、最後には発掘された豊臣期大坂城詰ノ丸石垣の実寸大の垂幕が掛かっています。写真や映像では何度も目にしてはいたものの、実寸大を下から見上げると想像以上の迫力です。建造中の豊臣期石垣公開施設の外観イメージや模型も展示されていましたが、これは公開がますます楽しみになりました。
企画展示の奥には観光PRブースが並んでいます。大阪でのイベントだけに関西が中心ですが、岐阜県や愛知県、四国に九州・沖縄と各地からの出展が見られました。日帰り圏内の城の情報やパンフレットは直ちに役立てられますし(岡山城や大垣城は近いうちに行く予定)、遠方の城の情報はいつか行きたい! という思いをかき立ててくれますね。そんな中、島原城ブースの前には人だかりができており、何だろうと見てみると、ひこにゃんが武将隊&ゆるキャラと写真を撮っていました。ゆるキャラというか……妖怪ウォッチ? と思って帰宅後に調べてみると、やはり妖怪ウォッチ作者の小西紀行さん(島原市出身)デザインによる島原守護神しまばらんだったようです。もう10年目のキャラクターなんですね。島原城を訪れる日まで覚えておきます。
物販もいろいろと心惹かれるものがありましたが、もらったパンフレットだけでもかなりの量になるので、絞りに絞って「関ケ原 -名所・古跡-」と「松阪の城50選」の2冊に留めました。中でも「松阪の城50選」は、このゴールデンウイークに松阪市内の山城めぐりをしようと下調べをしていた際に、手元に縄張図の無い城も松阪山城会発行のこの本には載っていることを知り、通販もあるようなので欲しいな、と思いつつも、一度内容も見てみたいと保留にしていたので良い機会でした。内容的にも文句なし、行くつもりだった城をいくつか見てみて即買い! でした。良い買い物をしたとホクホクしていると、1000円以上お買い上げの方にはくじ引きがあるとのことで、くじ運は乏しいため特に期待せずに引いたところ、なんと2等の蒲生氏郷フェイスタオルが当たりました。あちらの商品になります、と示された品を見てみると1100円の値札が…。いやいや、私1000円しか使ってませんけど!? と言うと、観光PRでやっていることなので~、とのこと。…わかりました。ありがとうございます。この本とフェイスタオルを手に松阪市の山城めぐりはもちろん、氏郷公の松阪城も必ずや再訪しますので!
また、観光PRブース(の大半)ではその城にちなんだクイズが出題され、各ブースをめぐって全問回答すると参加賞(各日先着100名)がプレゼントされるお城・クイズラリーが開催されていました。夏休み中のため親子連れも多く、クイズラリー形式で子どもたちが興味を持ってお城への知識を深められるというのは良い企画だなぁ、と思うのと同時に、大人が挑戦してもなかなか歯ごたえがあり、独力だけでは半分くらいしかわかりませんでした。クイズの前で頭を悩ませていると、ブースの人がヒントをくれたり、パンフレットの解答が載っている箇所を教えてくれたり、ただ漫然とブースをめぐるよりも、クイズを通じて交流やパンフレットに目を通すきっかけができるという意味でも良い企画だなぁ、とも。
ブースをひとめぐり(というか3周ほど)したあたりで撤収しようかとも思いましたが、まだ夜の予定まで時間があったので、自治体PRステージ…の前に阪大レゴ部によるブロックお城作りへ。ワークショップは終わっていましたが、展示されていたレゴ部制作の大坂城天守は大きさといい出来栄えといい、素晴らしい代物でした。一から作ろうとしたら何日かかるんだろう…。
2日目最後の自治体PRステージは和歌山城と彦根城・佐和山城。和歌山城はお城イベントの最後まで残るような客層を考慮して、天守などのありきたりな観光案内ではなく、ブラ〇モリ的に地形や石垣にこだわったマニアックな内容で、小道具や小ネタもいろいろと仕込まれていて、勝手知ったる地元の城でも楽しく拝見できました。彦根城のステージといえば、言わずもがなのひこにゃん。少し前にブースのほうでも会ってはいるものの、やっぱり可愛いですなぁ。佐和山城のPRもしてくれていたはずですが、ひこにゃんに意識が向いていてさっぱり頭に入ってきませんでした(笑)
…ということで、お城イベントを存分に堪能できましたので、来月は姫路にも行きたいな、と思っています。
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2023/08/17 06:48
2023/08/16 22:24
2023/08/16 17:49
立地を楽しむ (2023/07/15 訪問)
【墨俣城】
<駐車場他>墨俣城前駐車場<35.366311, 136.687069>に駐車6台程度しかないので満車ぎみ。
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾12城目。墨俣城の築城は秀吉が築城したのならば稲葉山城攻略の少し前の1561年または1566年とされています。墨俣城の場所も比定地で1586年に木曽川の大氾濫がありその時流れが変わってしまったので川の状況も現在とは一致しないようです。資料館に出土した戦国期の兜が展示してあるのでこの近辺に軍事施設はあったのかもしれません。
模擬天守のある資料館(入館料200円)は犀川と長良川の合流地点にあり立地はまさに洲股にあります。模擬天守最上階からの眺望は現在の岐阜城と名古屋方面の両方が見えて軍事上の重要なポイントだったことがよくわかります。模擬天守がなかなかいい感じなのでお城入門としてお子さんを連れていくには良い場所かと。もちろん限定御城印を購入してちょこ満足。
<満足度>◆◇◇
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2023/08/16 17:28
台風一過の米子城。 (2023/08/16 訪問)
台風7号の通過後で、近隣の町では被害も出ていた様子ですが、訪れた時は晴れていました。
登城口は改修工事もしていました。
駐車場も工事中でした。
続100名城スタンプと御城印は博物館で頂きました。
資料館も無料で見学できました。
駐車場は市役所に停めて駐車券は申し出れば頂けるようです。石垣は美しく立派でした。
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2023/08/16 10:42
整備された西曲輪と周辺 (2023/06/19 訪問)
9年振りの再登城(初登城H26年4月)、西曲輪に在った市民会館は撤去され、南側に在った遊戯施設は北に移り、南側西側には土塁が復元して、南西角には城址公園交流展示館が建てられ西曲輪は芝生広場に奇麗に整備されていました。
謙信公築城450年飯山城整備計画パネルの西曲輪に成って居ました、桜井戸は整備され、後は本丸城門整備が残って居ますが何時でしょうか?
計画には載って居ませんが本丸南西角に二重櫓が描かれて居りますので飯山のシンボルとして是非再建復元して貰いたいものです。
西曲輪南西角扇坂跡の腰巻石垣と高土塁は見事な高さと威厳があります、見所でしょうか?本丸西の帯曲輪は葵神社建設で南側の土塁が削られて堀切の様になっていますが工事用の道として現在に至っています。
6月19日の登城の2編投稿していますが、写真をダブらない様に投稿させて頂きます。
まだまだ暑くて登城探訪する元気が湧きませんので以前の登城の残り写真でお許しください。
あともう一編続きます。
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2023/08/16 08:43
2023/08/16 00:37
①もりおか歴史文化館〜 (2023/06/23 訪問)
4年ぶり3度目の訪問です。
7:56 東京駅発のはやぶさ103号で一路盛岡へ。
北上川を渡り、てくてく歩いて下の橋から中津川を渡りました。欄干の擬宝珠「源朝臣 利直」が古城へと誘ってくれます。
最初にもりおか歴史文化館へ行きました。スタンプやおみやげは 1 階ですが、2階の歴史文化ゾーン(有料)がとてもよかったです。歴史をたどりつつ精緻なジオラマへ。石垣の城として名高い盛岡城ですが、櫓や土塀などと一体となってこそ最強の石垣となるもの。今は見ることのできない姿をこうしてジオラマで見せていただいてイメージを膨らませることができ、たいへんありがたかったです。出土品の瓦や家紋印、黒田官兵衛の合子形兜(複製)などの展示品も興味深かったです。
歴史文化館を出ると小雨がぱらついていましたが承知の上。内丸に向かいました。
市役所や県庁が目の前です。整備された内丸緑地や飲食店街は市民の日常に溶け込んでいるようで、暮らしの真ん中にお城があたりまえのようにあるのだなと感じました。
紫陽花の季節は終わりかけでしたが水堀に囲まれたちょっと不思議な一画。「巖手公園 明治39年9月15日開園」の大きな碑、存在感があります。
つづく
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