JR東海とのコラボ御城印を入手するために登城しました。
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2023/08/20 15:07
新幹線コラボ御城印を求めて (2023/08/18 訪問)
JR東海とのコラボ御城印を入手するために登城しました。
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2023/08/20 15:07
松倉重政が城主だった二見城と城下町の五條新町 (2023/08/13 訪問)
二見城は、1331〜1334年に二見氏によって築かれた館城を前身とし、江戸時代の1608年に大和五條藩1万石余りの城主として入った松倉重政が近世城郭に改築したとされます。
重政は、もとは戦国大名筒井氏の重臣として仕えていましたが筒井氏が改易された後、関ヶ原の戦いの功により徳川家康によって大名に取り立てられました。
大坂夏の陣の功績により、1616年に重政は肥前日野江藩4万3千石の大名として転封になった後、二見城は廃城となりました。
今は立派な説明板がありますが、残念ながら遺構は殆ど残されていません。
絵図を見ると本丸・二の丸は小規模で、東西に長い河岸段丘上に築かれた平城だったようです。
本丸は今は妙住寺の境内で、北側・東側は吉野川が流れ断崖となり、西側に埋められてますが堀跡があります。
二の丸は今は木材会社の敷地で、城風の土塀が建ち、周りより高くなっています。
本丸・二の丸は南東側から見ると、かなり高くなっており、西側の外郭も南側から見ると高くなっており、河岸段丘の地形が分かります。
二見城の北には、重要伝統的建造物群保存地区の五條新町があります。
中世からの町場の五條と、松倉重政によって新たに造成された新町の2つの地区からなり、二見城の城下町として整備されました。
江戸時代からの建物が多く残されており、風情のある良い町並みでした。
重要文化財の栗山家住宅は、1607年の棟札があり建築年代が分かる民家では日本最古だそうです
新町通り沿いにある新町松倉公園に重政を称える碑、西方寺に重政の墓碑があります。
重政は肥前国の島原では重税を課したりキリシタンを弾圧し悪評高いようですが、五條では雑税を免除し商人を集りやすくし、町をつくった殿様として慕われているようです。
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2023/08/20 15:03
築城450年記念御城印を求めて (2023/08/18 訪問)
島田市博物館にて諏訪原城の特別展が開催されていた事もあり、築城450年記念の特別御城印を頂くために友人と登城。
久しぶりに来てみたら、写真撮影用と思しき台が設置されており、そこから馬出しを撮影。とても良い!
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2023/08/20 13:19
「冷やし旅」 (2023/08/17 訪問)
JR東海ツアーズのEX旅のコンテンツから、名古屋城の「冷やし旅」(入場券+二の丸茶亭の冷やし抹茶・和菓子+特別御城印のセット)を申し込んで訪問しました。
とても暑い日だったので、冷やし抹茶を美味しく頂けました。
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2023/08/20 13:06
2023/08/20 12:59
“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」①-2犬山城 (2023/08/17 訪問)
前回(春)にも販売された“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」が、性懲りも無く再び発売されました。しかも今回は金箔入り。仕方がないので再度訪問しました。そりゃ行かなかんて。
前回『御城印はもっとお城の近くで売ってくれ』と苦言を呈しましたが、今回は犬山城だけで3城分を販売。どうも大人の事情がありそうでや〜らしいですね。
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2023/08/20 12:33
2023/08/20 11:09
2023/08/20 10:33
大宝沼の北端に位置する南朝のお城 (2023/08/19 訪問)
関東鉄道常総線 騰波ノ江駅から徒歩約25分で到着。
南北朝時代 南朝の拠点となり、興国二年(1341)南朝の小田城が開城したことで、南朝の北畠親房が関城に入城。北朝の高師冬軍と籠城戦を展開し、興国四年(1343)に落城しています。
城はかつて存在した大宝沼に三方を囲まれた微高地にあります。
城の北西側に北朝が、関城の櫓を崩すために掘った坑道跡があります。
坑道から少し南に行くと八幡神社があり、神社の裏手に土塁が残っています。
神社を出て、西側にも土塁があり、さらに西側には、空堀と土塁が残っています。
そこから関城通りを南に行くと、城主の関宗佑の墓、その左側に北朝として関城攻めに参戦し、討死した結城直朝の墓があり、案内板と関城址の碑も立っています。
そこから、南に下った所には、なぜか大宝城の標柱が立っています。この件は大宝城跡の案内板で、理由が図示されており、大宝城の国史跡区域がかつての大宝沼一帯も含めているためだからだそうです。
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2023/08/20 10:07
キラキラなヒルズ。 (2023/08/15 訪問)
台風と猛暑で、旅行も遠出の計画もしてなかったお盆休み。
高速道の渋滞情報にうんざりし、港区の「太田道灌城」を目指しました。
因みに車で。
「太田道灌城」があったとされる場所は、何もありません。皆さんの投稿にある『仙石山の石碑』探しに変更しました。只今 建設中の『麻布ヒルズ』の周りを1週しましたが、見落としました。
なぜなら、麻布ヒルズがキラキラしてて、新しい建物を見上げてばかりいたせいです。
この後、銀座、日本橋方面に移動して日本銀行近くの『貨幣博物館』へ。
X線検査と金属探知機での手荷物検査がありました。館内はご家族連れが多かったです。入館料無料ですし、宿題の自由研究に良さげです。
銀座・日本橋は小さな神社や、江戸を連想させるデザインが沢山あり、歩いていてるだけで楽しかったです。
ただし、パーキング料がビックリ価格です。写真④のモンブランを食べるのと少しの買い物で、パーキング料金1000円でした。
我が家は諸事情により車で出動が多いのですが、断然 電車をお勧めします。
ヒルズって、丘ですよね。
現代の太田 道灌さんのような方々が、高い場所に屋敷を構えるのか。
意外と、昔と変わらないんだなと、ヒルズの もっともっと上を見上げた「太田道灌城」攻めでした。
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2023/08/20 08:26
62【関ケ原の26人】(23)石田三成 (石田三成と大原観音寺) (2023/07/02 訪問)
(23人目)「石田三成」の続きです。
秀吉と三成が出会った地(大原観音寺)を訪れてきました。
石田からさらに同じバスで登り坂とトンネルが続く道を5分ほど乗り、観音寺バス停で下車すると大原観音寺が見えてきます(写真⑨)。ここは三成と秀吉が出会った場所です。「三献の茶」の逸話は有名ですよね!(以下がその逸話)
ある日、長浜城主であった秀吉は、鷹狩りの帰りにここ観音寺に立ち寄り、喉が渇いたので一服の茶を所望します。その時、隣村から修行に来ていた一人の小僧が、大きめの茶碗に七~八分ほど入れたぬるめの抹茶っを持ってきました。秀吉はそれを一気に飲み干すと、もう一杯の茶を所望します。すると今度は、茶碗の半分に満たない量で、前より少し熱い茶を持ってきました。これをまた飲み干し、お茶の熱さに少し慣れた秀吉がさらにもう一杯所望すると、今度は小ぶりの茶碗に、さらに熱い茶を入れ持ってきました。この三杯目で秀吉はお茶を味わう事ができたのでした。この機転を利かせた小僧の才知に驚き、住職に懇願し家来としてもらい受けました。
この小僧の名前は「石田佐吉(後の三成)」。ここから彼の出世物語が始まります。
私は観音寺の本堂の前に立ち眺めてみました(写真②③④)。暑い日でしたが、杉木立に囲まれた静かな雰囲気の中、冷たい風が心地よく吹いていました。何やら秀吉と佐吉が今にもここに出てきそうな感じで、その時の光景が目に浮かんでしまいました。
観音寺のバス停に戻りバスを待っていると、ふと伊吹山が見えました。その右手下が関ケ原です。戦いに敗れた三成は、あの伊吹山中を敗走し、秀吉と出会った思い出のこの地を目指していたとも伝わっています(写真⑩)。
どんな思いであの山中からここを目指していたのでしょうか?
「何故自分は敗れてしまったのだろうか?・・・」
「これから一体どうしたらいいのだろうか?・・・」
これらを秀吉に、聞いてみたいと思ったのではないでしょうか?・・・
次は(長浜城)へ続きます。
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2023/08/20 07:02
2023/08/20 06:56
岡山城 (2023/07/31 訪問)
美しい烏城!
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2023/08/19 23:56
2023/08/19 22:31
徳川美術館(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)
夏季特別展「徳川家康-天下人への歩みー」が2023年7月23日~9月18日の期間開催されているので行って来ました。長篠合戦屏風(六曲一隻)、徳川家康画像(三方ヶ原戦役画像)、豊臣秀頼が慶長16年に二条城で家康と会見したとき送ったとされる南泉一文字の刀など充実した展示です。すぐに出てくるつもりが、ゆっくりしてしました。
それにしても徳川美術館へ行ったのは久しぶりでした。以前、行ったのは昭和でしたね。
JR大曽根駅から徒歩10分くらいで行くことができます。
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2023/08/19 22:25
御所屋敷(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)
豊臣秀吉の母大政所(なか)の在所であると伝わる場所です。尾張藩がまとめた尾張志には 『この御器所村の古老伝説に太閤秀吉の母堂は、この御器所屋敷に住んで秀吉を産み、そこで御所屋敷という様になった』とい記載あるそうです。ここも豊臣秀吉の生誕地候補のひとつです。また持萩中納言の屋敷とされ、秀吉の母なかは持萩中納言の娘でこの地で生まれたと云う話もあります。
名古屋市昭和区にあり地下鉄鶴舞線荒畑駅より徒歩5分くらいで行くことができます。
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2023/08/19 22:21
2023/08/19 22:15
山崎城および山崎砦(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)
佐久間信盛が居城としていたこともある城と伝わっています。城びとには未登録の城址です。安泰寺付近が城址です。遺構はないと思われますが、西側にある名鉄名古屋本線が走っている場所はかっての堀跡といわれています。説明板はありませんが、案内標識と東海道荒崎呼続町線の道路に石碑に山崎城の名前がありました。
名古屋市南区にある城址で名鉄名古屋本線呼続(よびつぎ)駅より徒歩5分くらいで行くことができます。
山崎城の北西約500mにある砦で佐久間信盛の築城と伝わっています。こちらも城びとには未登録です。信盛が山崎城へ入った際に築かれたと思われます。現在は白毫寺となり、遺構はなく石碑も説明板もありません。
白毫寺は「年魚市潟勝景」で知られる地で、埋め立てられる前はこの辺りまで海が迫り、遠浅の干潟があったと伝わっています。「年魚市」は「あゆち」と読み、「愛知」の語源になったと伝わっています。
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2023/08/19 21:56
2023/08/19 21:56
もう暗くなってきたので、滑り込みポチっと (2023/08/11 訪問)
革嶋城は革島氏によって築かれたとされ
革嶋神社一帯に築かれていたとされています。
南側にささやかな公園があり、革嶋城公園の
プレートがあります。
革島氏は西岡被官衆の一人で、かつて西岡と呼ばれた
地を治めた、室町幕府に被官した有力土豪達のことを
ことを指すそうです。
西岡は京都盆地西部の西岡丘陵から桂川右岸を指すそうです。
地理的に足利将軍家とのつながりも深そうですね。
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