お城エキスポin姫路の下調べをしてたら、「西播磨の山城へGo」が引っ掛かってきました。西播磨に「尼子」って、と気になりました。挙げられていた西播磨の山城の中でまだ行ったことがなかったし。
出雲の尼子氏が、晴久の代に因幡、美作、備前も支配下にして、その東側の西播磨に侵入してきました。嘉吉の乱で赤松氏が最後の抵抗をした城山城を尼子氏は播磨支配の拠点にして、赤穂平野を見下ろすこの山にも城を築き、尼子山、尼子山城になりました。
尼子義久の代になり、毛利軍が攻めてきましたが、自然の要害に阻まれ落とすことができず。老婆が、裏道を教えて落城したと伝わります。山城あるある?
この付近で一番高い山であり、山陰になって赤穂城は見えないものの、瀬戸内海と家島諸島が見えます。山体は、流紋岩質凝灰岩。日本列島がまだ大陸の一部であったころの巨大陥没噴火(コールドロン)由来の岩を千種川が浸食して急斜面の山を作りました。
麓から、頂上が平らな、山城向きの山と見受けられます。山頂に近づくにつれ巨石ゴロゴロで、岩場を登ります。本丸から少し降りたところに、現在も湧水地があります。かつての井戸とは違うようですが。
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