(続き)
駿府城の城下町めぐり、まずは静岡浅間神社内に設けられた大河ドラマ館へ。「どうする家康」は観ているものの、大河ドラマ館なるものにはさほど興味はないんですが、ニッポン城めぐりのイベントスポットでもあるので、さらっとひとめぐりすると静岡浅間神社へ。
静岡浅間神社は今川氏の氏神であり、徳川家康が今川義元を烏帽子親として元服した地でもあります。江戸期を通じて徳川将軍家の庇護を受け、江戸後期建造の社殿群には漆塗極彩色が施され、写真で見てはいたものの、大拝殿や楼門のあまりの巨大さと壮麗さには圧倒されるばかりでした。また、元服時に義元から贈られた紅糸威腹巻(静岡市歴史博物館で複製を展示)など、家康ゆかりの品が数多く奉納されているようです。
静岡浅間神社から北に1㎞の臨済寺は、今川義元が急逝した兄・氏輝の菩提を弔うために建立した寺院で、住持となった太原雪斎は軍師として義元を支え、人質時代の竹千代(後の家康)の文武の師ともなりました。大書院には竹千代御手習いの間がありますが、5月19日(義元命日)と10月15日(摩利支天祈祷会)の年2日以外は建物内は非公開なので境内から外観を眺めるだけでした(手習いの間の復元は駿府城の巽櫓で見られます)。今川氏の菩提寺ということで、左手奥の墓地には氏輝や雪斎の墓所があり、境内には氏輝と義元の石塔と位牌を祀った今川神廟が建てられています。氏輝の墓所と並んで家康の関東移封により駿府城に入った中村一氏の墓所もありました。臨済寺には家康が寄進した品々が伝わり、うちいくつかを静岡市歴史博物館の企画展で目にすることができたのはラッキーでした。
静岡駅前に戻って、小梳神社へ。人質として駿府にやってきた竹千代が小梳神社で装束を改めて今川義元と対面したと伝わり、駿府城の守護神として尊崇され長きにわたり徳川家の庇護を受けた…とのことですが、一見して街なかの小さな神社にしか見えず、ニッポン城めぐりのイベントスポットになっていなければ来ることはなかったろうな、という感じでした。
小梳神社から南西に500mの宝台院は徳川秀忠生母の西郷局(於愛の方)の菩提寺として知られ、境内には西郷局の墓がありました。明治初めには徳川慶喜の駿府での謹慎地ともなり、謹慎が解けるまでの1年あまりを宝台院で過ごしています(石碑が建てられていました)。また、この日に歴史博物館でその名を知ったばかりの家康の侍女・ジュリアおたあが信拝したと伝わるキリシタン灯篭も駿府城内から移設されています。駿府の様々な歴史にゆかりのある寺院なんですね。
…と、このあたりで薄暗くなってきたので、この日はここまで。明朝は早起きして堀めぐりに向かいます(続く)。
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