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一之宮天満宮 (2023/05/27 訪問)

 寒川駅より徒歩にて登城しました。石碑等のある一之宮天満宮まで15分くらいです。

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小沢城の支城 (2023/05/27 訪問)

 下溝駅より徒歩にて登城しました。「上磯部の土塁」の案内板までは行きましたが、城址と推定される能徳寺や御嶽神社へは時間の都合もあり今回は行っていません。

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愛川中学校 (2023/05/27 訪問)

 田代坂上バス停より徒歩約5分の所にある愛川中学校付近が跡地で案内板がありました。城址には石塁跡があると書かれていましたが、どこにあるのかわかりませんでした。

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金子掃部助 (2023/05/27 訪問)

小沢バス停より徒歩10分くらいで相模原大磯線道路の脇にある案内板へ行くことができました。案内板はもうひとつあり、坂をさらに5分くらい登ったところにあります。遺構はよくわかりません。

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にのまる

【かるた】高知城の読み札と写真

・武装して かくも麗し 高知城

・このトゲトゲが 目に入らぬか! 高知城

・飛び込み台 みたいな石樋 高知城

・物見窓 チェックされてる 高知城

・積み方が 名刺がわりの 高知城

・天守まで 近そで遠い 高知城


過去の自分の投稿写真を見て思い出しながら考えました。

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ゆいと

日本百名城になれなかった尼崎城 (2023/05/17 訪問)

僕は尼崎城を観光しに行って最初は日本百名城の1つだとおもっていました。城には窓ガラスがはってありました。尼崎城は日本百名城の1つではありませんが中にはたくさんの楽しいコーナーがあります。

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チェブ

教材のような お城。 (2023/05/06 訪問)

宇都宮氏家臣の、芳賀 高俊さんが築いた「飛山城」。
300年ほど活躍しましたが、秀吉さんの宇都宮仕置で廃城しました。
宇都宮仕置で外堀を埋められたまま昭和まで手付かずだったようです。昭和に国の史跡になり、平成で史跡公園に整備されました。
駐車場もある公園で、『とびやま歴史体験館』で勉強してから攻めました。
まずは駐車場から、6号堀にかかる木橋を渡ります。左手に出っ張った所が見え、物見櫓があったようです。枡形虎口でカクカクと通り、5号堀の土橋を渡りました。入口にて10分弱。世が世なら討たれてます。
すんなり通るのが、もったいないのです。

広場を分断するように、4号堀。土橋に誘われ奥に行くと、家臣の詰所だった掘立柱建物が復元されてました。床の高さ等、造りが違い勉強になりました。
他の郭には、竪穴式住居。どうやら狼煙用の建物のようです。
と、川の音が聞こえてきます。
鬼怒川が流れ、天然の要害になってます。今とは川の位置が違うようで、姫が身を投げて白いなまずになった伝説がありました。
、、、なまず。
近くのお城では身を投げて、どじょうになった姫もいました。
、、、どじょう。
う~ん。複雑な気持ち。

石碑があるだけや、遺構の一部だけが残っているお城の 想像をするのに、お役立ちの教材みたいな「飛山城」でした。

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にのまる

5年越しの。 (2023/04/08 訪問)

5年前の春、武田ゆかりの城に行くのが楽しくて、茅野駅からてくてく歩き、山道もどんどん登って到着した上原城。
鳥居越しの眺めに感動して下山したあと「あれ?板垣平ってどこだっけ?通ってない(>_<)」とずっと気になっていました。
麓の通りから山道に入る道が2本あり、駅に近い方から登ってしまったために通らなかったと判明。ほんの数十メートルのところを掠っていた…。

今回「諏訪氏城館跡」の碑を確認するため、干沢城から約3.5km、歩いて行きました。
東京の桜はすでに散っていましたが、こちらはまだまだきれいです。
上川を渡るあたりで山の中に上原城の大看板が見えてきました。山頂を見上げると満開の桜が見えます。あの鳥居のところだ!!今、あそこを独り占めできたら最高だろうなぁ…。
登るには時間がちょっと遅かったので諦めましたが、たくさん歩きながら、たくさん歩いた思い出に浸る時間が心地よかったです。

そして無事に大看板と「諏訪氏城館跡」の碑に到着。5年越しのもやもやを収めることができました。ここに来たかったんだ🎵

そして新たに、今度は桜満開の山頂の鳥居から眼下の町を眺めてみたいという夢が生まれました。(前回は5月で桜は終わっていました。)

行けば行くほど、今度はあそこに行ってみたい、あそこからの景色を見てみたいという夢(だか欲だか…)が生まれるのがお城めぐりの楽しさだなぁと思います。戦さ場であったことに思いを致しつつ、現在のお城の姿を存分に楽しみたいと思っています。

茅野駅に戻ると、ホームに標高790メートルの標柱がありました。
岩殿城と千早城とスカイツリーが634メートルだったから、すごい高いところにある駅なんだ!涼しいはずだ…。

で、18きっぷの旅ですが、もう充分に元は取れたので終わりにして、帰りは特急あずさに乗りました。快適だー♪

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イオ

とことん飯盛城(高櫓郭周辺) (2023/02/11 訪問)

(続き)

千畳敷郭と高櫓郭を分かつ堀切を越えて登って行くと、高櫓郭の南下には堀切と土橋が設けられており、高櫓郭には城址碑と説明板、西麓での四条畷の戦いで討死した楠木正行(小楠公)の銅像が建てられています。高櫓郭の北下は本郭で、展望台からは大阪平野が一望でき、この日は淡路島まで見通すことができました。高櫓郭と本郭の東下には数段の帯曲輪が設けられ、斜面には多くの石垣が見られます。遊歩道を歩き回って5箇所ほど石垣を確認。石垣の山城とは承知していましたが、これほどあちこちに遺っているとは…。実に探しがいがありました。

本郭北下の倉屋敷郭から先に進む前に、西側にのびる支尾根の曲輪群(別途投稿します)に寄り道を。西麓の北條神社へと続く遊歩道を下って行くと、倉屋敷郭の西斜面に段築状に築かれた石垣が状態良く遺っていました。遊歩道沿いの曲輪群を見て回った後、倉屋敷郭に戻り御体塚郭を目指します(続く)。
 

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美夢

【かるた】今帰仁城の読み札

青い空 白き石垣 今帰仁城

曲線美 自在な石垣 今帰仁城

大曲り 龍の背のごと 今帰仁城

美ら海と 今帰仁城跡 県北部


読み札のみの投稿です
石灰岩の白い石の曲線的な石垣と
南国の美しい濃い青空
美しい海(万座毛、美ら海水族館)
本州にはない美しさを詠んでみました

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todo94

柏崎の城② (2023/04/16 訪問)

小さいながらも、公園として整備されており、遺構も残っています。個人的には安田城というと富山県の国史跡が思い浮かんでしまいますけれどもね。中学1年の時、現在8連敗中のヤクルトのファンになったのですが、その時の左のエースは安田でした。

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織田晃司

見どころ満載の (2023/05/05 訪問)

城です。
石垣と天然巨石のコラボ。山城故の水の確保の砂防ダムの様な石垣。
全て見ようとすればかなりの時間を有する。

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織田晃司

松平東照宮が (2023/05/05 訪問)

松平氏館跡となります。石垣と水堀。井戸(産湯の井)が遺構となります。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:寺林城 (2023/04/25 訪問)

政元城からの転戦です。飛騨市コミュニティ消防センター付近(36.317022、137.272604)に駐車しました。
そこから、河への降り口(36.316892、137.271308)を経由して、標柱登り口(36.316064、137.271214)に着きました。

寺林城の築城者は不明のようですが、久米城之介という人物が居て、後に家老の玄番という人物が在城していたため「玄番城」と呼ばれていたらしいです。
そのためか、地元の方は玄番城と呼ぶ方も多いそうです。

登リ口に「寺林城跡」の標柱が建てられています。
標柱あれど草が深く登城路がわからない。
別の登城口はないかと川沿いをウロウロするがタイムアウトで断念しました。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=傘松城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:政元城 (2023/04/25 訪問)

向小島城からの転戦です。大国寺駐車場(36.301007、137.248605)に駐車しました。

伝説によると平治年間(1159~60年)悪源太義平が傘松城に拠ったとき、その家来の正本主馬がここに城砦を築いたのが始まりとされます。
その後、永禄・元亀(1558~73年)頃、江馬氏の家臣・吉村斉右衛門政元、吉右衛門政延父子が居城したと伝えられています。 
1582年(天正10年)十六代続いた江馬氏の滅亡によりこの城も落ちたと伝えられています。

城は大国寺の西の丘の上にあり、丘の頂部に本丸があり、空堀で隔てて二の丸があります。
ここから更に山頂へ行くと、狼煙台があり土塁が残っていると案内にありましたが、時間の都合上、行っていません。
狼煙台は本城(現在の神岡城)に、いち早く敵の侵入を知らせる役割を果たしたと思われるそうです。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=寺林城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:向小島城 (2023/04/25 訪問)

小鷹利城からの転戦です。恵比寿神社前(36.247813、137.130187)に駐車しました。
電柱手前(36.248026、137.131298)から北の山への道を進み、突き当りのフェンス裏を右に50mくらい進むと谷の平坦地に着き、尾根に沿って直登すれば着くようです。

築城年代は正確には不明のようですが、戦国時代の16世紀前半頃築城されたようです。築城者は姉小路氏の姉小路家綱の子・藤原師信とする説があるようです。
飛騨国の国司であった姉小路氏が居城にしたが、1476年(文明8年)に姉小路氏の同族争いが起きて没落し、天文年間(1532~55年)には向井氏が居城にしていたようです。
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命令を受けた金森長近に攻められて落城し、その後に廃城となったようです。

入口標識から入り、直登できそうな所をしばらく探すが、雨で土が泥濘かつ斜面が急で諦めて撤退しました。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=政元城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)8日目:小鷹利城 (2023/04/25 訪問)

小島城からの転戦です。林道入口(36.252061、137.092573)から進入し、林道を1Km走った舗装が切れた場所に駐車しました。
荒れた林道を東へ400mくらい歩くと左側に平坦地、右側に岩場(36.249385、137.105417)があり、左に下り岩場を回り込むように進み、突き当りを左に行くと馬場跡の標柱のある入口に着きます。岩場から本丸まで10分くらいだと思います。
なお、岩場のGPS座標を経路入力するとググールでは対応できないので、あくまでポイントとしての目安にしてください。

築城年代は定かではないようですが、姉小路氏の庶流向氏(小鷹利氏)累代の居城とも云われるが、それを直接示す史料は残っていないそうです。
1583年(天正11年あるいは10年)に向家の幼君右近を後見していた牛丸又太郎重親が、逆心を起こして横領を企てました。
重臣の後藤重元はこれを察知して城を脱し、後藤重元・向井右近太夫(後の向右近宣政)・小鷹利某等は窮地を脱しますが、重元は防戦して戦死しました。
向宣政と弟である向俊政と小鷹利氏は母国の佐竹氏へ仕え、後に向宣政は姉小路頼綱の次女を妻としました。
八日町の戦い後、牛丸氏は討伐され、姉小路氏の城となります。飛騨征伐後の江戸時代には一国一城令により廃城なりました。

小鷹利城の本丸は南北に長く、南東側に虎口があり、それを降りた所が三ノ丸とされています。
三ノ丸は主郭の南下にあり東に虎口、東西を土塁で仕切られた小郭で、下の尾根に堀切があります。
三ノ丸の南は大堀切(写真撮り忘れました)となり、それを降りた所が馬場になっています。
本丸/二ノ丸/三ノ丸の全ての標識が壊れていました。
主郭の西斜面には畝状竪堀群があるようですが、よくわかりませんでした。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=向小島城に向かいます。

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ぴんぴん

スケールが大きいね。 (2023/05/24 訪問)

久々の大坂城訪問。改めてスケールの大きさに感動しました。
石垣の姿が最高ですね。

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にのまる

【かるた】今治城の読み札

・一握の 海砂の夢 今治城

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にのまる

【かるた】丸亀城の読み札

・聳え立つ 天守気高き 丸亀城

・夕映えに 浮かぶ白壁 丸亀城

・瀬戸内の 凪にも似たり 丸亀城

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