ふるかわじょう

古川城

岐阜県飛騨市

別名 : 蛤城、高野城
旧国名 : 飛騨

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蛤石
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しんちゃん

伝説の蛤石が鎮座。目立った遺構は無いが容姿の美しい城。 (2023/11/05 訪問)

古川城は古川氏によって築かれたとされ、一時期三木氏の手にあったようです。三木自綱を討った金森長近によって養子の可重が入りますが、長近が蛤模様の奇妙な石を見て、かつての古川城から名を蛤城(古川城の別名)に改めたとされています。県道471号線を北上して吉城コンボという採石場らしき施設のある道を左折して西側へ登っていくと古川城の登城道の標柱が見えてきます。登城道を進んでいくと出丸らしき郭があり、そこから東側の郭に続く道があるので進むと蛤石のある郭にたどり着きます。かつては野ざらしだったようですが、今では大切に祠のような建物に囲まれています。郭の南東側には内枡形虎口という虎口が残り、かつては石垣で補強されていたようです。主郭へ通じる道の周辺にも石垣の跡があり、主郭周辺の側面全体に石垣の跡らしき石が散らばっています。主郭には土塁が残り、浅いですが周囲には竪堀が残っているようですが、全体的に遺構はあまり残っていません。土塁や堀切は少ないのですが郭や山容が山城らしい美しさを持った城だと感じました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:古川城 (2023/04/24 訪問)

広瀬城からの転戦です。県道路肩(36.223366、137.185788)に路駐し、登城口(36.222565、137.183540)に向かいました。

築城年代は定かではないようです。
応永年間(1394年~1428年)末期に藤原師言が築いたとの伝承もあるようですが、天文年間(1532~1555年)に古川二郎による築城とも云われます。
1564年(永禄7年)に武田家重臣山県昌景から逃れた上杉家家臣・塩屋秋貞が入りました。
しかし、秋貞は謙信死後に織田信長に仕え、信長死後の1583年(天正11年)に討死しました。その後は一時三木氏の勢力にありました。
1585年(天正13年)第二代金森家当主金森可重は、養父である金森家初代金森長近と共に飛騨平定戦で活躍し、戦国大名姉小路(三木)氏を滅ぼすと古川城に入ります。
1586年(天正14年)に宮川対岸の平城である増島城が完成すると、可重は古川城から移って城主となったため、古川城は廃城となりました。
この城は「蛤城(はまぐりじょう)」とも呼ばれていますが、これは飛騨へ入国した金森氏がこの城へきたとき、城内に蛤石があったため、以後蛤城と呼ばれるようになったそうです。

主郭は西端が一段高くなっています。主郭の東西に曲輪があり、南側には帯曲輪があります。
主郭の西面と東側から登る虎口付近に石積みの残石があります。
蛤城の由来となった蛤石は三郭に存在し、ちょうどそこに標柱も立っています。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=百足城(城びと未登録 岐阜県飛騨市)に向かいます。

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ぴーかる

古川城 (2023/03/19 訪問)

【古川城】
<駐車場他>登城口は資材置場となっているため少し奥の<36.221865, 137.181844>の道路脇に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>竪堀・堀切・切岸・枡形虎口
<感想> 日帰り強行飛騨山城攻めの旅2城目。古川城は「理文先生のお城NEWS解説」の特集で知った城跡で、行ってみたかった城でした。登城口入った辺りからすぐ城跡で大小の舌状腰曲輪を4つほど通って主要部に入ります。主要部虎口は曲輪端側面の内枡形になっており、石積みがわずかに残っています。主要部は主郭を含めて3段の曲輪になっており3段目の曲輪は虎口と中央に蛤石の置かれた祠があり比較的大きい曲輪です。3段目の曲輪と主郭を囲む帯曲輪がほぼ平行につながっていて主郭背後の帯曲輪に転落石が多く見られます。帯曲輪南側からは2条竪堀が表面観察できます。主郭背後の切岸は高くて迫力があります。主郭内部は最奥に櫓台跡の土壇が残り、ここが発掘調査が行われた場所かと。現在は埋め戻され土嚢で整えられていました。主郭背後に大堀切があり、堀切の手前に腰曲輪があります。堀切も深く見応えがあります。城跡の規模自体は小さいながらなかなか見応えある城跡でした。

<満足度>◆◆◇

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飛騨古川 白壁土蔵街 (2023/04/13 訪問)

 古川城の帰りに飛騨古川の白壁土蔵街付近を散策しました。碁盤のような町割りや古い町家が今も残り、約500m続く白壁土蔵街と鯉が泳ぐ景観は風情があります。

 昼飯は「蕎麦正なかや」さんで飛騨ざる蕎麦(中盛)と野菜の天ぷら(ハーフ)をいただきました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 古川二郎
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 古川氏、金森氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、石垣
指定文化財 県史跡(古川城跡)
再建造物
住所 岐阜県飛騨市古川町高野城山
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111