ふるかわじょう

古川城

岐阜県飛騨市

別名 : 蛤城、高野城
旧国名 : 飛騨

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登城口
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イオ

各期の痕跡 (2025/11/15 訪問)

詳細は不明ながら姉小路三家・古川氏の居城と伝わります。戦国期には古川氏を破った三木氏が姉小路(古川)氏の名跡を継いで古川城を支配下におきました。金森長近の飛騨攻めで三木氏が滅ぶと金森可重(長近とも)が入りましたが、増島城を築いて移ったことにより廃城となりました。

県道から吉城コンポへの分岐を進み、登城口を通り過ぎた先に設けられている駐車場(案内表示あり)から登城開始。登城口まで戻って登って行くと、登城道の東側に麓の道を見下ろす出曲輪状の腰曲輪群が連なっています。さらに登城道を進んで主郭部へ。主郭部から北東にのびる支尾根は堀切で断ち切っていました。堀切で引き返して主郭に向かうと、主郭部への入口には石垣造りの内枡形虎口が設けられています。地表面に見られる石垣は金森期のものですが、発掘調査により地中に三木期の石垣が確認されているようです。

主郭部に入ると古川城跡の標柱と説明板が立てられ、覆屋の中には蛤石と呼ばれる球状閃緑岩が安置されています。眺めていると何やらぞわぞわした気分になるからか、蛤石にはうなり声をあげたり、運び出そうとすると重くなったり、日照りの中、川に沈めると大雨が降ったり…といった不思議な伝承が伝わっています。主郭の周囲には帯曲輪をめぐらせ、主郭の切岸は鋭く高くそびえ立っています。帯曲輪からは幾条かの竪堀を落とし、北西尾根は堀切で遮断していました。主郭の西側は櫓台状になっていて、発掘調査により古川期、三木期、金森期それぞれの建物の痕跡が確認されているようです。櫓台の周囲には金森期の石垣もわずかに見られました。

1時間を要せずひとめぐりできる規模ですが、古川、三木、金森の各期の痕跡がよく遺り、鋭く高い切岸といいなかなか見応えがありました。
 

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飛騨市

飛騨の山城まるごと体感!ガイドツアー&講演会

10/25(土)飛騨の山城を丸ごと体感できる特別イベントが開催!

午前は山城ガイドと歩く古川城・小島城ツアーを開催!
山城を巡りながらその魅力や歴史を間近で感じられます。

午後からは、加藤理文氏、萩原さちこ氏による講演が行われます。

現地を歩き、専門家の話を聞くことで、飛騨の山城の奥深さと楽しさを一日で体感できる内容です。ぜひお越しください。


日時
2025年10月25日(土)
9:30~11:30 山城ガイドツアー(小島城ツアー・古川城ツアー)
13:00~15:00 講演会(加藤理文氏・萩原さちこ氏)

※いずれも参加無料、事前申込が必要です。
詳しくは、https://www.city.hida.gifu.jp/soshiki/15/75510.html をご覧ください。

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しんちゃん

伝説の蛤石が鎮座。目立った遺構は無いが容姿の美しい城。 (2023/11/05 訪問)

古川城は古川氏によって築かれたとされ、一時期三木氏の手にあったようです。三木自綱を討った金森長近によって養子の可重が入りますが、長近が蛤模様の奇妙な石を見て、かつての古川城から名を蛤城(古川城の別名)に改めたとされています。県道471号線を北上して吉城コンボという採石場らしき施設のある道を左折して西側へ登っていくと古川城の登城道の標柱が見えてきます。登城道を進んでいくと出丸らしき郭があり、そこから東側の郭に続く道があるので進むと蛤石のある郭にたどり着きます。かつては野ざらしだったようですが、今では大切に祠のような建物に囲まれています。郭の南東側には内枡形虎口という虎口が残り、かつては石垣で補強されていたようです。主郭へ通じる道の周辺にも石垣の跡があり、主郭周辺の側面全体に石垣の跡らしき石が散らばっています。主郭には土塁が残り、浅いですが周囲には竪堀が残っているようですが、全体的に遺構はあまり残っていません。土塁や堀切は少ないのですが郭や山容が山城らしい美しさを持った城だと感じました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)7日目:古川城 (2023/04/24 訪問)

広瀬城からの転戦です。県道路肩(36.223366、137.185788)に路駐し、登城口(36.222565、137.183540)に向かいました。

築城年代は定かではないようです。
応永年間(1394年~1428年)末期に藤原師言が築いたとの伝承もあるようですが、天文年間(1532~1555年)に古川二郎による築城とも云われます。
1564年(永禄7年)に武田家重臣山県昌景から逃れた上杉家家臣・塩屋秋貞が入りました。
しかし、秋貞は謙信死後に織田信長に仕え、信長死後の1583年(天正11年)に討死しました。その後は一時三木氏の勢力にありました。
1585年(天正13年)第二代金森家当主金森可重は、養父である金森家初代金森長近と共に飛騨平定戦で活躍し、戦国大名姉小路(三木)氏を滅ぼすと古川城に入ります。
1586年(天正14年)に宮川対岸の平城である増島城が完成すると、可重は古川城から移って城主となったため、古川城は廃城となりました。
この城は「蛤城(はまぐりじょう)」とも呼ばれていますが、これは飛騨へ入国した金森氏がこの城へきたとき、城内に蛤石があったため、以後蛤城と呼ばれるようになったそうです。

主郭は西端が一段高くなっています。主郭の東西に曲輪があり、南側には帯曲輪があります。
主郭の西面と東側から登る虎口付近に石積みの残石があります。
蛤城の由来となった蛤石は三郭に存在し、ちょうどそこに標柱も立っています。
攻城時間は35分くらいでした。次の攻城先=百足城(城びと未登録 岐阜県飛騨市)に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 古川二郎
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 古川氏、金森氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、石垣
指定文化財 県史跡(古川城跡)
再建造物
住所 岐阜県飛騨市古川町高野城山
問い合わせ先 飛騨市商工観光部観光課
問い合わせ先電話番号 0577-73-2111