古川城は古川氏によって築かれたとされ、一時期三木氏の手にあったようです。三木自綱を討った金森長近によって養子の可重が入りますが、長近が蛤模様の奇妙な石を見て、かつての古川城から名を蛤城(古川城の別名)に改めたとされています。県道471号線を北上して吉城コンボという採石場らしき施設のある道を左折して西側へ登っていくと古川城の登城道の標柱が見えてきます。登城道を進んでいくと出丸らしき郭があり、そこから東側の郭に続く道があるので進むと蛤石のある郭にたどり着きます。かつては野ざらしだったようですが、今では大切に祠のような建物に囲まれています。郭の南東側には内枡形虎口という虎口が残り、かつては石垣で補強されていたようです。主郭へ通じる道の周辺にも石垣の跡があり、主郭周辺の側面全体に石垣の跡らしき石が散らばっています。主郭には土塁が残り、浅いですが周囲には竪堀が残っているようですが、全体的に遺構はあまり残っていません。土塁や堀切は少ないのですが郭や山容が山城らしい美しさを持った城だと感じました。
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