広瀬氏居館(城びと未登録 岐阜県高山市)からの転戦です。文化財保護センター飛騨駐在事務所(36.201915、137.217233)を左折し200m行くとフェンス手前のカーブに駐車可能です。
築城年代は定かではないようですが、広瀬氏によって築かれたと云われています。 広瀬氏の家臣田中与左衛門が城主であったそうです。
広瀬氏ははじめ三木氏に協力していましたが、後に武田氏に通じて三木氏と対立するようになりました。
1582年(天正10年)武田氏が織田信長によって滅ぼされると、翌1583年(天正11年)三木自綱が広瀬氏を攻め高堂城と広瀬城は落城し、城主広瀬宗城は討死しました。
広瀬宗城の子で広瀬兵庫頭宗直は、飛騨を脱して越前国大野城主の金森長近の元に身を寄せました。
その後、三木自綱は家督を二男秀綱に譲り、隠居して高堂城と広瀬城を居城としました。 この三木自綱の時代に城は大きく改修されたそうです。
1585年(天正13年)羽柴秀吉の命により金森長近が飛騨へ侵攻するとその先導役として活躍し、高堂城・広瀬城に籠もった三木自綱を降伏させています。
広瀬氏の居城高堂城とは尾根続きに位置します。(中間あたりに城びと未登録の寺洞砦があります)
本丸から堀切を越えて西へ向かうと三の丸になります。 三の丸周辺で畝掘り見れます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=古川城に向かいます。
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