よたにじょう

与谷城

広島県山県郡

別名 : 余谷城
旧国名 : 安芸

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征23日目:与谷城 (2026/06/02 訪問)

天気予報では今日は台風の影響で一日中、大雨ですが強風は一時的なので、レンタカーや宿泊ホテルは予定変更せず、城巡り続行。しかし、山城の登城は危険なので登城口止まりになります。
長期遠征は、台風の少ない5月中旬~6月上旬でいつも計画していますが、今回の遠征は雨の日が多くかつ台風まで来てしまいました。残念です。
寺原城から車で2~3分くらいで、説明板前/赤い橋(34.686189、132.4923592)に着きました。

築城年代は定かではないようです。
南北朝の争乱に当って毛利貞親・親衡父子は、南朝方について忠勤を尽しました。ことに親衡は足利直冬や征西将軍懐良親王と気派を通じ、吉田庄を中心に気勢をあげました。
与谷城は親衡が1350年(観応元年)と1367年(正平22年)に拠った城で、最後に吉川実経に攻略されています。

国道261号から寺原集落に入り寺原川沿いの道を走ると、寺原川に架かる赤い余谷橋があり、そこに説明板があります。
説明板と赤い橋の写真を撮って撤退しました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=吉川元春館に向かいました。

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ぴーかる

直登してしまったばっかりに‥‥ (2023/04/08 訪問)

【与谷城】
<駐車場他>駐車場はなし。赤い橋を渡った左手<34.685981, 132.492369>に駐車した方が良い。
<交通手段>車

<見所>堀切・眺望
<感想>第2弾安芸高田・北広島の山城攻めの旅5城目。初投稿いただきます。与谷城の築城は定かではありませんが、現地説明板を要約すると、1336年毛利元就の祖毛利親衡が反足利の旗をこの城にて挙げ、1350年寺原時規はこの城に拠り吉野朝(南朝)に味方した。1532年からは吉川氏の家臣粟屋氏が3代続いて3代目の1600年栗屋元信の時移封とされています。
 今年の第1弾の2月に来た時には途中まで進みましたが雪がすごくて断念しました。今回は登城は出来ましたので初投稿詳細に、といきたいところですが、タイトル通り直登したので登城路を通っていません。一応途中まで案内を。上記ポイントの赤い橋の脇に城跡の説明板があります。個人サイトの方に車で行ける所まで行けるように掲載されていますが現在は道は途中で悪路になっているので上記の場所に駐車した方が良いです。赤い橋から進むと分かれ道はありますが道なりにずっと直進していくと川を右手にして進むようになります。倒木があったりしてかなり進みにくいです。丸太橋がある場所の右手の山頂が主郭になります。私はこの場所から直登して主郭に一騎攻めしました。登城路は丸太橋から更に川を遡って十二段滝まで行って過ぎたあたりに方向の案内版があるようです。登城路はどんな感じになっているかは分かりません。
 城跡はなかなか荒れていて入り込めない曲輪があったりして明瞭ではありません。最南に主郭があり三方が超急斜面になっています。大堀切があり北方向に尾根曲輪が伸びています。主郭から東方向にだけ眺望がひらけている箇所があり絶景です。城跡説明板には色々な遺構曲輪が書かれてありましたがよく分かりませんでした。
 ここから直登話で、とりあえずこの直登は禁止で。直登してしまったばっかりに、登りは這いつくばって、降りはほぼ尻もちと転がりながらなんとか降りれた状態でした。カメラは一部壊れるわ、ストックの石突ゴムはなくなるわ、ズボンは泥だらけになるわでえらい目にあいました。いい事が1つだけ。斜面の中間に巨石がバランスよく落ちそうで落ちない状態のを発見できました。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 毛利氏、寺原氏、吉川氏、粟屋氏
遺構 曲輪
指定文化財 県史跡(寺原・与谷・猿喰城跡)
住所 広島県山県郡北広島町寺原
問い合わせ先 北広島町教育委員会生涯学習課
問い合わせ先電話番号 050-5812-1864