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にのまる

【かるた】千早城の読み札

・大軍を 寡兵で迎撃 千早城

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にのまる

【かるた】大阪城の読み札

・3代目 めざせ100歳 大阪城

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ゆいと

日本100名城の城 (2023/05/03 訪問)

岡山城は現存天守閣には入れませんでしたが岡山城は再建されたので信頼される城だと分かりました。

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にのまる

【かるた】二条城の読み札

・江戸時代 幕開け幕引き 二条城

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にのまる

【かるた】観音寺城の読み札

・石垣と 曲輪の宝庫 観音寺城

・大石垣 眺望満点 観音寺城

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にのまる

【かるた】安土城の読み札

・信長の 夢幻の天主 安土城

・礎石列 心高鳴る 安土城

・信長と 共に消えにし 安土城

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にのまる

【かるた】彦根城の読み札

・天下普請 総力結集 彦根城

・琵琶湖畔 凛々しき天守 彦根城

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にのまる

【かるた】小谷城の読み札

・落ちてなお 堅きを伝える 小谷城

・浅井の血 後世(のちせ)へ残さん 小谷城

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にのまる

【かるた】松坂城の読み札

・御城番屋敷は現役!松坂城

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にのまる

【かるた】伊賀上野城の読み札

・高石垣 足元怖いが(伊賀) 上野城

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にのまる

【かるた】長篠城の読み札

・援軍は 必ず来るぞ 長篠城

・大敗北 どうする勝頼 長篠城

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ぴーかる

陣城?ミニチュア版城? (2023/04/01 訪問)

【海老瀬城】
<駐車場他>登城口の傍<36.891564, 136.962759>の待避所に駐車
<交通手段>車

<見所>虎口・土塁
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅3城目。海老瀬城の築城者は定かではありません。昌官忠さんの投稿を案内の参考に登城しました。登城口に案内版があります。切通しのような堀のような道を進み、左手に入る入口をあがって進むと電流線があります。線をまたぎ越えて左手に進むと城跡があります。おおかたの平地に周囲に空堀・帯曲輪を巡らして虎口・曲輪間は空堀で仕切っています。皆様の陣城らしい投稿がありましたが、うなづける感じでこじんまりとしているが土塁・空堀がしっかりと残る縄張りの城跡でした。城跡内でおじいさんが一人竹林の落葉を集めて燃やして整備されていました。広大なほぼ平地になっている台地上の片隅にだけ城跡になっていて、副郭・3郭は小さすぎてある程度の兵を入れらるのか、少し違和感を感じた城でした。

<満足度>◆◆◇

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いんげん丸虫

小泉下の城 上の城  長野県上田市 (2023/05/02 訪問)

標高912.5mの山城です。
山尾根の下方に下の城(しものじょう)
山頂に上の城(かみのじょう)があります。
きのこ山ということで、この時期に登って
きました。麓の高仙寺に駐車可能です。
大日堂の手前左に弘法大師堂があり、その
左裏から道がついてます。
下の城の遺構はわかりにくいですね。
上の城も平成8年の宮坂氏の縄張り図のよ
うに詳細には確認しずらいです。
登路はそれなりに険しいですね。

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて11 (2023/05/03 訪問)

桜本数200本、私の行った頃にはソメイヨシノは終わっていて遅咲きの桜のみでしたが、ここも弘前城に負けないぐらいの桜の名城だと思います。桜の他、このお城の見所は堀の真ん中に土塁を築く事によって城内を迷路の様にして防御力を高めている点です。中土塁と呼ばれるもので現在では園路として活用されています。浪岡城の城主は南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠氏の子孫浪岡北畠氏で築城は1460年頃と考えられています。1500年代前半が最盛期で県内に多くの神社を建てましたが、後半になると親族間の争いで勢力が衰え、1578年に津軽為信公に攻められ落城しています。

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて⑩ (2023/05/02 訪問)

去年の紅葉シーズンに続き2回目の訪問です。
桜本数、52種類約2600本、ソメイヨシノの他に遅咲きの桜も順を追って開花して行くので半月ぐらいは桜が楽しめます。私が訪問した時は関山(カンザン)、普賢象(フゲンゾウ)、八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)、鬱金(ウコン)、東錦(アズマニシキ)等が見頃でした。4月21日から5月5日まで桜祭りが実施されていて四の丸では、出店が沢山出ており多くの人で賑わっていました。次回はソメイヨシノの開花時期に訪れたいです。

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スミヤキ

水戸学の道 堪能する (2023/04/06 訪問)

4月6日の「城の日」、近年お城の復元整備が進められている水戸城に行ってきました。
水戸城は、北の那珂川と南の千波湖に挟まれた台地の先端に築かれた天然の要害です。台地東端の下の丸から西に向かって本丸、二の丸、三の丸が配置され、それぞれが空堀で仕切られた連郭式平山城で石垣を一切使わない土造りの城です。
水戸徳川家35万石の城下町に相応しい、見応えのある町並みとお城です。現在城跡は、学校などが多く建ち並ぶ文教地区になっていますが、学校の塀が白壁なっていたり、門が冠木門の造りであったり趣があります。その町並みに2019年に荘厳な大手門、2020年に二の丸角櫓が復元され、公開されてます。

「水戸学の道」という水戸駅北口から、水戸城を巡る散策ルートがあり、案内板がルート沿いに多数設置され、観光案内、寄り道スポットを紹介しています。一周 2.6km、徒歩約2時間、たっぷり堪能できます。
観光案内所や弘道館などで周辺グルメやお土産品情報も盛り込んだ散策マップも配布されているようなのでそれ1枚あれば、事足りてしまいますね。

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キンヤ

小牧・長久手の戦いで秀吉軍に付いた村瀬氏の城 (2023/04/29 訪問)

天文15年(1546年)に将軍足利義輝の家臣であった村瀬作左衛門(村瀬作右衛門とも)によって築かれたと云われます。
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際、村瀬作左衛門は羽柴秀吉軍に付いて、池田恒興たちと軍議を開き戦いましたが、徳川家康軍に敗れて、池田恒興、森長可たちとともに討死し、大留城は廃城になったとされます。

かつては東・北・西側は堀が巡らされ、南側は今と同じく玉野川(庄内川)が流れていたようです。
現在の子安神明社一帯が城跡です。
子安神明社に入ると、遺構かどうか分かりませんが土壇があり、その上に城址碑が建てられています。
以前は子安神明社の東側と北側に空堀が残っていたそうですが、今は道路や宅地となり残念ながら空堀は見られませんでした。
でも、子安神明社北側背後には埋められたと思われる堀跡がありました。

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カズサン

移築横須賀町番所 (2023/04/10 訪問)

 横須賀町番所は東大手門外に建っており、維新後の建物解体移築の中、元の所に残されおり、民家として昭和51年まで使用されていた処、家主より寄贈を受け一時保管し、民家としての増改築部は取り外し、昭和55年現在の掛川市大須賀支所敷地に復元移築した。(横須賀町番所より抜粋)
 移築横須賀町番所は横須賀城から東に約1.7km程の県道69号線沿い大須賀支所入り口付近にあります、県道69号線は国道150号線より北の通りです。

 もう一つの現存旧城門が横須賀城から北西に約400m程の撰要寺に旧城門(不開門)移築されて山門と成っています。(住所:掛川市山崎1305)
 撰要寺の移築門は、まだ訪ねて居らず、機会をみて北東側にある大堀切を下からの観察と併せて訪ねたいと思います。
 

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肉球

伊豆木陣屋・長野県飯田市 (2023/04/28 訪問)

関ヶ原の戦い後に廃城になっていた伊豆木城の南麓に小笠原長巨によって築かれた陣屋です。
小笠原氏は幕末まで領地替えもなくここを統治したようです。
清水寺と同じ懸造りの書院が残り内部も見学できます。観覧料300円
書院裏手には蔵も現存しています。
大手橋を過ぎた所にあった門は飯田市内の専照寺に移築されいます。
駐車場は菩提寺の前にあります。

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肉球

竹佐陣屋・長野県飯田市 (2023/04/28 訪問)

1681年尾張徳川の分家筋の松平義行によって築かれた陣屋跡です。
のちに領地替えにともない美濃国高須に陣屋を築き高須藩となりますが
幕末までここの陣屋は残り今は石垣が僅かながら残っています。
陣屋門が少し離れた光明寺へ移築されています。

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