土浦城は永禄3年(1495)に和泉(今泉)三郎が築いたとされ工期は3年ほどかかったとされています。永正13年(1516)に小田氏の城となり小田氏家臣の信太範貞が城主となり、その後は菅谷勝貞が居城したとあります。勝貞は小田氏治の腹心で小田氏が勢力を縮小していく中でも子・政貞、孫・範政と三代に渡って良く小田氏を支えたとあります。
小田氏の本城は小田城ですが小田城が落城するたびに土浦城に逃れ、勢力を建てなおしては本城を奪還するといったことを繰り返していましたが永禄12年(1569)の手這坂の戦で真壁軍に敗れて本城まで奪われ、勢いを失った小田氏治は佐竹氏に降ったとのことです。
徳川家康の関東移封後は結城秀康の支配下に入り、秀康の越前北庄への移封後は松平信一が3万5千石で入り、西尾氏、朽木氏、土屋氏と続き土屋氏の時代に明治維新を迎えました。
土浦城は霞ケ浦の西に築かれ南は桜川が霞ケ浦に注ぎ、南東と南西は沼地になっていたようです。本丸を中心に二の丸と三の丸が囲む標準的な構造で周囲を堀に囲まれた寺院や郭で囲まれ防御は固かったと思われます。北側の浄真寺の郭のさらに北側に二重の馬出しが見て取れ寺社仏閣もしっかり城の防御に取り込んでいたようです。
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