田丸城はもともとは北畠氏の庶流、田丸直昌の城だったのですが、
織田信長に従うこととなり、織田信雄に城をあけ渡し、その傘下に入りました。
その後、信雄は松ヶ島城に移り、また時が流れて
天正12年(1584)新たに松ヶ島城の城主となった蒲生氏郷の支配下にはいります。
その後またいろいろあって、江戸時代には紀州徳川家の所領となり
田丸領6万石には紀州徳川家家老、久野氏が城代を置いて明治時代に至ります。
久野氏というと静岡県袋井市の久野城の主ですね。
久野宗茂の時代、駿府藩主徳川頼宣が紀州に転封になったときに
いっしょにくっついてきたんですね。
城跡は玉城中学校の背後の丘地に築かれています。
城全体が見事な石垣で囲われ、丘地の中央の最高所が本丸で十分な広さを持っています。
北には北之丸、本丸に引けを取らない広さです。
南は二之丸。今は中学校になっているエリアもかつては郭を形成していたようです。
天守は中がくりぬかれた独特の構造をしています。
石垣の周囲に柱を建て、天守を建造し石垣の内部も有効に活用していたのではないでしょうか。
この時は桜のつぼみはまだ固かったのですが、花見の会場にもなるようで
本丸の広さを十分に発揮できそうです。これは地元の方の特権ですね。
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