基肄城は朝鮮式山城と呼ばれる古代の山城で基山と坊住山の二つの山にまたがる広大な城域
を持ち、太宰府の南の守りを担っています。天智2年の白村江の戦いで敗れた日本が新羅・
唐に対する防衛のために天智4年に築いたとされています。南水門の周辺には石垣など遺構が
良く残っており、水門は急峻な山容から流れる谷水の排水の役割も担っていたようです。
基山の山頂部からの眺望は素晴らしく、東峰の周辺には土の堤が残っています。2時間ほどの
ウォーキングを楽しみましたが、あまりにも城域が広いので全容を把握するまでに至って
いません。
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