勝龍寺城さん
のプロフィール
勝龍寺城さん
(その他 ・非公開 ・京都府 )
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自己紹介
■安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城
明智光秀の娘 玉(細川ガラシャ)が、肥後細川家の祖 細川藤孝(幽斎)の嫡男 忠興(三斎)のもとに輿入れし、幸せな新婚時代を過ごした勝龍寺城。山崎合戦の際には、敗れた光秀が坂本城を目指してこの城から敗走したと伝わります。
京都と大阪の間に位置することから、織田信長の命を受けた藤孝が、元亀2年(1571)に京都防衛の軍事拠点として大規模に改修しました。安土城に先行する織豊系城郭の最古級の城で「瓦・石垣・天守」という当時の最新技術で築かれています。
瓦は、光秀の坂本城(大津市)や佐々成政の小丸城(越前市)の瓦と同じ型で作られ、信長が抱える瓦職人が派遣されたと考えられています。石垣には自然石のほか、石仏や五輪塔などの石造物も使われました。発掘調査で明らかになっていませんが、同時代の古文書から「天主」が建てられていたことがわかり、藤孝がこの“天主”で三条西実澄から古今伝授を受けたと記録されています。
現在は勝竜寺城公園として整備されており、管理棟2階の歴史ミュージアムでは映像やパネルでゆかりの人物を紹介しています。光秀が脱出したという北門には、当時の石垣が一部遺り、枡形虎口を今に伝えるほか、公園の北300mのところには、土塁・空堀跡が復元・整備されています。 -
お城歴
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行ったお城
1城
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好きな時代
戦国時代
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好きな武将
細川藤孝、細川忠興、明智光秀