徳島県板野郡藍住町勝瑞にある見性寺境内は勝瑞城跡と呼ばれ
かつては細川氏の守護所と推測され、今では
三好氏が築いた詰めの城という説も出ています。
細川氏の守護所の場所もはっきりとは断言できず
まさに歴史は生きていることを実感します。
天文22年(1553)6月、愛妾小少将との情事におぼれ、すっかり
腑抜けになった細川持隆を家臣の三好実休が見性寺で殺害したと伝わります。
しかし、この小少将の話、どこまで信じて良いのやら。
この小少将、のちに三好実休の継室となり実休の戦死後は篠原自遁の正室となり、
さらには長宗我部元親の側室になり、
細川真之、三好長治、十河存保、長宗我部右近大夫の生母と言われています。
‥ついていけません。九尾の狐か玉藻前ですか?
細川持隆が殺された見性寺も今ここにある見性寺で合っているのでしょうか?
私には勝瑞城も居館の跡のように見えます。戦国期の詰めの城にしてはいささか
心もとなく感じます。
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