天正16年(1588)に堀内氏が北山攻めの際に築いたと伝わります。
新宮城城主で熊野水軍の首領 堀内氏善(うじよし)が関ヶ原の戦で西軍に属して
桑山一晴に居城を追われ再びこの京城に逃げ込みました。
このたびは二度目の訪問になります。東の墓地側から侵入しました。
なぜここを選んだかというと、このあたりに畝状の竪堀がいくつかあるそうだからです。
年月がたってだいぶ浅くなってしまってはいますが、確かに畝状の竪堀がありました。
このまま居館跡を西に進み詰めの城跡へ向かいます。
居館跡(郭)との間には結構大きな堀切があります。
次回訪問時には堀切周辺の石垣も漏らさずチェックしておきたいと思います。(また来るんかい)
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