おおがじょう

大桑城

岐阜県山県市


旧国名 : 美濃

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四国堀
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イオ

守護所と明智光秀伝説 (2020/09/27 訪問)

(前回からの続き)

大桑城登城の後は、城下と周辺の史跡めぐりを。

さすがに守護所だけあって、城下には惣構の跡とされる四国堀や、土岐氏の菩提寺の南泉寺、土岐氏の氏神を祀った十五社神社など、往時の繁栄ぶりをうかがわせる史跡が数多く残っています。また、四国堀から東に徒歩2分行くと、斎藤道三との戦いでの戦死者を弔ったと伝わる六万墓があります。南泉寺には土岐頼芸が描いたとされる鷹画が所蔵されており、十五社神社には朝倉氏との深い関係を示す笏谷石の狛犬が伝わっていますが、いずれも現物を見ることはできませんでした。

また、大桑城とは無関係ながら、大桑城東部の中洞地区には明智光秀の生誕地とする伝承があり、土岐元頼と地元豪族の娘の間に生まれ、やがて明智光綱の養子になったとのことで、白山神社には産湯の井戸が、近くの武儀川には光秀を身ごもった母が「たとえ三日でも天下を取る男子を」と祈ったと伝わる行徳岩があります。光秀の母が住んでいたとされる庵の庭にも行こうとしましたが、道がわからない(藪に沈んでいる?)ために諦めました。
さらに、中洞地区には「実は光秀は生きていた」との伝承もあり、山崎の戦いで討たれたのは影武者で、光秀本人は故郷の中洞に落ち延びて暮らした後、徳川家康の求めに応じて関ケ原の戦いに向かう途中、増水した川に流されて亡くなったんだとか。白山神社近くの林の中には光秀の墓とされる桔梗塚があります。

光秀生誕地を訪れるのはこの地で4か所目。「たとえ三日でも…」はありがちな伝承だと思いますし、「実は生きていた」もよくある話ですが、「川に流されて…」は斬新というか、あまりに締まらなさすぎて、かえって信憑性が感じられますね!?
 

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イオ

石垣の城 (2020/09/27 訪問)

(前回からの続き)

「英雄たちの選択」を観ていて、大桑城で特に興味を惹かれたのは、当時の先端技術である石垣が随所に設けられているということ。

…とはいっても、そんなに大したこともないのでは? とも思いつつ、登城口のパンフレットケースに置かれていた「大桑城跡石垣見学マップ」を見てびっくり。10か所以上もあるやん! さらに、各石垣の周辺には見学ポイントの案内板を配して見落としがないよう配慮されています。おかげで、途中で見学マップをなくしてしまった(切井戸からの斜面を登っている際に落とした模様)私でも全て確認することができました。

もちろん近世山城のような大規模な石垣はありませんが、主郭周辺や井戸周辺、番所跡などの要所は石垣で固められており、谷筋の曲輪群の切岸も石垣だったようで(未確認)、当時としてはなかなかの石垣の城ですね。当初は斎藤道三に濃尾平野を追われて落ち延びた山中の城、程度に思っていましたが、背後の越美山地を越えれば縁戚関係のある朝倉氏の越前ですし、朝倉氏の支援のもと、先端技術を駆使した大桑城で本気で再起を図ろうとしていたんだな、と感じました。…まぁ、結果としては十数年で滅ぼされてしまうわけですが(^^;

(さらに続きます)
 

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イオ

土岐氏最後の城 (2020/09/27 訪問)

鎌倉期に大桑又三郎が築いたとされ、戦国期には美濃国守護・土岐氏が改修し、居城としました。天文4年(1535)、長良川大洪水により枝広の守護所が壊滅的被害を受けたことから、大桑城が整備されて守護所が移されました。その後、再三にわたり斎藤道三の侵攻を受け、天文21年(1552)には土岐頼芸が美濃国から追放されて、大桑城も廃城となったようです。

古城山の山頂部を主郭とし、尾根沿いには小規模な曲輪が連なり、主郭西側の谷筋には斜面を階段状に造成した曲輪が多数設けられています。大手口と思われる番所跡(伝 岩門)は巨石を門に配し、二重の竪堀で侵入を阻んでいます。番所跡の北西斜面上には馬場と伝わる広い曲輪があり、馬場の西に続く尾根を堀切で断ち切っています。番所跡から主郭に向かう途中には土橋と喰い違って設けられた堀切(竪堀)があり、その先の道はかつては石垣で閉ざされていたんだとか(NHK「英雄たちの選択」で千田先生が訪れていた場所ですね)。谷筋の曲輪群の反対側(南側)には、転げ落ちたら這い上がれそうにない急斜面に巨大な竪堀が掘られ、その竪堀の東側斜面をロープを頼りに下りていくと、切井戸と呼ばれる井戸が満々と水をたたえていました。そして、伝 台所の曲輪を経て主郭部(伝 天守台)へ。主郭部の少し上にはミニ大桑城と呼ばれるミニチュア天守があり、そこからの眺望は抜群で、眼下に城下町を、遠くには金華山(稲葉山城)を見渡すことができます。

没落した土岐氏の城なんか見てもなぁ、と当初はあまり興味はなかったんですが、昨秋の山城サミットでパンフレットをもらったり、「英雄たちの選択」を観たりするうちに行きたい気持ちが募り、コロナで遠征を控えていた半年あまりを経て、ようやく訪れることができました。久々の本格的な山城でもあり、期待以上に堪能させていただきました。

(続きます)
 

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野良犬

山全体が城域で痕跡が豊富、見所は尽きない (2020/09/15 訪問)

”麒麟がくる”でも登場しましたが、土岐氏が戦国時代末期に美濃国守護として治めた地であり、斎藤道三に攻め落とされた山城です。
登城口は二箇所あります。おおが城山公園駐車場近くの古城山登山口からのけんきゃくコース約2.1㎞とはじかみ林道登山口からの約750mで山頂(天守跡)です。両方とも駐車スペースは十分でトイレもあります。どちらの登城コースもよく整備されていますが、途中に急傾斜や滑りやすい所があるのでそれなりの靴が必要です。はじかみ林道登山口は県道に進入路の案内板があるのですが、小さくて目立ちません。
古城山は全体が大桑城跡と言って良い程、あちらこちらに曲輪、堀切、石垣などが点在します。あまり夢中になると道迷いを起こしかねません。全体像を掴むには何回も訪れる必要があります。
山頂にはミニチュアの模擬天守があり、天守越しに金華山岐阜城も望めます。
城下には尾張、伊勢、越前、近江の四カ国の加勢を受けて築いた四国堀や甲斐の恵林寺で織田信忠に焼かれ「心頭滅却すれば火も自ら涼し」の辞世を残した快川紹喜もいた南泉寺、明智光秀の桔梗塚があり、見所は尽きません。
タイミング良ければ、名物?現地ボランティアガイドさんに解説してもらいながら案内もしてもらえます。
御城印(200円)は焼き討ちされた大桑城をイメージした焼き目がつけられているのが特長で、山麓の四箇所(https://gifu-kiringakuru.jp/event/001075.html)とボランティアガイドさんから頂けます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 大桑又三郎
築城年 鎌倉時代
主な改修者 土岐定頼
主な城主 大桑氏、土岐氏
廃城年 天文16年(1547)
遺構 曲輪、土塁
指定文化財 市史跡
再建造物 模擬天守(ミニチュア)
住所 岐阜県山県市青波
問い合わせ先 山県市産業建設部産業振興課
問い合わせ先電話番号 0581-22-6830