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う~ちゃんママ

久しぶりに小峰城 (2024/01/20 訪問)

久しぶりに小峰城に行ってきました。

もしかしたら夏以来。(8月)
笛も吹けたし満足です。

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しんちゃん

山上の城は総石垣で築かれている。 (2023/01/09 訪問)

佐伯城は慶長11年(1606)に築かれました。毛利高政による築城とされ「一日三人切り捨て」と言われる、かなり荒っぽい工事だったようです。山上に本丸が築かれ、北側に北の丸、南側に二の丸・西の丸と連なっています。山上の城は総石垣で築かれており本丸には三重の天守が建っていましたが後に焼失したようです。
三代目の高尚から三の丸の居館に居住するようになり山上の城は一時期荒廃したそうです。佐伯城の南には潮入川と番匠川が流れ、東には白坪川(中川の支流?)が流れ、その先は湾になっていたようです。今でも城の周囲を複数の川や湾、山地が囲んでおり守りに適した立地だということが伺えます。
麓の三の丸には石垣と三の丸櫓門(大分県有形文化財)が残っています。敷地内には毛利家御居間も保存されていて、そこからほど近い船頭町11-9には三の丸御殿の玄関・広間・書院の部分が移築され住吉御殿と呼ばれており、現在は地元の公民館として利用されているようです。
※山上の写真は2014年1月の物を流用しています。

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しんちゃん

会津若松城冬景色 (2014/02/04 訪問)

せっかくなので会津若松城の口コミも‥10年近く前になりますが、雪が降った後でお堀の水も凍っていました。干飯櫓や鉄門の上に雪が残っていたので天守の屋根の赤瓦にも積雪があったのではと思います。西大手門から訪問するのが一般的と思われ先は枡形になっていたようです。今では駐車場として使われているようですね。かつての天守は郷土博物館になっていて続櫓から二度折れ曲がって干飯櫓に続いています。折れ曲がった部分の下には鉄門が設けられていて天守の展望台から良く見えます。
会津若松城の本来の天守は戊辰戦争でボロボロになってしまいました。木造の美しい天守が失われてしまったのは残念ですが近世城郭としては実戦を経験した数少ない城で(北海道・東北は案外多い)天守としての寿命を全うしたのだと思う他はなさそうです。

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しんちゃん

白黒の世界 (2014/02/04 訪問)

せっかく「かるた」を投稿したので、ついでに口コミの投稿もやっちゃいます。写真が古くて申し訳ござらぬ。
皆様の「かるた」もお待ちしております。麓にあるのが居館で「白旗が峰」にあるのが天守曲輪と天守台ですね。麓からの比高は120mくらいあるようです。ちょっとした小山ですね。この日は結構な積雪で天守台や天守曲輪にもけっこう積もっていましたね。これはこれで情緒が有るのですが城跡の詳細が少しわかりづらい。まさに白黒の世界です。いずれまた訪問してゆっくり散策してみたいと思います。

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刑部

山県昌景が城主の城 (2023/11/04 訪問)

好きな武将のひとり山県昌景が城主だった時もある丸子城! この日夕暮れが近く険しい山城を登るのは困難、ここまで来たのに断念はしたくない!
入り口付近で年配の人が今から登ったら暗くなるから無理だよな〜と話していたが私はがむしゃらに登り各曲輪を足早で訪問、何とか暗くなる前に山から降りることが出来ました! ん〜まだまだ若い‼︎
山城なのでそれなりに遺構を見ることができ大変満足でした。

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けむん

主郭部分は比較的楽に見学出来ます (2024/01/20 訪問)

巨大な山城ですので全域を回るのは多分かなり大変だと思いますが、番所まで車で登れますので、主郭部分だけならば最上郭の山王丸まで見学しても、それ程苦労しないで見学出来ました。

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けむん

往復2時間程度でした (2024/01/20 訪問)

44ガードから入り、北郭から本郭まで行って、43ガードへ降りて来ましたが、雨模様ということもあり見学時間をあわせて2時間位でした。44ガードからの道はなだらかで登りやすかったです。道自体の整備は、43ガードの方が良いと思いました。

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ヒロケン

蒲生氏郷公が築いた名城 (2024/01/05 訪問)

松阪城は、標高約38mの独立した丘陵に築かれた平山城で、城の北側を流れる阪内川を防御ラインとした要害の地に立地しています。丘陵を切り通しで南北に分断し、中核部である北丘、城の鎮守神を祀る南丘、両丘の周りを三の丸、三の丸の周囲を土塁・堀で固めていました。松阪城の中核部北丘には、本丸を中心として、東側に二の丸、南側に隠居丸、西側にきたい丸を配し、それらの曲輪の周囲を石垣巡らせています。天守は3層の望楼型天守で敵見櫓と繋がった連立式天守であったと云われています(現存する天守・櫓はありません。)

城を築いたのは、豊臣秀吉公から南伊勢12万石を拝領された蒲生氏郷公で、四五百森と言われた小高い丘で城造りを始め、3年の月日をかけ松阪城を完成させています。その後、氏郷公は会津若松へ国替えとなり、服部氏・古田氏と入れ替わり、徳川家康公の子・頼宣公が紀州藩主となった際に、紀州藩の伊勢国領支配となり、明治維新を迎えています。

松阪城には、三度目の訪問で松阪市駐車場に駐車。この城の見所は、何と言っても石垣(*^▽^*)、城内には松阪市立歴史民俗資料館(国登録有形文化財)・100名城スタンプ設置個所の本居宣長記念館・本居宣長旧宅(国指定特別史跡)・桜松閣(国登録有形文化財)などがありますが、石垣好きの自分にとっては石垣(。・ω・。)ノ♡です。
月見櫓跡から下を覗くとお尻がモゾモゾするくらい、また、天守台跡の古墳時代の石棺が転用石として使われているのは、前から知っていましたが、他の石垣が凄すぎて夢中となり、ついつい忘れてしまい画像がなかったので、収めてきました。

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とばつびしゃもん

舌石が見られる城 (2023/07/17 訪問)

二度目の登城。前夜に夜襲をかけ、ライトアップされた鷲の門など公園を一回り。
翌朝ホテルから直接登城。山城部分を攻めた後、全国的に類例が少ない、屏風折塀の支柱石である舌石を線路の高架橋から見学。下城橋、鷲の門、数寄屋橋を通って撤退。
残念ながら時間がなく徳島城博物館はスルーして勝端城へ向かう。

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しんちゃん

【かるた】二本松城の読み札 (2014/02/04 訪問)

雪積る 天守曲輪は 真白にぞ

ゆきつもる てんしゅくるわは ましろにぞ

積雪の日は完全に白と黒の世界です。でもやっぱり天気の良い日に心ゆくまで散策したい。
再訪が楽しみです。

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小城小次郎

屋代氏と菊池氏(絶景の城) (2023/04/23 訪問)

もともとの城主だった屋代氏は信州の屋代氏とは縁がなく越中八代保が苗字の地らしい。屋代氏に養子に入った菊池氏は肥後の菊池氏とは縁もあって、上杉織田佐々前田とうまく仕え子孫は前田氏の家臣に名を連ねたとか。景色は絶景。

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しんちゃん

【かるた】会津若松城の読み札 (2014/02/04 訪問)

白雪を 峰にいただく 鶴ヶ城

正式にかるたを投稿するのは初めてかな?
こんなかんじでよいでしょうか

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チェブ

土岐 頼芸さんの点と点。 (2024/01/03 訪問)

「岐阜城」の後に「鷺山城」に転戦しました。
1185年~1190年頃、常陸の佐竹氏が築いたのが「鷺山城」の始まりのようです。
ほー、常陸?
室町時代になると、土岐氏が美濃国守護になり「鷺山城」に頼芸さんが居城しました。
その後、斎藤 道三さんに頼芸さんが追放されます。
道三さん、「稲葉山城」を譲って「鷺山城」で隠居しました。

東京の端っこは、北条家の縁のお城が多いのですが、斎藤 道三さんのビッグネームにテンションが上がります。「鷺山城」は帰蝶さんが信長さんに輿入れしたお城です。ドラマや書籍のいろんなシーンが思い出されます。

以前、追放され逃げて来た、土岐 頼芸さんの「江戸崎城」に行きました。茨城県稲敷でした。
ほー、またもや常陸。

「鷺山城」、『鷺山公園』には駐車場がありません。駐車できるかな?と空き地には『駐車禁止』とあります。
公園は整備され、階段が上へと続いています。
と、ここで退陣。
相方の具合が悪くなり、ホテルへ。
「岐阜城」もヘロヘロだったので、100名城スタンプを押し退陣しました。
因みに頼芸さんは、まだ美濃国守護がお兄さんだった頃、「稲葉山城」から見下ろす事ができる「鷺山城」へ入れられたんだとか。
この私たちのトホホ具合を、頼芸さんはどのように見ているだろうと思った「鷺山城」入口攻めでした。

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しんちゃん

綾・国際クラフトの城。 (2014/01/11 訪問)

古の写真をほじくり返していたらこんな城が出てきました。築城時期は1331~1334年頃と見られ細川義門による築城とされています。義門の息子義遠は綾氏を称し後に伊東氏の配下に入り伊東四十八城の一つと目されるようになりました。ちょっとイケてる模擬天守のある場所が本丸と見られ北西に郭が連なって間を堀切が仕切っていたようです。再現された大手門のあるあたりが二の丸のようで綾・国際クラフトの城に関わる施設が建っていて陶芸や織物など様々な工芸体験ができるようです。
良い感じにかつての城跡が活用されていて綾氏のご先祖様もあの世でご満足されているのではないでしょうか。

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しんちゃん

日向三高城 (2014/01/11 訪問)

月山日和城は別名「高城」といい高城と穆佐城(これも高城)と合わせて日向三高城と呼ばれていたそうです。築城時期は不明ですが肝付兼重による築城と伝えられます。戦国には島津氏・伊東氏・北郷氏・伊集院氏と次々と城主が変わりますが元和元年(1615)の一国一城令によって廃城になったとのことです。模擬天守の建つ池の城の他、6つの曲輪を持ち空堀で区切られますが、予備知識なしで訪問したので池の城しか見ていません。正直次はいつ訪問できるかわからないので、えいやで登録してしまいます。ご容赦を‥

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とばつびしゃもん

灯台が立つ城 (2023/07/16 訪問)

登城前、讃洲井筒屋敷で続日本100名城スタンプポン。讃洲井筒屋敷では城址資料の展示を見学するとともにパンフレットを入手し、引田ぶりの漬け丼でお腹を満たしていざ城址へ。
登城口前にある専用駐車場に車を駐車し登城開始。当時の登城道とは異なる遊歩道。いきなりの急登を20分弱進むと本丸分岐点へ到達し、そこから左回りで攻城。本丸を通って遊歩道を上り下りし、化粧池を経由して引田鼻灯台へ。穏やかな瀬戸内海のブルーが眼下に広がる。
東の丸を通って分岐点を右手に進み北二の丸では見どころの石垣が見られる。北曲輪まで行ってUターンし大手門の石垣を見る。南二の丸を経由して本丸へ戻り登城口へ下る。
城内は木々が生い茂っているが遊歩道は整備されている。約90分の攻城。

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枡形ともき

玄宮園

玄宮園と彦根城に行ってきました。
玄宮園からよく天守閣が見えました。

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しんちゃん

山陰グルメ 砂場コーヒー&出雲のウニ丼 (2019/05/02 訪問)

ちょっぴり地味な印象のある山陰地方、鳥取県と島根県ですが見所はたくさんあるし良い城もいっぱいあります。おいしいものもあるんですね。鳥取県の知事が「スタバ(スターバックス)は無いけどスナバはある」と発言したのが「すなば珈琲」爆誕のきっかけらしいです。某有名タレント様の発言も影響があるみたいですね。写真使用の許可をいただくと同時に近況をお伺いしたのですがコロナ明けの人手不足が続いていて水木ロード店の店主さんもお忙しいようです。遠く三河から応援してます。
島根県の日御碕は神社や灯台が有名ですが海の幸も豊富にあります。私はウニ丼とサザエのつぼ焼きを頂きました。昔は海と言えば日本海側がメジャーだったんですね。マ〇コ様、鳥取県には砂だけでなくて良い城跡やすなば珈琲がありますよ。

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イタさん

広大な城址公園 (2024/01/17 訪問)

主郭部は荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれ、交通の要衝で上野・甲斐・信濃方面を押さえる地点でした。文明8年(1476)関東管領・山内上杉氏の家臣、長尾景春が築城したと伝えられ、後に藤田泰邦に入婿した、北条氏康の四男氏邦が整備拡充した。天正18年の小田原攻めでは、重要な支城として、前田・上杉等の軍に包囲され、一月余りの籠城戦後、氏邦は6月14日に城兵の助命を条件に開城しました・・・と案内板に記されている。

3年前に外曲輪の南、馬出付近を見ていなかったため再訪。鉢形城歴史館~外曲輪北東の馬出付近~深沢川~笹曲輪~本曲輪~二の曲輪~三の曲輪~諏訪曲輪~伝逸見曲輪~伝大光寺曲輪~鉢形城歴史館を大急ぎで見て回る。弁天池の東一帯は作業中(穴があき、補修中だそう)で入れなかった。歴史館(入館料200円)には、当時はこのような門かな、と思わせる矢倉門が出迎える。壁には細かく、成り立ち・北条氏などの説明が掛けてある。奥に城跡の立体模型が飾られている。更に先には計画展示室に土器等が展示されている。

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まっちゃん88

よみがえる まぼろしの名城 「鹿沼城」展(2024.1)

上記開催される様です。
https://www.city.kanuma.tochigi.jp/0528/info-0000007608-1.html

https://www.city.kanuma.tochigi.jp/0684/info-0000009343-1.html

1月27日に鹿沼城フェスタ2024も開催されます。

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