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おっちゃん

膳城案内図 (2017/02/18 訪問)

現地案内板より抜粋。

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じゅんじん

12年ぶり (2022/05/06 訪問)

土日公開中です。
そういえば1回も入れたことがないなあ。
外からでもよさげな様子がうかがえます。

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じゅんじん

6年ぶり (2022/05/06 訪問)

リニューアルされてました。
模擬でもすっかり馴染んでいますね。

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ぴーかる

能島城 (2022/05/03 訪問)

【続百名城52城目】
<駐車場他>能島水軍駐車場
<交通手段>車

<見所>潮流・岩礁ピット・曲輪・切岸
<感想>日帰り伊予海賊海城攻めの旅2城目。数年前から行ってみたいと思っていましたが、台風の影響で上陸クルーズの中止があったり、コロナ禍で行けなかったりとしましたがようやく行くことができました。勿論上陸&潮流クルーズを予約して攻城しました。
 出航時間までに余裕があったので先にカレイ山公園展望台に行き上空より観察、上陸体験は案内人の方が説明しながら城内を巡ります。現在は一部しか残っていないが、島全体に武者走りと岩礁ピットが1周していたそうです。島内部の防御設備は薄いが海岸の切岸は見事で潮流と合わせて絶対侵入は不可能と感じました。
 これまでの城巡りに無かった体験や海岸壁の切岸・岩礁ピット等見たこと無かった遺構をみて感動しました。遺構の残る島城自体は小さいですが初体験の諸々にて十分満足。これにて愛媛県の百・続百名城制覇。

<満足度>★★★

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零汰

終活2:100城・続100、城郭巡りの記録:近畿・東海・四国 3日目

城郭巡りの人間は、100城・続100城を巡る事は義務なのか?そんな疑問を求めて巡る終活シリーズ2。

前回は各城郭にコメントを付けましたが、各城郭への温度差の為に言葉が見当たらないケースがあり悩まされて時間が掛かりました。
今後シリーズ物では割愛、参考程度にログの計測結果を載せておくようにします。

3日目:5月18日    1.宇陀松山城(奈良)・・45分:距離1.5km:高低差126m
           2.千早城(大阪)・・50分:距離1.7km:高低差193m
           3.伊賀上野城(三重)・・計測忘れ
           4.八幡山城(滋賀)・・・計測忘れ
           5.観音寺城(滋賀)・・・1時間35分:距離2.6km:高低差146m
           奈良県桜井市~岐阜県美濃加茂市までの移動距離・・・330km

全て100城・続100城です。レポートは先輩方のレポートをご覧ください。

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いんげん丸虫

徳山城 静岡県川根本町 (2022/05/28 訪問)

南北朝時代の山城で、この地を支配していた土岐氏の城跡です。
標高1084mの無双連山(むそれやま)の頂上尾根にあります。
看板のある登城口から数分で清水砦に着きそこから”犬戻し”という一騎駆けが続きます。
主郭、堀切、帯郭、兵の集合所、大手、陣屋平など要所に看板がありとてもわかりやすいですね。
特に大土塁は壮大です。
杉山で間伐、整備されていて真夏でも訪れることが出来そうです。
ただし、登り口までの無双連山林道がかなりのガレ道で普通車ではキツイかな。
数回、車を降りて20cm位の石をどかしながら行きました。
このルートの他に2ルートありそうですが。

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小城小次郎

名城の選から漏れ続ける不幸な名城 (2022/01/09 訪問)

龍野城・龍野古城が続100名城の選から漏れたのは出石城・有子山城というよく似たライバルが県内にいたせいなのかも。天守にしか注目が集まらなかった1970年代に本丸御殿を建てた心意気を評価するのもありだと思うが。

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AJ

会議は踊ったか (2022/05/03 訪問)

唐沢山を駆け降り、宇都宮に向かう途中で小山に立ち寄りました。かつて広大な敷地を誇った祇園城(小山城)もさることながら、その時歴史を動かした(かもしれない)会議が開かれた町として有名ですね。

1600年、会津の上杉討伐に向かう徳川家康はこの地で、京で石田三成が挙兵したとの報告を受けます。急遽召集された評定(軍議)では、引き返して三成を討つという家康側の意向を酌むかたちで諸将が合意したといいます。関ヶ原への流れを決めた「小山評定」。出席者の思惑が絡み合う人間ドラマの場として、今なお小説やテレビドラマなどでよく描かれます。

会議ひとつで町おこし、というわけでもないでしょうが、自治体の推しは相当なもの。少し前、小山市は庁内の会議をすべて「評定」と呼ぶと発表し、歴史愛好家をザワつかせました。あれ、その後どうなったのだろう、、。また、会議推しといえば、織田家の跡目争いの場として近年有名になった清洲会議(清洲城。愛知県清須市)周辺の取り組みも目を引くものがありました。

とはいえ、小山も清洲も一次資料の少なさを指摘する専門家が少なくありません。つまり再現の多くは裏付けの曖昧な伝聞記録をベースにしているということです。演出じみた描写は、エンタメとしては大いに楽しめるのですが、受け手の我々にはある程度の節度が求められているとも言えそうです。

JR小山駅西口から祇園城通りを10分ほど歩くと左手に広大な空き地を備えた小山市役所。徳川将軍家が日光社参の際の休憩・宿泊所とした「小山御殿」跡で、発掘調査を終えた今は文化活動や歴史学習の場として整備されています。敷地内南側には「評定跡」の石碑もしっかり。

通りをさらに行くと、こんどは右手に祇園城跡。遺構の整備はそれほどでもありませんが、公園と一体化した、“近所の憩いの場”タイプ。西に思川をひかえた丘陵に築かれており、園内では堀や堀切の跡、河原に出れば結構な高さの断崖を見ることができます。

正確な年代は不明ですが、記録に表れるのは14世紀後半とのこと。藤原秀郷を祖にもつとされる小山氏が治めた北関東の要衝で、戦国期は上杉や北条に攻められ、結果的に小田原の支城に。江戸時代に入ると、家康の側近・本田正純が3万石で入城。最終的な縄張を完成させますが、1619年、正純の宇都宮転封に伴い廃城となりました。

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Kimoくん

帰省ついでの阪神間お城巡り その2 (2022/05/18 訪問)

阪神尼崎駅から徒歩すぐの公園に2019年地元の篤志家の寄付により145年振りに天守閣が再建されました。現在博物館になっていますが案内の方もお城好きでしばしのお城談議楽しかったです、ありがとうございます!天守閣のある城址公園は西三の丸跡で本丸跡は南西方向に少し歩いた名城小学校の場所で石碑があります。桜井神社境内の城の軒瓦や開明橋の欄干のお城縄張りデザインもお見逃しなく。登城後は昨年のお城EXPOで頂いた街案内パンフで紹介されていたあさひ本店で串カツで一杯。

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Kimoくん

帰省ついでの阪神間お城巡り その1 (2022/05/18 訪問)

伊丹空港からバスでJR伊丹駅へ、先ずは改札口横の案内所で資料を頂いて登城しました。本丸跡は駅前にあり石垣、土塁、井戸、堀などの遺構をみることができます。歩いて20分ほどにある猪名野神社は総構えの北の端の岸の砦跡になります。神社境内には土塁跡が見られ、神社裏手は落ち込んだ地形となっており城の外郭だったことがうかがえます。

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イオ

山本城(京都府亀岡市篠町山本南条) (2022/05/21 訪問)

如意寺の寺伝によれば、山本城(城びと未登録)は宇野氏の城で、戦国末期に宇野秀清が父の菩提を弔うために山本城を如意寺に寄進し、現在に至ります。往時は東側を土塁、西側を石垣、南側を空堀で囲んでいたようですが、西側に如意寺の石垣、南側に堀の名残の水路があるものの、明瞭な遺構は見られません。

北側には唐櫃越と呼ばれる山陰道の間道が通っており、本能寺の変での明智軍の進軍ルートのひとつとされますが、明智光秀の旗下に入っていた宇野秀清は謀反を諫め、協力を拒んだため暗殺されたと伝わります。

また、山本城から南に約900mの篠村八幡宮は足利高氏の旗挙げの地として知られ、高氏が奉納した鏑矢を納めた矢塚や本陣を示すため二つ引両の旗を掲げた旗立楊が見られますが、亀山城から山陰道の老ノ坂越への途上にあるため、本能寺の変の際に光秀が戦勝祈願したとも云われます。
 

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朝田 辰兵衛

只見町河井継之助記念館(福島県南会津郡) (2022/05/28 訪問)

只見川を眺望する高台に位置します。入館料【350円】ですが,館内の撮影OKで,河井継之助終焉の間をそのまま移築して展示してあるので,お得感があるのではと思います。河井継之助推しの林修氏も訪れており,コーナーが設けられていました。また,2階から外に出れて,河井継之助君終焉之地碑と司馬遼太郎眺めた場所を廻れます。写真はないですが,山塩資料館もこの2階からアクセスできます。

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ホリタカ

八幡堀がとても良い風情 (2022/05/29 訪問)

近江八幡駅から長命寺行きバスで大杉町へ。ロープウェイは15分間隔と言いつつ、5分間隔ぐらいで来ます。西の丸から見える琵琶湖が美しい。麓の八幡堀は、江戸時代にタイムスリップしたような風情です。

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ホリタカ

軽い気持ちで登ったら (2022/05/29 訪問)

米原駅から電動自転車で20分ほどでスタンプをゲット。そこから彦根43ガードに入る。程なくして大手口。あと1.4km。の表示を見て、行けるかな?と思ったのが苦行の始まり。約40分、熊よけベルを鳴らしながら登りました。本格的な登山の覚悟で臨みましょう。

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まっぴー

【究極の一枚】花菖蒲と常盤木門 (2020/06/07 訪問)

今まで【城と生き物】【城と標柱】の2つをピックアップしてきました。もう城ふぉとの投稿期間も終わってしまうということで最後に究極の一枚を投稿します。

今までの2つが僕にとっては究極の一枚でもあったので選ぶのが大変だったのですが、今回僕が選んだのは小田原城の常盤木門とその麓に咲いていた花菖蒲の写真です。
毎年小田原城では花菖蒲以外にも桜やあじさいなど多くの花が見られるのですが、桜は皆さんの投稿で満足してしまったので(笑)、菖蒲の写真にしました。
花と城という定番の組み合わせではありますが、なんだかんだこの組み合わせに勝るものはないと勝手に思ってます(^_^;)))

小田原城は自分の中では一番身近な城で一番多く訪れている城ではありますが、四季折々違った表情を見せてくれます。
いつ行っても飽きないし、新しい発見がある素晴らしい城です。

今回の運営様の企画のおかげで写真を改めて見返すと共に、さらに良い写真が撮れるように頑張ろうと思いました!
たくさんの素晴らしい写真が見れて良かったし、勉強にもなりました。運営様、また投稿していた皆様ありがとうございました。

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牛若丸

4年振りの一般開放 (2022/05/29 訪問)

本日、4年振りの一般開放ということで訪れました。
空堀や土塁が確認できました。本丸付近は立ち入ることができませんでした。

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T-Shionoya

喉かな散歩道の小机城 (2022/05/02 訪問)

ゴールデンウィークに訪問した2つ目が神奈川県横浜市の小机城。

鎌倉街道下道が鶴見川を渡り、神奈川湊(飯田町)から内陸へ向かう飯田道(現神奈川県道12号線に相当)が通るエリア。
その鶴見川の南岸、川に向かって北に突き出た舌状台地、と言うより台地本体とは狭い南西部のみが繋がる島状の地形を城郭とした小机城。

築城時期は定かでないものの関東管領山内上杉氏の配下だったようで、長尾景春の乱では景春方の城となり、太田道灌の鎮圧により落城。
小田原北条氏の時代に修復され、城主の北条一族を笠原氏が支えたとのこと。

現在は城の西部を第三京浜道路が貫通し、残った小机城址市民の森は樹木と竹林に覆われた涼しげな空間。
2つの主要な曲輪の周囲に残る、ちょうど台地の縁が土塁になるように掘った大きな堀が特徴的。

訪問時は根古谷から入城し、西曲輪、つなぎ曲輪、東曲輪、竹林の堀を歩き、富士仙元へ。
東西どちらの曲輪が本丸だったのか定かでない城ですが、個人的には台地本体とつながる尾根が大手口、第三京浜に削られた部分が三ノ丸、西曲輪が二ノ丸、二重の堀を挟んで東曲輪が本丸と見る方がしっくりくるかな。

どちらが本丸か推測するのも楽しい小机城が、私の城巡りの124城目でした。

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赤い城

神明社に土塁が? (2022/05/21 訪問)

この日は東武アーバンライナーの塚田駅から徒歩で30分弱。
城址を示す場所は私有地で入れません。
畑になっていて土塁も残っているそうですが。
仕方なく周辺をぶらぶら。
この辺りは高台になっていて城があったことも頷ける感じでした。
近くには神明社という神社がありました。
土塁もありますが城のものかどうかは?です。
城の詳細も不明、わざわざ訪れることも無いと思います。
どこかとセットが良さそうですね。

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ダイエティシャン

壇之浦古戦場~ダイジェスト~ (2022/05/27 訪問)

山陰本線、山口線経由で訪問、

観光船にも乗り、源平合戦に想いを馳せました。

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ダイエティシャン

月山富田城3️⃣ (2022/05/22 訪問)

近年、整備された馬場

馬場から、歴史資料館への登城路の途中に、土嚢が。何故?進軍すると、城跡から水の流れる音が。今でも、水が涌き出ているようです。
今年は、豪雨にならないで、無事に城跡が過ごせますように。

全てのお城が、無事に過ごせますように。

最後は、【鹿之助まんじゅう】です。鹿之助の顔が、書いてあるまんじゅうです。

お土産も、充実してきていました。

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