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しんちゃん

堀川城 若き家康公の最も苛烈だった戦場 (2024/03/03 訪問)

気賀の関所から浜名湖沿いを西に少し走ると道沿いに堀川城跡が見えてきます。かつては浜名湖に近い位置にあったようで、遠江に進出してきた家康に対抗して、地元の武将や住民が立てこもって戦ったそうです。「どうする家康」ではスルーされていたような気がしますが、「女城主直虎」ではこの城を巡る攻防戦のエピソードがあったと思います。
城内にこもった兵や住民は皆殺しにされ、落城後も敗残兵を探し出して処罰し、捕虜の首を獄門畷にさらしたそうです。なんか大河ドラマとずいぶんキャラクターが違いますね、家康さん。息子の信康や秀康の気性が苛烈だったのは、若いころの家康公にそっくりなので別に驚くことは無いです。家康さんはなかなか認知してくれなかったけど、秀康さんなんか若い日の家康さんにそっくりじゃないですかね。

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しんちゃん

お城EXPO in 愛知 (2024/03/02 訪問)

「にっぽん城まつり2024 feat.出張!お城EXPO in 愛知」の写真です。長いのでお城EXPO in 愛知でいいですよね。ひこにゃんが来てくれていました。ということは今日は彦根城に行ってもひこにゃんはいないということですね。なにか申し訳ないような‥でも来てくれてありがとう!初めてひこにゃんを見たような気がします。
おもてなし武将隊の皆さんの演技も素晴らしい。これは名古屋の特権!と思ったら横浜の『お城EXPO 2023』にも参加しているようで、今年は横浜にも行ってみようかな?ロンブーの淳さんのご城印もゲットできました。良く見ると現存天守が6つ印刷されている。ということは2種類あるのですね。通は二日出席するんだろうけど私は無理です。
三浦先生のトークショーでは大河ドラマ用に書き下ろした坂本城の天守閣の設計図が披露されていました。一瞬、本物かと思って息が止まりましたよ。なかなかお茶目でいらっしゃる。れきしクンが写真を撮っていたので連られて一緒に写真を撮っている人も結構いました。もちろん私もその一人です。

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チェブ

もと岐阜城、もと川手城。 (2024/01/04 訪問)

関ヶ原の合戦後の1601年、天下普請で築かれた「加納城」。1602年に家康さんの娘婿、奥平 信昌さんが入り居城しました。
築城開始から入城までが早いです。
「加納城」は関ヶ原後、建材や石垣を、廃城した「岐阜城」の物を用いたんだそうです。
前に投稿した「川手城」からも土砂を運びました。

駐車場から石垣が圧巻です。中に入ると、土塁が圧巻です。これらが、当時の「岐阜城」から運ばれたとは、驚きました。
加納公園案内マップがあり、本丸は外桝形つきで "ひょっとこ"みたいな形です。
石垣の箇所は、石垣の絵で示してありました。
加納城主から、開園時間の高札(?)。
本丸は、広場のようになっていて散歩している方がちらほら。

「加納城」は、「岐阜城」と「川手城」の素晴らしさも伝えてくれているようです。

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イタさん

寺尾中城 群馬県高崎市寺尾町 (2024/02/29 訪問)

案内に拠れば、寺尾城は寺尾上城(乗附城)・寺尾中城・茶臼山城・寺尾下城(山名城)で構成され、鎌倉時代初期まで活躍した新田義重が築城したと伝わる。多く手を加えない郭・堀などから、南北朝時代の特徴と評価されている、とある。

観音山ファミリーパーク第二駐車場を利用。東方向のバーベキュー広場を過ぎ、こんもりとした芝生広場が見える。左横にフェニックス自然の森入口のゲートがあり、外へ出れば散策路は中央コースとなり北東方向へ向かう。

一の郭下で階段が付けられ郭に登れる。道が分岐し右は南コースになり、尾根の北東下を、中央コースは北西下を行く。一の郭・二の郭・三の郭・四の郭まで行き、五の郭まで行かず引き返す。一の郭は狭いが平坦、二の郭・三の郭は一の郭より広いがあまり削平されず、四の郭は狭い尾根にある。土橋標示があるが両側が切れ込んだ狭い尾根に見える。三の郭寄りの階段下辺りが、堀を伴う土橋に思える。

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イタさん

寺尾茶臼山城 群馬県高崎市寺尾町 (2024/02/29 訪問)

鎌倉時代は新田義重、南北朝時代は新田義貞の弟、脇屋義助、室町時代は和田小太郎が居城、戦国時代に山名城と茶臼山城の間に、根小屋城を築く、と説明板にある。

城跡の南に契約駐車場があり、東端に2台分の見学者用駐車場が設けられている。眼前に南郭の南斜面が見え、上まで階段が付けられている。南郭と本郭間の堀切、本郭虎口、北側の堀・土塁、櫓台・井戸跡の標示などが、城跡らしくなる。本郭内には東屋、三つ程の社が建つ。南から西に高い同類が残る。虎口東下一帯に段差を伴う狭い三郭・四郭などが標示されている。

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イタさん

大室城 群馬県前橋市西大室町 (2024/02/28 訪問)

説明の概略は、築城時期は不明、15世紀後半に長尾氏(渋川市・白井城主)の支城となる。戦国期は時々の有力武将に付くが、小田原攻めに伴い廃城になる。

大室神社の建つ本丸の堀は、北西に一部で浅い堀跡が見られが周囲は道路になる。二の丸は公民館と会社らしき建物があり、トイレ後ろに土塁がある。北・東・南は水堀で囲まれている。本丸北に櫓台とあり、東と北は堀で区画される。

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洸(あきら)

静かな公園 (2024/03/03 訪問)

本丸周辺は何も無く、新曲輪と鍛治曲輪周辺が公園になっていて、ゆったりできました。
黒門や裏門もよい佇まい。

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「加藤理文先生と一緒にお城で学ぼう!」が開催されますよ~!

3月16日(月)と3月17日(日)、加藤先生と一緒に京都の山城でお城自由研究のフィールドワークができますよ~!
その名も、【お城自由研究「加藤理文先生と一緒にお城で学ぼう」】!!

小学3年生以上のお子さんが対象のこのイベント、単なるガイドツアーではありません!
加藤先生の解説を聞いて、先生特製シートを埋めながら進むので、お城のことはもちろん、自由研究のやり方や論の組み立て方まで分かる、お得なツアーなのです。

なのに、参加費はたったの500円。しかも、このお値段で、子ども一人につき保護者の大人一名も追加料金なしで参加可能!
過去には自分が行きたいからお子さんをうまくノセて参加した、または、親戚の子どもに懇願した、というお城好き”保護者”の方もいたとかいないとか。

3月16日(土)11:30~16:00が周山城、3月17日(日)9:00~11:50が中畑城、3月17日(日)13:00~16:20が八木城の3コース。

詳細およびお申込みはこちら⇒https://morinokyoto.jp/siro_week/
ぜひ、お見逃しなく!
最後にツッコまれる前に自ら言います。PRです!!

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カズサン

三の丸ビューポイント富士山は霞んで頭だけ (2024/03/01 訪問)

 「未踏だった見張台をやっと探訪」のつづきです。

 追手登城口から西の丸下経由見張台間を往復しましたのでその途中に在る三の丸跡を報告投稿致します。
 三の丸跡は高天神城東峰の南東に落ち込む尾根上に北より本丸・御前曲輪の南東下に在ります、三の丸の南下に着到櫓跡、追手門跡が在り中間に位置する曲輪に当たります。
 三の丸は北側と南側に土塁が残って居ます、現在の虎口は三の丸上段南側、往時は三の丸下段南側?かな。三の丸の東端北側が開けていて絶景です、富士山も望む事が出来ますが当日は裾が雲でまた霞、富士山は山頂のみが薄っすらと見えるだけ、スッキリはしませんでしたが見えるだけでもハッピーです。

 今回も縄張図は掛川城二の丸御殿入館しゲットした「高天神城家康読本」14頁の小冊子、掛川市観光交流課発行を昨年5月25日2度目登城と同じく携帯して3度目登城でも大変役に立ちました。この後登城する徳川方高天神城包囲戦6砦も縄張図付きで解説が有り大変役立ちました。

 続きます。
  

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りゅう

宇都宮城の土塁 (2024/03/03 訪問)

宇都宮城の一部が復元

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イタさん

圧倒される本丸の土塁など (2024/02/28 訪問)

案内板に拠れば、中世に大胡氏が拠ったと言われる。徳川氏の関東入部で牧野氏が入り、二代で転封後、酒井氏の前橋藩領になり城代が置かれるが、江戸中期に酒井氏転封後は廃城になる。

トンネルを抜けると二の丸で、駐車場になっている。本丸の高い法面が見応えがある。南に水の手門、東寄りに枡形虎口があり、石垣が見られる。本丸は高い土塁が残る。本丸の北に北城(北曲輪・越中屋敷)があり、二の丸北東の堀を東に下がれば川に橋が架かるが、保育園の敷地で入れず。北端の近戸曲輪に大胡神社があり、社殿裏に大きな堀が確認出来る。

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イタさん

主要部はよく整備されている (2024/02/28 訪問)

本丸内の案内板に、築城年代は不明だが鎌倉時代の文書に善氏の名が見え、室町から戦国時代にも善氏は散見される。北条・武田・上杉の戦記物に膳の名が見えるため、今の姿は戦国時代末期と考えられる。武田勝頼の東上州攻めは「膳城の素肌ぜめ」として著名で、この戦の後廃城になったと伝えられる・・・と記されている。

粕川町歴史民俗資料館の北に城址公園があり、駐車場もある。資料館の東に粕川出土文化財管理センターが建ち、南一帯が主要部になっている。各建屋・公園部は縄張図の北曲輪になる。主要部の袋曲輪・西虎口・二の丸・本丸等は整備され歩きやすい。主要部の南にも曲輪が載るが、民家などになっている。東も畑・宅地になるが、本丸東の曲輪の北端に土塁・堀が確認出来る。

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ばばよ

登城ルートは工事中 (2024/03/01 訪問)

現在三の丸の石垣修復中につき、ネットでダウンロード可能な盛岡城パンフレットにある藩主登城ルートは通れません。
二の丸には回り道して行くことになります。
多目的広場にはその修復に使うと思われる石垣や裏込石と思われる石が積んでありました。
3月ですが、盛岡にはまだ雪が残っています。
この日は雨も降っており、足場が非常に悪かったです。

この日は「旅せよ平日!JR東日本たびキュン早割パス」を使用しました。
東京-盛岡間は通常往復¥30,000かかるところ、¥10,000ですみました。
えきねっとトクだ値と異なりはやぶさにも乗れます。
もう販売期間は終わってしまいましたが、来年も発売してくれるならまた利用したいところです。

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todo94

元日の攻城⑨ (2024/01/01 訪問)

この城も2023年の元日、腰越城から杉山城に直行してスルーしてしまっていました。結構な時間がかかる山城だと思っていたので仕方ありません。八高線を渡って城址西側の仙元山登山口から攻城しました。「青山城址・仙元山分岐まで約35分」との表示がありますが、ちょっと大げさな気がします。分岐迄だったら私の足で10分少々でしたから。ただ、分岐から青山城本郭迄も結構歩きますけれどもね。それでも登山口から本郭の説明板まで20分はかかっていません。結構奥行きがあり、山城遺構も随所にみられるとても良い城でした。これが2024年の初山城となりました。

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Tokyobay

大塩平八郎の乱と終焉の地 (2024/01/15 訪問)

洗心洞跡が造幣局の敷地内にあるというのも歴史の皮肉ではある。見学するには正門で許可をもらう必要があるが、見学する人が殆どいないのか警備員たちも場所がよくわかっておらず、何度かやりとりがあってようやくわかる警備員が出てきて見学可能に。跡地は正門から東へ100m程度にある別の門をくぐった先の官舎内にある。
大塩平八郎は洗心洞近辺で最初に大砲を放ち乱をスタートさせ、大坂城乾櫓向かいにある東町奉行所目指して進軍するが、反撃にあい天満橋近辺の船着場から逃亡。その後、大塩親子は出入り商人の家に潜伏するが、女中の通報により包囲され自爆。現在の自爆地点は細い路地になっており誰も見向きもしないが、実際に現場に立ち入ると何とも言えない気分になる。尚、100m程離れた靱公園に立派な碑と案内板がある。
もはや受験勉強で学ばない限り、歴史から忘れ去られそうな乱なのかもしれないが、いつの時代でも乱の意義を問い直す作業は必要であるように思えてならない。

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イタさん

女渕城 群馬県前橋市粕川町 (2024/02/28 訪問)

案内を大まかに読むと、築城時期など不明だが、戦国期には散見される。武田・上杉・北条に侵攻され城主は目まぐるしく変わるが、小田原攻めの際に落城している。

城址公園と二の丸に駐車場がある。前には幅広な水堀が目に入いる。本丸北東隅に説明板と城址標柱、女渕城・本丸跡の石碑が建つ。本丸を東に出ると、南北に細い曲輪になり、東は深い小川程度の川で区画している。北曲輪は民家で入口前に北曲輪の石碑が建つ。北に下る堀跡があり先で丁字に、堀底の数カ所に「ホタル生息中・保護区間」の立札があるが、現在水がなく、幼虫や餌のカワニナはいるのだろうか。堀底を西へ行き上に出ると西曲輪境の水堀で、北に魔住田ヶ淵があり水が落ち南に流れ、幅広な水堀になる。堀には橋が架かり西曲輪へ渡る。西曲輪も民家地はあるものの、周囲を堀が巡っている。二の丸の南に御霊神社の建つ三の丸がある。北に土塁が見られ、社殿裏(西)には堀が残っている。

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イタさん

毒島城(ぶすじま) 群馬県伊勢崎市赤堀今井町 (2024/02/28 訪問)

案内板の概略は、周囲は沼・湿地に囲まれ、主郛は東西150mの楕円形をしており、周囲に腰曲輪を設け、虎口は西南面一カ所になる。毒島城には大蛇にまつわる伝説があり、攻め手は石臼で毒をつくり沼に投げ入れ、大蛇を追い出し落城させた、と。

沼などは水田になっている。南から農道を北に行くと、いかにも虎口風な場所になり、案内板も立っている。主格に入るまでに二段の腰曲輪が見られる。主郛・南側の腰曲輪は畑になっている。東・西・北の腰曲輪は篠竹等が多く確認しなかった。主郛の西寄りにも虎口風なものがあり、こちらが案内板に載る西南面の唯一の虎口跡なのか。南の入口は農道から畑に通うためのものだろうか。

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イタさん

山崎城 埼玉県比企郡滑川町 (2024/02/27 訪問)

山田城の北600m程に花木園(梅林)があり、その一帯が山崎城跡になる。こちらには案内板等は見当たらず。下調べをせず、先人達の記録を参考にさせて戴くと、主郭となる部分があるようだが、梅林ではなく森になり、ロープが張られた先は篠竹が密生し、梅林から先は躊躇してしまった。梅林内には土塁・堀が各所に残り、長いものが多い。トイレ前は虎口を思わせる。公園南口・山田城から続く古鎌倉街道が通り、舗装された散策路の脇にある。

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イタさん

森林公園の片隅に存在 (2024/02/27 訪問)

郭内の説明板に、伝承だが築城年代は不明、忍の成田氏の被官、小高大和守親子及び贄(にえ)田摂津守等が入り、整えた思えわれる。小田原攻めの際に前田利家により落城したと伝わる、と載る。

広い国営森林公園の南口から見て、右斜め前方の小高い丘が城址になる。台地末端の狭い場所に横堀で囲み、土塁を巡らせただけのようだ。縄張図のように、郭内を土塁・堀で仕切った跡がある。郭内への入口は数ヶ所あるが、南東の丸太階段部は、本来の登城道なのか分からず。東に土橋風な箇所があり、堀外にも土塁らしき高さが見える。

方角が不明なため、画像などの方角は説明板の上が北として書いています。

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T-Shionoya

にっぽん城まつり 2024 (2024/03/02 訪問)

昨年から横浜が遠くなり、昨日は名古屋で開催された「にっぽん城まつり」へ。
1枚目写真右上の「田村淳」の御城印(?)は、「鬼滅の刃」の書体とのこと。

初めての「にっぽん城まつり」。
さすがに横浜と比べると東海エリア以外の色が薄く、半分から1/3くらいの規模の印象でしたが、先生方の講演を無料で聴ける点が嬉しいところ。
個人的なメインは、加藤先生の「家康が改修した三河の城」。
訪れたい三河の城の情報整理が進みました。
三浦先生の講演は初。三ノ丸石垣に続いて坂本城御天主の図が新発見?
は三浦先生が「麒麟がくる」用に書いたものでした。

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