西不明門跡と太鼓門跡の続きです。
 明石城の天守台は本丸西側の坤櫓の北奥に平面約24m×20m規模で西の稲荷曲輪に突出てる、築城時から天守閣は造られなかった、完成した元和6年(1620年)であれば幕府に遠慮し建造を控えた所が多くなり、三重櫓を天守の代わりとしたようです。?
 これが関ケ原直後であれば、天守台を南に出し坤櫓辺りに5層5階の大天守閣が聳えていたのでしょう⁈ 元和6年頃だと層塔型かな?見たかったなぁ~と想像し天守台周辺を廻る、坤櫓西下から稲荷曲輪から眺めて本丸に登り、天守台上部に入る広い天守台内部です、坤櫓が南に直ぐ見えて、西の稲荷曲輪の南西角の二重櫓台周辺石垣塁、本丸西側の北に伸びる多門櫓台?城塁も良く観える。
 次は比翼の櫓に続きます。
  
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