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しんちゃん

宇都宮餃子  宇都宮駅 (2017/08/12 訪問)

宇都宮は餃子の街です。
最初は「みんみん」という有名店に行ってみたのですが
凄い行列で、1時間~2時間は並びそうです。
他にも行きたい所はあるので、宇都宮駅に。
ここにある宇都宮餃子館の健太郎餃子も行列が出来ていますが
みんみん程ではないです。さきほどの「みんみん」は市内の餃子の
名店の餃子を食べられるようで、その中にこの健太郎餃子も含まれているみたいです。
餃子定食いただきますと‥うまい!!これはたしかにうまい。
餃子の名所は各地にありますが、味は宇都宮が天下一でしょう。
駅前には餃子像もあります。モチーフはビーナス(アフロディーテ)らしいです。
そういえばアフロディーテ誕生の絵にポーズが似てますね。
背中に修復の跡があります。移設の際に破損した名残ですね。
これからも宇都宮のシンボルとして、市民の方々に末永く
愛されることを望みます。

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しんちゃん

ロックハート城  群馬県吾妻郡高山村 (2017/08/14 訪問)

大理石村ロックハート城は群馬県吾妻郡高山村にあります。
1829にイギリスでウィリアム・ロックハート伯爵により
スコットランド、サウス・ラナークシャーのカールークに建造された
役3200tの砂岩からなる、地上3階、地下1階のカントリーハウスです。
英国での呼び名はミルトン・ロックハート・ハウスですが
日本ではロックハート城のほうがしっくり来ます。
俳優の津川雅彦氏が北海道広尾郡広尾町に計画していた
「夢の御王国サンタ愛ランド」に移築するため解体されシベリア鉄道で
北海道に運び込まれましたが、資金面で町側と対立。
1992年、沼田市の株式会社サンボウが高山町に建設していた「大理石村」の
中核として購入。紆余曲折を経て群馬県の山中に引っ越してまいりました。
城内はおしゃれな感じの展示場になっていて、たくさんのサンタの展示や
世界の香水の展示もあります。海外のアンティークの販売もされており、
玄関の左手方向にかつてダイアナ妃の御料車として使用されていたロールスロイスが
あり、賓客やウェディングカップルの送迎に使用されているようです。
見所も多く、半日はゆうに楽しめる施設になっています。

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ヒロケン

断崖絶壁に建つ堅城 (2023/08/14 訪問)

岡城は稲葉川と白滝川に挟まれた断崖絶壁の地に築城されている山城です。難攻不落と謳われる岡城の所以は周囲を囲う断崖絶壁とその上に築かれている石垣群です。断崖絶壁上を石垣で取り囲み、その上に塀や櫓などの建物が立ち並ぶ大城郭でした。(パンフより抜粋)
1586年薩摩の島津氏率いる大軍勢が岡城に攻め込んでいますが、断崖の上に建つ岡城を攻め落とすことが出来ず、撤退しています。この頃の岡城は、今のような総石垣の城ではありませんでしたが、断崖絶壁と要害堅固の地に守られ島津軍を撤退させています。
今のような、総石垣に大改修を行ったのが、6万4千石で入部した中川秀成公で岡城の大改修や城下町の整備などを行っています。これ以降、岡城は277年間中川氏の居城として明治維新を迎えています。

8年振り3回目の岡城ですが、断崖絶壁の上に築かれ、累々と続く石垣群には何度見ても圧倒されてしまいます。今回、宮崎遠征を決めた理由の一つ、神々が宿る”高千穂峡”に行ってみたく(勿論、城巡りがメイン)高千穂峡より、別府温泉に抜けていくルート上に岡城があり、立ち寄った次第です。今回のルートは、時間の都合上、本丸コースで家老屋敷などはスルーしましたが、絶壁の上に累々と続く石垣群は勿論の事、絶景のスポットがいくつもある、絶対にお勧めの城です。

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しんちゃん

渡良瀬橋  ~八雲神社に お参りすると~ (2023/05/03 訪問)

渡良瀬橋です。
森高千里さんの歌で一躍有名になりました。
夕陽の時間には訪問できませんでしたが、川沿いの歩道に歌碑が
設置されています。すぐ近くにスピーカーがあり、ボタンを押すと
あの「渡良瀬橋」の曲が流れます。
うん‥雰囲気出てる‥。 気分が乗ってきたので八雲神社を
探して出発。一番近くにある八雲神社に行ってみると。
なんか違う‥ ここじゃない。
足利公園の近くの八雲神社が正解でした。
神社の方に話を聞いてみると森高さんの植樹の藤があるそうです。
少しだけまだ咲いていました。なんとなく有難うです。

渡良瀬橋
栃木県足利市通4丁目
36°19'59.0"N 139°26'38.1"E
36.333056, 139.443916

八雲神社
栃木県足利市緑町2丁目3284−1

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にのまる

⑥本丸西面・北面石垣~矢之門 (2023/06/24 訪問)

東日本大震災で大きく崩れた本丸石垣。
西面と北面合わせて1,826個の石が崩落し、修復に3年かかったそうです。
見事によみがえった目の前の石垣と崩落箇所の写真を見比べながら解説文を読みました。
崩れた石をひとつひとつ元の位置に戻すことがどれほど大変なのか想像すらできず、ただただ、すごいなぁ……と見上げるばかりです。
お城の現役時代に加え平成時代に刻まれた歴史を未来に伝える役割をもって新たなスタートを切った石垣が平和のうちにあり続けますように。

城外の眺望も爽快。遮るもののない中ではやぶさ&こまちが走り抜ける眺めも新たな発見でした。
水懸口、最古の石垣を見つつ矢之門から一旦退出しました。

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しんちゃん

やぶヤブ藪‥ こんなのムリじゃん‥ (2023/05/03 訪問)

薬師寺城は現在、林と畑地になっているのですが、林の方は
ものすごい藪になっています。ただの藪でなくツタがひしめき合っていて
侵入するものを拒んでいます。
城郭大系には林の中に堀の一部が東西200mほど残っているとあります。
城人を始める前に訪問したのですが、口コミや城郭大系の予備知識は、ほぼゼロです。
林のなんとか入れそうな所へ突入して10数メートルほど散策した後、
これ以上の散策は不可能と判断して脱出。さすがに今回はヤブハンター返上です。
いずれリベンジしたいと思うのですが、この状況では‥

城主の薬師寺氏は小山氏の出で、初めは小山氏と行動を共にしたが
後に宇都宮市と行動を共にするようになったということです。
13代貞村は五月女坂の戦い(那須氏と宇都宮氏の争い)上三川の戦い
(下館・水谷氏と宇都宮氏の争い)で宇都宮方として参戦しているそうです。

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しんちゃん

竹しか見えん。 けっこう大変だったのだが‥ (2023/05/06 訪問)

佐是城は5か所の郭とそれを区画する空堀で構成されているとのこと。
確かに堀切や土塁の遺構はすごいのですが、竹ヤブが凄くて移動が困難です。
三の丸、二の丸、主郭周辺と北の丸の一部は散策できたと思うのですが
写真が密状態の竹ばかりでいまいち場所が特定できません。
国立図書館のwebサイトに登録すれば日本城郭体系の内容をダウンロード
出来るので、縄張り図を印刷して再度訪問できれば、もう少し詳しく紹介できると
思います。
康正2年(1456)足利成氏の密命を受けた武田信長が上総国への侵略を開始し
真里谷城・庁南城を攻略し、上総介信高の三子、国信を佐是に配したと
「庁南武田氏系図」に記されているそうです。
「市原郡誌」には、天文年間に国信が佐是に築城したとされているようです。

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しんちゃん

有吉公園 (2023/05/06 訪問)

有吉城は有吉公園周辺が城址らしいとのこと‥
何分、薄暗くはなってきたものの、もう一つくらい回りたいと
足を延ばしたのだけど遺構らしきものは見当たらず。
公園一帯が城址のエリアだろうと思いつつ、グラウンドの写真もパシャリ。
ひとしきり周囲を歩いて立ち去りました。
天文7年(1538)第一次国府台合戦で小弓公方足利義昭が北条方に敗死、里見氏が変わって
勢力を伸ばします。北条氏康は妹婿の千葉介利胤と図って、川越城主北条左衛門大夫綱成を
生実に派遣し有吉に城を築かせたとのことです。
第二次国府台合戦の際、里見氏が国府台まで侵攻していることから、途上にあった
有吉城は落城したと見られています。

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朝田 辰兵衛

保安検査まで時間が空いたので… (2023/06/13 訪問)

保安検査まで時間が空いたので,スッと行って来れそうな有岡城に向かいました。伊丹空港からは,北ターミナルと南ターミナルのちょうど中間点付近のバス乗り場から,JR伊丹駅行き(阪急伊丹駅経由)が出ています。1時間に2~4本程度。
あまりゆっくりとはできなかったので,JR伊丹駅付近のみの散策となりました。

赤い城さんへ。
スズメバチ,怖い経験をされましたね…。なんとか一命を取り留めることができ,幸いに思います。
私はつい先日のように思い起こされる鏡山城散策で出くわしました。幸い刺されるまでに至らなかったですが,存在に気づかなければやられていたと思います…。ちなみに,私は7月下旬から本日まで,散策を控えております。
「明日は我が身」として,教訓とさせていただきます。

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仁正寺陣屋 (2023/09/02 訪問)

 日野中野城に(仁正寺陣屋)と書かれていたので、ここで投稿します。
元和6年(1620年)、市橋長政が2万石を与えられ、かつての日野城跡に仁正寺陣屋を設置しました。日野中野城の東側に石碑と説明板があります。その近くに米蔵があり、街の中には移築門などがありました。

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蒲生氏郷 (2023/09/02 訪問)

 蒲生氏郷生誕の城としてしられています。土塁や堀の一部が残っています。石垣もありますが、説明板を読むと江戸時代のものと書かれていました。近くに蒲生氏郷公産湯の井戸があります。
近くの馬見岡錦向神社の参道に「伝若松の森址」という説明板があります。そこには「天正18年、蒲生氏郷が会津黒川城主に封じられた時黒川の名を故郷日野城の近くにあった若松の森の名にちなんで、会津黒川を会津若松の名称に改めたと伝えられる。その若松の森とは、ここ綿向神社の参道を覆っていた森であったという。、、、」とありました。江戸時代には枯れてしまい民家が建っています。

近江八幡駅よりバスに乗り日野川ダム口バス停下車。バス停から徒歩5分くらいで登城口に行くことができます。

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道西坊善従 (2023/09/02 訪問)

 善立寺付近が城址です。JR守山駅より徒歩約15分で石碑と説明板に行くことができます。

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tp.etsu

公園の中に… (2023/09/02 訪問)

看板があって、昔お城があったらしい…。
公園はとてもきれいでした。

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トク

名護屋城トークライブ抽選結果

これも運命か?
「8/30 NHK歴史探偵-どうする家康コラボスペシャル」で、名護屋城が取り上げられ、私の撮影した徳川家康陣跡で、秀吉の黄金の茶会に対抗し、家康独自の茶会が質素に行われていたとは知りませんでした。家康は実はここで茶会を利用し諸将を取り込んで着々と関ケ原への布石を打っていたとは・・・。何と自分が投稿した話題とタイムリーな内容ですごい偶然(すごいぞNHK!)と感動していた矢先、トークライブショーの抽選結果通知が・・・ 

「大変応募者が多く、貴殿は落選されました・・・」大ショック~😱😱😱!(佐賀にそんなに人が来るとは・・あなどっていた~・・) 行きたかったな~ ・・・ また秋に義弘陣跡に行き、夕陽と漁火を眺めながら、ヒロシのように「ぼっちキャンプ」でもしてこようかな~・・・・😭
 

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ぴーかる

苅安賀城 (2023/07/22 訪問)

【苅安賀城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑前の道路は広いので僅かなら停車できます。
<交通手段>名鉄苅安賀駅から徒歩

<感想>2週連続日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第2弾10城目。苅安賀城は1561年に浅井氏庶流の浅井政貞によって築城したとされます。浅井政貞は織田信長に仕え赤母衣衆となります。後に織田信忠付の武将となりますが本能寺の前に亡くなったようで子の長時が継いでいたようです。本能寺の変ののちは織田信雄に仕えますが秀吉との内通を疑われ殺害されます。信雄は殺害を命じた森久三郎に苅安賀城を与えます。現在城跡は石碑があるのみで説明板も遺構も残っていません。

<満足度>◆◇◇

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きよまさ

長島一向一揆

長島一向一揆450回忌法要

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カズサン

【遠江仁藤山(笠町)砦】静岡県掛川市 家康掛川城包囲戦東直の砦 (2023/08/28 訪問)

 家康の掛川城包囲戦の本陣跡である龍尾神社の参拝見学を終えて、掛川古城からは真東に約300~400m程の仁藤山砦を訪ねました、地元、神明宮略記では笠町砦と記載されて居ました。

 住所:静岡県掛川市仁藤71(仁藤神明宮)
 駐車場:西麓の総合福祉センター体育館側の広い駐車場利用

 駐車場から堀底道のような通路を北へ、南に神明宮の坂道車道、中段からは車道と歩道階段が並列、境内に入ると神明宮と社務所が東側に在る、境内は広い、グーグルマップの史跡マークは境内に仁藤山(笠町)砦と記載されている。神明宮の略記には「この境内は徳川家康の遠江攻めの掛川城の包囲戦で笠町砦が築かれた処」と記されている。南側には正式の参道階段があり立派な石灯籠と石鳥居が控えています、が南側には駐車場なく狭い通路で車は不可。
 香川画伯の掛川城攻め付城群イラストには笠町(仁藤)砦も記載されて、北側に掘割を挟んで曲輪が在り現在は不動院が鎮座しています、二つの曲輪で機能していたのでしょう、加藤理文氏の解説ではこの砦には岡崎衆番手を入れたと有りました。
 当時は掛川古城の三の丸も有り東に出っ張り、距離感は比較的近かったことで目と鼻の先、結構な威圧感を与えていたことでしょう。

 歴史的、参考資料は先に投稿した【遠江天王山砦】家康掛川城包囲戦本陣の内容として同じです。(龍尾神社パンフレットを除いて)

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しんちゃん

ほしいも神社  ひたちなか市阿字ケ浦町178 (2023/05/05 訪問)

堀出神社はひたちなか市に鎮座する神社です。
八幡神社と同じ神様をまつっており、徳川光圀公より奉納された
神鏡を、ご神体として祭っています。
当地は明治28(1895)照沼勘太郎が干し芋の製造に成功した地として
知られており、令和1(2019)境内にほしいも神社が創設されました。
宮崎利七翁、湯浅藤七翁、小池吉兵衛翁、大和田熊太郎翁、白土松吉翁の
5柱を「ほしいもの神様」として功績をたたえています。

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しんちゃん

遺構の保存も整備も良く行き届いている。 (2023/05/02 訪問)

松井田城は南に中山道、北に東山道と碓氷峠が通っており、交通の要衝、
碓氷峠を押える城でもありました。北の九十九川と南の碓氷川に挟まれた東西に延びる
丘陵上に築かれています。城域は広いですが、国道18号から左に逸れる脇道から
城址近くの駐車場まで車で行くことが出来、非常に便利です。駐
車場から南方向へ、いくつかの堀切を渡って進んでいくと本丸周辺にたどり着きます。
本丸以外にも見所は多い城で、北側に三方に伸びた尾根の、真ん中の尾根を行くと
右手に畝状竪堀を備えた郭があります。見所1です。
本丸は城域の中心部にありますが、西側に二の丸、さらにその先に
畝状空堀群があります。見所2です。ほかにも見所はいろいろあって
本丸の東にはS字状にうねったS状空堀があるようですが、確認は出来ていません。
城内いたるところに案内板が立ち、よほど道に迷うことは無いと思います。
非常に回りやすく、遺構も満足できる優等生の山城です。
かつて戦国期に武田信玄が松井田城・安中城を攻めた時、安中忠政は松井田城に籠り、
嫡子忠成は安中城に入りましたが、忠成は信玄に降り、忠政は奮闘するも、力尽きて
信玄に降り、成敗されたと「甲陽軍鑑」に有ります。ただ、この場合の成敗というのは
出家・隠居を指しているらしく、忠政はこの時はまだ存命だったようです。
武田信玄、上杉謙信、織田信長の死去したあとは、城は北条氏の物となり、城代が入りますが、
豊臣秀吉の小田原攻めの際に、前田利家、真田昌幸らに攻められ、城代の大道寺駿河守政繁は
降伏し開場しますが、江戸高輪で自決させられたと言います。



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しんちゃん

膳城素肌攻め 武田ドラゴンズ (2023/05/01 訪問)

膳城は周囲を川で囲まれた丘に築かれていますが、高低差はさほどなく
ほぼ平城といって良いでしょう。東の道路沿いからすぐにアクセス可能で
北の歴史民俗資料館からもアクセスは可能なようです。周囲は宅地や畑地
となっていますが、本丸や二の丸を中心とした範囲は遺構が良く残っており
特に本丸の周囲には堀切が良く残っており、各郭の間を行き来するための通路が
整備されています。城域は南北500m、当時阿300mほどで東の平坦部は
帯曲輪となって今は畑地になっているようです。東曲輪から虎口を経て本丸にたどり着き
周囲の堀を眺めながら、北曲輪、袋曲輪、二の丸を散策しました。
享徳4年(1455)2月、ここを住居としていた善信濃入道を赤堀時綱が襲った記録が
残っています。後に上杉謙信の手に降り、武州羽生の木戸忠朝、菅原為繁ら千余りの将士を
膳城と山上城に配しています。謙信死後は北条の手に降り、金山から河田備前守が
城代を命じられています。天正8年10月、武田勝頼によって膳城は落とされ、河田備前守は
討ち取られます。後に「膳城素肌攻め」として伝えられています。
素肌攻め‥とは甲冑を身に着けずに城を攻めることで、土地の住民を怖がらせないように
平服で視察を行っていた武田軍に膳城の内輪もめが飛び火して即座に城攻めに
かかったらしいです。なかなか血の気が多いですね。

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