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イオ

中腹の曲輪群 (2023/11/19 訪問)

(続き)

主郭から曲輪14・16間の堀切まで上り、堀底からまずは曲輪14へ。曲輪14の北側にも堀切があり、堀切に突出した櫓台と思しき石垣が築かれています。曲輪14の東辺も石垣で覆われていて大いに見応えがありました。

石垣を眺めながら堀切に戻り、堀底道を東に下ってまた上ると、曲輪15の石垣が見えてきます。北西辺の石垣沿いに進み、北東麓に少し下りて行くと竪堀と浅い堀切がありました。曲輪15に引き返し、曲輪上段からは琵琶湖方面の眺望が開けています。眼下には東山道が走り、遠くは水茎岡山城~八幡山城~観音寺城まで見渡せます。曲輪15は北西辺だけでなく南西辺にも大規模な石垣があり、さらに南東辺にも石垣が遺っています。先達の皆さまの投稿で「石垣の中世山城」とは承知していましたが、まさかこれほどとは…。

ここまでですでにテンション爆上がり、意気揚々と曲輪16に登って行くと、曲輪の南部から北西麓の主郭に向けて石垣造りの虎口が開口していました。主郭へ下りるのはまた後にして、今度は山頂部の曲輪群に向かいます(続く)。
 

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小城小次郎

能登・越中の国境線 (2023/04/23 訪問)

中世の一大宗教都市であった石動山から荒山峠に向けた最前線でもあり能登・越中の国境線でもあるこの場所はたびたび戦の舞台になっている。越中の国境線は現在の県境とは比較にならないくらい強く意識されていたようだ。

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todo94

【城びと未登録】小栗城(茨城県筑西市) (2023/12/10 訪問)

「関東の名城を歩く 北関東編」に所収の城です。一度、内外大神宮や城址碑にはたどり着けていたのですが、登城口が分からず撤退していました。今回も空堀や土塁を確認しつつ、最後は鉄塔に向かって藪漕ぎをしてしまいました。鉄塔からは本丸への登城路が整備されていて何とか攻略を果たすことができました。スムーズに下城してみると入口の石碑や城址碑からかなり離れたところに登城口がありました。登城口への案内があるとありがたいのですが。それにしても結構よい城で城びと未登録というのは残念で仕方ありません。

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しんちゃん

城域はなかなか広い。あとは整備の問題。 (2024/01/01 訪問)

新春一ノ槍‥忘れた。幾つ目だったかな? ともかく初投稿させていただきます。
水晶城は臼山八幡宮の西にある山の尾根上に築かれていました。縄張り図を参考にすると東西から南北に一帯に広がる尾根上に郭が配されているようです。城域はかなり広いですね。実は登城道は有るのですが最初は気が付きませんでした。神社の脇から西に道が続いているんですがすごくわかりづらいです。地元の方で登っている人はほとんどいないんじゃないでしょうか。
低地から段々の扁平地が東の出丸に向かって続いています。山に入ってすぐに城域に突入します。東の出丸の下段にも腰郭が展開していてやがて東の出丸に到達します。そこからは西の主要部に向かいます。

水晶城は古代山陽道が東西に続く谷筋の北側の山の尾根上に築かれています。古くは源氏方の佐々木国正の居城とされ永正5年(1508)大内義興が厳島神領を自らの直轄地とした際に杉甲斐守を城番に置いたとされています。大永3年(1523)銀山城主武田光和の援助を受けて友田上野介が水晶城に攻め込み甲斐守は敗走し、廿日市の後小路にて殺害されたとあります。
天文10年(1541)毛利氏が佐伯郡に侵攻した際には城主で大内氏家臣・麻生左衛門鎮里は毛利氏に降伏し、毛利氏が桜尾城をより重視したため水晶城は廃城になったようです。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/20 訪問)

※武田氏館、武田氏館と共に登城
※松本に前泊し、ライトアップの松本城あたりを散策

 松本城(百名城スタンプ 管理事務所8:30-16:30) + 早起きして旧開智学校など周辺散策
  ※散策後8時過ぎに松本城入口(管理事務所前の高麗門)に行ったが既に数十人の行列でした
   天守(本丸)見学から出た時には90分待ちでした、休日は混みます

10:10(松本城から徒歩16分)松本(JR特急)、11:16,11:30甲府(路線バス)、11:38武田神社
 (徒歩1分)武田氏館(百名城スタンプ 武田神社9:00-16:00)

武田神社から徒歩30分、甲府駅付近の甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎)
 ※要害山城の続百名城スタンプが押せました

藤村記念館から徒歩2分、甲府市歴史公園 (甲府城山手御門 山手渡櫓門 )
 ※櫓門の中に展示があり無料で入れました

山手御門から徒歩8分(線路の反対側)、甲府城跡(百名城スタンプ 管理事務所(8:30-17:00)
 ※甲府城は甲府駅南口からも徒歩6,7分です

17:36甲府(JR特急)、19:06新宿

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/20 訪問)

※松本城、甲府城と共に登城
※松本に前泊し、ライトアップの松本城あたりを散策

 松本城(百名城スタンプ 管理事務所8:30-16:30) + 早起きして旧開智学校など周辺散策
  ※散策後8時過ぎに松本城入口(管理事務所前の高麗門)に行ったが既に数十人の行列でした
   天守(本丸)見学から出た時には90分待ちでした、休日は混みます

10:10(松本城から徒歩16分)松本(JR特急)、11:16,11:30甲府(路線バス)、11:38武田神社
 (徒歩1分)武田氏館(百名城スタンプ 武田神社9:00-16:00)

武田神社から徒歩30分、甲府駅付近の甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎)
 ※要害山城の続百名城スタンプが押せました

藤村記念館から徒歩2分、甲府市歴史公園 (甲府城山手御門 山手渡櫓門 )
 ※櫓門の中に展示があり無料で入れました

山手御門から徒歩8分(線路の反対側)、甲府城跡(百名城スタンプ 管理事務所(8:30-17:00)
 ※甲府城は甲府駅南口からも徒歩6,7分です

17:36甲府(JR特急)、19:06新宿

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/20 訪問)

※武田氏館、甲府城と共に登城
※松本に前泊し、ライトアップの松本城あたりを散策

 松本城(百名城スタンプ 管理事務所8:30-16:30) + 早起きして旧開智学校など周辺散策
  ※散策後8時過ぎに松本城入口(管理事務所前の高麗門)に行ったが既に数十人の行列でした
   天守(本丸)見学から出た時には90分待ちでした、休日は混みます

10:10(松本城から徒歩16分)松本(JR特急)、11:16,11:30甲府(路線バス)、11:38武田神社
 (徒歩1分)武田氏館(百名城スタンプ 武田神社9:00-16:00)

武田神社から徒歩30分、甲府駅付近の甲府市藤村記念館(旧睦沢学校校舎)
 ※要害山城の続百名城スタンプが押せました

藤村記念館から徒歩2分、甲府市歴史公園 (甲府城山手御門 山手渡櫓門 )
 ※櫓門の中に展示があり無料で入れました

山手御門から徒歩8分(線路の反対側)、甲府城跡(百名城スタンプ 管理事務所(8:30-17:00)
 ※甲府城は甲府駅南口からも徒歩6,7分です

17:36甲府(JR特急)、19:06新宿

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しんちゃん

北広島町の朝は暗い。雪が残っているわけだ。 (2024/01/03 訪問)

駿河山城は寒曳山の南側に伸びる丘陵の先端部に築かれています。谷間(空堀)を挟んで西に二の丸、東に本丸が配され、それぞれに郭が付属しています。谷間を北に進むと大堀切が有るようなのですが、城内は暗く先が沼化しているようなので二の丸と本丸を周遊するにとどめています。先日は山口県北岸から長い時間をかけて北広島町まで移動してきたのですが道路の両脇は雪が積もっていて、その割にはアスファルトの部分は問題なく通行できるので、タイヤチェーン装着のタイミングを見計らいながら運転して来ました。
翌朝7時を回ってから訪城したのですが城域は暗いです。北広島町の朝は暗いですね‥。雪が溶けずに残っているのもそのためでしょうか。おかげで写真もだいぶ暗いです。
駿河丸城は安芸吉川氏の初代・経高が正和2年(1313)に今の静岡市清水区から当地に移り、築いたとされています。四代の経見の時代に小倉山城に本拠を移しますが、その後も吉川氏一門の城として使用されていたようです。

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しんちゃん

広島湾防御戦線の一角 (2024/01/01 訪問)

今では陸続きになっていますが草津城はかつては広島湾に突き出した丘陵上に築かれていたようです。南の小高い部分が主郭のようで北側に城域が広がり周囲に腰郭が配されています。厳島神社の神領衆である羽仁氏の居城とされ南北朝時代に築かれたのではないかとされています。康正2年(1456)安芸守護代武田信賢に攻められ落城し、翌年の長禄元年(1457)には周防大内氏に攻められ落城。天文22年(1553)には毛利氏に攻められ一日で落城したようです。よく落城する城ですが二度目の落城から100年近い年月が過ぎているので、その間は良く持ったというべきでしょうか。立地的に重要な位置にあり毛利氏の攻略後は陶晴賢を迎撃するための広島湾の水軍の拠点の一つとなったようです。

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しんちゃん

【かるた】五稜郭の読み札 (2017/05/04 訪問)

桜色 染まる地上の 星の城

「星の城」か「星の島」かどちらにしようか考えましたが、写真を見たらちゃんと城に見えるので城にしました。地上の星っていうとプロジェクトXを思いだします。懐かしいですね。
タワーから見た景色ですが、それほど桜色でもないです。どちらかというと白いですね。雑誌やTVの画像は赤みを増しているのだと思います。実際はこんなモンですよ。

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チェブ

ほりのなかへ すてたら あかん。 (2024/01/03 訪問)

1594年に、加藤 貞泰さんが築城した「黒野城」。
関ヶ原の戦では徳川方だった貞泰さん。
1610年に伯耆国に転封しました。
「黒野城」は16年で廃城します。

「黒野城」には基本的に駐車場はありません。近くに見学者用の駐車場が土日祝で停められると案内がありました。
因みに橋に1台、車が停まっていました。
堀に架かる橋を渡り、右手に枡形虎口跡。こちらの奥に遊具があって、子供たちが遊んでます。
遊具はシャチホコが乗ったお城風です。写真は子供たちに配慮し写してません。
左手に「黒野城」の石碑と説明板があります。
そして、本丸と本丸を囲む土塁は高さがあります。
皆さんの写真は水堀になっていますが、この時期は空堀になっていました。
『黒野城に咲くタンポポ』の説明板があり、貞泰さんの国替えの足取りと、タンポポの分布が一緒なんだとか。
お城に関わるエピソードが、足下に咲くタンポポ。目線が変わって、なるほどと説明板の前で感心しました。
堀を外から見ようと歩けば、手作りの看板がたくさんありました。
16年しか活躍できなかった「黒野城」は本当に大切にされてました。
『ほりのなかへ すてたら あかん』
たくさんの、子供武将たちが守っている「黒野城」攻めでした。

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/19 訪問)

※松代城、松本城(ライトアップ)とともに登城
※松本に後泊

7:27東京(新幹線)、8:43,8:53軽井沢(しなの鉄道)、9:15小諸
 (徒歩4分)小諸城址三ノ門(百名城スタンプ 懐古園事務所9:00-17:00冬季第三水休) 

12:43小諸(しなの鉄道)、13:30,13:55屋代(路線バス)、14:20松代駅
  (徒歩5分)松代城址
  (徒歩6分)真田邸(続百名城スタンプ 9:00-16:30)

16:15紙屋町(真田邸から徒歩5分:路線バス)、16:33,17:08篠ノ井(JR特急)、17:51松本
 ※松本城のライトアップが見られました
 泊: 松本浅間温泉

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2020/09/19 訪問)

※小諸城、松本城(ライトアップ)とともに登城
※松本に後泊

7:27東京(新幹線)、8:43,8:53軽井沢(しなの鉄道)、9:15小諸
 (徒歩4分)小諸城址三ノ門(百名城スタンプ 懐古園事務所9:00-17:00冬季第三水休) 

12:43小諸(しなの鉄道)、13:30,13:55屋代(路線バス)、14:20松代駅
  (徒歩5分)松代城址
  (徒歩6分)真田邸(続百名城スタンプ 9:00-16:30)

16:15紙屋町(真田邸から徒歩5分:路線バス)、16:33,17:08篠ノ井(JR特急)、17:51松本
 ※松本城のライトアップが見られました
 泊: 松本浅間温泉

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虎の子

城への交通手段実践レポート (2019/04/13 訪問)

※高遠小彼岸桜に合わせて登城
※周辺の桜の名所も立ち寄りました

7:00新宿(JR特急)、9:13,9:20上諏訪(JR)、10:37伊那市
 ※知り合いの車に同乗し高遠城&周辺観光
 ※蓼科に泊

※近くに「江島生島事件」の江島を幽閉した屋敷跡があります(見学可)
※足があるなら高遠城から車7,8分の「六道堤の桜」がおすすめです

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赤い城

吹田城 大阪府吹田市 (2024/01/12 訪問)

アサヒビールの工場向かいの片山神社と片山公園付近が城趾とされていますが実際はどこにあったのか不明。
遺構は残っていません。
片山神社も由緒等は不明ですが立派な社殿が建っていました。
片山公園は小高い丘になっていてなんとなく城趾の感じはしますけどね。
この辺り、学生時代にはうろうろしていたエリアですが懐かしいところと大きく変わったところと。
月日が経つのは早いものですね。

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nao

小倉城制覇! (2024/01/01 訪問)

2024年は北九州市で迎えました
神社が隣接しているので初詣で混雑してました
天守から石垣そしてお濠と格好いいお城でした

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nao

唐津城制覇! (2024/01/01 訪問)

山の上にそびえたつお城
駐車場からの写真が絵になります
ちょうどこの時間に能登では・・・

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nao

熊本城制覇! (2024/01/04 訪問)

震災後テレビではよく見ましたが
実際に天守を目にすると感動しました

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イオ

山麓の曲輪群~主郭 (2023/11/19 訪問)

築城時期等の詳細は不明ながら六角氏に仕えた永原氏が築いたとされ、永原城の詰の城として機能したと考えられます。六角氏が織田信長に敗れると永原氏は信長に従い、小堤城山城は廃城となったようです。

先達の皆さまの投稿で行ってみたいと思っていましたが、野洲市での出張!お城EXPOにあわせて登城しました。国道沿いの工場脇から林道に入り、ゲート前の空きスペースに車を駐めて登城開始。あちこちに設けられた案内表示に従って歩くこと十数分で曲輪コースと尾根コースの分岐に到着。分岐に立てられている小堤城山城跡案内図によれば、曲輪コースは山麓の曲輪群を中を進むようなので、迷わず曲輪コースへ。

山麓の曲輪群は、主郭北麓の谷筋を通る登城道の両脇に階段状に配されていて、曲輪を区画する石垣があちこちに見られます。各曲輪には案内図に付された番号の表示が立てられているので、案内図の写真を撮っておけば参照しながらめぐれるのが嬉しいところ(以下、案内図記載の曲輪番号で標示します)。登城道から右手の曲輪へ、次は左へ、また右へと曲輪群をめぐりつつ登って行くと曲輪12の切岸に突き当たります。切岸には石垣が設けられ、石垣沿いに東に回り込んでさらに登って行くと、またも突き当たる主郭13の切岸には今度は二段の石垣が! 主郭13の麓を西側に回り込むと西辺にも石垣が続き、その先から主郭13に至ります。主郭13には説明板が立てられ、城内最大の曲輪ですが最高所ではなく、南を山頂の尾根、東を中腹の尾根に守られています。曲輪群を配した尾根を大土塁に見立てた縄張は観音寺城を思わせます。やはり六角氏の城なんですね。

主郭の東側には中腹の曲輪群の間に設けられた巨大な堀切が見えるので、そちらから中腹の曲輪群に向かいます(続く)。
 

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nao

島原城制覇! (2024/01/03 訪問)

天守全体が白くてバランスのいいお城
あいにくの天気でしたが
青空だったらさらに綺麗だったかも

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