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にのまる

三浦一族終焉の地 (2022/05/29 訪問)

「道寸祭り」に合わせて午前10時~正午の2時間限定で実施された東京大学臨海実験所内の城址一般公開に行ってきました。
先に海岸に向かい、途中、外からロープ越しに堀跡を確認。道寸祭りの会場で「鎌倉殿」のパンフレットなどを大量にいただきました。
その後一般公開会場に向かうと既に長蛇の列。主催者の予想も超えていたようです。石神井城(東京都)の一般公開のように城址を自由に見られるのかと思っていたのですがそうではなくて、10人ずつのグループで10分程度、解説付きの見学でした。外から見た空堀を内側から見せていただき、立ち入り禁止の理由やそのメリット、今後の展望などのお話を伺いました。そのほかの遺構についてはギリギリのラインから覗き込むにとどまりましたが研究会の方のお話を実際に聞きつつ質問させていただく機会を得られ、貴重な体験となりました。秘蔵の肖像画も見せていただけました。
その後、マリンパーク駐車場奥の城址碑、三浦義意公、道寸公の供養墓に行き、天然の要害感のある海岸におりてみました。
日差しの強い日ではありましたが、久々の青い海に青い空、気持ちよかったです。

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モト

祠と城址の碑 (2022/06/20 訪問)

全国にいくつかある小谷城ですが、ココは「こや」と読みます。
城跡には祠と碑が建ってました。
案内板もあります。
案内板だけでもあると大まかな概要もわかるのと城跡に来たんだなと思えて幸せです。
特別な遺構は残っていないようです。

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赤い城

天神曲輪に天満宮が建つ (2022/06/12 訪問)

羽生駅から徒歩で20分。
古城天満宮に石碑と説明板が立っています。
この日は車だったのですが天満宮前に短時間ならば駐車は問題ありません。
この天満宮は古城天満宮と呼ばれ、天神曲輪があった跡地です。
主郭部などはここから西に広がりますが住宅地や企業の敷地で遺構はありません。
この辺り、もともとは沼沢に囲まれた要害だったようです。
古河公方家臣の広田氏が築いたとのこと。
上杉氏と北条氏の間で争奪戦が繰り返された城です。
雰囲気を感じるのも難しいですね。

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カズサン

亀井玆矩公墓所は砦の様 (2022/06/20 訪問)

 亀井玆矩公の墓所は鹿野城の北西約2.8km程の小山武蔵山の明星ヶ鼻に在り鹿野城を望める砦の様な所です。
 鹿野城、檀家寺、宿泊の山紫苑によく訪ねながら一度も参拝して居ませんでした、今回の檀家寺で慶讃法要が有り宿泊先の山紫苑の行き帰りに亀井玆矩公墓所の白い標柱がやけに目につき、夏は明けるのが早く5時前には明るい、食事前の6時から7時に参拝探訪しました。
 これまでの行き帰りに目にはしてるのでしょうが、今回が探訪の縁と成りました。

 住所:鳥取県鳥取市気高町山宮字田仲 駐車場は特に在りませんが田仲集落の西の入口三角コーナーに駐車可能数台(35.475342E 134.043207N)

 田仲集落の中程に石垣と鳥居が構え、亀井玆矩公墓所の標柱、亀井武蔵守玆矩と解説板が石垣沿いに有ります、鳥居を潜って九十九道を登って行き、道は整備されています、石垣と石段、急な所を登りますので砦かなと思う造りです。墓前は広く、石垣基壇に角柱墓が立って居ますが墓標に刻んだ名は良く分かりませんネットの情報で「中山道月大居士」と刻んであるそうです、唐風に琉球の別称刻んだようです。
 参拝して墓前の広場から鹿野城方向を眺める、朝の6時過ぎ朝靄で鹿野城の城山は微かに見えるほど、登りお降り朝でも汗びっしょり。

 参拝終って鹿野城址を訪ねました、何時ものショットを取って終了約1時間程でした。

 亀井玆矩公は山中鹿之助と尼子氏復興を願って毛利氏と戦い、秀吉の第二次鳥取城攻防戦で鹿野城を良く護り貢献する、鹿野城を与えられ関ヶ原では東軍に立ち43000石と成り因幡気多郡高草郡を治め、朱印船貿易での潤いで治水新田開発殖産などに勤めて領民に大いに敬われ、津和野移封に成って以降も現在も「亀井さん」と慕われています。

 

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小城小次郎

下津井城がくっきり見える (2022/01/24 訪問)

丸亀城の本丸から瀬戸大橋と鷲羽山ハイランドが見える・・ってことはその手前にある下津井城もくっきり見えたはずだが丸亀城の大改築は下津井城の廃城後のことだったので両城が並び立つことはなかったのか。

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赤い城

あやめ園。 (2022/06/12 訪問)

菖蒲城址あやめ園が城跡で道路の向かい側に駐車場があります。
この日は時折晴れ間も見える曇り空だったのですがここに着いた途端に土砂降り。
それでも栢間陣屋の門をくぐり園内に。
今年は休耕地が多く、あやめも寂しい感じでした。
これも畑を長持ちさせるための方法だそうです。
園内に立派な石碑が立っていますが遺構はありません。
来年は畑いっぱいの花が咲くのを期待します。

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朝田 辰兵衛

龍野古城,その先には八幡宮跡が… (2022/06/12 訪問)

龍野古城本丸跡までは,他の登城グループと一緒になりました。ところが,本丸跡のすぐ先にある八幡宮跡へは行かれずに下山されたようでした。個人的感想を言えば,八幡宮跡のほうが魅力的でした。みなさんは,見落としのないように。

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にのまる

二之丸丑寅櫓と屏風折れ土塀 (2022/05/21 訪問)

二之丸丑寅櫓再建の情報を得たのが2019年2月の訪問時で、本丸と二之丸、二つの丑寅櫓を見るのを楽しみにしていました。この日のメインです。
一昨年完成の新しい丑寅櫓は望楼型下見板張りの二層三階で高さは8.3メートル。外側にあたる北面と東面には各階に窓がありますが(東面二階は石落としつきの出窓)、攻撃する必要のない西面と南面の一・二階には窓はありません。建築基準法の規定により入室は制限されており内部見学はできませんでしたので解説と写真でエア入室してきました。(写真⑤)
丑寅櫓~土塀~天守台の眺めは、多聞櫓を備えた天守と一体化した姿や、土塀が鍮石門まで繋がっている姿の想像へと繋がります。外に突き出した屏風折れの土塀は珍しいそうですが、こちらもエア攻撃体験を楽しみました。(土塁には上がれません。)正保城絵図には天守台両サイドに屏風折れ土塀が描かれており、守備機能のポイントだったのだろうと感じました。二之丸に天守が建てられた経緯など知りたいことはありますが、またいつかの出会いに期待します。
平成19年まで体育館が建っていたという二の丸広場から旧近衛邸へ。邸内には入りませんでしたが、戦国時代の堀跡と丸馬出を再現した白砂の庭園がすてきでした。
本丸へ移動すると、門跡の石垣や土塁、水堀など一気に懐かしさあふれる景色が広がります。櫓台の破壊を免れた本丸丑寅櫓。前回は外でカメラを落としてキャップを壊してしまったのですが、今回は傘を忘れました^^;(取りに戻りました。)
史料館の展示と姫丸辰巳櫓跡をみて見学終了。尚古荘は前回行ったので今回は寄りませんでした。最近も発掘調査の結果を知る機会がありました。また行きたくなりそうな予感がします。

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T-Shionoya

武田最後の城 新府城 (2022/05/06 訪問)

ゴールデンウィークの最後に訪問した城が、山梨県韮崎市の新府城。

高さ40m以上の崖の上、細長い七里岩台地は釜無川と塩川がつくり出した天然の要害。
その台地から更に盛り上がった小山に築かれた新府城。
南東には甲府盆地、北西には八ヶ岳が望め、駿河・諏訪・佐久からの交通と情報を掌握できたことでしょう。

信長の甲斐侵攻に備え、1581年に武田勝頼が躑躅ヶ崎館から本拠を移転。
しかし翌年3月に自ら火を放って退去し、勝頼は自刃。
武田滅亡後は、家康が北条との争いで本陣としたとのこと。

現在は本丸が藤武神社となっている城郭遺構。
訪問時は駐車場から時計回りに巡回。
きれいに整備された大手は桝形虎口の前に丸馬出と三日月堀が配備され、その立体構造にビックリ。
二の丸の馬出付近は原形不明。
本丸南の虎口は、二の丸側からの進入を左に曲げて側面攻撃する仕組みで、「蔀の構」と呼ぶらしい。
搦手は桝形虎口の城内側が深い堀で独立した曲輪となっており、東側は木橋が架かっていたとのこと。
ただ草木が茂っていて確認し難いのが残念。

予想より城域が広く、訪問時間は約2時間半。
なぜ勝頼が岩殿へ移ろうとしたのか不思議に感じた、私の城巡りの126城目でした。

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ぎりょう

二度目の地震で被害が拡大、修復が待たれる片倉氏の居城 (2022/06/26 訪問)

所用で白石市を訪れた。白石城跡は今年2月20日に本欄に投稿したとおり、昨年2月13日の福島県沖地震で御三階櫓や本丸ニノ門が被災し、修復工事が始まっていた。その後今年3月16日に再度地震が発生し、宮城・福島両県内に被害が拡大している。宮城県内では仙台城跡の石垣や藩祖伊達政宗公騎馬像が被災しており大きく報道されている。白石城も前年被害の修復工事スタートから間も無く、櫓や門の漆喰壁の亀裂や剝落、瓦の落下など被害があったと聞いていた。今後の成り行きが気になり登城、本丸に隣接する歴史探訪ミュージアムのご担当に質問したところ、前年二百数十ヵ所を数えた修復部に新たに百数十ヶ所が加わったが、修復完了までのスケジュールは今のところ変更はなく、10月1日(土)開催予定の「鬼小十郎まつり」に間に合わせるべく本年9月末完成で進めているそうだ。
鬼小十郎は白石片倉氏二代重長のこと。祭りでは慶長20年(1615)の大阪夏ノ陣における「道明寺の戦い」での片倉隊と真田隊の戦が再現されるなど人気を集めている。
現在城址は画像のとおりであるが、10月には修復がかなった御三階櫓の下で祭りを楽しみたいものである。

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赤い城

セブンイレブンの隣に。 (2022/06/12 訪問)

セブンイレブン蓮田江ヶ崎店の隣に案内板があり、奥に地蔵堂が建っています。
隣の民家の庭先には立派な石碑もおいてあります。
案内板にはここから北に200m先のみずほ団地が城跡と記されています。
せっかくなのでしばし散策しましたが住宅地で遺構らしきものは見当たりません。
わざわざ行くことも無いと思いますがここのコンビニに寄った際に確認する感じですね。

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ぴーかる

富山城 (2022/05/21 訪問)

【続百名城53城目】
<駐車場他>富山市営城址公園駐車場有料
<交通手段>車

<見所>千歳御門・鏡石・石垣
<感想>1泊2日富山城の旅6城目。本日のメイン。上記地下の駐車場に駐車して、千歳御門をまず見てから観光案内所にてスタンプ押印、御城印の購入をし本丸跡内郭を1周したあと内堀の外側を1周しました。富山城の魅力はやはり石垣にあり。搦手門跡内側の石垣は大玉石を積んだものや南の内堀東側の石垣は大玉石を2つに割った切口を表に見せる積み方をしていてとても面白い。5つもある鉄御門枡形の鏡石は一つ一つが大きく見応えあり。南側土橋前のベンチにて暫し石垣と模擬天守を堪能、模擬天守とはいえなかなか溶け込んでいて美しい眺め、閉館中で中に入れなかったのが残念。

<満足度>★★☆
<グルメ>富山駅にある「白えび亭」にて白えび天丼とほたるいかの醤油漬けを食べました。

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POYO58

修学旅行 姫路城へ (2022/05/31 訪問)

5月31日〜6月2日に修学旅行に行きました。本当は沖縄県へ行く予定でしたが、コロナにより急遽変更。兵庫、岡山、広島となりました。原爆ドームに行く際に広島城は目の前まで行きましたが、スルーとなりました😭
姫路城は初日でした。新幹線で姫路駅に着く前に中から姫路城を探してたらとても大きい白いものが見えてびっくりしました。そこから学校のバスで姫路城へ行き、自由行動に。友達のカメラで写真を撮ってもらいました。まず天守を回りましたが、武具掛けに武器好きの友達が興奮していました。その後、西の丸の化粧櫓をめぐり、最後に黒田官兵衛の石垣を見て終わりました。
とにかくよく残ったなと思いました。授業で今探求活動というものをやっているのですが、僕はテーマを「姫路城はなぜ残ったのか」にしました。
特に気になるのが空襲からなぜ免れたのか。調べてみたら面白いことがわかりました。当時のレーダーは水と地面を見分けるものだったので、姫路城の水堀を池と認識し、そこを通りすがったことで消滅を防がれたと言います。良かった。
今回は自分で撮っていませんが、気に入ってもらえたらいいねお願いします。

評価
遺構:5
建物:5
行きやすさ:3
全体:5

攻城時間
1時間半

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チェブ

古い石碑。 (2022/05/05 訪問)

愛知県岩倉市の「岩倉城」、織田 敏広さんが築城しました。まだ尾張が、岩倉派と清洲派でバチバチしてる時代です。
その後、尾張統一を目指す信長さんに攻められ落城しました。

県道166号沿いに「岩倉城」の石碑、説明板、不動明王像がありました。道を挟んで向こうに『城跡休憩所』があります。
1560年頃、廃城してるのに 今も『城跡』と大切にされてます。
石碑を見た時、誰かの古いお墓かな?という、たたずまい。なんと石碑は、安政の頃1860年に建てられたそうです。立派です。
余談ですが、1854年に四国から名古屋辺りを数回、大地震が襲いました。復興中か復興後、「岩倉城」も忘れないように石碑を建てたんだと思います。違う意味で、立派です。

到着した時、「岩倉城」の石段に父子が座って話しをしてました。お父さんが息子に、何かを教わってます。
スマホを覗き込む2人。一生懸命に説明する息子さん。
信長さんの時代には考えられない光景です。
石碑を建てた安政の頃、信長さんは どのように語り継がれていたんでしょう?
古い石碑と、今どきの父子を見て 信長さんも、描かれる時代にあった人物像になっている気がした「岩倉城」攻めでした。

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コバトン

能登畠山氏の威光を示す巨大山城 (2022/06/12 訪問)

七尾駅から麓の資料館までバスで15分。そこから本丸まで60分くらい。尾根伝いに登っていくと頂上付近で開けた曲輪に出る。それぞれの曲輪が深い堀切で区切られているほが、重臣の屋敷跡も石垣造となっている。二の丸には大きなシカが休んでいた。本丸は何段にも連なる壮大な石垣造となっており圧巻の一言。織豊大名以外でこの規模の石垣を築くのは珍しく、能登畠山氏の威光がよく分かる。地形も相まって要害な造りとなっており、上杉謙信の猛攻にも一年近く耐えた。五大山城の名に恥じない名城。

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コバトン

高山を見下ろす石垣造の山城 (2022/06/13 訪問)

麓の飛騨の里までバスが出ており、そこから30分くらいかけて登っていく。城主だった三木氏は姉小路氏の名跡を簒奪し飛騨の統一を目指した戦国大名。齊藤氏を介して織田信長とも誼を通じる強かさを見せる。本能寺の変後に柴田勝家方に付いたため秀吉の名を受けた金森長近に攻め滅ぼされてしまったが、その威光も伝わる見事な石垣の城である。山城にここまでしっかりとした石垣造りの曲輪が残っているのは珍しい。頂上からは高山の街が見下ろせ美濃と越中をつなぐ要所を押さえることができる。この素晴らしい城が100名城にも続100名城にも選ばれない理由が分からない。岐阜県には名城が数多あるのでその割を食ったというところか。

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コバトン

目立たないけど面白い城 (2022/06/13 訪問)

飛騨姉小路氏の庶流古川氏の拠点。飛騨古川駅から歩いて30分くらい。他の方も書いておられる通り入口が分かりにくい。事前のネット情報にあった目印の廃屋も撤去されてしまったようで、撤去跡の脇にうっすら見える轍を半信半疑で登ったら山道と曲輪が見えてきた。その後も夏場ということもあって草や薮で覆われ分かりにくい道が続く。頂上には開けた曲輪があり城の異名の元にもなった蛤石が祀られている。一部だが石垣も見られる。小さい城ながらよく探すと階郭式の曲輪が見られたり山城としての見所も多い。もっと整備すればそれなりに観光スポットになるような気がする。少しもったいない感じもするが、そこが逆に隠れ家的な意味で魅力なのかもしれない。

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コバトン

越中の重要拠点 (2022/06/11 訪問)

和田川ダムに突き出た山城。堀切がよく残り曲輪からは富山平野の西部を見渡せる。上杉謙信も欲しがった越中の重要拠点。
増山城自体はさほど大きな城ではないが周辺の亀山城や孫次山砦と連動して一大城郭群をなす。麓の武家屋敷跡なども含めた規模を考えると越中三大山城の一つと呼ばれるのも納得。
最寄の砺波駅からかなりの距離があり近くにバス停もない。徒歩では流石にきついので駅で電動アシスト付きのレンタサイクルが借りて行った。久しぶりに乗った自転車も楽しかったです。

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カズサン

中の御門枡形石垣復元工事中 (2022/06/18 訪問)

 鳥取城の第一期復元工事幕末の登城門ルートの復元を目指して、擬宝珠橋、中の御門表門と復元が進み、現在中の御門表門を潜って登城は表門の所で閉鎖された、桝形石垣の修復復元積み直し工事が着々と進んで居ます、中の御門枡形石垣が復元完成すると、櫓門の復元、枡形石垣上に土塀の復元が待って居ます、近々の進捗計画では令和4年度末でしたが、何時なのでしょうか?待たれます。
 又登城時、内濠が水草清掃、水の入れ替え、石垣周辺の草刈りがされ、南門側から北門、馬場跡旧球場側の内濠まで綺麗に成って居ました、非常に珍しい光景です、私は初めての体験でした。

 京都府兵庫県を廻って郷里鳥取での檀家寺での慶讃法要の為、鹿野城近くの鹿野温泉に宿を取り、陽はまだ高く国道9号線経由で鳥取城の中の御門枡形復元工事の現状確認に寄りました、当日は土曜日、周辺の駐車場は満車状態、グルーと廻って博物館の駐車場が偶然空きが出来ラッキー駐車出来ました。
 写真は中の御門桝形石垣工事(工事現場は金網フェンス越しの撮影)、綺麗に成った内濠、久松山と鳥取城を投稿します。
 

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higekam

赤松氏の城跡というよりも古代山城か (2022/06/20 訪問)

嘉吉の乱後首謀者の赤松満祐が、居城の坂本城からこの山城に登り自刃したということで訪問。ただ、城跡からは赤松氏らしさを見出せなかったが、大和朝廷が築いたと言われる古代山城の石塁を楽しむことはできた。

越部西公園に駐車し、一旦南に下り兵糧道伝いに登り、山頂部を縦走した後亀岩近くの大手道を下山したが、なかなかなかハードだった。登城というより登山か。
また、この時期ヒルにご注意を! 本丸周辺?でヒル3匹に食いつかれた。

なお、大手道の麓にある姥塚古墳の内部を石組みで支える天井ドームは一見の価値あり。千数百年を超えた存在感は感動もの。

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