那珂氏には二系統あって、那珂西城は大中臣系の那珂氏の居館だったらしい。大中臣氏の系譜は丹波に移住しているようで戦国時代にどう使われていたのかは謎のようだ。この地域のお城の年代観は難しい。
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2026/02/17 21:21
2025/02/03 16:51
那珂氏と言ってもいろいろですね。 (2024/02/19 訪問)
JR水戸駅北口から茨城交通「野口車庫」または「御前山車庫」行のバスに乗車し、「宝憧院前」で下車、徒歩5分。
城跡は現在、宝撞院というお寺になっていますが、土塁と空堀がかなり良好に残っています。特に北西側の空堀と土塁の遺構は、見ごたえがあります。
宝撞院の南西端の土塁上に城址碑があり、説明板は、山門の脇と土塁上の城址碑への階段の手前の二か所に設置されています。
説明板によると藤原秀郷流の那珂氏の城と考えられてきたが、現在は那珂氏(大中臣氏系)の城といわれているようです。
気になったので、いろいろ調べてみましたが、常陸国の那珂氏は、那珂西城の大中臣氏系と藤原秀郷系の那珂氏の二つの家がいたようです。
現在、那珂西城の城主と考えられている大中臣氏系那珂氏は、南北朝時代に常陸から丹波国に移住したといわれているようです。
藤原秀郷流の那珂氏は、南北朝時代は南朝方に属し、北朝方に敗北。その後、生き残った那珂氏が江戸氏を名乗り、戦国時代には水戸城や河和田城に入ったみたいです。元々の居城は従来、那珂西城だといわれてきましたが、現在は茨城県常陸大宮市の那賀城(城びと未登録)だったと考えられているようです。
近い場所に那珂氏がニつも存在すると、複雑になってしまいますね。常陸大宮市の那賀城も機会があれば、行ってみたいと思います。
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2023/09/06 15:39
主郭周辺の土塁が良く残る。 (2023/05/05 訪問)
那珂西城は国道123号線の東側の宝幢院が本丸跡とされています。
立地的に那珂川の西岸に位置する台地上に築かれており、西には
西田川が流れています。天然の川に囲まれた台地上に築かれている
この地方では良くみられるタイプの城跡です。
本丸の周囲は高い土塁で囲まれ、南に中城、西に兵庫坪(郭とみられる)
が配置され、国道沿いに兵庫坪の土塁が一部残っているようです。
秀郷流藤原氏の6代の孫、通直の子、通資は那珂郷に居住して那珂氏
を称したとされます。孫通泰は弟能通に戸村を譲り、那珂西に築城し
共に那珂川中流を支配して豪族になったとされています。
しかし南北朝の争いの際には南朝方に属し、北朝方の佐竹氏に敗れ
時の当主、通辰は太田城近くの増井勝楽寺境内で一族とともに自決し
那珂西城には一時、佐竹一族の真崎兵庫介が入ったと伝わります。
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| 分類・構造 | 山城 |
|---|---|
| 築城主 | 那珂通泰 |
| 築城年 | 久安5年(1149) |
| 主な城主 | 那珂氏、佐竹氏 |
| 遺構 | 曲輪、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 県史跡(那珂西城跡) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 茨城県東茨城郡城里町那珂西1958(宝幢院) |
| 問い合わせ先 | 城里町教育委員会事務局 |
| 問い合わせ先電話番号 | 029-288-7010 |