みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

九鬼澄隆 (2022/06/30 訪問)

 近鉄加茂駅より徒歩5分で、案内板のある九鬼岩倉神社に行くことができます。神社の参道には土塁のような所もありました。加茂川と河内川を天然の堀としていたようです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

城山休憩所 (2022/06/30 訪問)

 近鉄鵜方駅から三重交通バスにて約1時間、越賀バス停より徒歩5分くらいです。主郭(と思っていますが)へ上る道はありますが、整備されていなくて藪となっています。土塁らしきものがあり撮影しましたが、写真にすると藪だけが目立ちます。
この日は快晴で暑い日でしたが海風が吹いていて体感温度を下げてくれました。志摩の海はめっちゃ美しいです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

八幡さん公園 (2022/06/30 訪問)

 近鉄鵜方駅より三重交通バスに乗り大王埼灯台下車、徒歩5分くらいで城址碑のある「八幡さん公園」に行くことができます。この日は快晴で志摩の海はきれいでした。「todo94」さんの投稿を見て灯台へも行きました。大王埼灯台から城址を見ることができます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

主郭が城址公園に (2022/06/12 訪問)

免許センター近く、ラーメンショップさんの隣にあります。
公園入口に説明板が立ち、階段を登ると主郭になります。
主郭は土塁で囲まれています。
土塁の外側には犬走りもありました。
南側の虎口から降りていくと深い堀がありました。
ただし藪、建物も建っています。
城は三つの曲輪が並んでいたとのことですが二郭、三郭は畑や宅地となっています。
戦国時代には高城氏の小金城の支城として機能していました。
今では静かな公園になっていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

石の門砦 (2022/05/22 訪問)

【石の門砦】
<駐車場他><36.755183, 137.421679>道路脇に駐車可能
<交通手段>車

<見所>石垣
<感想>1泊2日富山城の旅8城目。初投稿いただきます。石の門砦は戦国時代に椎名氏?によって築かれました。この虎口は松倉城と松倉城支城群に入る西の虎口になり、石の門砦のすぐ西側が鹿熊地区といい当時の城下町で東側が早見川があり入城口となっていました。入城口から北の海側にかけてはなだらかな傾斜となっているので城下町の防御と強固な石組の虎口を設けていたのはなるほどと感じる。虎口の内側に削平地の曲輪が広がっているので虎口要塞的な施設であったと思われます。石組の石は川の石を使用しているのでかなりの大玉石で最大で3m程の高さがあり圧巻です。大城郭群の入口にふさわしい造り。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

二の丸石垣城塁が見える化景観整備 (2022/06/20 訪問)

 二の丸の石垣城塁が良く見える様に成って居ました、今回の伯耆未踏の城廻りの途中に、三の丸発掘調査で元球場、諸施設、石垣周辺の樹木が伐採され、三の丸の調査整備区域には工事中で入れませんが、工事枠外で二の丸石垣が大変良く見える様に成り、且つ天守台の前面樹木も伐採されて、三の丸、二の丸石垣城塁、天守台石垣群も良く見える様に成り、城好きにはたまりません。
 三の丸は通り掛かった方に尋ねると公園化されるようで、探訪途中に公園化予想図が掲示されて居ました、完成が待ち遠しい限りです。
 
 駐車場:新しく三の丸駐車場が完備、トイレは有りません、トイレは二の丸テニスコートのトイレ使用と有りました。
 他の駐車場は:二の丸テニスコート側と湊山公園駐車場、トイレ完備、湊山公園側からは裏からの緩い登城路が有り水手御門曲輪に登る事が出来ます。

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

たぬぬ

由利高原鉄道沿線の城 (2022/06/23 訪問)

前郷駅から徒歩で20分程度です。城跡は小学校になっていましたが、移転したので自由に見学できます。土塁や堀跡が残っています。

+ 続きを読む

にのまる

衣笠合戦 (2022/05/29 訪問)

三浦半島城めぐりのラストです。
幹線道路から案内が出ていたのでわりとスムーズに行けましたが一か所悩んでしまった案内がありました。急坂を上へ上へと登っていくのが正解です。帰りに通りがかった際に立ち止まっている方をお見かけしたので声をかけてみたら、やはり同じように悩んでいる方でした。この日は朝から同じ方を別の場所でお見かけしたりしたので、午前中の新井城址一般公開から半島の城めぐりをされた方が多かったのではないかと思います。

城址までの上り坂は長かったですが、「三浦一族ゆかりの地」の幟がゴールフラッグのように迎えてくれて、疲れも吹き飛びました。
階段を上がると平場が現れました。危険を感じずに見学可能な範囲は広くはなかったけれど、曲輪を囲む土塁など充分に雰囲気を感じられましたし、木々に覆われた物見岩が砦感を醸し出していました。只この巨岩自体は物見というより信仰と関わりがあるような気がしました。「遺物発掘處」の石碑の裏には「大正八年發掘陶器貳個銅筒壹個鏡壹面石釼数口於此處古色蒼然不疑爲衣笠城時代物翌年二月獻之宮内省」(←多分)とあり、鎌倉時代にタイムスリップした感じでした。ほかのところでもこんな風に「ここでこんなものが見つかったよ!」という碑があるといいのにと思いました。

説明板に「丘陵状の一番裾が大手口で……」とありますが、帰りに信号待ちをしているときに歩道に「衣笠城追手口遺址」の小さな石碑を見つけました。(写真⑩)この日いちばんテンションが上がったのはココでした(・ω・)ノ

…衣笠と言えば触れずにはいられない鉄人衣笠祥雄氏。同じく京都出身の清川投手も推しでした(^^)/

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

戦闘抑止効果はあったのかもしれない (2022/01/25 訪問)

整備が終わったばかりで、部分復元され公開を待つ築地塀の姿も見ることができた。瀬戸内に点在する古代山城は戦いの場となることはなかったがその威容が十分な戦闘抑止効果をもたらした可能性はあるものと思っている。

+ 続きを読む

赤い城

小さな城址公園 (2022/06/12 訪問)

流山街道沿いに花輪城址公園があります。
少し広くなったところに車を置き足早に散策しました。
城址公園には紫陽花も咲いています。
段を登ったところが主郭で琵琶首観音堂の石段があります。
堀の跡も残っていますがだいぶ浅くなっています。
それらしく木橋が架かっているのが良い感じです。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伯耆未踏の城廻りを終えチョイ寄り (2022/06/21 訪問)

 伯耆未踏の城廻り5城を終え、最終の槻下豪族館、隣接の斎尾廃寺跡を後に頃合いは昼食時間、約5km程と近い道の駅大栄へ、9号線南の地道を通って、コナン駅(由良駅)からのコナン通り、コナン大橋を抜けて終点は道の駅大栄到着、隣接地にコナンの青山剛昌ふるさと館がある。
 コナン通りはファンの方がスマホ片手に何人か歩いている、人気が有るんですね!

 道の駅大栄は現在レストランがコロナの関係で閉鎖中、地産販売店で山菜おこわ弁当を購入し車中食、昼食後西方向移動多目的広場、お台場公園を経て8年振りに由良台場跡に寄りました、車は由良台場跡の南側駐車場に駐める。

 台場虎口から入り、草は深いが人踏道が付いている、人踏道を通って探訪、西側はの土塁に上がり西から4砲台を巡り東土塁から虎口を見下げ戻って東土塁下から降りる。
 草は延びてますが整備は良好保存されて居ます。登城者は私一人、コナンのふるさと館・コナン通りは人出有り。
 今回はお台場公園の大砲レプリカは見学をパスしました。

 由良台場は鳥取藩で幕末築かれて8箇所の内、現在構造が残ってる東から浦富、橋津、由良、淀江、境の5台場の一つです。昭和63年7月27日に国指定史跡・鳥取藩台場跡の一つに加えられ他の台場に比べて良く構造を残しています。
 砲台は四門あり台場内部は三段の土塁で固めてる、東西125m、南北83mの広さ、文久3年(1863年)高島秋帆に西洋砲術を学んだ武信潤太郎総指揮のもと、藩財政窮乏していたが農民動員され費用は中・大庄屋、豪農らの献金でまかなわれたと伝えられる。
 幕末農民パワーは強大の様で幕末維新の源泉なのかもしれません。
 
 


 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

安土城 ダイジェスト (2022/06/17 訪問)

彦根城を攻城の後、急遽、予定変更し、安土城へ。
織田信長が築いた、幻の城

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ダイエティシャン

【国宝 彦根城】ダイジェスト (2022/06/17 訪問)

【ひこにゃん】がお出迎えしてくれました

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

【伯耆・斎尾廃寺跡】鳥取県琴浦町 伯耆未踏の城廻り番外 (2022/06/21 訪問)

 槻下豪族館に向かう途中にやけに大きく看板が「山陰唯一の国指定特別史跡・斎尾廃寺跡」と出て居り、気に成ったので槻下豪族館、槻下神社を探訪した後、見学に立ち寄りました。
 
 槻下豪族館から南南西に約800m程、芝生畑の広い中に遺跡礎石、立て看板、案内解説板、斎尾廃寺想像図・平面図が在り、芝畑の四方に境界線を示す石柱がポツンポツンとと立って往時の広さを示し、あり日の姿を偲ばせていました。
 想像図を観てその時代の荘厳な寺院を想像夢想します、芝畑の中で大変良い景観です。
 駐車場は砂利芝状態で3台位可能、グーグルマップに史跡マークが載っています。隣の水辺公園:鳥取県東伯郡琴浦町槻下1026、100m位の東。

 案内板に由ると
 白鳳時代の古寺跡で金堂・塔・講堂の跡が比較的明瞭に残り、金堂・塔跡の基壇と礎石及び講堂跡の礎石が多数残っています。伽藍配置は南面して東に金堂、西に塔を置く法隆寺式になっています。
 出土遺物瓦には奈良県法隆寺のものと同系統である事が注目されます、仏像は塑像の仏頭・顔面・手足・螺髪などはじめ、多くの破片が出土しています。
 この様に遺構や出土遺物について文化的価値の高い事が認められ、山陰で唯一の特別史跡に指定されてる。
 国指定特別史跡「斎尾廃寺跡」昭和27年3月29日特別史跡指定。

 今まで郷里鳥取県に特別史跡斎尾廃寺跡が在る事を知りませんでした良い体験でした。

 

 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伯耆未踏の城廻りⅤ (2022/06/21 訪問)

 伯耆未踏の城廻り石井垣城を終えて山陰道を東進、東琴浦ICを降りて、駐車場が在る事を信じて槻下神社を目指す、水路の東に駐車場5台位可能。住所:鳥取県琴浦町槻下926(35°29’13"N 133°42'54"E)

 槻下豪族館は神社駐車場から北に100m弱で竹藪が見える所、国重さんが投稿されてる様に竹藪、孟宗竹が茂り倒れ内部には立ち入れない状態、案内板と案内板の横から少し内部が見えるがちょこっと覗くだけ、周囲の竹藪と、周囲の芝畑で芝じゅうたん状の畑が取り囲んでいる、槻下神社を参拝して、西の通りに立ってる標柱を写して終了。

 案内板に由ると
 鎌倉時代の豪族(武士)の館跡で、二つの方形の屋敷が残ってる。東側は、南北約40m、東西約30m、西側は四方約40mで周囲に高さ、約3mの土塁が築いてある。
 「琴浦町指定史跡、昭和49年5月1日指定」

 竹藪が伐採され景観整備されたら是非再度探訪観察したいものです。

 槻下神社社叢は琴浦町指定の天然記念物に成って居ます。

 この後は800m南西の斎尾廃寺跡を見学探訪、番外編で投稿します。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

モト

森林公園となってます (2022/06/15 訪問)

小高い山の上に本郭があり見張り台のような物がありました。
少々駐車場に困りました。
裏の畑側と逆側に入り口がありますが道は両方共狭いです。
山の下に案内板もありましたが、後続車がいた為に停車できず。
後々ネットにて内容えお確認いたしました。
曲輪跡なども残っております。

+ 続きを読む

カズサン

伯耆未踏の城廻りⅣ (2022/06/21 訪問)

 富長城初登城を終えて9号線、山陰道で東進、鳥取県も高速が出来て便利に成りました、中山ICを降りて、西のなかやま温泉、図書館、保育園側に向かい、大手側からの登城を試みるが、登り山道は有るが案内板指示板も無く、草も茂って居り諦めて東側の春日神社側に廻る、中山IC出口へ廻り西へ直ぐ北の林道へ杉林の薄暗く細い道、500m程進むと林道の3,4倍の広さアスファルト舗装、駐車に最適、春日神社参道第一鳥居のすぐ横です。駐車場(35°30'50"N 133°35'01"N)
 石井垣城と先に投稿した小波城は城びと未投稿でしたので最初の投稿と成ります。

 駐車場周辺は草が刈られ、春日神社境内も綺麗に清掃されて居る、案内板は神社参道鳥居の南側に在り真新しい、狛犬、鳥居を潜って石階段を登ると土塁を切った様な参道、奥に本殿、境内以外は城域なのですが杉林、草シダ類が深く茂り足を踏み入れるのに躊躇します、今回参考にした古城盛衰記さん余湖図コレクションさん俯瞰図に依ると春日神社の北側に本丸、各曲輪、堀に土塁が良く残ってる様ですが草深で良く見通せない、藪漕ぎは不安もあるし、神社境内の土塁と堀道を観て終わる事にした、秋以降春先の草が枯れて頃の登城投稿者に探訪報告はお願いしたい。
 高速ICも近く駐車場も有るので寄りやすいとは思います。

 歴史は案内板に由ると
 石井垣城は14世紀中頃の国人領主層の一人で箆津豊後守敦忠の居城であったと伝わる。石井垣城周辺は、中山と伯耆国絵図に記されてる。元弘3年(1333年)の船上山合戦に勝利した名和氏の軍勢は、幕府方で中山城に居た伯耆守護代の糟谷氏を攻めて敗走させた。石井垣城は、この中山城を箆津氏が後に城館として整備したものと推定される。
 構造は案内板に由ると
 城館規模は南北450m、東西250m、東に甲川が北流し、比高15mの断崖、西は谷と湿地、南と北は複数の堀切で区画された複郭式の城で、郭、空堀、土塁、石塁、土橋などの遺構が良好に残ってる。
 主郭部は堀と郭によって守られた北東部で、虎口が南側に在り、土橋で南側の郭群とつながっている、西側の南北に伸びる平坦面は字名を御墓ノ峯といい、その中央付近で空堀や土塁で区画された中世墓地が確認され、現在でも地表面に五輪塔や宝篋印塔が見られる。
 (以上平成30年大山町の案内板)

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

県内の城めぐり2022㉜ (2022/05/28 訪問)

中野県庁の建物のちょっと前方にかなりの広さの駐車場がきれいに整備されていたので此処に車を駐め、高梨氏館跡に向かう前に、入館いたしました。説明板に井戸遺構のことが記されていたので周辺を暫く散策してみましたが見つけることは出来ませんでした。残念。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

ポチと書き込みが追いついていませんが… (2022/06/13 訪問)

ポチと書き込みが追いついていませんが,大洲城で日本100名城コンプリートです。苧綿櫓と南隅櫓は少し離れているので,事前に下調べをしておくと宜しいかと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

絶妙なバランスと言えなくもないが (2022/01/24 訪問)

本丸の櫓台に無理やりねじ込まれた天守は、移築先とも伝わる丹波亀山城の古写真を基にしつつもかなり独特な風貌を有する。縦に長くて撮り方次第では不格好にもなるこの天守を美しく撮るのは至難だとも思う。

+ 続きを読む

ページ473